12.便所で作戦会議
俺とビーは無言で見つめ合った。
「…………おまえ……」
「そうなの! 腹が痛いのね、アツ……アトス!」
「……は?」
ビー(少なくとも見た目は)は、がばっと起き上がるとおばさんやメアリーにも聞こえる声でほとんど怒鳴りながら言う。
「お腹が空いてて一気に食べ過ぎたのね! 分かったわ、トイレに連れてってあげるっ!!!」
小さな手で俺の腕をむんずとつかむと、ビーは無理やり俺を立ち上がらせた。
「おいっ……りゅ……ビー?!」
「あら、私のケーキでお腹を壊したのかしら……」
「お母様はなんにも悪くねーのよ! 全部こいつ……アトスの食い意地のせいだから!」
おばさんのフォローをしながら何気に俺をディスりつつ、ビーは俺を廊下に引きずり出して、バタン!と扉を閉めた。
◆
「…………で?」
俺は両腕を組んでトイレの扉にもたれた。
さすが上流階級の家だ。スラム街のメアリーんちでは共用便所が狭い裏庭にあったけど、この家では屋内の一室になっている。
目の前のビーはぽりぽり頭をかくと、はああああーっっっと深いため息を吐いた。
「まじかあああ…………そっかあーー」
「いやなんだよ?」
ビーは相変わらず深窓のご令嬢風の姿のまま--ぽすんっとトイレの張り出し窓にあぐらをかいた。
そう、あぐらをかいたのである。
「……おい頼むからちゃんとしろ。パンツ見えるぞ」
「パンツじゃねーこれはドロワーズっつーんだ。いいだろ体育の半パンみてーなもんだよ」
鈴が鳴るような声が返ってきて俺は目を閉じた。
いっそ現実逃避したい。
「…………一応聞くけど、おまえの名前は?」
「ベアトリクス。みんなはビーって呼ぶわ」
「じゃない方な」
「……大河龍太。で? おまえは?」
「田中篤」
「ちっ…………やっぱそうか」
残念そうに舌打ちして、綺麗にブラッシングされてた金髪を両手でわしゃわしゃと乱すビー(と一応呼んでおく)に、俺もため息を返す。
「悪かったな俺で」
「そうだよ悪かったよ。まさかおまえまで死ぬなんて……」
「ん? なんだ、おまえなんで俺たちが死んだか覚えてんのか?」
「……おまえは覚えてないのか?」
「ああ、気付いたらこの世界にいたんだ。目が覚めたら馬車に轢かれる寸前だった」
「……悲惨だな」
「おめーとは違ってな。なんで俺がスラムのガキでおめーが上流階級のお嬢様なんだ」
「いや、別に俺も上流階級じゃねーぞ。親父は雇われの校長だし、中流階級の中ってとこだ」
「そんでこんなお屋敷に住んでんのかよ。俺は下水でクソまみれになったっつーのに……」
ざっくりとこれまでの経緯を話すと、ビーは小さな両手で顔を覆った。
「うわあ……悲惨すぎる。篤、おまえマジで運悪ぃのな……」
「言うな。どーせアレだろ? おまえが死んだのもトラックで轢かれかけた俺を助けようとしたとかそんな理由だろ? じゃなきゃこんなタイミングよく転生先で出会うなんてありえねーし。…………悪かったな、俺のせいで」
俺はあいつの顔を見れなくて、目をそらしながら言う。前世でもこいつは主役級でヒーローの役回りだった。幼なじみを助けるために死ぬなんて--本当にこいつらしい最期の迎え方だ。
「……なに言ってんだ。違うよ、篤。おまえが俺を助けようとして死んだんだ」
聞き間違いだろと思って、俺はぱっとビーを見た。
ビーは悲しそうに微笑している。
葬式で挨拶を交わす時の親たちみたいな顔だ。
(……こいつは俺を気遣って嘘ついてくれてんだな)
いっそ責められた方がマシな気分だった。
やっぱりどこまでも俺の幼なじみは立派で、こんな時でも自分のことばっか考えちまう自分が情けなくなってくる。
--だから、こいつには会いたくなかったんだ。
--自分のみじめさを思い知らされ……
「なあ篤、悪ぃんだけど俺わりと切羽詰まってて。なんとかしてくんね? このままじゃマジでロリコン男にヤられかねねーんだけど」
ビーは怯えたような目で、真剣にじいっと俺を見つめてくる。いたいけな少女そのものなのに、中身が龍太だと思うと複雑な気持ちが否めない。
「それはもう解決済みだろ? おばさんも断ってくれるっつったじゃねーか」
「お袋はお人好しなんだよ! あいつ絶対断ったら嫌がらせしてくるって。教授の話どころか親父が今の仕事続けられるかも分かんねーし」
「そう思ってたから承諾したのか? でもやっぱ嫌になって逃げた?」
「ああ。健気で清らかなベアトリクスは両親のために婚約を承諾した。相手はいい歳のおっさんだが見た目は紳士だ。まさか自分をやらしい目で見てるなんて想像もしなかったんだろ。でも俺から見たら絶対アレは狙ってる顔だぜ。逃げるに決まってんだろ」
「なんで承諾する前に断らなかったんだよ?」
「仕方ねーだろ、俺も昨日の昼に目覚めたんだから。びっくりしたぜ、いきなりガキに紛れて算数のお勉強してんだからさ。しかも足がスースーするし」
そう言って、ビーはぴらりとスカートをまくる真似をしてみせた。「見せんな」と手で制した俺は、軽く同情する。
「そりゃ大変だったな。ビーの記憶がないのにおまえはよくお嬢様を演じてるよ。すげーな」
「いや? 別にこの子の記憶はあるぜ。だからなんつーか……ベアトリクスの記憶と俺とが混ざったような感じ?」
「は?! 記憶があんのか?!! なんでっ?!!」
俺は涙目で叫んだ。
神様、いくらなんでもひどいじゃねーか?!
俺の運が悪いつったって、なんで俺だけ元のからだの記憶すらねーんだよ!!!(泣)
トントントン。
その時、控えめだがはっきりとノックの音がした。
「アトス、大丈夫? 叫ぶほどお腹が痛いだなんて、お医者様を呼びましょうか?」
「大丈夫よお母様! アトスは出すもん出してスッキリしたから嬉しくて叫んだの。すぐにそっちに行くわ」
俺がにらみつけると、ビーはてへぺろと笑う。可愛いと思ってしまった自分が強烈にくやしい。とんっと張り出し窓から下りてきて、ビーは真顔で俺の前で両手を合わせた。
「頼む、篤。とりあえずおまえ達んちに避難させてくれ。ここにいたらあいつが追いかけてきそーで怖いんだよ」
小声で訴えるビーに、俺はうなずくしかなかった。
前世の龍太ならストーカー紛いのおっさんなんて余裕で対処できただろう。だけど--今のこいつは俺よりも背が低くて華奢で庇護欲がかき立てられる姿をしてる。
こんなふうに俺に頼み事をするなんて、龍太自身が一番不本意だろう。
--だけど。
こんなふうに頼られるのは初めてで、正直、俺は嬉しかった。そんな自分がサイテーだとも分かってた。
◆
俺とビーとメアリーは、馬車に乗ってイーストエンドに戻った。
「友だちを送ってあげたい」とビーが言うと、おばさんは快く馬車を呼んでくれたのだ。四人乗りの箱型の馬車で、俺の向かい側にビーとメアリーが並んで座った。馬車の移動は多少ガタガタ揺れても歩くより断然快適だった。
--が、いっこだけ気になったのは。
ビーがやたら目をウルウルさせて「ごめんねメアリー」と切なげに笑い、その度にメアリーが「大丈夫よビー! あたし達が付いてるから!」とぎゅっと抱きしめる--という茶番劇が俺の真ん前で何度も繰り返されていたことだ。
(俺は一体なにを見せつけられてるんだ……てかおい龍太、小鳥遊はどうしたんだよ?!)
俺の非難の視線をものともせず、ビーは薔薇色に頬を染めて嬉しそうにメアリーといちゃついていた。
馬車を降りた俺たちは、通りから少し歩いてメアリーの家に着いた。龍太もさすがに初めて見るスラムが衝撃だったらしく、真面目な顔で歩いている。
三人で家の戸口をくぐり、メアリーは廊下の左手の扉を開けた。今はまだ正午前で、おばさんは仕事に出てるから部屋はしんと静かなはずだ。
それなのに--。
俺はその惨状に固まった。
トムは窓際の椅子に座り、ぼんやりと放心している。
ウィリーはベッドに寝たままで、疲れきったように遠い目をしている。
そしてその隣では--。
椅子に座ったあのお貴族様が、意気揚々とウィリーに話しかけていたのだ。




