18.お嬢様救出大作戦(1)
ブラックリー卿は両手で髪をかき上げて、長いため息を吐きながら天井を見上げた。
貴族の応接間みたいに改造されたこの部屋だが、天井だけは手付かずでむきだしの木板が見えている。
「あーー天井忘れてたなあ……」
「いやいーから。龍太はどうなった?」
「……言葉通りだよ。3日前、大河くんを彼の家に送った所で別れたの。それで昨日の朝慌てて大河くんの家に行ったら、もうロックウッド氏と出発した後だった。すぐにここに来たら田中くんは寝込んでるし、ひとまずきみには内緒で大河くんの行方を探してたんだ」
ちょっと待て、と俺は片手で制した。
「そもそも龍太はおまえの屋敷で匿われる予定だっただろ? なんでそこで別れてんだよ?」
ブラックリー卿はそんな俺を見て「こっちが聞きたい」とでも言うような顔をした。
つまり、こういうことらしい。
◆◆以下、再現VTRでお送りします◆◆
3日前の午後。
ブラックリー卿は通りで辻馬車を拾って、ビーと一緒に乗り込んだ。イーストエンドを抜けてロンドン市長公邸の前の広場に差し掛かった頃だった。
ふあ、とブラックリー卿はあくびをした。
そこで--小鳥遊静香の意識は途絶えた。
ブラックリー卿の記憶はおぼろげだった。
だがしかし、自分の隣に座る幼い少女と自分がなぜかその日、婚約したという事実は覚えていた。
「……僕はきみを僕の屋敷に連れて行けばよかったのだな?」
「ええと……はっ、はい……たぶん……」
「ベアトリクス嬢……ビーと言ったか?」
「はい。あなたは……ブラックリー卿ですよね?」
「ああ、僕はブラックリー伯爵家の長男だ」
ブラックリー卿はビーの小さな手を握り、自分の口元に運んだ。ビーは絶句したまま動かない。
「まだ幼い蕾を手折るのも一興だが……無理強いは僕の好みではない。きみはどうしたい? きみが望まないならば、きみが成人するまでは僕も愛人たちと自由にさせてもらうが」
「ふぇっ?!」
「なぜきみのような中流階級の少女と婚約する気になったのか、自分でも謎だよ……酒にでも酔っていたんだろうか……」
「あっ、あああのっ!!!」
ビーは掴まれた手をおそるおそる抜き取って、半笑いで首を振った。
「わわ私も……そのう、何かの間違いじゃないかと思うんです! 私はっ、その……ロックウッド様と婚約をしていますし……」
「その婚約を解消したいんじゃなかったのか?」
「いえっ! むしろ私はあなたの方が危な……ごにょごにょ、とにかくあの……このお話はなかったことに……というのはいかがでしょうか……?」
「ふむ、僕としては全く構わないが」
こうして意見が一致した後、ブラックリー卿はビーを家まで送っていき、自分は夜会に出掛けて朝までよろしくやっていた。その翌日も。
--そして、未亡人といちゃついていたブラックリー卿は夜明け前の薄青い部屋ではっと我に返った。
(えっ? えっ?! 私なんで◯◯夫人とこんないちゃこらしてるの?! てか……えっ?!! なんで私、大河くんと婚約解消して家まで送っちゃってるのーーー?!!!)
がばりと跳ね起きたブラックリー卿は、コルセットも露わな夫人をベッドに残して、下着にコートを羽織ってスリッパのまま部屋を飛び出したのだった……。
◆◆以上、再現VTRでお送りしました◆◆
「は?! なんだよそれ?!」
「私の方が聞きたいよ……とにかく意識を無くしてた時の記憶も覚えてて、元のブラックリー卿がした行動も把握はしてるの。だからすぐに大河くんの家に行って、ロックウッド氏の別荘を探してたんだ」
「つまり……おまえら二人とも意識を無くしちまったってことか?」
「だろうね。ビーの反応もどう思い返しても大河くんとは別人だったし。きみはどうなの、田中くん? 3日前の午後から昨日の明け方までの間、記憶が途切れたりしてない?」
「いや、俺は全然……」
いや待てよ。
3日前の午後から--昨日の明け方までって。
「スマホ……」
「え?」
「小鳥遊! 俺、スマホをオフにしてた!!」
俺の話を聞いたブラックリー卿は、授業中みたいな真面目な顔になる。
「それだと思う……! 時間がぴったり一致してるし、他の理由も考えられないもの」
「でもじゃあ何で俺だけ……」
「田中くんはこの世界に転生した時も、スマホの電源を入れる前から意識があったんだよね? ひょっとしてだけど……私と大河くんがこの世界で目覚めたのも、田中くんがスマホの電源をオンにしたからっていうのは?」
「……ありえる」
俺はぼうぜんと呟いた。
確かに3日前、こいつらに聞いた話を照らし合わせるとその仮説は間違ってない。
むしろそれが一番、妥当な考えだ。
「つまり……スマホの電源をオフにしたら、おまえら二人の意識が消えるってことか?」
「うん、そうみたい」
ぞわっと背筋が寒くなる。
いやいやいや、冗談じゃねーぞ。
それってこいつらが◯んじまうよーなもんじゃねーか!!!
「悪ぃ……俺のせいだ」
「まさか! でもとにかくこの世界のことが一個分かったのはよかったよ。それに大河くんの居場所も見つかったから助けに行けるもん、ね?」
励ますように俺の両手を握って、ブラックリー卿はにっこり笑う。
遠足で俺に玉子焼きをくれた小鳥遊の笑顔を思い出して、俺はなんか懐かしくて胸が苦しくなった。
「……昨日の時点で教えてくれりゃよかったのに」
「そしたら田中くん熱があるのに助けに行っちゃうでしょ。それにロックウッド氏の別荘を探すのにちょーっと手間取っちゃってさ。だから今日でよかったよ」
「そいつが教えてくれなかったのか? てか龍太は無事なのか?!」
「いや……むしろビーのご両親が僕を警戒してしまってね……話を聞いた所、大河くんはすぐにどうこうはなさそうだから大丈夫だと思うんだ」
なぜか苦虫をぎゅうぎゅう口いっぱいに噛み締めたような顔をして、はあ、とブラックリー卿は遠い目をしてみせた。
「おまえを警戒? あの人の好いおばさんもか?」
「ああうんまあ……それは道中話すとして、きみさえよければ早速出発しないか? わりと遠い場所だから」
「遠いって?」
「ワイト島だよ」
言うだけ言うと、ブラックリー卿は足早に部屋の扉に向かった。
扉を開けた先の廊下には--。
待ち構えていたように、メアリーとトムが立っていた。