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ノイクロスターの修道院は、その名に反して三百年に近い歴史がある。新しいと名がついたのは、ルター論争の時に一度修道会が解散し、会則を編み直したことがあるからだ。
その前には近隣の諸侯が出家し、寄進をしてから滞在する、小さいながらに瀟洒な修道院だった。しかし、もともと周囲の修道会も活発でなかったうえに、すぐ近くのグロッケンシュタットが宗教的にも経済的にも栄えて、ノイクロスターは役割が減ってしまった。プロテスタント論争はきっかけでしかない。
十年前には、付属の女子修道院も閉じてしまった。この小さな修道院は、今ではほとんど修道士を抱えていない。二十名に満たない修道士が音頭をとって集会をしたり、村の教会で見出された子どもたちを他の修道院へ紹介したり。そうでなければ薬草畑の手入れをし、チーズや祭日の菓子の作り方を若い農婦に教える程度。
ビアを作るには人手が足りず、わずかな写本や宝物などは、グロッケンシュタット司教や周囲の宮廷へと散逸していた。
だが、傭兵団が宿営するには丁度いい。はぐれ者の貴族などが入道している、大きな修道院よりよほどやりやすい。
町のマルクト広場から修道院へは坂道を登る。当然、クロスター通りと名付けられている。修道院の背後は崖になっており、薔薇の垣根の裏庭が、蔓薔薇が群れ咲く崖の淵まで続いている。
院へ辿り着く他の道はなく、この道も他の場所へ続かない。ただ修道院を訪れる者だけがここを通る。
短い間だが、この修道院で生活をともにしたことのある三人の司祭にとっては、馴染みのある道である。
そのクロスター通りを、今日は町の住民が行き交っていた。急ぎ走っているようである。どうしたんだろう、と司祭たちは顔を見合わせた。
修道院の門には大抵、連絡係の小遣いさんが座っているのだが、今日はそれがいない。代わりに見えるのは、事務の得意なヨーハン修道士で、彼が駆けだしていく住民に手早く話しかけている。どうやら指示を出しているようだ。
「あの、今日はどうしたのですか」
「ああ、セシルさん」
挨拶もそこそこに声をかけると、ヨーハン修道士は寒空に汗をかいていた。
「ご無沙汰です。けど、参ったなあ。今、立て込んでいまして」
中庭では落ち着かないらしい馬を町の人が繋ごうとしている。その向こうの回廊を、老いた修道士が布を抱えて走っている。
その布を受け取りに部屋の扉を出て来たのは、軍服を着た男たちだ。
「怪我人が運ばれて来たんですよ。兵隊さんらしくて」
「軍人が……怪我ですか?」
奇妙に思ったセシルに、ヨーハン修道士は人の良さそうな顔をしかめて答えた。
「狼にやられたって、彼らは言うんですけど」
「ヨーハンさん、俺ら、手伝うよ」
キュリルが外套を脱ぎながら口早に提案した。メトーデは既に、同じ外套を脇に抱えている。
ヨーハン修道士は嬉しそうな気配を見せたが、再会を喜ぶ暇はないようで、二人の若者に宿舎へ水を運ぶよう伝えた。
「あの、私も」
「セシル、君は留守番だ。手紙をなくされると困る」
「お前さんは、食堂にでも行っといて。俺らで院長に取り次ぎしとくから」
勝手を知ったかつての住居、水を得た魚のようなもの。
互いに最小限の確認を交わし、外套を抱え、兄弟はアーチの連鎖する回廊の向こうへ、足音を揃える。ヨーハン修道士も、手伝いに来た町の人々を案内しに行かねばならない。セシルは食堂へ向かった。
食堂は水場が近いため、手当に奔走する者たちの喧噪が届いたが、堂内は静かだった。厨を覗いてみても、かまどに小さく火が燃えたままで、誰もいない。
しかし部屋の奥へ視線をやると、男が一人座っているのと目が合った。彼はセシルが自分に気がついたのを認めると、愛想笑いの会釈をして小さく手を振った。
「こんにちは」
挨拶をしながらセシルが近づくと、男は明るい快活な笑みを浮かべて立ち上がった。
「やあ、聖マリーエン教会の司祭様でしょう。ボク、お見かけしたことありますよ」
彼は握手の手を差し出した。人懐こい笑顔に、はきはきと明朗な声。セシルより少し年上の様子だが、がっちりと力に満ちた体格は若々しく見える。
「セシルといいます。ええと……お役人さんですか?」
彼の白い襟を備えた黒い上着を見て、セシルは問うた。
「ルーカスです。新市街の、小さいほうの庁舎にいます」
にっと笑って彼はセシルの手を取った。厚い手は力強く、セシルは思わずおおと驚く。
「いや、すみません。事務仕事って身体がなまるもんだから、鍛えてるんです」
えへへと彼は愛想笑いをした。頬骨の低い、可愛らしさのある顔立ちで照れ笑いをすると、どことなく無邪気さが見える気がして、セシルも口もとをほころばせる。
「いやあ、今日は大変ですね。困っちゃいますよ。司祭様は、今着いたばかりですか? ボクら、院長を待つ間に騒ぎになっちゃって」
「そうですか。他の方々は?」
「あ、今は院長のところへ行ってます。怪我人を宿舎に入れた後、院長は急いで戻ってきてくれたんですよ。ボクは下っ端なんで、留守番です」
「あは……私も留守番です」
「ええ、ご冗談を司祭様」
「良かったら、ただセシルと」
「じゃあ、ボクはリュックって呼んで下さい」
男は明るく笑ったあと、目を細めてセシルの青の瞳を見た。
「多分、ボクらは同じような用件なんでしょうねえ」
セシルは言葉で答えず、ただ微笑んだ。手紙の内容をセシルは知らないし、仮に知っていても口外することはないが、この男の言うことが正しいだろうことは推測がつく。
手紙は蝋にフレーベル司祭の封印が押されてあった。師は言わなかったが、前日に彼はグロッケンシュタット旧市街にそびえ立つ大聖堂へ長い会議に行っていた。何か政治的な了解があるのだと、若い司祭たちにも知れた。
それは合戦に備えるための連絡だろう。市街より外にある修道院は無防備で、どのような立場であっても、この設備をどう扱うかは重要だ。




