27.ワイト島の夜(3)
ゆっくりと唇を離して至近距離で小鳥遊を見つめる。
驚いたように丸くなっていた目が、ほんの少し、三日月みたいに細くなった。
小鳥遊の両手が俺の顔を包みこむ。
低い囁き声が聞こえた。
「この姿が嫌なら、目を瞑ってていいよ」
「このままでいい」
くしゃりと笑う小鳥遊の顔が近づいてくる。
もう一度、キスをした。
互いにどちらからともなく、顔を離した。
「……俺も小鳥遊のことが好きだった」
「……過去形?」
「おまえもな」
俺が言うと、ブラックリー卿は苦笑いする。
「そうだね」
「おまえ、今の俺と恋愛したいって思うか?」
「どうだろう……出来なくはないとは思うけど」
「俺は今の小鳥遊にそういう感情はねーんだ……ならするなって話だけど。悪ぃ」
言いながら、今さら自分がしでかした事態に責任を感じていると、はははと笑い飛ばすような声がする。
「そんな悲愴な顔しないで。分かってるよ。きみが真剣に告白したりとか、逆に軽い気持ちでしたわけでもないってこと。嬉しかった。ありがとう、私を想ってくれて」
軽く眉を下げて、だけど優しく笑うこいつの表情がすべてを物語っていた。
前世で俺が小鳥遊に恋していた時間を、
今の俺がその時知り得なかった小鳥遊の本音を知って、たまらない気持ちになったことを、
--それを何と呼ぶのかは知らねーけど、
俺はとにかくその想いを伝えたかった。
それを、小鳥遊は受け取ってくれたんだ。
ゴホ、ゴホン。
俺たちは静かに固まった。
ゴホン、ゴホ、ゴホン。
そのわざとらしい咳払いは--俺たちの背後、砂浜の岩場から聞こえてくる。
がばり、と俺たちは起き上がって、
おそるおそる後ろを振り返った。
「…………よお」
なんとも気まずそうな顔をして立っていたのは、龍太--ベアトリクス嬢だった。
◆
「……いつからいたんだ?」
「おまえら二人が並んで座ったあたりから?」
「…………最初からじゃねーか」
げっそりと呟いた俺の隣に近づいて、ビーは「よっ」と言いながら砂浜に座った。
俺をはさんだ両隣にビーとブラックリー卿が座って、俺らは三人並んで海を眺める。
ざあああん。
ざあああん。
黒い波間に細切れの月が映っている。
しばらく無言でその泳ぐような光の粒を眺めた。
「「あのさ」」
俺とビーが同時に口を開いて、互いに目で譲り合う。こういう時は、いつも龍太の方が決断が早い。
「一応言っとくけど。俺が前世で小鳥遊を好きだったこと、小鳥遊ももう知ってっから」
「ああ」
わざと軽く受け流す口調で答えた。
今世のビーはともかく、前世の龍太は小鳥遊静香のことが好きだった。それを知りながら俺はキスをした。万が一、抜け駆けだとか俺が気にしてたらって思って気遣ってくれたんだろう。
敢えてそうは言わないこいつに感謝して、俺もそれ以上は深掘りしなかった。
「おまえは? 何を言い掛けたんだ、篤?」
「おめーと似たようなこと」
「ああ……」
ビーも察したように黙り込む。
口では何だかんだ言いながら、龍太がまだ小鳥遊を好きだって可能性もなくはない。少なくとも、俺は二人の邪魔をするつもりはねえって言うつもりだった。
「そこの男子たち、そんなに私と恋愛がしたくないんだね。へこむなぁ」
微塵もへこんでなさそうな口調で、ブラックリー卿はふわあと可愛くあくびをした。
前世の小鳥遊静香なら俺と龍太の胸に矢を打ち込みかねない仕草も、今のブラックリー卿はたんに眠そうな青年貴族でしかない(……いや、メイドや未亡人の胸ならときめかせるのかもしれねーが)。
「メアリーは大丈夫なの、大河くん?」
「ああ、よく眠ってた。隣でドアが開く音がして、今度は小鳥遊がベッドから起きて出てったからさ。どーしたんだ?って俺も後をつけてきたんだ」
「なら、おめーも声掛けりゃよかったのに」
「二人でこっそり約束でもしてんのかって思ったんだよ」
ぽりぽりと頭をかいて、ビーは綺麗にブラッシングされた金髪をかき乱した。
俺とブラックリー卿はチラと互いに視線を合わせる。
全くもって事実無根なのだが、結果として妙な雰囲気になってキスしてしまった以上、どこか後ろめたさを感じてしまったのだ。
ビーはさして気にしない様子で、俺が手にするスマホを見下ろした。
「そういや気になってたんだけどさ、ソレ、篤のスマホなんだよな?」
「ああ……そうだけど?」
なにを今さらと答えた俺に、ビーは自分のあごを撫でながら首を傾げた。
「当然だけど、おばさんはもう解約してるよな? いや……なんで使えんだろなって単純な疑問」
「さあ……そりゃ、チートアイテムだからじゃねーの? 転生のお約束だろ? すげー能力を授けられるとか、前世の専門知識を駆使するとかさ。俺はどっちもねーから代わりにコレがあるんだろ」
「俺たちには何もねーのに?」
「いや、あるだろ。おめーは充電器だし、小鳥遊には充電ケーブルが」
「どっちもサブみたいなもんじゃん。篤のスマホがねえと役に立たねー」
「その逆も同じだろ? 俺のスマホも充電できねーと意味ねえし」
「や、だから違くて。おまえの方がなんつーか、メインっつーか……もしこれが転生モノの漫画とかなら主役っぽい感じだよな」
ぶっと俺は思わず吹き出した。
こいつは一体なにを言ってんだ。
「おまえさ……宿に戻って鏡でも見てみろよ。おまえは中流階級の可愛らしいベアトリクス嬢で、小鳥遊は貴族の跡取り息子だぞ? で、俺はどうだ? 見てみろよ、風呂に入って少しはマシになったけど、年中垢まみれで家もなけりゃ親もいないスラムのガキだぞ。こんな俺のどこが主役だっつーんだ」
おまけに前世の自分が死んだ時の記憶も、この身体の持ち主--アトス(仮)の記憶もねえしな。
そう付け加えると、ビーはしぶしぶと頷いた。
まだ納得しきってはいない顔だった。
「まあね、大河くんの言うことも一理あるよ。スマホの電源を落としても田中くんだけは意識があるもんね。だけど考えたって分からないものは分からないし、これから追い追い検証していけばいいんじゃないかな? 幸い、私たちには時間があるし。大河くんの婚約の件も無事に片付いたんだしさ」
爽やかに言い放つと、ブラックリー卿はふんふーんと鼻歌を口ずさみだした。
小鳥遊が好きだという、あの曲だ。
前世の彼女だったらさぞ歌のイメージにぴったりな可憐な歌声だっただろうが、今のブラックリー卿の低くて滑らかな声も悪くはない。
しばらくして歌い終わると、隣からぼそりと
「篤、リクエスト」とビーが呟いた。
「モ◯パチのあれ、俺の一番好きなやつ」
「自分で歌えよ」
「知ってっだろ、俺の音痴さは」
「俺たち三人以外いねーじゃん」
「ほんとはiTun◯sで聴きてえんだよ。下手な自分の歌よりおめーの歌のが音源に近えだろーが」
そうまで言われて断る理由もなく、俺はあの有名な曲を歌った。俺たちの世代の曲じゃねーが、俺は龍太の布教で、龍太は兄の影響で完コピを目指してたんだ。
「ほんっっと……田中くんは歌が上手いよね」
感嘆するような声に全身がむず痒くなる。
自分でも下手だとは思わないが、前世じゃ面と向かって褒められたことはないから特別上手いとも思わなかった。
「田中くんはどんな曲が好きなの?」
俺が答えると「きみに似合うね」とブラックリー卿が微笑んだ。
失恋をした男の歌だ。
俺とは違って天才で、すげー格好いいアーティストの曲で、俺なんか足元にも及ばない。
小鳥遊の「似合うね」は失恋した俺のことを指して言ってるんだろう。
いくら自分に言い聞かせても、やっぱりこそばゆい気持ちは消せなかった。
ちらちらと波間にたゆたう黄色い光を見つめながら、
俺は静かにその曲を口ずさんだ。
作中に登場する歌は彼らのイメージ曲でもあります。
田中篤 「Lemon 」米津玄師
大河龍太 「小さな恋の歌」MONGOL800
小鳥遊静香 「夜に駆ける」YOASOBI




