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夜が降りる少し前、夕に陰る裏小路に、マシーネは肩掛けを翻して紛れ込んだ。婦人が一人で歩ける場所ではない。急いで目的を達して戻らなければならないが、幸いマシーネは、相手がどこにいるかが聞こえている。
「ぎぇ、姉御……」
「誰が姉御よ」
とても居酒屋とは呼べない雑然とした店から『絶対に捕まらない物盗り』が現れるところをマシーネは引っ捕らえる。正確には彼ではなく、彼の盗品や、その在処に向かう際の音に用がある。
「いかさまニッケ。あんた、街壁の外に、小屋持ってるわよね……?」
はあ? と、ニッケは露骨に顔を歪めた。
「そんなの持ってませんや、姉御、あたしのこと金持ちだとでも思ってんですかい」
「誤魔化してんじゃないわよ、獲物をいくつか、隠してるでしょう。私が知らないとでも思ってんの?」
「うぇ……いや……その」
「そこを私に貸しなさい。ひと晩でいいわ。あっでも、薪もつけなさい」
常からへつらうニッケも、追い詰められて声を荒げた。
「勘弁して下せぇよ、どういう何の思し召しであたしの事をつけ回すのか存じませんけどねぇ、あたしゃ神かけて、小屋だの家だのは持ってませんや。なけなしの小作権を売り払ってこの街へ来たんですからねぇ!」
「つけ回してなんかないのよっ、こっちだって伊達酔狂で占い師なんかやってないのよっ。人様に隠さなきゃいけないような事やっといて、見抜かれて文句言うんじゃないわよっ」
「だからって、ないもんを出せって言われても聞けませんや!」
「じゃあ『絶対に捕まらない物盗り』も今日でお終いね」
「姉御ねぇ、いい加減にしなせぇ!」
ニッケの怒声からへつらいが消えた。
「姉御が偉いお妃様だか何だかから、お手当貰って生きてることくらい知ってまさぁ! ええ、誰でも知ってらあね、このグロッケンシュタットで暮らしてるんなら! そりゃ尊いお仕事もあるんでしょうよ、そんな方がねえ! 占いだの、変な音が聞こえるだのと、人様に怪しまれる事をしてちゃあ、いけませんや!」
ぐ、とマシーネが言葉に詰まった。
「姉御がちょっと特別なのも、あたしゃ分かりますがね。ここは大都市だ、全員親戚みてえな田舎とは違うんです。仲良しのお友達はいいでしょうがね、みんなが姉御の味方になってくれる訳じゃねえんですよ」
「め、珍しく、まともなこと言うじゃない」
予知がもたらす自信に満ちたマシーネの言葉が揺れる。
「人の偏見ってやつを、姉御は甘く見過ぎでさぁ! あたしみたいな無法者が、日頃どんなに爪弾きされてるか知らねぇんです、人ってなぁ憎むための相手を探すもんなんだ、怪しげな奴がほんとに悪人かどうかなんて、関係ないんですよ!」
「で……でも、セシルのお母様は私の事情、ご理解してるし……」
「だからその、セシルの旦那でさぁ! あんたのためじゃねえんでさ!」
マシーネが硬直した。
「旦那は司祭さまでしょうが。そりゃ世の中には破戒僧もたんといらっしゃるが、それくらい気にも止めねえようなご立派な家門の方ばかりだ。旦那はそこが心許ないんでしょうが。どうも怪しいというご婦人が周りをちょろちょろしてちゃあ、旦那のためにならねえや!」
マシーネは反論ができない。唇を引き結ぶ。
「姉御は幸い、素性はまともでさ、平凡すぎるくれぇにね。町焼かれて出稼ぎってだけなら、今じゃ珍しくもねえ。だから怪しげな商売からはきっぱり足洗って、プロテスタントでもカトリックでも、素直に教会の手伝いあたりで食ってきゃいいんでさ。あたしなんかと付き合わずに」
「さり気なく私の追跡を躱そうとしてるのはともかく……」
ニッケは肩をすくめる。
「あんたが私の足もと見ずに、ほんとのことを言ってるのは、分かるわ」
マシーネは呻くように宣言する。
「……それでも、私、明日の夜だけは、あいつの側にいないといけないの……」
「はぁあ~?」
ニッケは焼きたてのパンのようにてかる頬を、握りつぶすようにねじ曲げた。
「だからぁ、それがいけねえんでさ! 姉御、他の輩に話しちゃいねえでしょうねえ?」
「そりゃ言えないけど、言わないけどっ、どうしても外に行かなきゃいけないの! 宿を取ったら人に知れちゃうの!」
「そんならあたしなんかじゃなくて、旦那に直に頼みゃあいいでしょうが!」
「言って聞く奴じゃないのよ!」
「そんなら日暮れ前から門の外にいればいいじゃねえですか! 一人で!」
「私だってそうしたいわよ! 凍え死ぬんじゃなけりゃ!」
ほとんどつかみ合いの様相で言い争うマシーネとニッケに、通りの向こうから、のほほんとそよ風のような緩い声がかけられた。
「やあニクラス親爺、どうしたの? あれ、そっちはマシーネちゃんじゃない?」




