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モブキャラに転生したけど死にたくない  作者: 左京ゆり
第三章 あなたがくれた美しき世界
39/53

39.夜のドック地帯(前)

なんで、俺だけ元の肉体の記憶がねえのか。


なんで、黒い影は俺以外の人間には見えねえのか。


なんで、あの影に取り憑かれたウィリーは……あんなに殺意をたぎらせてたのか。



俺は一つの仮説を立てた。


あの黒い影は、俺--。

つまり、元のアトスじゃねえのかって。




俺はオカルトやホラーに興味はねぇし、人間に魂があるのかも分かんねえ。だけど……。


転生なんて漫画みてーなことが現実に起こってんだ。だったら、元のアトスがこの肉体から追い出されて、黒い影になって彷徨ってんのもあり得なくはねえ。



黒い影は元の身体に戻ろうとして、波止場から俺にくっついてきたんじゃねぇか?


それなのに……あの影は遺体保管室で俺から離れてウィリーに取り憑いた。



(……怒り。憎しみ。…………殺意)



マーサ婆さんの娘さんも、ウィリーも、明確に憎んでる相手がいた。日雇いの港湾労働者は立場が弱くて、現場監督を憎んでる奴もいると聞く。



ひょっとしたら。


黒い影--元のアトスは、人間の怒りや憎しみに吸い寄せられるんじゃねぇだろうか。

そして、取り憑いた相手の負の感情を増幅させて、犯行に及ばせるんじゃねーのか?



『犯人は、ATSにとって最も身近な存在です』



本来、犯行に及ぶほどの殺意はなかった人間も、あの黒い影に取り憑かれることで殺意を増幅させる。


だから--あの黒い影が「犯人」なんだ。

俺にとって最も身近なこの肉体の持ち主・アトスが。



これが、俺の立てた仮説だった。







「どうした、アトス? 手が止まってるぞ」


目の前に座ったトムが、首を傾げながらヨークシャープディングをかじっている。


スラム街の一角、メアリーんの色褪せたテーブルクロスの上には、銀の皿に盛られたローストビーフやらヨークシャープティングやらヒラメのルビーソース掛けやらが所狭しと並んでいた。



ブラックリー卿が頼んでくれた高級レストラン・シンプソンズのお持ち帰りディナーである。



テーブルについてるのは、トムとメアリーの母さんだけだ。メアリーは向かいの部屋で、まだ目を覚さないウィリーに付き添っていた。



「ちょっとぼんやりしてた」

「疲れたんだよ。今日は朝からずっとバタついてたからねえ。あんたもトムも、今夜は早く寝な」



気遣うように太い眉毛を下げて、メアリーの母さんはちらっと扉を見た。トムもフォークをくわえたまま、無意識のように顔を向けた。


2人とも口には出さねぇけど、ウィリーを心配してるんだ。





ひと足先に食い終えた俺は、向かいの部屋をノックした。


バカでかいベッドにぽつんとウィリーが寝かせられていて、その端にメアリーが腰かけている。ウィリーの首元には、煤のような黒い影がまだまとわりついていた。



「腹減っただろ? 俺が代わるから飯食ってこいよ」

「大丈夫、お腹は空いてないから」


早口で温度のない返事が返ってくる。俺はメアリーの横に座って、夕焼けみたいな色の頭を軽く撫でた。それから口を開こうとして--パッと右手を宙に浮かせる。



(おいおいおい……今時女の子に頭ポンポンなんてセクハラじゃねーか?!)


静止した右手をきょとんと見上げるメアリーの前で、無駄にグーパーと動かした挙句、俺は苦笑いした。



「減ってなくてもなんか食っといた方がいいよ」

「でもウィリーがこんな状態なのに……」

「だからだよ。ウィリーを助けたくても、自分が腹ペコじゃ力が出ねーだろ?」


メアリーの潤んだ目が見開かれる。

じっと俺の顔を見てから、こくんとあごが動いた。

虚空を彷徨ってる俺の右手にチラと視線が投げられて、俺は「悪ぃ」と謝りかけたが--。



メアリーは、へへっとはにかむように笑う。



「父さんも、あたしが落ち込んだ時よくそうやって慰めてくれてたんだ」

「……そうか」

「うん。アトスはお兄ちゃんみたい……こんなスラム街の妹がいるなんて迷惑かもだけど……」

「まさか! 俺だっておまえと同じスラム街のガキなのに」

「初めて会った時はそう思ってたけど……不思議なの。ブラックリー卿やビーと一緒にいるアトスを見てると……自分とは違う階級の人に思えることがあるんだ」



俺はとっさに黙り込んだ。メアリーは鋭い。

この時代の生活水準と照らし合わせれば、前世の俺の受けた教育や暮らしは中流階級並だろう。


だけど……。




「確かに、俺とメアリーの父さんは同じじゃねえな」


メアリーは少し寂しそうに笑って、口を開きかけた。

その声が発せられる前に、俺は遮って続ける。


「メアリーの父さんは身体を張っておまえたちを養って、最期にはウィリーを助けた。そんな立派な人と俺が同じだなんておこがましすぎる」



潤んだ目を大きく見開いたメアリーの、柔らかな髪の毛を俺はポンポンと撫でた。


「……俺はずっと親しい奴なんていなかったんだ。一人っ子で兄妹もいねえ。だから……おまえの兄代わりなんて光栄だよ」



メアリーは子猫みたいに大人しく頭を撫でられた後、目元をごしごしと拭って「……なんかお腹空いちゃった!」と泣き顔を隠すように部屋を出て行った。




部屋に残された俺は、ベッドの中のウィリーを眺めた。昼間の凶暴さが嘘みてぇに、眠ってる顔はあどけないガキそのものだ。汗で張りついた額の髪を払いのけてやると、わずかに口角が上がったように見えた。


(……親しい奴なんていなかったのにな)



俺がやれることなんて、たかが知れている。

主人公でもねえ器の人間が頑張ったところで、自滅するのがオチだ。


小鳥遊静香の言うとおり、俺はいざとなったら自分以外の人間を切り捨てられる。共倒れになるぐれぇなら、1人でも助かった方がマシじゃねーか。



(…………でも、こうして大事な奴が増えてったら)



--いざって時、俺は何を選ぶんだろうな。







みんなが寝静まったのを見計らって、俺は音を立てずにベッドから降りた。静かに扉を閉めて、短い廊下を歩いて戸口に向かう。




月明かりを頼りに薄暗い通りを歩いていると、遠目に地下鉄の駅が見えてきた。もちろん、とっくに営業は終えている。


目当てはその側に停まっている、一台の辻馬車だ。



あらかじめ、時間を指定して待機させていた。ブラックリー卿に家まで送ってもらった時、相場の2倍の値段で交渉したのだ。

(……毎度ながら、資金源はブラックリー卿の財布だが)



ピューっと乾いた口笛を吹いた途端、誰かが後ろから俺の肩をつかんだ。


「誰だっ?!」

「うわっ! アトス、オレだよ、オレ!」


オレオレ詐欺かと聞き紛うそいつは--

ひょっこりと通りに佇むトムだった。






ガタガタと揺れる馬車に並んで座って、俺は横目でトムを睨んだ。



「…………なんで大人しく寝てないんだ」

「それはこっちのセリフだよ。メアリーやおばさんにも黙って、こんな夜中にどこに行くんだ?」


答えずに、俺は髪をかき回した。


俺が鈍いのかこいつが尾行のエキスパートなのか……


はあ、と遠慮なくため息を吐いて諦める。

ここまで付いてきちまったもんは、仕方ねぇ。




「……ドック地帯のパブに聞き込みに行くんだ。ウィリーの母さんも働いてた店かもしれねーからさ。犯人を捕まえんのに、なにか手掛かりがあるんじゃねぇかと思って」


「アトス1人で? ブラックリー卿は一緒じゃないのか?」


「あの一帯にお貴族様なんて連れてったら、袋叩きだろ。俺なら目立たねーし小回りも利くからな」

「でもあの辺は危険なんだぞ! オレたちだって夜は不用意には近付かないんだから」


「だったらこの馬車に乗って家まで帰ってくれ。その方が俺も安心だ」


俺は後ろ頭で腕を組んで、目をつむった。


(……だよな。やっぱ危ねーのかよ)



……正直、俺だってこんな役目を負いたくねぇ。


だけど、幼気いたいけな女の子姿の龍太を連れてくのは論外だし、中身が小鳥遊のブラックリー卿に「心細いから付いてきてくれ」なんて言えるわけもねぇ。


それに、あいつがパブでどんな客だったのかも分かんねーからな。のこのこと現場に行って、捕まるような目に遭ったら洒落になんねぇ。




トムに精一杯の強がりを言った俺は、目を閉じて、束の間の現実逃避を決め込んだ。


--少しの沈黙の後、トムの声を聞くまでは。




「……オレってそんな頼りないかな」



夜道に響く車輪の音に紛れて、ぼそりとした呟きが耳に届いた。


「……何か言ったか?」

「オレはブラックリー卿みたいに強くもないし、金もないしチビだけどさ。でも……オレもアトスの友だちだって思ってるんだけど」


馬車の側灯が揺れる度に、トムの横顔もちらちらと光を浴びた。その顔は憂うように自分の手元を見下ろしている。



「オレだってウィリーが心配だし、犯人を捕まえられるなら手助けしたい。それに友だちが1人で危ない目に遭うんなら、オレも力になりたいって思うんだけど……それって足手まといか?」



きゅっと乾いた唇を引き結んで、覚悟を決めたようにトムは俺の方を見た。



「ワイト島でも、オレは無駄に騒いだだけで、あの拳銃のせいでブラックリー卿を困らせたみたいだし……もし今回も足手まといなら、アトスが目的地に着いたらオレはそのまま戻るから」


無意識に、俺は口を開いていた。


--ああ、そうしてくれ。その方が助かる。

--それなら俺1人分の心配だけで済むからさ。

--それに年下のおめーに助けられんのも悪ぃし。


どれも声にはなんなくて、口を突いたのは別の言葉だった。



「……ありがとな」


トムの口がわずかに開いて、息が漏れた。


「おまえはいい奴だよ。俺にはもったいねーぐらいな。ブラックリー卿はブラックリー卿で、おまえはおまえだ。あいつは以前からの知り合いで、まあ、身内みたいなダチだけど……おまえは俺がこっちに来て、初めてできた友だちだ」



今が真夜中で心底よかったと思った。

こんなセリフ、昼間のテンションじゃ絶対言えねぇ。深夜に送ったラ◯ン並に翌朝に後悔する恥ずかしさのヤツだ。



「拳銃の一件は、元のブラックリー卿(あいつ)とばっちり(自業自得)だし、あん時おまえがビーを屋敷に連れてったおかげで、ビーはロックウッドに嫌だって言えただろ? おまえは足手まといなんかじゃねーよ」



薄暗い馬車の中で、トムの両目がじっと俺を見つめている。ここまできたら正直に言うしかねぇ。



「……つっても、俺も自分で手一杯なんだ。情けねーけどさ。いざって時におまえを助けられるか分かんねぇ。だからおまえも危ねーって判断したら、すぐに逃げてくれ。そんなら俺も安心だからさ」



真剣な顔でうなずいた後、にやっとトムは表情を崩した。


「へへっ、安心してよ。危なくなったら、アトスを囮にしてとっとと逃げてやるから」

「おまえ! 言ったな? じゃあ俺が先に逃げても文句言うなよ?!」

「逃げ足ならオレの方が早いってーの」



緩んだ空気でバカ騒ぎしながら、俺は内心でトムに感謝してた。こいつはわざと、俺を心配させねーように軽口を叩いてくれたんだ。







トムと言い合ってる内に、馬車はいつの間にか目的地に着いていた。




夜のドック地帯は荒涼として薄暗く、月明かり以外に頼りになる街灯もねぇ。土埃にまみれた道には瓦礫や廃材が積み重なって、今にも崩れ落ちそうだ。


道の果てでは、何十艘もの船が係留されて黒くたゆたっている。


その道の両脇には粗末な家屋が並び、男たちが罵ったり、酒瓶を抱いて眠りこけたりしていた。




トムが不安そうに辺りを見回している。

こいつの痩せた肩を叩くと、俺は慣れたふうを装って、大股で歩き出した。


にやりと笑ってみせると、トムはほっとした顔ですぐに俺の横に並んだ。



(……強がりが言える相手がいるってのは、ありがてぇもんだな。もし今、俺1人だったらビビって動けなかったかもしんねぇ)



目当てのパブは、この道の左手にある。

ぼんやりとした光が窓から漏れて、わずかばかりの明るさを道に落としていた。



騒がしいパブの戸口に向かって、俺たちはスラムのガキらしく堂々と歩いていった。





更新が遅くなりすみません。少し体調を崩していて、検査後に落ち着いたら更新のピッチを上げます。いつも寛大な心でお待ちくださってる読者の方々に感謝しますm(_ _)m

みなさまも、どうぞお元気で!

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