2-5 もちろん彼女の「足が痛む」は方便です
(ヤバい……ヤバいヤバいヤバい!)
スノー・シルバーバックはとんでもない強敵だった。
こちらの魔法は殆ど効かず、その巨体に見合わない素ばやさを持っていたため、僕一人では逃げることすら危なかった。
……だが、森の外で起きた謎の爆音によって逃げ出したことで、僕は九死に一生を得た。
あれがなければ多分僕は命を落としていただろう。
(あの爆音は……いったい誰がやったんだろうな……魔導士? いや、僕でもあれだけの爆音を出すような魔法は考えられない、それに今日の夕飯は何だろうな? いや、そんなことより課題のための準備を……)
そんな風に、めちゃくちゃに思考をめぐらせていた。
「はあ……はあ……」
首筋に当たるトリアの暖かい吐息と、そして何より背中に押し付けられる胸の感触。
正直、理性を保つだけで限界で、スノー・シルバーバックの一閃を喰らう直前よりも大ピンチの状態だった。
(なに? 何話しているの? ……ダメ、集中できない……)
そのせいもあり、背中でトリアが何を言っているのかも聞き取れていなかった。
(トリア……なんでトリアって、こんなに可愛いんだよ……)
トリアは、サキュバスの血を引いていることもあるのだろう、ものすごい可愛らしい容姿をしている。
……本人やレクター君達が、その魅力に気づいていないのが不思議なくらいだ。
彼女の目を見ているだけで、僕は動悸が激しくなるくらいだ。
正直、トリアが喜んでくれるなら、もう魔力だって何だってあげたくなる気持ちになる。
……だけど、本当は僕も、いつになるかは分からないけど、お金をためて移住して、魔導士として国のために尽くすという夢をかなえたい。
だが、それ以上に魔力を失って『用済み』になった僕が、トリアから捨てられるのが怖い。
(そうだ! ……いっそのこと『魔力を全部あげるから、ずっと一緒にいてくれない?』って提案するのはどうかな……)
ダメだ、その提案は僕にとって有利すぎる。
利用価値がなくなった『足でまとい』を扶養する義務を負わせるわけにはいかない。
それに、魔力を渡したら僕はもう高給の仕事に就くことは難しい。
そうなると、トリアにはトライル家の当主としてだけでなく、僕やその家族の人生にまで責任を負わせることになってしまう。
そんな提案をトリアが了承するわけがない。
そう考えていると、トリアが話しかけてきた。
「ねえ、ラウル? ……ラウルはさ、私の貸してる本って、好き?
「勿論だよ。いつも楽しみにしているから」
「ならさ。こないだ新しい本買ったから、読まない? 二コラが主人公の物語!」
「え、いいの? 僕、あのシリーズ好きなんだ! 楽しみにしてるね!」
「……うん、よかった……」
……いつもトリアは、僕の好みの本を貸してくれる。
そのことも、今こうやって僕に体を預けてくれているのも、全部僕を魅了し、魔力を奪うための手段に過ぎないのだろう。
それくらいのことは、分かっている。
……それでも、今このつかの間だけでもいい。彼女とこうやって過ごすこの時間が幸せすぎて、失うのが辛すぎる。
そう思っていると、またトリアが話しかけてきた。
「あのさ、ラウル?」
「どうしたの、トリア?」
「傷が痛むから……もうちょっとだけ、ゆっくり歩いてくれない?」
「え? あ、ゴメン!」
そういわれた僕は、歩く速度を緩めた。
……けど正直、僕はそのことに罪悪感を感じている。
彼女が痛がっているのに、もう少しだけ二人っきりで居られることが嬉しいと思ってしまったからだ。
そう考えながら、僕は山を降りた。
……それから、数十分ほど経過しただろうか。
もうスノー・シルバーバックの気配は微塵も感じない。
道も少しずつ開けてきた。もうすぐ街道に出るところだろう。
「……ん、誰だろ?」
そんな風に考えていると、遠くに誰かが手を振るのが見えた。
「おーい、ラウル~!」
「ザック! それにみんなも!」
そこには、クラスの子たち……まあ、平民の子たちだけだが……がやってきていた。
「よかった、無事だったんだな! ……はは、トリアを背負って帰ってくるなんて、やるじゃんか」
「うん。けどどうしてここに?」
「二人の帰りが遅かったからさ。まさか魔物に襲われたんじゃないかって駆けつけたんだよ!」
そういいながら、ザックは僕たちの方を見ながら心配そうな表情をする。
「……襲われたんだな?」
「うん。スノー・シルバーバックがいたんだ……」
「まじかよ! お前、良く帰ってこれたな!」
「何かわからないけどさ……。遠くからものすごい轟音が聞こえたんだ。それで……そいつは逃げて行ってくれたんだよ。誰だったんだろうな……」
「へえ……さあな」
そういいながら、ザックはニヤニヤと笑みを浮かべる。
周りの皆も同様だ。
「ま、なんつーかさ、すげー奴がいたってことだろうな。何もかも、全部ぶっ壊せるような、な」
「……何か隠してるでしょ? ……ま、いいか……」
そういいながらも、僕は彼らと一緒に帰ることにした。
帰る道すがら、こちらは今日の授業の内容について教えてもらい、代わりにザック達には僕が今日過ごした武勇伝……というにはかっこ悪いけど……について話をした。
トリアは、あまり会話が得意じゃない。
けど、彼らと一緒に談笑の輪に入るのは、それなりに楽しそうにしてくれていた。
「けど、本当にすげーな、ラウルはさ。まさか本当に『明かりの木の実』を持って帰るなんてさ?」
「それはトリアが地図を使って調べてくれたおかげだよ。……正直、僕一人じゃ絶対に『明かりの木の実』は見つからなかったからさ」
「はは、なるほどな……あれ、レクター君?」
もうすっかり街道に戻ってきており、あたりには街灯の明かりがぽつりぽつりと見えている。
そんな中、レクター君とグロッサさんはこちらを見て、不愉快そうな顔をする。
「なんだよ、お前……帰ってこれたのか? 残念だよ」
「アハハ、ゴメンね、生きてて」
僕は半分は皮肉、半分は本気で答えた。
グロッサさんも、僕のほうを見て忌々しげな表情を見せてきた。……その眼は、僕ではなくトリアに向いていたが。
「そのサキュバスも連れて帰るなんて、偽善者のラウルらしいね。あたしだったら、見捨てたふりして始末してるのに」
「そんなこと、僕がするわけないだろ!」
「だってさ、分かんないの? あんた、その子に養分にされるよ? ……可哀そうにね」
そんな風に言われると、さすがにムッとする。
そこで僕は思わず叫んだ。
「そうかもね……。けどさ、僕は……それでいいよ! トリアから魔力を取られても!」
「え?」
「はあ、何言ってんの?」
「僕は平民だから。……頑張れば、魔力なしでも家族を養うくらいできるもの。それより、トライル家を背負ってるトリアのほうが大事じゃないか!」
「……ちっ。そうは行かないよ……」
正直、本当は魔力を手放したくはない。
だが、これ以上レクター君たちにトリアを侮辱されたくない!
そう考えた僕は、あえてそういうことにした。
「君たちも怖いんでしょ? ……トリアが、僕の魔力を持って、自分たちに牙を剥くの? 僕の魔力を使えるようになれば、次魔力を奪われるのは君たちだからね?」
これは、半ば本気の忠告だ。
そういうと、レクター君たちはビクリと体を震わせながら、虚勢を張るように叫んできた。
「……ハッ! んなわけねえだろ? それに、こっちにも考えがあるからな!」
「まったく……。すっかり魅了されてるね、ラウルは……。ま、精々今を楽しむんだね。……教授は今日は第二校舎にいるから、さっさと課題、出してきな」
「うん……それじゃまた……」
そういうと、僕はみんなと別れた。
幸い、第二校舎に行く道中にトリアの屋敷の前についた。
これ以上はついてきてもらわなくてもいいと思い、僕はトリアをそこで下ろした。
「それじゃ、後は僕のほうで教授に課題を渡してくるね?」
「うん。ありがと、ラウル……」
トリアは、少し寂しそうな表情を見せた。
……きっと、これは演技だ。分かっている。
「あのさ、ラウル……さっきはありがと……。嘘でも……嬉しかった」
「……うん……」
僕は、さっきの言葉を本気だとは言えなかった。
……そんな自分が本当に嫌になる。
「それじゃまた! ……今日はありがと、トリア……」
「こっちこそ……。ねえ、ラウル?」
「え?」
「また……明日ね?」
「うん!」
明日もまたトリアに会えると思うと嬉しくなる。
そう考えながらも僕は、トリアに精一杯の笑顔を見せて笑顔で手を振った。