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 覗き込んで少女の手つきを確かめると、夫人は洗い場のかまどに戻った。どうやら追加の湯を沸かすようだ。

「あんないい宿に泊まってるなら、出入りの洗濯屋さんがあるんじゃないの?」

 ポンプを押しながらマシーネが聞くと、固い表情のままではあるが、少女は嫌がる様子もなく話す。

「宿営では私たちの仕事だけど、今はそう。男の人の下着とか、普通の服は、まとめて洗濯屋さんに出してるみたい」

 そう、とマシーネは相槌をうつ。彼女が軍服を任されたのは、上物だから、もしくは噂を怖れて、といったところか。

「下着、入れ替わってても、気にしてないんじゃないかな」

「うわぁ」

 そう繊細な原因ではないかもしれない。

「けど女の子には、自分の下着は自分で洗えって、ユッタが言うの」

「へえ。確かに、そのほうが清潔だものね」

「清潔……」

 少女の瞳に興味が宿った。

「そう、清潔。清潔にしろって、うるさいの」

「そうなの。ユッタって、詳しいのね」

「うん。ユッタはすごいのよ。いろんなことをよく知ってるの」

 ユッタに興味があるらしく話すマシーネに、少女も興味を持ったのだろう。すると、微かだが顔にも声色にも、表情が表れた。

「丁寧よね。上手」

「ユッタが教えてくれるの。こまこまと、煩いのよ。お母さんみたい」

 世辞ではなく、少女は的確に布とブラシを扱っていた。少女自身の几帳面な性格が表れているが、それ以上に、よい教師が教えたと分かる手つきだ。

「お母さんとお父さんは、ルッターの合戦の時に死んじゃった」

「そう……」

 マシーネは静かに頷く。

 恐らくルッターの戦い自体ではなく、前後の略奪による殺戮のはずなので幅があるが、およそ八年ほど前のことだろう。少女はかなり幼かったはずだ。親から教わったことなど、まだほとんどなかったろう。

「でもね、お兄ちゃんは生きてるはずなの」

 少女は、ずっと動かし続けていた仕事の手を止めて呟いた。

「お兄ちゃんは、殺されたんじゃなくて、連れてかれたの。だから生きてるはずなの。お兄ちゃんは、字が読めて計算ができたわ。とても賢かったから、きっと兵隊にくっついて働いてる」

 そして、マシーネを見た。

「ねえ、ハンスって知らない?」

 まるで別人のように真剣な面持ち。この少女が、たとえ懸命に仕事をしていても、それはこの探し人のために過ぎないことがひと目で分かる。

「そうね……ハンスはいっぱいいるけど、生き別れの妹を探すハンスには、会ったことないわ」

「そう……」

 力なく呟き、再び仕事の手を動かす少女。その光景の音に重ねて、マシーネは彼女の歯車の音も聞いている。

 その音は、悲鳴のように軋んでいる。心の揺れと同じく、歯車もまた音を揺らす。

 世界の歯車の音を聞くマシーネは、この叫びのような音の予兆を聞きつけて、今日ここへ来たのだ。

「お兄さんを探して、あなたは兵隊と一緒にいるのね」

「違う隊の話も聞くようにしているの。ユッタもあちこちで聞いてくれているみたい」

「そうなの。もっと乱暴な人かと思ったわ」

「うん。あれで、ユッタはけっこう親切にしてくれるのよ。怒らせると怖いけど、普通に働いてたら怒らない。傭兵たちは、変なのもいるから」

「それは、危なそうね」

「変って言うか、おかしくなっちゃった、って言うのかな。死にかけるだけじゃなくて、色々あるから……」

 少女が上着を引き上げると、ベッケ夫人がやって来て手に取り、かまどにかかった釜の上に吊した。立ち上る湯気に縮んだ布地が伸び、上着の胸はふっくらと膨らんだ。

 蒸気を吸わせた上着を、膝を使って夫人は手際よく引き伸ばす。膝の丸みが、肩の丸み、背の丸みを作り出し、仕立てたばかりのように整えられていく。

 凄ぉ、と囁きながら作業を覗き込むマシーネへは自慢げに鼻を鳴らし、ベッケ夫人は少女に上着を差し出した。

「追加の薪はつけといてやる。今度払いに来い」

「うん、来る。明後日でいい?」

「四本だ」

「大丈夫。神様にかけて必ず」

 それで用は済んだとばかり、ベッケ夫人は番台に戻る。その一瞬の視線を追い、少女は上着を吊ってポンプへ走った。

「手伝う」

 マシーネの籠の洗濯物は本当に僅かで、湯も残りがあり、二人がかりだとすぐに済んだ。排水して道具を片付け、重くなった籠を抱える。昼が近く、編み物をしていたベッケ夫人もかまどの火を消しに立ち上がる。

「今日はありがとう。とても助かった」

 相変わらず興味の薄そうな面持ちではあるが、少女は丁寧に礼を述べた。

「その……嬉しかった。この街の人は親切ね」

「そうでもないわよ。よそ者に慣れてるだけね」

 少女は影のある笑い方をした。傭兵団の下働きなど、嫌われ者の代名詞である。顔なじみばかりの村落を訪れて用を足すのは苦労するだろう。それに比べれば、確かに大都市は手ぬるいのかもしれない。

「私、リーゼル。リーリって呼んで」

 やや子どもっぽい愛称に思われるが、探している兄がそう呼んでいたためだろうとマシーネは想像する。

「そう、じゃハンスは、ヘンゼルって呼ばれてたのかな」

「そうでもなかったわ」

 リーリはやっと少し笑った。

「マシーネよ。また困ったことがあったら呼んで」

「聞いたことがある。占い師さんって本当?」

「本当。だから、占うんだったらお代は頂戴するわよ」

「じゃあまたいつか。その……」

 リーリは視線をさまよわせた。何かを言いたげに唇を開いては閉じ、マシーネ、ベッケ夫人、それから流し場の向こうの河畔を見遣り、俯く。やっと嬉しそうに和らいだ頬を固くして伏せた瞳は、悲しげですらある。

「どうしたの?」

 リーリは静かに首を振る。

「……ううん。本当にありがとう。あなたにも感謝を、奥様」

 ベッケ夫人はじろりと横目でリーリを見た。顔に出さないようにしたつもりのようだが、驚いたのがマシーネには分かる。

 リーリは手を振り、急がなきゃ、と走って去って行った。マシーネは番台の側で手を振って見送る。

「ここで商売するな」

「しないのよ。実はちょっと、調子悪くって。今のはお愛想なの。依頼されたら答えられないとこだったわ」

「関係ない。商売の話をするな」

「うん、そうね。もうしないわ」

 ベッケ夫人にじゃあと挨拶をして、マシーネも公共洗濯場を出る。帰路にはつかない。河畔を歩く。

「参ったわね」

 マシーネは首をひねる。

 マシーネの力はまさに音である。過去はすでになく、未来はいまだなく、近づかなければ聞こえない。

 マシーネは自らの聴力に疑いを持ったことがなかった。それが、聞こえていない不安に苛まれている。

「あの坊主どもの音は聞こえるんだけどなあ……あら?」

 ふと予兆を感じて、マシーネは顔を上げた。何か、あるいは誰かの歯車が噛み合ったのだ。

 こめかみに手をあてて耳を澄ます。そのまま周囲を伺う。近くない。大聖堂、旧市街正門、もっと遠く……

 それが今噛み合ったものか、これまでも鳴っていた音が今になって聞こえ始めたのか、今の彼女には判別がつかない。

「西……?」


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