4.うなぎのゼリー寄せが美味すぎて泣く
大通りには商店や食堂らしき店が並んでる。
だけど閑散としてて、人はあんま歩いてない。
歩いてるやつらも俺と似たり寄ったりで、ボロ布みたいな服を着て疲れた顔してる。年寄りもガキもいるけど、町全体がどんよりした雰囲気だ。
俺はさっきのショーウィンドウがある雑貨屋に近づいた。店の前では、二、三人のおばさんが立ち止まって話をしてる。俺に気づいたおばさんたちは、じろっと横目でみて「なんだガキか」といった顔をしてまた喋り出した。
「あの」
「なんだい?」
「俺の……母さんを知りませんか?」
「はあ? あんた誰だい? 知らないよ、あんたの母ちゃんなんか」
「ちょっとちょっと、もしかしてあんたの隠し子じゃないのかい?」
「そうだそうだ、前の亭主のガキとはもう何年も会ってないんだろ?」
「ああん? なんだって?!」
俺にお構いなしで、おばさんたちは言い合いを始めてしまった。そっとその場を離れて、俺は数軒先の食堂にむかう。
扉を開けるとむわっと食べもんの匂いが鼻をつく。
同時にぐううと腹が鳴った。
(…………腹へったな)
空腹を意識した途端、急激に飢えを感じた。
このからだは多分、丸一日以上ロクに食事をとっていない。のどは渇くし胃もきゅうっと収縮するように痛む。
店主らしきおじさんは、戸口に立つ俺をチラと見て、無言で視線をそらした。まあ、どう見ても金を持ってそうな客じゃないからな。一歩でも店の中に入れば追い出されそうな目つきだった。
「あの、すみません」
「なんだ?」
「俺のダチが来ませんでしたか?」
「はあ? おまえは誰だ? おまえのダチなんて知らねーよ」
……どういうことだ?
【俺】がこの町の住人なら、店主や店の客は見覚えぐらいあるだろう。
だけどあのおばさんたちも、このおじさんも、まるで赤の他人を見るような顔つきだ。
(……誰も【俺】のことを知らないのか?)
一度仕切り直そう、と俺は店を出た。
出ようとした。
が、また腹が鳴った。
俺はのろのろと背後を振りかえる。
「……あのー」
「今度はなんだ?」
「…………ちなみになんですが、ツケ払いはできますか?」
「ああっ?!」
「……間違えました。あの、バイトは……募集してませんか?」
「こんな空いてて人手がいるかって? バカにしてんのか、ああ?!」
「…………すみません」
ぐうぐうと鳴る腹を押さえて、俺はあきらめて扉を開いた。
と、出会い頭に人が飛びこんでぶつかりそうになる。
「うわっ!」
「ちっ! なんだよおまえ! ちょっと背が高いからって塞ぐなよ! 邪魔だな!」
変声期前のかん高い声で叫んだのは、今の俺よりいくつか年下に見える小生意気そうなガキだった。破れた帽子の下の茶色い髪はぼさぼさで、シャツもズボンも薄汚れてたけど、首元にはスカーフまで巻いている。半裸の俺よりよっぽどマシな格好だ。
イラっとしたが、前世は高校生の俺が小学生にマジギレするのは恥ずかしすぎる。
「悪かったな」
素直に謝って場所を譲ると、そいつは意外そうに目を丸くした。
「ふん、分かればいーんだ」
そいつが俺の脇をすり抜けた瞬間、よりによってまた俺の腹が鳴った。
「………………」
「………………」
年上の面目まるつぶれだ。俺はすいと目をそらして通りに出ようとした。
「あんた腹へってんのか?」
「…………まあな」
「来いよ。おごってやるから」
小生意気、前言撤回。
その神様みたいなガキ--少年は、さっきと打って変わってにかっと笑う。そうすると年相応で愛嬌のある顔つきになる。
俺もつられて笑った。
年下におごられるなんて情けないが、今の俺には他にいい手段もない。
それに、ここはスラムだ。
ひょっとするとこいつには何か思惑があって、俺に親切にしてるのかもしれない。
でも今は何でもいい。
ぐうううううう。
…………とりあえず、この空腹が満たせるならな。
◆
油じみたテーブルに並べられたのは、紅茶のカップとゼリー状の物が載った皿が二つずつだ。
端が欠けたカップからは、もうもうと湯気が立っている。俺は少年に礼を言って、紅茶を口に流しこんだ。
見た目は普通の紅茶である。
が、
(……味がしねー)
正確には、苦いお湯って感じの味だが、とにかく俺の知ってるリ◯トンとかの紅茶じゃない。
じゃないが、
温ったかいうえに水分補給までできるなんて神の飲み物かよ!!(泣)俺は一気にカップ半分飲み干した。
「猫舌じゃないんだ」
「いや、熱い。舌焼いた」
「……そんなに渇いてたのか」
少年は呆れと同情が混ざったような顔になり、俺の前についと皿を押しやった。
「食べろよ」
「ああ、サンキュ」
言いながら、俺はゼリー状の物体が載った皿をガン見する。
(……これはなんだ?)
濁ったゼリーの中にぽつぽつとぶつ切りになった何かが混ざっている。白と黒でぱっと見は牡蠣に似てるが、もっと固そうだ。
(……魚か?)
今すぐスマホを取り出して、写真を撮って俺のAI--Dに聞いてみたい。だけど少年の目の前でそんなことできるわけがない。
少年はテーブルに置かれた調味料をゼリーに振りかけている。俺も真似してかけたら、つんと酸っぱい匂いがした。ビネガーらしい。
(……少なくとも店で出されるんだから食べられるもんだろ?)
おごってもらった立場で失礼なことを考えつつ、俺は謎のゼリーをひと匙すくって口に運んだ。
「…………」
「…………」
俺の前で、少年もせっせとソレを食べている。
「………………」
「………………」
無言でお互いゼリーを食べ終えると、少年は俺を見てうんうんと頷いて言う。
「そうだろ。泣くほどまずいだろ」
目の端をこすったら、ほんとに涙が出てた。
俺は笑って首を横にふる。
「いや……こんな美味いもん食ったの初めてだ」
一瞬にして空気が凍りついた。
少年の顔が引きつっている。
カウンターの奥では店主も信じられない、という表情で俺をガン見してる。
「……いや、だって魚の出汁にハーブとスパイスが効いてて、ゼリーはぷるんとしてんのに魚はコリコリして歯応えがあって、そこにビネガーの旨みが混ざり合って……あ、そうだ。これってなんの魚?」
「…………うなぎだろ」
「そうか、うなぎかあ。高級魚だもんなあ……」
うっとりと語る俺を前に、少年はこめかみをぐりぐりぐりぐり揉みこんでいる。
「分かった。あんたが味覚音痴ってことはよく分かった……オレはトーマスだ。みんなはトムって呼んでる。あんたの名前は?」
「俺の名前は……」
前世の名前はアツシ。でも今の【俺】の名前は知らない。どうせ誰も【俺】のことを知らないんなら、適当に名乗ってもいいか。
アツシ。ATS。ア、ア……。
「アトス。アトスだ」
「へえ。変な名前」
さらりと失礼なことを言って、トムはにやりと笑う。まるで最初に出会った時みたいな、小狡そうな顔つきだ。
「なあアトス。オレはあんたに食事をおごった。だからあんたもオレを助けてくれるだろ?」
「……具体的には何をするんだ?」
(もし犯罪の片棒をかついだり、命の危険があるようなことなら、速攻ダッシュで逃げよう)
おごってもらっといて悪いが、俺がそんな算段をつけていると、トムががたん、と椅子から立ち上がる。
「泥ひばりだ。テムズに行くぞ!」