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5

 院長は怪我人の様子を見に別棟へと向かった。セシルも気がかりではあるが、重要な手紙を師フレーベルのもとへ持ち帰らねばならない。

 食堂へ戻ると、ちょうど役人たちが馬と馬車を準備して、街へ戻るところだった。

「じゃーね、キュリル! また遊ぼうね!」

「おー、リュック。気ぃつけて帰るんだぞー」

 大丈夫、と張りのある声を響かせ、簡素な馬車の御者台からリュックは大きく手を振り、馬を走らせて去って行った。

 僅かな間に彼らは随分打ち解けたようだ。人懐こい者同士、相性が合ったのだろう。

「彼らは商会ツンフトの担当だそうだぜ」

 ミンツェ茶と、果物でも出したのか小皿を手際よく片付けながら、キュリルは説明した。

「街道の管理に関わってるんで連絡があるんだと」

「そうですか。彼らも今日は大変でしたね」

「俺らは帰れないんじゃねーかな」

「さっき」

「ん?」

「人間がやるよりは狼のほうがましだ、って思いました?」

 キュリルはいちいちセシルを見たりしない。案外悪戯っぽい顔をしているのを知っているのだ。

「思ったぞ。そりゃ、思うさ。人間がやったら、どこの誰がってなるだろ。狼でよかったよ」

 セシルは苦笑する。

「すみません、取り消します。私は何も聞いてません」

「おー」

 メトーデが食堂に顔を出した。オルガニストの彼は手先が器用で、応急処置を習っていたから、宿舎で治療を手伝っていたのだ。

「概ね済んだぞ。遅れた食事の準備を始めるから、頂いていいそうだ」

「そうか、そりゃ嬉しいけど」

 キュリルが言外に問うと、メトーデは首を振った。

「二人は駄目だった。あとは転んだ程度で、かすり傷だな。婦人たちは無事だったが、怯えている」

「婦人がいるのですか? 軍列に?」

 驚くセシルに、キュリルも頷く。メトーデは気詰まりな顔でため息をついた。

「彼らは募兵団と名乗っているようだ。皇帝麾下の軍隊を募ると言って、書状も持ってはいる。が、要するに傭兵だ」

 セシルは血が背を下がっていくのを感じた。キュリルも、重い息を長く吐いた。

「そうですか。軍人のような人がいましたが……」

「あれは楽隊なんだそうだ。軍服のお下がりか何か着ているが、まあ、本物の軍人が隊列で街道を歩くわけないな。向こうの村から、笛やらを鳴らして来ていたらしい。宣伝のために」

 メトーデの声色はどこか呆れたようだったし、キュリルが視線を泳がせたのは、厄介者がグロッケンシュタットを訪れたのを憂いて、帰ればいいのにとでも思ったのだろう。

「だから綺麗にはしているが、ほとんどは傭兵だ。あとは音楽屋と、賑やかし……かな。普段は傭兵団の後ろで酒保商売でもやってるのかも。女の子がいると若いのを呼びやすいのかもしれん」

「お前が言うんならそうなんだろう」

「そうか、冗談が出るんならまだ平気だな。次は水汲みだ」

「ぎええ」

 兄弟が他愛ない言い合いをすると、セシルも緊張が和らぐ。

 食事番らしい修道士が数人食堂に入り、それに続いて少女が二人やってきた。一人は健康そうに日焼けして、もう一人は口を引き結んでいるが、幼いながらにも思わず目を奪われるほどの美貌である。

 少女たちはメトーデを見つけると駆け寄り、物品の置き場所でも聞いているのか、あれこれと指示を受けた。日焼けした少女がはきはきと返事をし、美貌の少女と頷き合って、薔薇の裏庭へ走って行く。

「あれがその、傭兵隊の酒保ちゃんかい」

「……健気だ」

 メトーデが嘆息した。彼が言うには、自分たちの手当もそこそこに、傷ついた傭兵たちの止血をしていたのだそうだ。まだほとんど子どもだが、返り血も恐れなかった、と。



 キュリルとメトーデは修道院に残り、明日行わなければならない葬儀に参加することになった。日没までに帰り着くには馬を借りねばならないが、乗馬できるのはセシルだけなのだ。

 支度をしてヨーハン修道士に馬の案内を願い、鞍を置いて乗ると、宿舎から甲高い口論の声が聞こえた。見れば、扉の前で言い争う二人は、先の募兵団とやらのようだ。一人は大柄で、装備を外した傭兵らしい。もう一人の小柄な男は外套の下にズボンと長靴が見える。甲高い声で、際立って横柄に叫んでいるが、どうも指示や命令のように聞こえる。

「兵隊さんは亡くなった友人を、故郷の近くまで運んでやりたいんですよ。そんなに遠くないそうで。それをあの、隊長って人が明日ここで埋葬するって聞きませんでね」

「ああ、何だか急いでいるなと思いましたが……」

 募兵団が皇帝軍の書状を持っているというのは、本当なのかもしれないとセシルは思った。仲間の気持ちや安心より、傭兵を集めるほうが重要なのだ。

 口論が激高しだした。何人かが扉から覗き見し、宵の影からはキュリルとメトーデが走り出てきて、二人の間に割って入った。見送りに来ないと思ったら、巻き込まれていたらしい。

 手助けをすると日が暮れて、街の門が閉ざされてしまう。セシルはヨーハン修道士に後を頼み、馬を走らせた。

 冬の夜は早く、落ちるように夜が来る。

 刻々と宵闇が濃くなる街道を、馬は機嫌良く早足をした。追い越す通行人も帰路を急いでいる。向かいからすれ違う荷車などは反対に、一日の仕事を終えて、満足そうにのんびりと動いている。中にはセシルに気づいて、手を振ってくれる農夫もある。セシルさん、うちに泊まって行きなよ、などと声をかけて。

 グロッケンシュタットまでの道は丘を下る。ほとんどがなだらかな斜面に開けた道だが、何か所か谷間があり、林が迫っている。

 その細道の前で馬が止まった。

 突然に興奮しだした馬を宥めきれず、セシルは振り落とされる前に一度馬を下りた。手綱を引いて横腹を撫でると、馬は少し落ち着いたが、蹄で地を繰り返し蹴っている。

 不意に、セシルは息づかいを感じた。自らを覗う視線のような気もしたが、やはり息づかいに思われる。

 狼、と言った双子の司祭の声を思い出す。近辺は狼が住むほど深い森ではない。しかし、繰り返される戦争で人の住処が変わると、生きものの住処も変わることがあるのを、セシルは聞いたことがあった。

 手綱を固く握りながら、セシルは周囲をそっと見回す。木々と下草以外に見えるものはない。

 微かに谷間を通う風が、ふと止んだ。ほとんど同時に、馬が足を止め、回りの匂いを嗅ぎ始めた。

 何も見ず、何の音も聞かなかったが、セシルも気配を感じなくなった。手綱を引くと、馬は素直にセシルを乗せた。

 木々の間は馬を歩かせ、林が開けると、腹を蹴って走らせた。背後を振り返るが、何も飛び出して来たりしない。

 閉門に間に合わせるには、このまま馬を急がせるほうがいいだろう。

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