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大都市グロッケンシュタットでも、教会広場の周囲は夜の静寂が深い。
キュリルとメトーデなら気絶同然で呆けている。客用の長椅子に並んで座り、キュリルは背もたれの縁に頭を乗せて天井を仰ぎ、メトーデのほうは自らの膝に項垂れて俯いている。チェス(シャッハ)の対局のついででそれぞれに、先の世俗歌の技術と、オルガンの作曲をこてんぱんに指導されたのだ。一瞬、キュリルが鼾を掻いた。
「こんな年寄りに負かされてちゃいけないねえ。セシル、あれあげて」
師に言われて、セシルは飾り棚から瓶を取り、杯二つに原液のリモナーデを注ぐと、隣の瓶の水で割って、疲労困憊の双子に手渡した。キュリルは目を閉じたままなので、肩を揺すったら横着にも手だけ延ばしてきた。
「終わった? じゃあはい、続き」
セシルはシャッハの盤に向き合った。差し出したリモナーデを師は黙って受け取り、黙って呷る。
「ツァハリアス院長先生ね」
はい、と駒を進めてセシルは頷く。
「お返事頂いたでしょ。あれにご近況を記していらして」
「はい」
「フォン・ラッツェン卿が訪れたのでご歓待なすったそうでね」
師は淀みなく次の手を指す。セシルは少しの間、駒を睨んだ。
「バイエルン宮廷の侍従でいらっしゃいますね。軍事局でしたか」
「そうだね。弟君は軍人」
夜半ではあるが、共同生活の教会内部では会話を秘密にすることができない。シャッハを隠れ蓑に、指導や世間話のような体で話す。
「あそこの宮廷、魔術師を集めてるって話があってねえ。まあ宮廷ってのはどこでも、科学者集めて大砲を作らせるもんだけど、数学者とか哲学者とか占星術師とか、よく分かんないのもいるもんなの」
「ああ……マリーから学者が遁走した話を聞いたことがあるような……」
セシルは白の駒、師は黒の駒。セシルの一手の、三分の一の速さで師は次の手を指す。
「ドッペルマイアー氏は親が先のフォン・ラッツェン卿の秘書だったんだよね。娘も宮廷に上げて、繋がりがあるの」
辛うじてではあるが具体性を退けて話していた師は、急に脚を組み、それに組んだ手を乗せ、仰ぐようにセシルを見て言った。
「彼はノイクロスター修道院に軍を駐屯させたいのだろうね。宮廷、ひいては皇帝に大きな恩が売れる」
市参事会だけではない。司教座教会参事会にも、その利益を享受するだろう者はある。
老司祭は手だけ開いて延ばし、また一手を指す。
「ま、あの女隊長さんに死体を燃やさせちゃったのは、まずかったろうけどね。あれじゃ嫌でも思い知る……もう、戦火はグロッケンシュタットにも届きうるものだって」
セシルは人々の怯えようを思い出す。政治の駆け引きとしての成果は不明だが、戦争は遠い他の街の出来事ではなく、この街とも結びついているのだと印象づけるに、これ以上の演出はなかっただろう。
「……まあ、参事会のほうは私がやっておくよ。ところでね」
シャッハ盤に向かうフレーベル司祭は、落ちくぼんだ大きな目をぎろりと上げてセシルを睨んだ。
「昼間ね、君、何かした?」
「ご覧になってしまいましたか」
セシルは苦笑する。師にごまかしは通用しない。
「ああいうのは自分で演出するものじゃないと思うけど。却って本人たちの意思を侮辱してない? 神の御業、信じてる?」
「仰るとおりです」
「君ねえ、こないだの血涙といい、人に怖がられたらどうするの」
「申し訳ありません」
「嫌だねえ、のらくら躱すのが上手くなって。誰に似たんだろう」
あなたですよとは言わない。どうせ言わなくても知っている。
「薪の、支柱になっているものを一本、軽く割っただけですので、大きな負担はありません」
「歌なしで?」
白の駒が止まる。
セシルにとって歌は、暴れ出しそうな自らの胸の内を、正しい流れへと導くものだ。歌がなければ、激情の本流はセシルの身体を破って流れ出る。それを防ぐために、彼は聖歌を歌うのだ。
「君が心を揺らすところ、見せない方がいいんじゃないの」
師はセシルの駒を一手差し、それに自らの黒の駒を差した。
「彼の前で」
チェック。セシルの白の王は、師の黒の騎士から逃げられない。
「参りました」
「もう一局。……無縁墓地に幽霊が出るって話は、君なら聞いたことがあるね?」
はい、と答える声が沈む。
「そもそも、この手の噂が増えて怖がる人がいたってのが今日の刑場大掃除の発端なんだよねえ。ほとんどは他愛のない話だし、墓泥棒が都合のいい噂を流してるだけのはずなんだけど……」
フレーベル師は顎に手をやり、試すようにセシルの青い瞳を見た。
「最近の幽霊は、歌を歌っているらしくてね」
並べ直していた駒を、セシルは取り落とした。
「君が確かめに行くんなら、手配しておくけど?」
セシルはたっぷりと時間を取って駒を拾い、並べ直した。
「……会えるでしょうか」
「そんなに感傷的になるんなら、私が行こうか? 幽霊なんていませんでした、全部ただの死骸で、綺麗に焼き払われちゃいましたって報告書さえ書ければ、私はいいんだから」
声の揺れたセシルに、師フレーベルは苛立たしく言い放つ。興醒めと言わんばかりの冷淡さに、セシルは却っておかしくなってしまう。
「先生が相手じゃ、私だって隠れてしまいますよ。……行きます」
師は必要以上に思い遣る素振りを見せない。淡々と祈りの文句を唱える。
「幽霊が出るか、悪魔が出るか……。神のお導きがあるよう」




