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手早く支度をして、大切な預かり物の袱紗を鞄に入れ、再びちらつき始めた雪の中を、セシルたちは街の門へ急ぐ。新市街から、精霊橋を渡って旧市街へ。旧市街側の街門から街道へ向かうのだ。
門のそばの外壁には、外を見渡すための窓や銃眼がいくつか穿たれている。交通の便のために開かれているが、去年、軍隊が動き始めた時期には、これを閉じていた。
その窓のひとつに、彼らにとっては見知った婦人が、雪を払ったばかりの肩掛をかぶって佇んでいた。
「マリー」
「本当だ。おーい、マリー」
婦人は司祭たちが声を掛けるのと、ほとんど同時に振り向いて、手を振った。この占い師は、嬉しそうに大きく合図したりしない。にやっと微笑して、分かりきったというふうに、少しだけ手を振る。
「おはよ、我らが僧侶たち。けどね、私をマリーって呼ばないで」
駆け寄ってきた旧友を、婦人は小憎らしく睨んだ。
「マシーネ。世界の歯車の音を聞く占い師、マシーネよ」
「おはようございます、マリー」
「人の話聞きなさいよ」
セシルの挨拶に婦人はつんとむくれる。この街でセシルの挨拶に喜ばないのは彼女くらいのものだが、セシルはそんな彼女にも微笑みを絶やさない。
「珍しいところで会いますね。今朝はお出かけですか?」
「そういうわけじゃないのよ。ちょっとね……」
婦人が言葉を濁して視線を逸らしても、セシルは微笑みを絶やさない。
「マリーがそういう顔をする時は、何か難しい音を聞いている時ですね」
「マシーネ。もう、セシルったら……」
婦人はふっと短いため息をつくと、セシルの後ろで耳を塞いでいるキュリルを覗き込む。
「今年も戦はあるわよぉ」
「うええ」
「けど今度の戦場は遠そうだから安心しなさぁい」
「そーもいかんだろーがぁ」
苦々しく呻くキュリルの隣で呆れるメトーデにも、婦人は指を立てて告げる。
「あんたも忙しくなりそうよ、メトーデ。歯車の音が速くなってるの。オルガンばかりとはいかないみたいよ」
「君はそういうの、今も分かるのか」
「大体ね。こうしてあんたたちに会うのくらいは分かるわね」
メトーデは悶絶する兄には目もくれず、幼馴染みの占い師に問うた。
「相変わらず鮮やかだが、今朝はそれでも分からないような予知があったのか」
マシーネはこめかみの辺りに手を添える。機械と自ら名乗る彼女にとって、世界は天使の回す螺子と歯車でできている。その音に耳を澄ませるのが、彼女の占いなのだ。
「何かが来る」
「またかあ」
「のは、分かるの。でも、音が聞こえないの。欠けているのよ」
深刻そうに伏せられたマシーネの瞼を見て、
双子の司祭は自然と沈黙した。そのためらいを、セシルが代弁する。
「悪魔、ですか」
その名前に恐怖を思い出さないわけではないが、この占い師がそうだと言うなら認めなければならない。
しかし、マシーネはうっすらと首を振った。
「分からないの。聞こえない音が何かって、そもそも聞こえない音があるのかって、考えるのは難しいわ」
「神の存在証明みたいですね」
「でも、時々音が欠けて、聞こえないの。後で聞こえたりして分かるのよ」
あんたたちの音は聞こえるけどね、と占い師は旧友の僧たちを見回す。
「……悪魔の音なら聞こえてるし、聞いてきっと分かると思う。だから、それよりもおぞましいものだったらどうしようって思うの……」
マシーネが言い終えると、僧侶たちは目を合わせた。
大切なこの幼馴染みに、気の利いた言葉をかけて安心させてやりたい。しかし、彼女の持つ能力は彼らの理解を超えていて、何事も思い浮かべることができない。語られる言葉は易しいのに、まるで彼女自身のように、近しいようでいて、手が届かない。
それでもセシルは、そうした厳しい境界を乗り越えることを厭わない。
「音の数はどうなのですか。あまりに音が多いと、近い音も聞こえないでしょう」
「そうね。音が飛び交っているのは、ただこの街が大きいからだけじゃないわ。いずれ大勢の人が行き交うのは、きっと何かの戦争の音よね。けど……」
言いかけて、マシーネは肩をすくめた。
「うまく聞けてないのに、あんたたちを心配させるのは本意じゃないんだけど。けど、どうもかなり近くに、何かがいるらしいのに……聞こえない。それが怖いわ」
寂しげな幼馴染みに、今度はセシルも気を利かせることができる。
「そう言わず。じゃあ、少し私を占ってみて下さいよ」
「そうね……あらっ?」
占い師は目を見開き、やだ、うそ、などと一人で驚く。何だ何だと、キュリルもメトーデも顔を近づけた。
「女難の相ね」
「えっ」
「まさか」
「世も末だ」
しかし、この占い師が言うのなら認めなければならない。
「いや、セシルに限って……?」
「お前さん、いつの間に……?」
「いえ、ないです、何も、あの、マリー?」
既に占い師マシーネはシャールを翻し、肩越しに手を振りながら大通りへ向かっていた。




