23.修学旅行的なアレ(前)
俺はベランダから茂みをガン見した。
そこに突っ立ってたのは--決まり悪そうに頭をかいてるトムだった。
「おまっ……なんでっ?!」
小声で叫ぶ俺の隣で、ビーはベランダの側に伸びた木の枝に飛び移った。体重の軽い身体でスイスイと幹をつたって地面へと降りていく。
「話は後で! 田中くん、私たちも降りよう!」
そう言って、ブラックリー卿はいともたやすく俺を片手で抱きかかえると、ビーに続いて古木を降りていった。
「おまっ! 小鳥遊! 自分で降りれるからっ!」
「今の身体じゃ僕の方が身体能力が高いからね!」
あっさり言い返すと、ブラックリー卿はとんっと身軽に草むらへと着地した。
庭を下った先の浜辺では、数人の人影が動いている。
ロックウッドと使用人たちだろう。
トムと合流した俺たちは、海岸と反対方向の森の中へと逃げていった。
馬車に乗り込んで、ゼイハアと息を切らしながら、俺たち4人はぐったりと座席にへたりこんだ。
俺の前に座ったブラックリー卿は、ジロリと俺の隣のトムを母親のような目でにらみつける。
「銃を返してくれるかい、トム?」
「……ちゃんと誰もいないか確認して撃ったんだ」
しぶしぶと小型の拳銃を差し出すトムを、俺はあっけに取られて見つめ続ける。
「おまえ……いつの間にそんな物……」
「オレのじゃない! こいつのだぞ!」
トムに指差されたのは、ブラックリー卿だった。
俺の視線を避けて、ブラックリー卿は気まずそうに唇をとがらせる。
「言っとくけど、私っ……僕じゃない。や、僕だけど……なんか知らないけど僕の自室の箪笥にあったから……まあ護身用にと思ってさ……」
つまり、今朝、ワイト島に向かうブラックリー卿がこっそり持ち出した拳銃を、俺を助けに戻る時にビーに預けていたらしい。
「大河く……ビーとトムには馬車で待つようにって念を押したのに。まさか2人ともロックウッドの別荘に戻ってくるなんてね」
「だって、あんたとビーは"いざって時は暗闇で銃声を鳴らせばロックウッドの気をそらせる……"って話してたじゃないか! だから……っ!」
ブラックリー卿とビーは、互いにチラと相手の顔を見て、はーーーっとため息を吐いた。
俺は生暖かい目で2人を眺める。
うん、トムは悪くねー。
トムをそそのかすような真似をしたおめーらが悪い。
「……それにビーが……アトスのこと心配してたからさ。ここで不安になって待つより、出来る事をした方がいいって思ったんだ……だから……」
しどろもどろに呟くトムに俺が言葉をかける前に--可愛らしい声が前の座席から響いた。
「行ってよかった。あいつに嫌だってちゃんと言えたかんな。俺1人だったら怖くて戻れなかったと思う。ありがとな、トム。おまえのおかげだ」
ビーはまっすぐトムを見て、太陽みたいな笑みを浮かべた。
一方のトムはぼんやりとした顔でうなずいた。
まるで魔法でも掛けられちまったみたいに言葉を忘れたようだった。
俺は懐から写真を取り出して、とんとんと膝の上でまとめる。
妖精に扮した可愛らしいビー、天使みたいに清らかなビー、中国娘のように妖艶なビー、本当に……ロックウッドときたら……。
「ヌード写真まで撮って逮捕されねーのか? この時代はそんなにロリコンに寛容なのかよ?」
「ああ……その件だけど」
ブラックリー卿の説明に、俺もビーも目玉が飛び出しそうになる。
ヴィクトリア時代では、子どもは性を超越した存在と見なされていたらしい。要は天使なんかと一緒だと。だからヌード写真もいやらしいもんじゃなく、美の対象だったとか。逆に成人女性のヌードを撮ろうもんなら、社会的に終わったそうだ。
「……てことは、あいつはロリコンじゃなくてただの芸術家として俺を見てたってことか?」
「さあ……どうだろうね。でも世間一般ではそう見なされる可能性が高いかな」
「じゃあ俺の自意識過剰だったのか? 勝手にやべえ奴だって思ってただけで……」
不安そうに上目遣いをするビーに俺は首を振った。
「いや、俺も一緒に見ててやべーって思ったよ。おまえの思い込みじゃない。気にすんな」
俺の言葉にほっとした顔で、ビーは弱々しく笑った。
安心させるために嘘をついたわけじゃない。
ロックウッドに下心があったのかは分かんねーけど、それでも--あいつがビーを見る目は、龍太が小鳥遊静香を見つめる目と似てたんだ。
「うん、大河く……ビーが不安になるのは当然だよ。アトスのおかげで写真も回収できてよかった。全部処分するんだろう?」
「ぜってー、暖炉で燃やす!!!」
「……もったいないな」
隣からぽつりと漏れた声は小さすぎて、俺にしか聞こえなかった。
俺は手にした写真の束の一番上、妖精に扮したビーを眺める。
ひらひらの薄い布を何枚も重ねたようなドレスを着て、ゆるくカールした長い髪を垂らして、長椅子にあぐらをかいて、ふてくされた顔のビー。
スマホをオフにしてた時のベアトリクス嬢じゃなく、
どう見ても中身が大河龍太の写真。
俺はちらっと目の前のあいつらを見る。
ビーとブラックリー卿は、コソコソと何かを言い争ってるみたいだった。
俺は一番上の写真を抜くと、さっとトムの上着のポケットに押し込んだ。
トムが目を丸くしてこっちを見ている。
「なんで……」
「1枚ぐらいいーだろ。今夜の記念てことでさ。ま、オカズにするような写真でもねーし……や、あの、頼むからオカズにはすんなよ? さすがにあいつのダチとしてそれは良心が咎めるっつーか」
「オカズって? いくらオレが年中腹を空かしてても流石に写真は食えないぞ?」
「ん……おまえを疑った俺が悪かった、トム」
トムの薄い肩をぽんぽんしながら、ずっとこのままでいてくれと願う俺だった。
◆
宿に帰り着いたのは夜更け前だった。
階段を挟んだ2階の右手側は、ブラックリー卿が2部屋まとめて借りている。片方の部屋の鍵を開けると、まだ明かりがついていた。
「ビー!!!」
ソファから立ち上がると、メアリーは転げそうな勢いでビーに駆け寄ってくる。
がばっ!!!
と、二人は固く抱きしめ合った。
ウィリーも椅子から離れて、のろのろと扉に近付いてくる。
ロンドンからこの島に着くまで始終【メアリーのお供で仕方なく】といった態度だったが、ビーを見下ろすと「無事でよかったな」とめずらしく笑顔を見せた。
そんなウィリーに、ビーは面食らったような顔をしながらも「おう……サンキュ」と小声で応じた。
「さてと、とにかく全員無事でなによりだ。もう夜も遅い。続きは明日にして寝るとしよう」
ブラックリー卿が年長者らしく手を叩いて、場はおさまるかに見えた。
ところが……。
「じゃあ俺たちはこの部屋で寝るから、おまえらは適当に分かれてくれ」
当然のようにウィリーがメアリーの隣で言うと、ビーがすかさず異議を唱える。
「反対、はんたーいっ!! 男女が同じ部屋なんていけないと思いまーす! 私がメアリーと同じ部屋になるから、男子は全員あっちの部屋で寝るといいわ!」
ウィリーは困惑するように眉をひそめた。
「男4人はむさくるしいぞ……」
「メアリーは? 私とウィリーとどっちがいい?!」
「えっ……えっ……えっと……そのう、あたしはどっちも……」
「んもう! もっとハッキリ言ってよお!」
「黙・り・な・さ・い」
威圧感を与える低い声に部屋がしんと静まりかえる。
小鳥遊静香--いや、ブラックリー卿は張りつけたような笑みで俺たちを見回した。
「メアリーと、ビー。それに私、ごほん、僕の3人が同室だ。アトスとトム、ウィリーの3人は隣の部屋で寝ること。以上! 文句があるなら僕の代わりに宿泊代を払うこと!! 意義はあるかい?!」
ビーは白旗を上げるように、大人しくうなずいた。




