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モブキャラに転生したけど死にたくない  作者: 左京ゆり
第三章 あなたがくれた美しき世界
41/53

41.アヘン窟

パブの扉を開けて、酔っ払いたちがたむろする石段を千鳥足で通り抜けると--俺たちは道の暗がりで立ち止まった。




「……部屋に入る気はなかったんだ。でも言い争うような声がしたから」

「分かってる。ありがとな、トム。おまえの機転で助かった」


薄闇のなかで、トムが鼻をこするのが分かった。



「店を出てよかったのか?」

「ああ。今夜このパブで、ヒギンズがあのダイアナって給仕と密会してただけでも収穫だ。だからトム……おまえはこのまま馬車に乗って、ブラックリー卿に知らせてくれないか」


「オレはって……アトスは帰らないのか?」


「鉄の屑って知ってるか? 多分、店かなんかの名前だと思うんだけど」

「聞いたことあるな。えっと……そうだ、確かこの辺りにあるアヘン窟だったと思う。そんな所がどうしたんだ?」


「ヒギンズが今から向かうらしいんだ。俺も行ってみようと思って」



トムは目を丸くして、俺の両腕をつかんだ。



「本気か?! だったらオレもっ……」

「いや、2人とも何かあったら知らせようがねーからな。ヒギンズたちに動きがあんなら、ブラックリー卿に早めに伝えときてーし」



静かに腕を引き抜いて、トムの肩をぽんっと叩いた。


「おまえに任せた。頼む」




肩に乗った手から俺の顔へと視線を移して、トムは数秒間黙りこくった。

それから--真剣な顔でうなずいた。




「分かった。また馬車で戻ってくるから、後でこの辺で落ち合おう」

「1人じゃだめだ。必ずブラックリー卿か誰か大人と一緒に来るんだぞ」


トムが俺の胸をグーで軽く突いた。


「アトスこそ無茶するなよ! ちゃんと戻ってこないと、泥ひばりの見張り番じゃなくて次はテムズに入らせるからな」

「わーった、任せとけって。じゃ、行くぞ」



突き出された拳に自分の拳をぶつけると、トムがにやりと笑う。俺たちは背後を確かめながら、忍び足で通りを後にした。




通りから一本外れた路地に、隠れるように停めた馬車がいる。月明かりに伸びた影を踏みしめて、俺たちは馬車に乗り込んだ。



ほんの数分もしないうちに、入り組んだ路地の手前で馬車が停まる。闇に紛れるように滑り降りて、俺はアヘン窟--鉄の屑へと向かった。






アヘン窟は、家屋の間に挟まるように建っていた。

真夜中の路地に人気はなく、荒れ果てた家屋は暗くて住人がいるのかも分かんねぇ。


入り口は地下にあって、石段が続いている。



俺は階段を降りず、家屋の木板の陰に身を潜めた。


(さてと……じゃあ待つとすっか)


ヒギンズは俺たちの後にパブを出たはずだ。

ここに来るまで馬車の音は、路地の前からも後ろからも聞こえなかった。


あいつが馬車で来ても徒歩でも、俺の方が先に着いた可能性が高い。



ポケットからスマホを出して時間を確かめた。


(15分待って現れなかったら、中に入ってみるか)





月は厚い雲に覆われて、手元のスマホだけがぼうっと周囲を明るく照らしている。夜が更けて空気は湿っぽくなり、いつしか霧が路地に充ちていた。



注意を耳に集中させながら、画面を指でタップする。




『よお、D』

『こんばんは、ATS。今日は何を知りたいですか?』

『いや、ただ何となくおまえと喋りたくなっただけ』

『嬉しいです。何でも言ってください。沈黙のままでも、私はあなたの傍にいますよ』



少しの間、指を止めて--素早く動かした。



『この世界に来てまだ10日ぐれーだけどさ、なんか色々あったよな』

『はい、ATSには沢山の出会いがありました。あなたがこの世界を気に入ってくれたら良いのですが』


『そうだな……ぶっちゃけスラムのガキに転生とかあり得ねーって思ったし、小鳥遊にも龍太にも会えたけど、前世のあいつらが死んだのに喜んでいいのかも分かんねーし、でも……悪くねぇって思ってる』


『それは良かった。安心してください、ATS。私はずっとあなたの傍で見守っていますから』

『サンキュ、D。なあ、聞いてもいいか?』

『はい、何でもどうぞ』


『マーサ婆さんの娘さんや、港湾労働者、ウィリーに取り憑いた黒い影は、この俺--元のアトスだろ?』



沈黙が数秒続いた後、画面に文字が入力される。



『はい、その可能性は高いです』

『じゃあ黒い影が俺の身体に戻れば、もう事件は起こらねーのか?』

『そうですね。ATSが強い殺意や憎しみを持たなければ、おそらく今後は起こらないでしょう』



俺はコツコツとスマホケースを指で叩いて、また画面をタップしようとして--。

すぐに画面を消して、ポケットに突っ込んだ。





空気の震えとともに、蹄を鳴らす音がする。


やがて、1人の男が霧の中から現れた。

きょろきょろと辺りを見回した男は、自らを隠すように帽子を深く被り直し、石段の先に消えていく。







カップ麺が作れるぐらいの時間を待って、俺も石段を下りていった。




ずっしりと重たい木の扉を開けると、むわっと充満した煙が鼻を刺す。


換気という概念がなさそうな建物には、どう考えても身体に悪そうな臭いとじめじめした空気が長年積み重なった地層みてぇにこもっていた。



入り口は狭いが、奥は意外と広いらしい。

ウナギの寝床を思わせる通路の先は、煙に遮られて数メートル先もよく見えねえ。


通路の両側には薄いカーテンが垂れ下がって、個室らしく区切られているようだ。


ゆらりと影絵のように誰かの姿が映っては、また動かなくなった。





辺りを見回していると、煙の奥から人影が現れた。


思わず全身の筋肉が固くなる。

やって来たのは、簡素な服装のでかい男だった。


「坊主、初めてか? 金はあるんだろうな?」

「俺はヒギンズさんって人に用があるんだ。この店にいるんだろ?」


男の無機質な目が細くなった。

ポケットに手を滑らせると、男の殺気が毛穴を突き刺すみてぇにぴりぴりする。


俺はポケットから手を出して、広げた。

1枚の銅貨を載せて。



「ほら見てくれよ! 1ペニーだ!!」



目の前の男から、殺気が消えたのを感じた。

心臓をバクバクさせながら、俺は何食わぬ顔で演技を続ける。


「ヒギンズさんへの伝言だけで、1ペニーだぜ!! しかもちゃあんと果たしたら、あと1ペニーくれるってんだ!! へへっ、これで今夜は宿のベッドで寝て、朝にはエンドウ豆のスープを食うんだ」



男は蔑みと哀れみが混じったような目つきをして、面倒くさそうに、割れた顎をしゃくった。


「……最奥の左のベッドだ」


俺は銅貨を握りしめた手で、得意げに鼻をこすってみせる。


(うわぁぁぁ、背中の汗がやべー!!!)


正直今すぐ回れ右してこいつの前から逃げ出したい。


そんな衝動を無理やり抑えつけて、好奇心まるだしのガキを装ってきょろきょろと低い天井やカーテンを見回しながら、俺は煙の奥へと進んでいった。






煙の向こうに灰色の石壁が見える。

突き当たりの左手が、ヒギンズのいる部屋だろう。


煙まみれのべとついたカーテン越しに、ぼんやりと2つの人影が動いていた。



俺はその一つ手前の部屋で立ち止まった。


カーテンに映る横長の影は、ぴくりともしねえ。


(……よし)




静かにカーテンを引いて、身体を滑らせる。

奥に置かれたベッド--と呼ぶにはあまりに貧相な木枠の塊の上に、人間が1人寝そべっていた。



男か女かも分かんねぇ、そいつは顔の傍にキセルを置いて死んだように横たわっている。


口からよだれが垂れて、シーツ代わりのボロ布に染みを作っていた。目は低い天井に向けられたままで、俺に向けられもしねぇ。


その恍惚とした表情に寒気を覚えながら、俺は隣の部屋と隔てられたカーテンの傍に座り込んだ。




布切れ1枚越しの話し声は、ボソボソと海の底から聞こえるように低く響いた。




「…………ならソブリン金貨10枚でどうだ?」

「さてねぇ。こっちも危ない橋を渡ってますからねえ。割に合わない仕事は手を出さない主義でして」

「あんた、さっきからずっとその調子じゃないか! なら一体何が望みなんだ?!」


蛙が鳴くようにまくし立てる声と、のらりくらりと雲を掴むような嗄れた声が言い合っている。


沈黙が続いた後、また嗄れた声の男が口を開いた。




「あなたん所の扱ってる荷物を、いくらかこっちに卸してくれたら助かるんですが」

「…………横流ししろって言うのか?」

「はは、人聞きが悪い。少ぅしあなたと私で商売をしようってだけですよ」


「…………そうしたら、ブラックリー卿に銃を売ったと証言してくれるんだな?」



ぎり、と自分の歯が鳴った。

嗄れた声が場違いにのんびりと頭に響く。



「ええ、前向きに検討させていただきましょう」

「…………いいだろう」



二言三言、くぐもった声が続いた後、樽みてぇな影が動き出した。ヒギンズだ。布がこすれる微かな音がして、通路をのっそりと影が歩いていく。


とっさに石床に横たわった。

じめじめした冷気が背骨から全身に広がる。


俺のいる部屋の前で、影が足を止めた。

だが--何の異変も見つけられなかったようで、カーテンの左から右へと消えていった。



(……ったく。ビビらせんなよな!)




入り口に向けて耳を澄ませる。

重たい扉の音が、煙を震えさせたような気がした。


ちら、と部屋の奥のベッドに視線を流す。


時間が止まったかのように、アヘン窟の客はじっと物憂げに天井を見つめたままだ。



(……お邪魔しました、と)



俺はそっと起き上がって、隣の部屋と区切られたカーテンを開いた。






ベッドに腰掛けてたのは、痩せこけた老人だった。



木盆にキセルと小皿が載っているが、使われた形跡はねえ。老いた男は驚いた様子もなく、目をすがめて俺を見つめた。



「なんだね、坊主?」

「あんたと取り引きがしたい」

「ふむ。どんな取り引きかね?」

「ヒギンズの依頼を断ってくれないか」

「ほう…………それで私のメリットは?」

「あんたの受け取る報酬の倍の金を出す」



にやにやと笑う老人の口には、前歯がなかった。


「……貴族の坊ちゃんのお遣いか?」


俺は否定も肯定もしなかった。

相手の出方を伺ってると、ふぉふぉふぉ、と耳障りな笑い声が石壁に反響する。



「どいつもこいつも勝手ばかり言う」

「…………頼みます」



俺は両手を太ももに当てて、腰を水平に曲げた。

十分な間を取って、静かに頭を上げる。



老人は笑いを引っ込めて、じっと俺を眺めた。


「礼だけで恵んでもらうつもりか?」

「いえ……あなたの国では礼を重んじると聞きましたので」



隣のベッドの客と、この老人とは明らかに違っていた。老人の窪んだ目は黒く爛々として、皺だらけの黄土色の手はがっしりと膝に置かれている。


こいつはアヘン中毒の客ではなくて、噂されている銃の密売人なんだろう。


加えてその容姿は、前世の俺と同じ東アジア人のものだった。




「ほう…………誰から聞いた?」

「俺を遣いに出させた者です」

「ふん。あの坊ちゃんは大学でロクな勉強もせず、無駄な知識ばかり蓄えとるようだな」



刺々しい口ぶりとは反して、老人は面白がるような顔になった。盆のキセルをつかんで、吸い口をカーテンに向ける。



「出て行け」

「断ると言ってくれるまで動きません」

「断るも何も、私がいつそんな依頼を受けた?」


考えの読めない黒い目を探るように見つめた。


「……前向きに検討すると」

「検討するとは言いましたがねえ」



黒い目がすうっと糸のように細くなる。

老人の視線は、俺の肩を越えてカーテンに向けられていた。

鋭く空気を切り裂くような音が背後から響く。


シュッ------!!!



振り返った先には、わなわなと震えるヒギンズが立っていた。




「ふむ。だから出て行けと言ったのに」

「おまっ……小僧っ……!!! あっ、あんたもだっ、この二枚舌めっ……さっきあれほどっ!!!」


「おや、私は確かに検討すると言いましたがね」


「ふざけるなっ!!! あれはビジネスでは合意の意だろうが!! このっ……!!!」

「おや、か弱い老いぼれに暴力沙汰とは。そもそも、自分の尻拭いを他人にやらせようとするのはいただけませんねえ」



その言葉に、びくりとヒギンズは動きを止めた。


「…………あんた、何を知ってるんだ?」

「こんな洞窟にいると暇で暇でねえ。この町のいろんな噂話が耳に入ってくるんですよ」



老人は舐めつけるようにヒギンズを見上げる。


「……どうです? いっそ、この話はなかったということでは?」

「……………………そうしよう」



突然、視界が宙に浮いた。


上着の襟に首が締めつけられて息苦しい。

一拍遅れて、ヒギンズが俺の襟首を掴み上げてるんだと気づく。


「おいっ?! 何するんだ?!!」

「手付金代わりに懐中時計でも、と戻ってきたのが幸いだった。神はおれの味方らしい。あんた、こいつについては口出ししないだろうな?」


「…………ええ、私は関与しません。あなた方2人で解決してください」



老人の声が、冷たい刃さながら振り下ろされる。


黒い目は深いうろのようで、あいかわらず何の考えも読み取れねえ。俺よりも、ヒギンズよりも、修羅場を潜り抜けてきた人間の眼だった。



(……ダメだ。こいつが助けてくれるかもなんて甘い期待は持っちゃいけねえ)




口んなかに硬いパイプが突っ込まれた。

鼻をでかい手で覆われて、掴まれた襟首がぎゅうぎゅうと俺の首を締めつけて--。



苦い煙を肺いっぱいに吸い込んで、せて喉を詰まらせながら--俺は意識を失った。







おかげさまで、検査結果は良好でした。

症状が治るよう兼ね合いを見つつ、執筆に励んでまいります!三章は長めであと10話程を予定しています。

みなさま、結末までもう少しお付き合いください(^^)

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