1
占い師マシーネに会いたいなら、小路の手前や辻の角に、椅子を借りてのんびり座っているのを探す。大抵は顔馴染みの婦人方と、編み物や軽い手仕事をしながらお喋りをして、助言を求める客を待っている。おおっぴらには商売しないが、市庁舎広場で散歩しているのを呼び止めても、軽い啓示ならくれないではない。
賑やかな場所にいない時は、静かな場所に行くといい。外壁の側、定期便が出たばかりの馬車駅。それから、市を割って流れるロイムス河のほとり。
河畔には雪が積もり、橋の袂で遊ぶ子もなく、鳥のつがいが、それも向こうへ行ってしまった。河の流れる水音だけが少し、規則正しく聞こえる。
河向こうにはマリーエン教会の尖塔が遠景に見える。振り返れば大聖堂。鳥も飛ばない、寒々とした曇り空だが、雪に洗われて空気は清々しい。
いずれあれらの鐘でも鳴れば破られる、薄い静寂に過ぎないが、それでも静かだ。
こうした場所でなければ聞こえない音が、彼女にはある。
世界の歯車の音を聞く占い師マシーネは、都市にいる人間全ての音を聞いている。
だから、喧しい場所では誰もがそうなるように、マシーネも必要な音にだけ耳をそばだてて、不要な音は聞き流している。そもそも耳に入ってこない音も、いや、入ってこない音のほうが多い。彼女自身から音を探す際には、静かな場所を選ばなければならないのだ。
河畔は心地よい風もあって、マシーネの気に入りの場所だった。しかし、今日この時にこの場所を選んだのは、気まぐれではない。自らの歯車の音を聞いたからだ。
散策をするまでもなく、マシーネは自らの歯車に噛み合った音の主を探し出す。神から与えられる音だけでなく、人間が自らたてる音も、かすかに聞こえてくる。
水の音と、桶の音。市の住民が使う共同洗濯場は旧市街側の河畔に設えられてあって、そこから湯を沸かす細い煙が上がっている。
マシーネが覗くと、洗濯場の入り口にはいつも通り番人が座っていて、籠を抱えるマシーネの姿を認めた。
「ベッケさんこんにちは」
ベッケ夫人はああとぞんざいな返事を寄越す。番人が務まる人だから、愛想などない。だが、丁寧に掃除をして帰る子や、病気の家族を世話する子などは正確に覚えていて、ほんの少しだけ親切にする。
夫人は編み物を続けながら、マシーネの抱える籠を一瞥した。
「今日は少ないね」
「母さんと二人分だもの、すぐ済むわ」
「母親はどうだい」
「最近は調子いいのよ」
「そうかい」
マシーネの母が寝込みがちなのも、どこから聞いたものか知っていて、稀に様子を訊ねてくる。短い返事をするだけだが、ちゃんと次の機会まで覚えている。
そのベッケ夫人が、洗濯場の奥へちらっと視線を向けた。
少女が一人、洗濯桶に湯を注いでいる。上背があって華奢な婦人にも見えるが、まだ幼い少女に過ぎないと、募兵団を見た者なら誰でも知っている。
夫人はすぐに手元の仕事へ視線を戻したが、マシーネはそれで、番人にとっては気がかりな客なのだと理解する。洗濯場が悪事の舞台にならないよう、柄の悪い子を追い出したりと、番人は客の様子に目を光らせるのだ。
マシーネが近づくと、少女はちょうど桶から洗濯物を上げるところだった。寒風にも汗をかいている。そして、今日は素朴なくちなし色の服を着ている。
「こんにちは」
マシーネは何気なさそうに装ったつもりだったが、少女は細い肩を強ばらせた。それでも、口もとだけで微かな会釈をした。
「今日は楽器はしないのね?」
「あ……うん」
少女は細面の口もとも緊張させたが、一応の返事をした。募兵団と知られて、警戒しているのだ。
その手元には、彼女自身のものらしい下着と、まだ濡れていない軍服の上着があった。
「ちょっと頑固そうな汚れね」
軍服の首元から腹まで、黒くなってもなお血と分かる染みが、その勢いの名残を示して拡がっていた。
「またこれは、ぶちまけたわね……」
マシーネが半ば茶化してそう言うと、少女はマシーネに顔を向けた。恐る恐るという体だが、目は真剣だ。
「どうしたらいいか分からないの。石けんとか、あるかしら。あったら貸して欲しい」
「石けんは、ないわ、さすがに」
そうよね、と少女は呟いた。石けんは貴族が贈り物にするほどの高級品で、しかも、戦のために街に入らなくなっている。
「それにこれ、毛織物でしょう。羊毛は洗っちゃだめなのよ」
「そうなの?」
「確かそう、形が変わるのよ。煮洗いもいけないんだったかな。麻とは全然違って注意がいるの」
「そう……返さないといけないのに……」
少女は見る間に小さくなった。それほど落胆することなのだ。
「それは困ったわね。返すって、あの、笛の上手な隊長さんに?」
「ううん、ユッタじゃないわ。本隊……補給とか、書状とか送ってくるところ」
「うそ。世知辛っ」
マシーネがべっと舌を出すと、それは彼女の本音を代弁していたのか、少女も少し、表情を緩めた。
「いつもなら、野営の焚き火から灰を取ってくるんだけど、今は宿にいるから、もらって来られなかったの」
「曹達ね。私も使うわ」
ゾーダ、と少女は繰り返した。
「そういえば、ユッタがそう言ってた……」
「そう。それでね、羊毛の肩掛けを洗って、半分に縮んだことがあるわ」
「え。……それで、どうしたの」
「どうにもならなかったから、切り抜いて、縫って、靴下にしたわ」
少女はふっと噴き出した。それでマシーネも少し安堵する。
「固かったわあ。その軍服がそうなったら、困るんでしょ?」
「うん、困る。どうしたらいいのかな」
「普通は、軽く水に浸けるんだけど、血のりじゃねえ……」
すると番台からベッケ夫人が出てきて、無言で軍服を手に取った。何度か傾けて検分し、裏地の汚れも確かめると、洗い場のさらに奥の流し場を指さした。
「流水にさらしてブラシで叩け。裏にその、下着のうち、どれか古いのを敷いて、汚れを吸わせろ」
「ベッケさん、それじゃこの子、下着なくなっちゃう」
「知らん。古布を敷かなきゃ、背中が汚れるぞ」
「あ、そっか」
マシーネは案じたが、少女は迷わず下着をひとつ選び、軍服の腹に入れた。そしてブラシを握り、流し場に屈み込む。
マシーネがポンプの柄を押す。ありがと、と短く言いながら、流れてくる水に上着をさらし、少女はブラシを細かく上下に動かした。
「ええと……外から、内に……」
「よく分かってる」




