20.お嬢様救出大作戦(3)
ワイト島はロンドンの南、およそ90マイル程の距離にある。女王様をはじめ金持ちの別荘も数多くあって、ロンドン市民にも人気の行楽地らしい。
っつーことはつまり、約150Km--東京から熱海の先ぐらいには離れてて、この時代の移動手段じゃ、馬車から途中で船に乗り換えてざっと半日程度は掛かる。
ポーツマス港から船に乗って、ワイト島北東部の港町・ライドに着いたのは夕方だった。俺たちはそこからまた馬車に乗って、島を海岸沿いに南下した。
メアリーとトムは(それに珍しくウィリーまでが)ぱああぁっと顔を輝かせて歓声を上げっぱなしだった。
「見てっ! カモメがいるわ!!」
「水辺なのにすごくいい匂いがするぞ! これが潮の匂いなのか?」
「…………海ってでかいんだな……」
夕陽に染まってきらきらと波打つ水面を眺めながら、3人は馬車の窓から落っこちそうな勢いで顔を突き出していた。
村に着いたのは日が沈んだ頃だった。
坂道に沿って、茅葺き屋根の古めかしい家が並んでいる。どの家も軒先には花が植えられていて、テーマパークみたいな可愛らしい雰囲気の村だ。
俺たちの宿は、二階建ての小ぶりなコテージだった。
部屋に荷物を運び入れて、メアリーとウィリーにはそのまま待機してもらう。朝になっても俺たちが帰らなければ、すぐに宿を発ってロンドンに戻る手筈だった。
俺とブラックリー卿は、玄関前に待たせていた馬車に向かった。それから、チラと隣を見て--。
「……おまえも待機組のつもりだったんだけどな、トム」
「いいだろ! アトスたち二人だけより連絡係がいた方が絶対便利だって!」
「ははっ、まーいいじゃない」
なぜか一緒に付いてきたトムと3人で、俺たちは馬車に乗り込んだのだった。
◆
島の西側に移動しながら、ブラックリー卿はざっくりとビーの婚約者--ロックウッドについて説明してくれた。
ロックウッドは父親と同様に大学の講師をしながら、趣味で詩を書いたり写真を撮ったりしてるらしい。ワイト島にはテニスンっつー有名な詩人もいたらしく、そいつに憧れてこの土地に別荘を借りたみてーだ。
現代なら夢を追いかけてる実家の太い無害な30代のおっさんてとこだが、まあ、ロリコン疑惑が晴れたわけじゃないからな。
「つまり龍太……ビーが言うほどにはヤバそーなやつじゃねーってことか?」
「ああ、ビーのご両親から聞いた話と、僕の調べた限りではね。幼い少女に無体を働くような男ではなさそうだったよ」
「おまえがご両親に警戒されてたっつーのは、やっぱアレか? メアリーの母さんが言ってた例の噂……」
「…………うん。むしろ僕の方が怪しまれてね。信用してもらうのが大変だったよ」
ブラックリー卿は哀愁漂う横顔を窓にむけた。
俺も同情してしまう。
清く正しい小鳥遊静香--少なくとも前世の俺が知る限りでは--の転生元が己の欲望(主に下半身)に忠実な金と権力を持て余したお貴族様ってのも、皮肉なもんだよな……。
馬車は暗い森の中を走り抜けて、海岸の側で止まった。ロックウッドの別荘はこの近くにあるらしい。
俺とブラックリー卿は静かに馬車を降りた。
トムも付いてきたそうな顔をしていたが、ブラックリー卿は首を振って懐から金時計を取り出した。
「きみみたいな孤児は、ある種の人間からしたら馬よりも軽い命なんだ。絶対に屋敷には来ちゃいけないよ。2時間待っても僕らが戻らなければ、すぐに引き返してメアリーたちと合流するんだ、いいね?!」
脅すような口調のブラックリー卿に、トムはおずおずとうなずいた。強気な顔をしながらも、半分本気でビビってるみたいだ。
怖がってくれるぐらいでちょうどいい。
なにしろ敵の正体が--
どんな男なのか分かんねーからな。
◆
トントントン。
律儀に屋敷のドアノッカーを叩くブラックリー卿の隣で、俺はずっこけそうになる。
「おい! ひっそり侵入するんじゃねーのかよ?!」
「まさか。不法侵入で捕まるよ、田中くん」
コソコソと二人で話してると、玄関の扉が開いて、若いメイドが出迎えてくれた。
メイドが口を開く隙を与えずに--。
いきなり、ブラックリー卿はずんずんと玄関ポーチに入って行った!!!
「お、お客様?!」
「まったく、ロックウッドときたら! 友人の僕が来たっていうのに港に出迎えもしないんだからな。どうせまた趣味の詩作にでも耽ってるんだろう!」
「あ、あの……っ。お約束は?!」
「僕とあいつの間柄に訪問の取り付けなんて要らないよ。なに、この別荘には何度も来ている。案内されなくても分かってるさ」
そう、ブラックリー卿は馬車の中で、この屋敷の図面(金の力で手に入れたらしい)をあらかじめ用意して見せてくれていた。
俺もざっと頭には入っている。
屋敷は二階建てでそんなに広くもない。
玄関ポーチから階段を上がって、奥の海辺に面した部屋がロックウッドの自室のはずだ。
迷いなく突き進むブラックリー卿に圧倒されて、メイドは止めるべきか迷っている様子だった。
俺たちは扉の前で立ち止まった。
部屋の中から、波の音にまぎれて声が聞こえてくる。
--なあ、もうやめてくれよ。
--何を言う、これからが良い所じゃないか。
--本当に恥ずかしいんだよ、こんなの無理だ……
--ほら、そんな事を言わずに顔を上げてごらん。
俺たちは顔を見合わせた。
(´・д・)
(・д・`)
はい、これ \(^o^)/
アウトーーーーーーー!!!!!
「うぉいこら!!! おめー何やってんだ?!!」
部屋に飛び込んだ俺は、自分の目を疑った。
目の前では--。
ひらひらの妖精みたいな白い衣装をまとったビーが半泣きになって立っていた。
「なんだ君たちは?」
声を掛けてきたのは、ビーの横に立っている男だった。俺の背丈ぐらいの脚立に四角い木の箱を構えている。
どうやら--写真を撮っていたようだ。
床やベッドには何枚もの写真が散らばっている。
そのどれもがビーを写したもので、ドレスを着たものや東洋風の衣装に扮したものもあった。
なんつーか……要はコスプレ撮影会だな。
「今晩は、ロックウッドさん。僕はブラックリー伯爵家のリオンと申します。何度か夜会で顔を合わせたことがありましたよね?」
「ああ……しかしなぜこんな夜に、何の断りもなく押し込み強盗のような真似をするのかね?」
「ははは、人聞きが悪い。それに強盗はそちらでしょう?」
「なんだって?」
あからさまにロックウッドは不機嫌な顔になる。
髭があるから40代ぐらいに見えるが、よく見れば塩顔の若いサラリーマンって感じの男だ。
「彼女から聞いていませんか? ベアトリクス嬢は僕の婚約者なんです。このように勝手に別荘へ連れてきて撮影をするなんて、言語道断ですよ。ルイス・キャロルさんのおつもりですか?」
「なんだと……どういうことだ、ベアトリクス?」
ビーはたたたっと扉の前に走って、ブラックリー卿の手を掴んだ。
「すまね……ごめんなさい、ロックウッド様。私なかなか言い出せなかったの。だけどずっとブラックリー卿のことを思っていて……」
「…………本当かね? 君はその男の噂を聞いたことはないのか?」
俺がこそっと盗み見ると、ブラックリー卿は(またか……)という顔で天を仰いでいた。
「噂?」
「うむ、その男は貴族らしからぬ放蕩息子で……」
「ごほん! それは仮の姿っ!! とにかく……僕とベアトリクス嬢は心から愛し合ってるんだ。あなたの出る幕はないから、彼女のことは諦めてくれ!」
ぎゅうっとブラックリー卿に抱き締められたビーは、複雑そうな顔でされるがままになっていた。
「愛し合うだと? 彼女はまだ少女だ。恋や愛だのとは無縁な存在だろう」
んんんっ?!
俺は塩顔リーマン男を見上げた。
なんだこいつ、案外まっとうじゃね……
「何言ってんだおまえ! 俺っ……私の裸まで撮ったくせにっ!!!」
ぐぇほっ!!!
俺は咳き込みながら慌てて横を見た。
ブラックリー卿の腕の中で、ビーが涙目になって叫んでいた。
前言撤回!!!
こいつはやっぱただのロリコンじゃねーかっ!!!
「それは君だって同意の上だろう?」
「同意したのはベアトリクス……とにかく! 私は絶対あなたとは婚約しないからっ!!」
「そうですよ、ロックウッドさん。それにあなたは勘違いしてらっしゃる」
「なに……?」
ロックウッドは何かを察知したように怪訝な声を出した。俺も同じだ。俺の隣で、ブラックリー卿はにんまりと不敵な顔で笑っている。
そう、いかにもお貴族様という体の--
このモードの時の小鳥遊静香は、ロクなことを言い出しかねない!
「彼女が少女で……愛や恋とは無縁の存在だと言いましたね?」
「それがどうした? 間違っているとでも?」
「ええ、あなたは間違っている! この子はもうとっくに僕のものなんだから!」
そう高らかに宣言すると、
ブラックリー卿は腕の中のビーにキスをした。
そう、
キスを、
したのである。
俺は固まっていた。
ビー(龍太)も固まっていた。
もちろん、ロックウッドも固まっていた。
真っ先に動いたのは--またブラックリー卿だった。
「そういうわけだから! 無垢な乙女の被写体を求めてるなら、彼女は諦めて別の子を探してくれ! じゃあねっ!!!」
石像のごとく固まったままのビーを抱きかかえて、ブラックリー卿は光の速さで部屋を飛び出して行った。
へなへなとベッドに座り込んだロックウッドを残して、俺も部屋を出ようとした。が--ふと、足を止める。
床とベッドに散らばったあいつの写真。
ざっと見ただけで4、50枚はありそうだ。
……確かヌード写真もあるっつってたよな。
涙目の龍太を思い出すと、気の毒になってくる。
もしリベンジポルノみたいに世間や裏ルートでばら撒かれたり、そうじゃなくてもこの男のオカズにでもされちゃたまんねーよな。
ちらっとロックウッドに目をやると、まだベッドでぼんやりしてた。
(……仕方ねーな。回収してやるか)
俺はあいつらを追うのを止めて、床にしゃがみこむ。
50、51……
よし、こんなもんだろ。
一通り集め終わって、立ちあがろうとしたら--
ぬうっと頭上が暗くなった。
「おい……おまえ、何をしている?」
俺を怒りの形相で見下ろしていたのは、さっきまでぼうぜんと座り込んでいた--婚約者様だった。
PVを見られました。
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