19.お嬢様救出大作戦(2)
両腕を組んで立つブラックリー卿を前にして、メアリーたちも通せんぼをするように動かない。
ブラックリー卿が右に行けば二人もそっちに、左に行けば反対側にと、サッカーのディフェンスさながらの素早い動きを見せるメアリーとトムに、ブラックリー卿は呆れた声で呟いた。
「なんなんだきみたちは……」
「あのっ、ビーは無事なんですか?」
緊張した声で問い掛けたメアリーは、ブラックリー卿の背後から顔をのぞかせた俺を見て表情をゆるめた。
「ビーは某婚約者さんにさらわれてしまってね。今からアトスと救出に向かう所だ」
「オレも行きますっ!!」「あたしもっ!!」
トムとメアリーが同時に叫んだ。
俺は困惑しながらブラックリー卿を見る。
こうなることは予想できていた。二人に正直に話すより、なんか適当な理由を付けて誤魔化した方がよかったんじゃ……。
「そうか。いいよ、ならきみたちも一緒に行こう」
「やった!!」「すぐに準備するわ!!」
俺は目をひんむいてブラックリー卿を見上げた。
おいおいおい、遊びに行くんじゃねーんだぞ?!
なぜか微笑んでみせるブラックリー卿に、俺が抗議するより先に--。
「ちょっと待ちな」
メアリーの母さんが低い声で、向かいの部屋から呼び止めた。
◆
「一体どういうつもりだい?」
メアリーの母さんはなぜか洗濯棒を右手に持って(まさかブラックリー卿の返答次第では腕力に訴えるつもりなんだろうか……)据わった目でブラックリー卿と向き合った。
俺たちはメアリーの部屋にいる。
メアリーの母さんとブラックリー卿、それに俺の3人きりだ。
メアリーとトム、それに部屋にいたウィリーは廊下に追い出されて、今は扉が閉められていた。
「どういうとは?」
「スラム街の子どもたちを連れてどうするつもりだい? 体のいい手駒にする? それとも運悪く死んじまったことにして、貴族の慰み者にでもする気かい?」
「はは……っ、まさか……」
心外だ、というように軽く笑い流したブラックリー卿だったが、ふと指先をこめかみに当てて目をつむる。
「あなたは確か……チープサイドで商店をされていたとか……」
「ああ、そうだよ」
「ひょっとして……お客さんやタブロイドで僕の噂を耳にしたことがおありかな?」
「そうさね、ブラックリー伯爵家のご子息様の噂話ならちょーーっとは聞いたことがあるね」
「…………夜遊びが好きだとか?」
「ま、似たようなもんですよ。女と見れば未亡人からメイドまでお構いなしに手をおつけになるだとか、いかがわしいアヘン窟に通ってらっしゃるだとか、そんな他愛もない話です」
「ああ………………」
ブラックリー卿はこめかみを今や両手でぐりぐりと揉み込みながら、遠い目をして天井を見上げている。
俺は呆れてものが言えなかった。
なんつーか。
小鳥遊静香の転生元のブラックリー卿は……
一言で言えばク◯だな。
「あんたたちお貴族様っていうのは、スラム街の子どもなんかまともに人間扱いもしない。あんたらにとっちゃ気まぐれに遊べる犬の子と同じかもしれないけどね、この子たちはあたしの大事な子どもたちなんだよ」
淡々と、だけどメアリーの母さんはしっかりとブラックリー卿の目を見て言った。
俺は感動してしまった。
こんなこと下手をすりゃ不敬罪で捕まっても文句は言えないんじゃないか? だけどメアリーの母さんはメアリーを--それに俺やトム、ウィリーたちも含めて--守ろうとしてくれてんだ。
ブラックリー卿は困ったように髪をかき上げて、またあの微笑みを浮かべた。
さっき、メアリーたちを連れて行くと言った時と同じ顔をして--
「遠足って行ったことありますか?」
と、突然、意味不明なことを言う。
「は……? そりゃあんた、小学校で連れて行ってもらったことはあるよ。ホップを摘みにケント州に行ったんだ」
「楽しかったですか?」
「そりゃあねえ……ロンドンとは空気が全然違うからね。見るもんも全部新鮮で、夜になると焚き火をしながらみんなでトランプをして遊んだんだ」
懐かしそうな顔をする母さんに、ブラックリー卿は優しくうなずいた。
「この子たちはこの町の外に出たことがない。きらめく海も潮風の匂いも、どこまでも広がる草原も知らない。ワイト島は女王様もお気に入りの風光明媚な土地です。束の間でも、いい息抜きになるでしょう?」
俺は驚いてブラックリー卿--いや、その中身の小鳥遊静香の横顔を見つめた。
メアリーの母さんも意外そうな、でもまだ半信半疑の表情をしている。
「そりゃあ素晴らしいお考えですがね……でも何でまた、この子たちに? それにあの噂話はどう説明なさいますか?」
母さんが疑うのも無理はない。
チラ見する俺の不安を吹き飛ばすかのように、ブラックリー卿は--この期に及んでウインクをした。
そう、メアリーの母さんの隙を見て、
また、
あのバチン⭐︎と音の出そうなウインクをしたのである。
俺は脱力して戦線離脱した。
もう知らん。あとはまかせた、小鳥遊。
「すでにトムからお聞き及びかもしれませんが、このアトスは僕の腹違いの弟です。本来は父が引き取るつもりでしたが、手違いで行方不明になっていました。僕は密かに彼のことを探していたんです。女性たちからアトスの母親の手掛かりを聞き込み、アヘン窟を探っていました。世間から放蕩息子と思われた方が都合がよかったんです。父親の私生児を探していると思われるよりもね」
まるで役者のように淀みなく答えると、ブラックリー卿は俺の--アトスの頭を親しげにぽんぽんと叩いた。
メアリーの母さんは今じゃすっかり信じ込んだ表情で、ぽかんと口を開けている。
「じゃあ……なんでこの子があなたの弟だって分かったんだい?」
さすが鋭いな、メアリーの母さん。
するとブラックリー卿は軽く笑って、あろうことか--こんなことを言い出した。
「この子の母親はオペラ歌手を目指してて、とても歌が上手かったんです。アトスも母親に負けない美声なんですよ。ほら、歌ってごらん、アトス?」
おいおいおいおい!!!!
おめーはほんとに一体なに考えてんだ?!!
ジト目でにらむ俺に、ブラックリー卿はにこにこと笑っている。
「うぉいこら小鳥遊! 何を歌えってんだ?!」
「えー? 音楽の授業でやったアヴェマリアとかは?」
「はあ? あんな歌詞覚えてっかよ!」
コソコソと話す俺らをメアリーの母さんはじっと見てる。
くそ、せっかくブラックリー卿が信頼されかけてんだ。ここで台無しにするわけにはいかねーじゃねーか!!
ごほん。
俺は咳払いして、心持ち背筋をぴしっとした。
手を背中で組んで、目を閉じる。
そう、ここは音楽室。
今は音楽のテスト中--。
外国語の歌詞は覚えてねーから、適当にふんふんハミングしながら歌い出す。
ふーんふんふふーんふんふーん
ふぁーふぁふぁふぁーふぁーふぁふぁーふぁ
思いの外いい気分になって、まるっと一曲歌い終えてしまった。
おそるおそる、目を開けてみると--。
メアリーの母さんが号泣してた。
「いやあ……まさかこの町でこんな天使の歌声が聴けるなんてねえ……」
「ご理解いただけましたか?」
「ああ、疑って悪かったね。確かにこの子は母親の才能を受け継いでるよ」
涙ぐみながら両手を握り合う母さんとブラックリー卿を前にして、俺はごほん、と咳払いする。
ブラックリー卿は例のお得意のウインクをして、俺に楽しそうに笑ってみせた。
◆
「私たち、ベイカーストリートイレギュラーズね!」
「なにそれメアリー?」
「ホームズの有能な助っ人たちよ!」
「誰だホームズっつーのは」
「あらウィリー! それにトムも! ホームズは絶対に履修すべきシリーズよ?!」
メアリー家の玄関で盛り上がる3人を眺めて、俺はもう一度ブラックリー卿を見上げる。
「……なんだこりゃ。少年探偵団か?」
「引率よろしくね、コ◯ンくん」
「おい止めてくれ。ファンからクレームが入る」
はああ、とため息を吐いて、俺は首を振った。
こいつらはロックウッドの屋敷までは連れて行かずに、ワイト島の宿で待機させておく。
それが俺とブラックリー卿の計画だった。
ビーが救出されるまで、何もできずにこのスラム街で待つのはもどかしいだろうし、遠出をすれば気分転換にもなるだろう。
そう判断した小鳥遊の考えには、俺も賛成だ。
だが、しかし--。
龍太の救出だけでも厄介なのに、子どもの引率まで引き受けちまうなんてなあ。
ブラックリー卿が手配した箱型の四輪馬車に乗り込んで、メアリーの手を引っ張って乗せてやる。「ありがとう」と笑った彼女は、俺の耳元でくすぐったそうに言った。
「ビーのことは心配だけど、だけど……こんな時に不謹慎だって分かってるけど、こんなふうにみんなで遠出するなんて初めてで、ちょっとだけワクワクしてるんだ」
俺はメアリーの頭をくしゃりと撫でてうなずいた。
「ブラックリー卿の話じゃ、あいつに差し迫った危険はなさそうだ。ちょっとぐらい楽しんでもあいつは怒りゃしねーよ。で、帰りはビーも一緒にみんなでピクニックでもしようぜ」
「うんっ!! アトス、母さんを説得してくれてありがとう」
メアリーははにかんだ笑みを浮かべると、ブラックリー卿に手招きされて窓際の席に座った。
年相応にはしゃぐメアリーの隣で、ブラックリー卿は頬杖をついて保護者の顔で微笑している。
俺の視線に気付いたのか、ふっとこっちを見る。
やわらかな目元で俺を見つめる。
俺は思わず素で微笑を返していた。
ああ、やっぱおまえは--
俺の初恋の、小鳥遊静香なんだな。
なろうのアクセス解析が重くてPVが全く確認できませんが、読んでくださる方がいらっしゃると信じて更新します…いらっしゃいますように…泣