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魔法使いと皇の剣  作者: 123
1章 出会い
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ミエラ 1

辺りは暗く、一面を木々に囲まれた静かな森の中、窓から微かに明かりが漏れる家があった。その中には二つの人影が見える。


 一人は、大柄で痩せ細った中年の男性。銀色の長い髪を後ろで束ねており、若い頃は端正な顔立ちだったことを伺わせるが、今は疲れ切った表情がその面影を隠している。


 もう一人は、同じ銀色の髪を肩まで伸ばした幼い少女。彼の家族らしきその少女は、父親らしき男性の傍に立ち、懸命に話をしていた。


 男性は木製の古びたベッドに上半身を起こし、疲れた目を細めながらも優しい眼差しで少女を見つめ、耳を傾けている。

 少女は、父を気遣いながらも、少しでも自分の話が上手く伝わるよう、身振りを交えて一生懸命に語っていた。


「お父さん、私、本当に見たんだよ! 神様! それでね、お願いしたんだよ。お父さんの身体が良くなるようにって……」


 話を聞き終えた男性は、娘の言葉を信じることはできなかった。


 しかし、彼のために健気に願いをかけた娘に対し、優しい口調で問いかける。


「そうか……今日お父さんが少し元気なのは、ミエラがお願いしてくれたからか。ありがとう。でも、その神様とはどこで出会ったんだい?」



 そんな父の問いに、ミエラと呼ばれた少女は嬉しそうに、出会った神についてさらに話し始めた。


「うん! 神様は森の奥にいたの。最初は何か大きな生き物がいると思って、お父さんが前に言ってたみたいに、気づかれないようにそっと逃げようとしたんだ。でもね、神様が声をかけてきて……すごく怖かったけど、思い切って近づいたんだよ」


 その話を聞いた父の表情が一変する。険しい目つきになり、思わず娘を叱責した。


「森で出会った生き物が言葉を話したからって、近づいたのか? お父さんはミエラに言わなかったか? この世には、人語を操って騙す生き物がたくさんいることを……」



 ミエラは父の言葉に驚き、すぐに申し訳なさそうに頭を下げる。


「ごめんなさい……でも、近づいたのは、話しかけられた言葉が人語じゃなかったからなの。お父さんが教えてくれた古代語だったの。それを聞いて、神様だって思ったから、大丈夫だと思ったんだよ……」


 娘の説明を聞いた父は、一瞬感情が高ぶりかけたが、すぐに息を整えて冷静さを取り戻した。


 古代語を話すのは、神と呼ばれる存在だけではない……欲望に従って生きる魔物たちも、時には言葉を操る。そして、神と呼ばれる者たちも必ずしも善なる存在ではない


 ただ、自身が知識を教える際、その危険性を十分に伝えていなかったのは自分だ――。

 父はそう思い至った。


 かつて他愛ない話の中で、古代語について触れたことはあった。しかし、それをしっかりと教えた覚えはない。

 それにも関わらず、娘は「古代語を話す神に出会った」と言う。その言葉に、嫉妬と誇りが入り混じった複雑な感情が胸に湧き上がった。


 だが、それを表現することはできなかった。

 父が口にしたのは、ただ娘の話を続けさせるための、情けない一言だった。


「そうだな……それで、どうしたんだい?」


 褒めることも、謝罪することもできず、ただ逃げるように言葉を促すだけの父。

 しかし、ミエラは父のそんな気持ちには気付かなかった。ただ叱られなかったことに安堵し、続けて語り始めた。



「うん! それでね、私も全部の言葉がわかったわけじゃないんだけど、『願い』と『誓い』だけはわかったの。それで気になって近づいたら……最初はすごく大きかった身体が、私より小さくなってたんだよ。モノグくらいの大きさに……」


 父はその言葉に反応し、静かに考え込んだ。

 ――モノグか……。


 モノグとは、大人の足ほどの大きさを持つ生物だ。毛のないウサギのような胴体に、アリのような顔を持つ異様な存在である。


 なぜ娘は、数ある生き物の中でモノグに例えたのか……?

 その疑問が父の中で渦巻く。

 

 父は当初、娘が自分を元気づけようと、話を作り上げたのだと思っていた。


 なぜなら、ここ――レミアの森は、豊潤の神「レミア」の権威が強く及ぶ土地である。他の神が簡単に現れることはあり得ない。


 魔物が潜むことはあっても、異なる神がこの地で力を振るうなど、通常では考えられないからだ。


 しかし、ミエラが語る細部の具体性が、父の考えを揺さぶり始めていた。

 ――まさか、本当に……。


「願いと誓い……」

 父は小さく呟き、さらに娘に尋ねた。


 今や父は、娘の話を聞きながらも、先ほどまで抱いていた嫉妬や優しさといった感情をすっかり消し去っていた。


 代わりにその顔には険しい表情が浮かび、恐れと闘志が宿っている。脳裏で次々と考えが巡っていた。


「それでね、神様は……なんていうか、虫みたいな顔してたの。大きな眼の中に、またいっぱい小さな眼があって……それで、体はウサギみたいで……だからモノグみたいだったの。最初は私も、やっぱり神様じゃないかもって思っちゃって……」


 ミエラは、神の特徴を話しながら、できるだけバツの悪い表情を隠そうとしていた。

 ――あの時、神様を気持ち悪いと思ってしまったことを、お父さんに悟られたくない……。


 だが、父は既に別のことを考えており、ミエラの微妙な感情には気づいていない。

 彼はただ、さらに先の話を促した。


「それで、その神様はどうしたんだ? 何か言ってきたのか?」


 今の父には、優しさはなかった。

 娘の話を聞く目は鋭く、ただ冷静に、そして恐れと警戒を秘めたものに変わっていた。


 ミエラは、目の前にいる父がいつもと違うことに気づき、不安を覚える。それでも、促された以上、話を続けなければならないと感じ、言葉をつなぐ。


「神様は、その場でじっと動かなくて……それで、私が名前を聞いたの。そしたら……」


 一呼吸置いたミエラは、父に向かってその神の名を告げた。


「ノストールって言ったの」



 その瞬間、部屋には重い沈黙が訪れた。

 父が纏う異様な雰囲気を感じ取ったミエラも、次第に言葉を失っていく。


 ――ノストール……。


 父は娘の口から出たその名を聞き、確信した。娘が出会ったのは紛れもなく、本物の神だと。


 

 世界を生んだ最初の神は二つに分かれた。

 分かれた神はさらに自身を離し、多くの繋がりを生み出していった。


 そこから生まれた神々は、様々な生き物や事象、概念を創り出した――。


 昔から伝わる古い物語には、そう語られている。

 その中に、父が知る神の名もあった。


 歪みのノストール――。

 病の神「アスケラ」から生まれた歪みを司る神。

 そして、ノストールは本来、父や娘が住むこの大陸には決して現れるはずがない存在である。


 神々は、自ら創り出した生命や事象にのみその姿を映すことができる。

 また、各神の権威が及ぶ土地――「セイクリッドランド」と呼ばれる場所では、他の神の影響を受けることは原則としてない。

 

 神々の事情に詳しい者たちの間でも、これには未だ多くの謎があるが、少なくとも父は知る限り、神が別の権威を侵して現れることは決してなかった。



 それが今、このレミアの森――豊潤の神レミアが権威を振るう土地に現れたという事実が、父の思考を重く縛っていた。


 静かに黙り込む父を見て、ミエラも言葉を飲み込み、部屋には重苦しい沈黙が流れた。

 天井から吊るされた光石のランプが、部屋一面を淡く照らしている。その沈黙を破ったのは、どこからか迷い込んだ虫が光石にぶつかる微かな音だった。


 その音に気づいた父は、はっとして目の前の娘に視線を向けた。

 そこに映ったのは、不安に押し潰されそうなミエラの顔――自分を喜ばせようと一生懸命話していた娘が、怯えた目で言葉を待っている。

 父の胸に、申し訳ない気持ちが広がった。

 

 

「ミエラ……ごめんよ。お父さん、今、どんな神様なのか頭の中を探し回っていたんだ。それで、名前を聞いた後どうなったのか……続きを聞かせてくれないか?」


 父はできるだけ優しく、娘の不安を取り除くように語りかけた。

 ミエラはその言葉に少し安心したように笑みを見せ、話を再開する。


「うん。それでね、神様は何かずっと私に話しかけてたんだけど……私、全部はわからなくて。でも一生懸命聞いてたら、『自分を信じてくれたら、願いを叶える』って言ったの。だから……私は、お父さんの身体を良くしてくれるようお願いしたんだよ!」


 ミエラは嬉しそうに話を終え、期待に満ちた目で父を見上げた。

 ――きっと、最初のように優しい笑顔を見せてくれるはず。


 

 しかし、返ってきた父の顔は、彼女の想像とは全く違っていた。


 そこには、話し始めた時よりもさらに酷く疲れた表情が浮かび、目には深い悲しみが宿っていた。


 父は、ミエラの話を聞いて確信した。

 ――自分はもう長くない。

 ノストールがこの地に現れたという事実が、それをはっきりと示していた。


 このレミアの森。豊潤の神の加護があるこの土地でなら、自身の衰えた身体を癒せると信じていた。

 ここで娘を育て、ゆくゆくは彼女を稀代の魔法使いに成長させる――そう夢見ていた。

 しかし今、想像もしていなかった事態が進行している。この地はもはや、安息の場所ではなくなっていた。


 何よりも父が危惧していたのは、ミエラがノストールに対して「誓い」を立ててしまったことだ。

 ――博識な娘のことだ。あの神の外見に、好印象を抱いたとは思えない。それでもノストールを信じたのは、恐らく……歪みを操るノストールの特殊な力によるものだろう。


 父は思いを巡らせながら、広い世界に思いを馳せた。

 様々な種族が犇めき合う無数の大陸――だが、今は大陸同士の結界によって外界との往来は絶たれている。


「呪われた大陸アルベスト」から来た神ノストール。



 ――もはや、ここから逃れるしかない。

 父はそう結論を出した。娘だけでも、今の状況から救い出さねばならない。


 父は静かに決意を固めながら、ふと室内に目を向けた。その時、異変に気づく。

 部屋のあちこちに黒いシミのようなものが浮かんでいた。それは微動だにせず、ただそこに存在している――シミではない。


 それは無数の虫だった。


 父は冷静を装い、娘をこの部屋から避難させようと声をかけようとした。だが、その瞬間――。


 〘願いを叶えよう〙


 重々しく響く古代語の声が室内に満ちた。

 その言葉が告げられると同時に、部屋に潜んでいた無数の虫たちが一斉に飛び立ち、父に襲いかかった。


「お父さん――!」

 ミエラの悲鳴が響く。


 父は自分の中に虫たちが入り込む感覚を覚えた。やがて視界が歪み、意識が遠のいていく――。



 ミエラは必死に虫を払いのけ、父を助けようとした。しかし、虫たちの数は増え続け、どこからともなく湧き出てくる。それに抗うことはできず、ただ足掻き続けるしかなかった。

 だが、やがて虫たちは突如として動きを止め、糸が切れたように崩れ落ちた。


「……お父さん……?」


 ミエラは群れが散った先を見つめた。そこには、傷一つない父の姿が立っていた。

 安堵したミエラは、涙を浮かべながら必死に呼びかける。


「お父さん! お父さん……!」


 彼女の声に、父はゆっくりと目を開き、答えた。


「あぁり……ぃあ……がか……とぉう、ミミエラぁ……」


 ――その声は異様だった。


 

 生気のない目、呂律の回らない言葉。父は突然、地面に四つん這いになると、まるで獣や虫のように這い回り始めた。


 ミエラは恐怖と嫌悪感に凍りついた。

 その瞬間、頭の中で何かが弾けた。


 ――これは私のせいだ……。

 あの時、神に願い、誓いを立てたからだ。


 ノストールは確かに願いを叶えた。だが、それは恐ろしい代償を伴うものだった。

 自分は何故、あの異形の神に願いを託してしまったのだろう――。


 ミエラは後悔と悲しみの中で涙を流した。その時、不意に聞き覚えのある声が再び響く。


『お前の誓いを叶えたぞ』



「……ノストール……」



 その声はさらに続ける。


『私はお前の願いを叶えた。ゆえに、代償を払うのだ。私はお前の身体が欲しい、才ある脳が欲しい……お前のすべてが欲しい』


 その言葉と共に現れたのは、先ほどのモノグのような姿ではなかった。

 目の前に立つのは、人間よりも頭二つほど大きな異形。

 その姿は、コウモリのような体に、虫、コウモリ、そして美しい女性の三つの顔を持っていた。


 異常な光景の中、ミエラの中で激しい感情が渦巻く。――それは恐怖なのか怒りなのか、自分でもわからない。

 彼女は無意識のうちに魔法を唱えていた。


 初めて他者に向ける攻撃の魔法――。



 ミエラの周囲に炎が舞い上がり、渦となって部屋中を吹き飛ばした。


 だが、炎が消えた後、ノストールは目の前に立ったままだった。まるで何事もなかったかのように、巨大な羽を広げる。羽の下から現れた八本の手がミエラに向かって伸びてきた。


 だが、その手がミエラに届くことはなかった。

 突如、深い霧がミエラを包み込み、ノストールの動きが止まった。


 ――そして、霧の中から現れたのは、森の神「レミア」だった。

 ミエラは恐る恐る振り返り、そこに立つレミアを見上げた。


 美しい女性の姿をした神。

 ミエラは思った――どこか、自分に似ている……?


 レミアは感情を一切見せず、ノストールに向かって静かに命じた。


『去れ』


 その短い言葉と共に、突風がノストールを襲う。

 土から伸びた木々の根が地を這い、ノストールの足元から羽根、身体全体を包み込んでいった。


 ミエラはその光景を目の前にし、全身の力が抜けていくのを感じた。

 ――魔法の影響か、それとも二柱の神の力によるものか。

 身体から意識が遠ざかっていく……。


 だが、意識が途切れる寸前、ミエラはノストールがレミアに向けて放った言葉を耳にした。


 『彼の地で人は神を生み出した』


 その言葉を最後に、ミエラはついに意識を手放した。

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