10.高校生の俺と幼なじみと初恋の女の子
「田中くん、あのさ……」
小鳥遊静香は、小さいけれど鈴が鳴るような声で可愛らしく言った。
俺は机に片肘をついたままわざとダルそうにして、隣に立つ彼女を見た。高校に入学してから二週間。俺はすでに女子から話しかけられるのにうんざりしてたんだ。
「なに?」
「それってネタ? それとも好きで飲んでるの?」
「好きで飲んでる」
「そっかぁ」
ふふっと笑って、小鳥遊は俺の口元を見た。
カ◯メの野菜ジュースを飲む俺の横で、小鳥遊は机の上にふわりと片手を置いた。
名前のとおり、小鳥みたいな小さな白い手を。
「私も好きなの。オススメは紫のやつ。いつも家の冷蔵庫にあるんだ。ママが常備してるの、からだにいいからって。でもそれ学校の購買にはないよね?」
「コンビニで買ってきてる」
「へぇーすごい、本気で好きなんだね」
俺をまっすぐ見て笑う顔が可愛らしくて、思わず目をそらした。
この高校に入学してから、俺はよく女子から話しかけられていた。ついに俺にもモテ期がやってきた--ってわけじゃない。単に俺の幼なじみ--大河龍太が目当てなだけだ。
龍太は小学生の頃からモテていた。
だけど当時は廊下で雑巾モップ野球なんかして「ふざけんな男子〜」なんて女子から半ギレされたりもするヤツだった。それが中学になって背が伸びて髪も伸びてガチでモテ出して、サッカー部に入ってさらにモテて、二年でキャプテンに抜擢されてからは飛ぶ勢いだった。
高校でも当然のようにモテていて、他中から来た女子は俺をダシに龍太の情報を得ようとしてたのだ。
予鈴が鳴って、小鳥遊静香はすうっと自然に自分の席へと戻っていった。俺んとこにやってきて、龍太の話題に触れなかった女子は初めてだ。
--可愛い子だったな。
これまでにもちょっと気になる女子はいたが、付き合うなんてもってのほかで告白だってしたことなかった。俺は後ろの席から黒板の前に座った小鳥遊をこっそり眺めた。薄い背中をぴんと伸ばしてサラサラロングの黒髪が掛かってて、彼女の周りだけ空気がきらきら光って見えた。
◆
春の遠足は5月の連休明けにあった。
俺と小鳥遊は同じ班で、昼飯は山頂でそれぞれレジャーシートを敷いて食うことになった。
他のやつらに背を向けて、俺は街を見下ろす方角に座った。持ってきたのは朝コンビニで買ってきたおにぎりとレジ横の唐揚げと野菜ジュースだ。親が早起きして作った弁当を食べてるやつらに、こんなしょぼい昼飯を見られたくなかった。
「いいな〜唐揚げ」
突然ふんわりと声が降ってきて、俺はぎょっとして後ろを振り返った。俺の肩越しに小鳥遊が昼飯をのぞきこんでいる。
「なんだよ小鳥遊……驚かせんなよ」
「ねえ田中くん、私の玉子焼きと交換しない? その唐揚げ大好物なの」
「……いいけど」
ありがとう、と華やかな声で言うと、小鳥遊は俺の唐揚げを一つ摘まみ上げた。空いた場所に玉子焼きをぽんぽんと二つ残していく。
「おい、二つあるぞ」
「いいんだよ〜唐揚げ様には玉子焼き二つ分の価値があるんです」
冗談めかして言うと、小鳥遊は唐揚げをぱくんと頬張った。顔中に美味しい〜と書いてるような表情で食ってるのを見てると俺もつられて笑っちまう。
「へへへ〜」
花が咲くように笑う小鳥遊を見てると、俺は--胸が苦しくなった。いいのか? ほんの少しだけなら--期待しても。ひょっとして、ひょっとすると、彼女も俺と同じ気持ちで--。
「あ、うまそーな出汁巻き。もーらい」
低くてさっばりした体育会系の声が聞こえて、俺は我に返った。
幼なじみの--大河龍太は俺と彼女の隣に立って、もぐもぐと小鳥遊の玉子焼きを食っている。
「えっ、ちょっ、大河くん?!」
「すっげーうめえなこれ! ほら、代わりにうちのお袋のオムレツやるよ。ついでにおまえにもお裾分け」
龍太は腰をかがめて、小鳥遊と俺の空いた場所に、一口サイズのオムレツをぽんぽんと入れていく。
「もうっ……」
「わりーわりー」
小鳥遊の頬がほんのり赤く染まっている。
--ああ、なんだそういうことか。
何とも思ってない相手だから話しかけやすかっただけか。俺は二人にもらった玉子焼きとオムレツを急いで食って立ち上がった。
「サンキュ、ごちでした」
「なんだよ、途中じゃん」
「トイレ」
俺は逃げるように二人から離れて行った。
背後から龍太の大声と、小鳥遊の笑い声が聞こえてくる。耳を塞ぎたかったけど我慢した。
◆
「どうしたの……アトス?」
目の前で、ビーが心配そうに俺を見上げている。
俺は苦笑いして首をふった。
(今さら前世のことを思い出してどうする?)
この【俺】はもう、ヴィクトリア時代のスラムのガキなんだ。ビーがどんなに可愛くても、小鳥遊静香の面影があっても、こんな年下の女の子とどうこうなりたいとは思わない。
「なんでもない。俺も会いたくないやつがいてさ。ちょっと思い出しただけだ。それで、きみの会いたくないやつってのは何者なんだ?」
「……私の婚約者なの」
ビーの答えに俺はずっこけそうになる。
婚約者?
婚約者って言ったか? 今?
………………この、どう見ても小学生にしか見えない女の子に?
「あっ……そうか。金持ちには許嫁がいたりするもんな。相手もどっかの貴族の子どもとか? きみと同じぐらいの歳で、大人になったら結婚しようっていう」
「ううん、30代のおじさんなの」
俺はまたずっこけそうになる。
おいおい?!?!
ロリコンじゃねーか?!!!
「えっ……30代のおっさんがきみと結婚するっつってんのか?!」
「あ……もちろん今すぐじゃないよ。私が18歳になってから……。だけど今もときどきお屋敷に招待されたりして……あんまり行きたくないの」
「それは……アレか? そのう……なんつーか」
性的虐待を受けてるのか、と男の俺が女の子に聞くのはセンシティブ過ぎてためらってたら、ビーは察したように首をふった。
「ううん! 変なことをされるわけじゃないの。ただ……それでも苦手なの。なんていうか……あの人の私を見る目が……」
いやらしくて……とビーは絞り出すような声で続けた。
(うわあああ……アウトだろこれ!!!!!)
「あたしがいない間にそんなことになってたの?! ビーのおばさんやおじさんは断ってくれないの?」
「ううん……私も最初は同意してたから……でもやっぱり嫌だなって思って。それでこの週末からそのおっ……おじさんの別荘に行く予定だったけど、今朝うちに迎えに来る前に逃げちゃったの。だけど馬車が先回りして学校の門に停まってて……どうしようって」
困り果てた目でメアリーを見る彼女を、メアリーはぎゅうっと抱きしめた。
「ビー、大変だったね! 安心して、あたしたちはあんたの味方だから」
「うん……ありがとう。メアリーの顔を見てすごく嬉しかった」
「とにかくさ、一度きみんちに戻らないか? おばさんたちにはまださっきの話はしてないんだろ。正直に嫌だって打ち明けてみたらどうだ? それとも聞いてくれないよーな親なのか?」
ビーは首をふった。金髪もふわふわと揺れる。
「うん、そうする……このまま逃げてるわけにもいかないもんね」
「そうだよ! あたしたちも一緒に行っていい?」
「もちろん……嬉しい」
メアリーが彼女の手をぎゅっと握ると、ビーはぱあっと花が咲くように笑った。
俺は小鳥遊の笑顔を思い出しながら、内心でそっと安堵の息を吐く。
(……そうだ。小鳥遊がこの子に転生するなんてありえない。だってそれは……あの子が死んだってことなんだから)
小鳥遊静香も龍太も、きっと今頃元気に21世紀で高校生をやってるはずだ。絶対にそうでなくちゃならない。
俺がなんで死んだのかは覚えてないが、どうせ運が悪くてトラックにでもはねられたんだろう。
「じゃ、行こうよアトス」
そう言うと、メアリーは空いた方の手で俺の左手を握った。その自然な仕草に、俺がほんとに彼女の兄さんになったような気がして嬉しくなる。
「ああ行こう、メアリー。な、ビーも……」
言いかけて、俺は思わず途中で止めた。
なぜかビーは不満げに俺を見上げると--ぷいと顔をそっぽにむけたのだ。
次回急展開。たぶん。




