1.馬車に轢かれかけて死ぬかと思った
なんちゃってヴィクトリア朝英国転生物語。
この世界には、俺を殺そうとするやつがいる。
この世界には、俺を絶望させようとするやつがいる。
--だから俺は絶対に死にたくない。
◆
目が覚めた。
と思ったら、目の前に馬車がいた。
馬は俺を犬のクソとでも思ったのか、道に寝転がる俺にひるむことなく突っこんでくる。
「…………ひっ!!!!!」
人間ほんとに驚いた時はロクに声なんて出やしない。馬の脚が俺の上着に着地して、車輪が俺の背中をぐちゃぐちゃの挽肉にする直前で--俺は横にぐるんと回転した。
びりりっっ。
上着が引き裂かれ、俺の背中がむきだしになる。そのまま俺は--どぼん、と側溝らしき水たまりの中に落ちた。
(くっっっそ、臭え!!!)
どろっとした嫌な感触が裸の背中にべったりとくっつくのを感じた。死ぬほど嫌だけどおそるおそる手を動かしてみると、茶色い汚物が滴り落ちる。
(はい、◯んだ。さよなら俺。夢ならそろそろ醒めてくれよな)
そっと目を閉じてみる。
目を開く。
茶色い細い川みたいな汚水が俺の周囲を流れている。臭すぎる。汚すぎる。
全身打撲でぎしぎし痛んだが、むりやり起き上がる。夢だろうがなんだろうが、とりあえず汚物まみれの中で寝てんのは精神衛生上、よろしくない。
どばどばと臭っせえ汚水を垂れ流しながら、立ち上がる。周囲を見回して、思わず笑う。
なんだこれ。
この町自体が薄汚れてて、壁のレンガは崩れて屋根は落ちかけて、路地にはガラクタが積まれていて、今の俺と大差ないじゃないか。
地面が冷たい。
雨が降った後なのか、べちょべちょと泥がまとわりつく感触。俺は自分の足を見る。裸足だった。
なんだこれ。
数メートル歩くと、ここより少し大きな通りに出る。小さな雑貨屋らしき店もあって、俺はそのショーウィンドウに自分を映す。
「……………………」
たぶん14、5歳ぐらい。
細い木枝みたいな貧弱な手足。
ぼっさぼさの草みたいな煤けた金髪の頭。
顔はどくろみたいに目が落ち窪んで、そこだけ妙に爛々とかがやいている。垢がこびりついた汚れた皮膚に、どす黒いものが詰まった爪。切れて血の滲む薄い唇。背中の破れた元上着・今ボロ布に、膝までの破れた半ズボン。もちろん靴はない。裸足。
-そして、◯ンコまみれ。
俺は意味もなく、その場で足踏みする。
足の裏が冷たい。
ショーウィンドウに頭をぶつけてみる。
ガンッ。
痛い。
目を閉じる。
醒めてくれ。
醒めてくれ。
夢だろこれは。
夢じゃなきゃ困る。
夢だよな、きっと。
目を開ける。
薄汚れた貧相なガキがひとり、呆然とこっちを眺めてる--ショーウィンドウに映った俺が。
転生。
嫌な二文字が頭に浮かぶ。
消えろ。
嫌だ。
絶対嫌だ。
俺は21世紀のいたってふつーな男子高校生だぞ。
持病もないし天変地異もないのに、なんで死んでる?
いや、普通というには語弊がある。
俺は運が悪かった。
風邪はなかなか治らないし、インフルはなぜか毎年罹ってたし、駅のホームで落ちかけたこともあれば、自転車のブレーキが壊れてたこともある。
だからこそ、俺はめっっっちゃ気をつけていた。
--死なないように。
それがどうしてこうなった?
ここは見るからにスラムである。
俺はどう見てもそのスラムで暮らすガキだ。
ぱっと見、ここは近代のヨーロッパみたいだ。世界史の教科書に出てくるような。
まだ医学も未熟で。
薬もロクにない。
人権や福祉なんて概念もそんなない。
しかもスラムのガキ。
モブもモブ。究極のモブキャラだ。
「……つんだな、俺」
俺は死ぬ。たぶん死ぬ。
転生したけどたぶん、そっこーで死ぬ。
死んでもいいのかな。
こんな世界で生きてくより、死んだ方がましかも……
(いってええええ!!!)
俺は左手を見る。手首が赤く腫れている。
幸い、馬車に轢かれたんじゃなくて、転がった時に捻挫したみたいだ。
……嫌だ。クソ痛い。捻挫でもこんだけ痛いのに、死ぬのはどんだけ痛いんだ。
…………絶対、嫌だ。
やっぱ死にたくねーーー!!!!!
ぐるりとあたりを見まわした。
とりあえず、こんな汚物まみれじゃそのうち感染症で死ぬ。手首だってこのまま放って治らなかったら動かせなくなるかもしれない。この世界でそれは死に繋がる。働けないし、身を守れない。
でもここはいつの時代のどこの国で、俺は誰なんだ。それともゲームの中か、いっそ異世界なのか?
とにかく、一体どこでからだを洗って、手当てすればいい?
俺は来た道を戻っていく。
なんかないか?
どうせ転生するんなら、一つや二つチート能力やラッキーアイテムぐらい恵んでくれたってバチは当たらないぞ。
ふと、馬車に轢かれかけた道になにか落ちていると気づく。道を転がった拍子に、服から落っこちたんだろうか。
今度はしっかり周囲を見渡して、念入りに耳をすまして車輪の音が聞こえないのを確認して、俺は道に飛び出した。
それは--俺がよく見慣れた物だった。
当然だ。
俺のスマホだったからな。
ユル設定V英国転生、お読みいただきありがとうございます。不定期更新です。よければブクマして、思い出した時にお読みいただければ幸いです。




