22.ロリコンと推しと桂冠詩人(後)
俺は光速でスマホをタップした。
『なあD! テニスンって詩人の詩で、婚約を解消した詩はあるか?』
『婚約を解消するというテーマの詩も、テニスンの詩の中にはあります。たとえば「シャロットの女」の詩には、複雑な愛と別れの感情が表現されています。具体的に婚約を解消する詩ではありませんが、愛と別れに関するテーマが感じられる作品です』
「いい加減にしろ! おまえたち、私と一緒に扉を押して……」
ごほん。
俺はすうっと息を吸うと、Dが教えてくれた詩の一節を声に出して読んでみた。
しん、とドアの外の音が止む。
「いいか、えっとだな……【シャロットの女は鏡を通して世界を見ることができるが、愛するランスロット卿を見たとき、彼女の運命が動き出す。私は運命を知っている。でも愛は強くて、呪いを受けても構わないと思う】ってわけだ!」
俺はDの説明をそのまま引用した。
つまりこの詩は、死んでもいいぐらい好きな男と出会っちまった女の詩ってことだよな?
ドアの外はあいかわらず無音のままだ。
でも、ロックウッドがこっちに耳を澄ましてる気配は伝わってくる。
「このシャロットみてーに、ビーは命懸けでブラックリー卿に惚れてんだよ。おまえも野暮なことしねーで、テニスンさんみてーに詩のひとつでも贈ってやったらどうだ?」
反応がない。
おかしいな。
推しの詩を聞いたら、少しは気が変わるかと思ったんだが。
「………………おまえは何者だ?」
「別に。俺はただの」
スラムのガキだけど、と俺が言う前にロックウッドの叫び声が響き渡る。
「こんなに美しくテニスンの詩を吟じた者は初めてだーーーーー!!!」
ん?
んん?
ドンドンドンドンドン!!!
力任せにドアが叩かれて、ロックウッドが興奮気味に話しかけてくる。
「おまえ……いやきみ! イン・メモリアルは?! どうだ、吟じられるか?!」
俺は急いでDに教えてもらう。
なるほど……友だちの死を悼んで書かれた詩なのか。
龍太や小鳥遊を思い出して俺は胸がチクリと痛んだ。
そのせいか、やけに感情移入しながら読み上げる。
「……………………」
ドアの外がまたしんと静まった。
「あの……?」
「最高だーーーーーーーーっ!!!!!」
どういうわけか、ロックウッドの声は涙混じりになっている。
え……まさか泣いてんの?
「きみは一体何者なんだ?!! 本当にスラムの子どもなのか?! それともまさかイートンの聖歌隊の学生が孤児のふりをしてるのか?!」
興奮してまくし立てるロックウッドはまさにオタクの早口そのものである。
気を変えさせたのはいいが、どうも予想外の方向に話が進んじまったよーな……
答えあぐねていた俺の耳に、よく聞き慣れた声が飛び込んできた。
◆
「その子が何者かって? 僕の弟さ!!」
ドアを塞いでいた箪笥を押しやると、俺はぱんっと小部屋から飛び出した。
「小鳥遊……っ、ブラックリー卿!!!」
「弟だと?!!」
寝室のドアの前では、ブラックリー卿が厳しい顔をして腕を組んでいた。
俺の方を見ると、ほっとしたように笑う。
「アトス! 無事で良かった!!」
「悪ぃな、心配させて」
まだ(色んな意味での)衝撃から抜け出せてないロックウッドの横をすり抜けて、俺は寝室のドアに駆け寄った。
「行くよ、アトス!」「ああ」
「ちょっと待て……!」
主人の声に、使用人たちが廊下を塞ぐように立ちはだかる。
俺とブラックリー卿は仕方なく後ろを振り向いた。
「弟とは一体どういうことだ……?」
「言葉どおりさ。この子は僕の腹違いの弟だ」
「そんな話は聞いたことがない。社交界は知っているのか?」
ふっ、とブラックリー卿が口の端を上げた。
俺は自分の目を疑ってしまう。
まるで小鳥遊静香とは思えない--酷薄な貴族の顔がそこにあった。
「まだ知らない。あなたは言いふらすつもりか?」
「さあ、どうだろうな」
「僕があなたの婚約者を奪ったと吹聴するのは構わない。だけどこの子をスキャンダルの種にするのは止めた方がいいよ。その時は、あなたが敵にまわすのは伯爵家の放蕩息子だけじゃ済まない。わがブラックリー伯爵家を相手にすることになるからね」
ロックウッドが気圧されたように黙り込む。
(うわーーこいつ真っ向から権力使いやがった!)
俺は必死でDに助けを求めて何とか切り抜けたってのに、これだからお貴族様は……
はっきり言って……
めちゃくちゃ羨ましいぜ、くそー!!!
「ふん……私はあなたとは違う。そんな下劣な真似はしない」
ロックウッドは憎々しげに吐き捨てた。
(うん? おまえも俺を追いかけながら「タブロイドにリークする」的なこと言ってなかったっけ?)
俺の心の声が聞こえたかのように、こいつはチラとブラックリー卿の隣に立つ俺を見た。
不思議と--こいつが俺を見る目はどこか柔らかい。
「確かにそうしようと思う気持ちもあった。だが……この子の朗読を聞いた後ではそんな気持ちも失せてしまった」
「朗読?」
首を傾げるブラックリー卿に、俺はコソコソと小声で説明する。ああ……と納得した顔をするブラックリー卿だが俺には全くピンと来なかった。
「なるほどね、わが弟の歌声は神の使いに等しい。詩を吟じる声もさぞやといった所だろう。あなたは運がいいよ、ロックウッドさん。この子が人前で歌うことは滅多にないからね」
「ああ、この子の芸術に免じて、私の婚約者を奪ったあなたの非礼は不問に付そう。大人しくその写真を返すのならば、今後も事は荒立てない」
俺とブラックリー卿は顔を見合わせた。
ブラックリー卿の目玉が俺の手にした写真へと動く。
(あーーー写真! そういうことかあ、田中くん!)
(そうそう小鳥遊。そういうことなんだよ)
俺たちは目で会話を交わした。
「ええっと……じゃあ田中く……いや、アトスがもう1曲歌うってことでなんとか……」
苦し紛れな声で言うブラックリー卿に、ロックウッドが軽蔑の目を向けた時--。
ひやりと冷たい潮風が、ベランダの窓から吹き込んできた。
◆
俺たちは一斉にベランダを見た。
はためくカーテンの側に一人の少女が立っている。
紺碧の夜空を背にして、ひらひらと白いドレスをなびかせているのは--逃げたはずのビーだった。
「返してください、ロックウッドさん!」
「ベアトリクス……なぜそんな所に……」
ビーはベランダから動かずに、か細い声で、だけどきっぱりと言う。
「一度は同意したけれど、本当は嫌だったの。断ったらロックウッドさんに何をされるか怖くて言い出せなかった。でも……嫌なんです! お願い返して!」
ロックウッドはあからさまに狼狽した顔になる。
「きみは……恥ずかしがっていただけだと……」
「違う! 本当に嫌なんだ!」
「そうだったのか……」
俺とブラックリー卿が見守る中で、ロックウッドは悲しそうに俺の抱えた写真を眺めた。
「分かった」
ぽつんと呟くと、ロックウッドは目尻にしわを寄せてビーに微笑んだ。
「君が望むならそうしよう」
「えっ…………あ、ああ。いい……のか?」
「嫌なのだろう?」
「ああ……ああ、嫌だ」
「だったらそうしよう」
ビーは勢いが削がれたようにポカンとしている。
こんなにあっけなくロックウッドが同意するとは、思ってなかったようだ。
俺も驚いてはいたが、薄々そんな気はしてた。
この男--多分そこまでタチの悪いやつじゃない。
ひら、と手の中の写真が一枚落ちて、長椅子に寝そべる妖精に扮したビーが目に飛び込んでくる。
--ま、ロリコンだけどな。
ぱあぁぁぁぁんっ!!!!!
静寂を切り裂くような銃声が外から聞こえた。
俺たちはとっさにその場に伏せる!
おそるおそる顔を上げてみたが--まるで何事もなかったかのように、今は波の音が聞こえるだけだ。
「今度はなんだ?!! ブラックリー卿、またあなたの仕業か?!」
「まさか!」
「一晩で立て続けになんなんだ! この島では滅多に事件は起こらないというのに!」
金切り声で叫ぶと、ロックウッドは使用人たちとバタバタと部屋を出て行った。
俺とブラックリー卿はベランダに駆け寄った。
「龍太!!」
「大河くん! 来ないでって言ったのに!!」
ビーはへへっと笑うと、俺の手元の写真を見つめた。
「それ回収してくれてたんだな……ありがとな、篤」
俺はなんか照れ臭くなって、「別に。ついでだし」とわざとぶっきらぼうに言った。
ブラックリー卿が、そんな俺たちを優しい顔で眺めている。だけど思い出したようにきゅっと表情を引き締めると、なぜか怒ったような声を出した。
「ねえ、大河くん。あの銃声って……」
「そうだ! 犯人はまだ近くにいるかもしれねーよな? こんなとこで喋ってねえで、小鳥遊も龍太も早く逃げねーと!」
俺は焦って言ったのに--なぜか二人はその場から動かない。
ブラックリー卿は子どもを叱るようにビーを見て、
ビーは後ろめたそうについと視線をベランダの外の草むらに向けた。
ん?
俺はじっと目を凝らす。
ベランダの下は庭になっていて、周りには古木が生い茂っている。
その茂みがガサガサと動いた気がした。
そうすると--ひょこっと頭が飛び出した!
今さらですが、名前をまとめてみました。
ややこしくてすみません。
田中篤/アトス/ATS
大河龍太/ビー/ベアトリクス
小鳥遊静香/ブラックリー卿/リオン
ワイト島編はもう少し続きます。
いつもご覧いただきありがとうございます(^^)




