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「先の焚火は、随分愉快な見世物だったな。街びとどもの狂騒も聞こえてきたわ。分が悪かったのではないか、司祭よ? たかが人間相手に奇蹟の力に頼らねばならぬとは」
「あんたは愉快だろうけど、普通の人間は怖がってたのよっ」
沈黙するセシルの代わりにマシーネが言い返すと、あからさまに悪魔は嘲笑した。
「何だあれは、魔女か? 魔女が罪人を焼くのも魔女の火炙りとは、洒落が利いている」
「魔女……?」
セシルは聞き咎めた。
「待ちなさい。あの人は魔女なのですか?」
「さあ、知らんな。我らにとって魔女もそうでない者どもも、同じ人間でしかないからな。ただどれだけ美味い餌かという違いがあるだけだ」
マシーネがべっと舌を出す。せせら笑いは不快だが、悪魔の言は筋が通っている。
悪魔祓いについては報告が教会に存在し、セシルもいくらか読んだことがある。魔力を以てして動かぬものを動かし、あり得ぬ場所に現れ、人心を掌握し悪意を振りまくというのは確かに恐ろしい、だが。
地上雪上に死屍を積み重ね、ないもののように放置する方がセシルには恐ろしい。その、もはや抗議することのない死者から一方的に利益を引き出そうとすることも。
否、むしろあの女傭兵が言っていたように、まだ焼いてやるほうが慈悲があるのだろうか。死と困苦に寄せる心もなく、腐敗と忘却に任せる方が凄まじいことかもしれない……
「どうした、神の僕よ。大層立派に悩んでいるようじゃないか」
まるで人間でないような者が、人間を踏みにじりながら、獣以下と人間を詰る。それを悪魔が、同じ人間と呼ぶ。
セシルはあの、女傭兵を灼く炎を思い浮かべる。
それなら自分も、無理に人間のように振る舞わなくても、いいのではないか。歌と言葉に怒りを矯正させなくとも、この悪魔を――
「セシルだめ」
マシーネの制止に、セシルは思考を止める。
「隙を見せないで、司祭が悪魔憑きなんてお話にならないわ。余計なことを考えるくらいなら、聖書でも読んでなさい」
マシーネが聖書の語を口にした途端、きっと悪魔がまなじりを吊り上げた。あまりにジーメオン本人と表情が違いすぎて、確かに悪魔が話しているのだという実感が湧く。
「おお、そうだ女よ。お前の読む聖書には苦しめられたな。今度はお前を音の世界に閉じ込めてやろうか」
「まあ、恐ろしいわ。音の悪魔と言うからにはきっと、さぞ恐ろしい音を聞かせるのでしょうね」
あまりに露骨なぶりっこに、思わずセシルは正気に戻る。だが、悪魔は人間のそうした心理の機微が分からないようだ。
「愚かな女め、そうではない。我は音のある所全てに現れ、全ての音を従えるのだ。聞かせるも聞かせぬも我次第よ」
「まあ、じゃ、私が近頃、世界の歯車の音がうまく聞こえないのも、あなたの力のせいなのね」
「歯車ぁ?」
悪魔は頓狂な声で聞き返し、それから、ああ、と納得してマシーネを指さした。
「お前の聞いてるその音か。そんな訳の分からん音は知らん。何だ、世界の歯車だと? 滑稽もいいところだな」
「そんなあ、そんなはずないわ。ずっと聞こえてるし、正確なのよ。あんたに今日会うことだって聞こえたの。あんた、悪魔だから知らないだけでしょう」
だんだん演技が雑になるが、悪魔はそれに頓着しない。むしろ意地を張る。
「戯言を言うな、神はそんな音は創っとらん。どこか田舎の精霊ならともかく」
「田舎なんてひどいわ、私は都会育ちよ」
「知るか、特にここ二十年ほどは人間どもがぐちゃぐちゃ入れ替わるからな、一緒について来た辺鄙な悪霊どもが――」
「それは、悪魔ではない魔物がこの街にいるということ?」
あ、と、悪魔は口を押さえた。
「お、女!」
憤慨する悪魔に、マシーネは再度舌を出した。
「ふんだ、怖くないわよ。あんた、実はそこから動けないんでしょう」
人間を嘲る悪魔は、少年から姿を変えても墓石に座り続けている。
それが動けないためだと、セシルもようやく気がついた。意気揚々という体だが、しかし闇に目をこらせば、その足が銀の十字架に穿たれ、岩に止めつけられているのが見える。
その十字架は、ジーメオンが大切に持っていた母親の形見だ。自らの言葉で語ることができなくとも、彼が意思を持っていると、セシルは確信する。
「ねえ、ジーメオン。聞いてるんでしょ」
マシーネが声色を変えた。優しげに、思い遣る色の声。
「セシルは、あんたのために祈ってるわよ。神の御手に委ねて、って唱えられなかっただけ。あんたの魂が苦しまないよう、毎日祈ってる」
朗々と喋っていたはずの悪魔が、不意に口を噤んだ。
俯く彼は細かく震え、掻き毟るように胸を抱く。冷や汗を落とし始める。苦しむその姿には、禍々しさも、超然としたところもない。哀れだが、そのために彼が人間だと分かる。
「セシル」
苦悶に掠れているが、声変わりを終えたばかりの、瑞々しいあの声。
「調和を」
そのひと言が終わる前に、悪魔の影が黒く染まる。いや、あの僧服に似た黒い衣装に変わったのだ。
ジーメオンが瞳を上げた。セシルを見、その幻影の姿が千切れ、風に飛んで行く。
後に取り残されたのは、夜と、雪と、後悔。
「会えたわね」
セシルはどんな顔をすればいいか分からない。ただ、隣に佇む婦人の勇敢さに感嘆するばかりだ。




