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セシルはなるべく歌を心がけている。朝課、夕課、夜には静かに。
聖堂の開放時間にセシルが歌うと、聞きに来る者がある。集まった人々には声を掛ける。それで、街の人々がどのような気持ちで過ごしているのか、知ることができる。
一昨年、そうして歌を聴きに来る者が増えた。合戦があり、生き残りが逃げてきたからだ。
この人々が落ち着く先を見つけ、あるいは見つけられずに去り、聖マリーエン教会に来なくなるよりも早く、昨年の秋にまた聴衆が増えた。南下するプロテスタント軍に追われた人々が逃げてきたからだ。
この人々の様子を見て、セシルはその日の歌を決めることもある。暗い歌を歌うと啜り泣くものがあるから、わざと明るい歌を選ぶこともある。そうこうしているうちに、少しずつ、集まる人数が減っていく。
それが先日から再び増えている。避難民はない。だが、募兵隊が来た。その姿を見て迷うものが、足を止めて集まってきている。少年たちが数人集まり、おどおどと脱いだ帽子を握りしめてやって来ているのが、その迷う者たちだ。
説教台で礼拝の文句とアーメンを唱え、台を降りたら声をかけようと思っていたら、いつの間にかキュリルが少年たちの長椅子に座っていて、せっせと何事か話しかけていた。
低い長椅子に大股を開いて腰掛けて、前屈みにくだけた雰囲気を出している。大きな笑顔に、手元だけ大きな身振り。近くに座る者だけに伝わる動き。
説教中の私語を司祭のほうから振るなど不届きではあるが、他の聴衆にも、向かい合うセシルにすら気づかせないところには彼の意思がある。
セシルは説教を終えると一度控え室へ戻り、僅かに届くキュリルの声の調子を聞いて聖堂へ戻った。狙い通り、少年たちが帰ろうと司祭に挨拶をするところだ。
「司祭さま、さようなら」
セシルにも挨拶をする少年たちは、来た時と打って変わって、安心して明るい顔をしている。
「ええ、またいらして下さいね」
はぁい、と幼い声で少年たちは笑い、椅子の列を離れる。その背をキュリルが気軽そうに叩いた。
「テオ。エーミール。ライノ。モーリー。来週も来いよ」
すると少年たちは、えー、うわー、などと親密な反抗心を砕けた笑顔に乗せた。
「何だよそう呼んでるじゃないか。またなぁ」
悪童じみてにやっと笑いながら、少年たちは肩を組んで聖堂を出て行く。
「もう仲良くなったんですか」
「な訳ねーだろ」
少年たちが見えなくなるまで手を振り、見えなくなっても名残のように手を挙げたままのキュリルは、セシルを見ずに答えた。
「けどもう一度くらいは来てくれるかもしれん」
「やはり、ノルフェルトの避難民ですか」
「ライナーって子だけトーアシュテットだとよ」
司祭たちの頭には、信者たちの顔と素性が一通り入っている。グロッケンシュタット内の、特にマリーエン教会地区近隣で生まれ育った者は当然として、移り住んだ者でも定期的に礼拝に訪れる者は皆判別がつく。
子どもや若い人々で顔が分かる者は、親が礼拝に連れてきている、あるいは連れてきていた者たちだ。だから、司祭たちが始めて見る少年たちは、移動してきた者で、かつ、親やそれに当たる養い手がいない者なのだ。
「この地区の子でしたか?」
「いや、あいつらこないだから荷車屋で人足してんだよ。大抵あの四人でつるんでさ。何か見ない顔がいるなーって思ってたら礼拝来たって感じ」
「荷車屋とは、黒猫亭?」
「そ」
「あの辺りは貸し部屋が多いですが……いつの間に。もう越してきているのでしょうか」
キュリルはようやくセシルを見下ろして、したり顔で冷やかすように笑った。
「お前さんもまだまだねぇ」
「ええ、お恥ずかしい」
「ああいう子らにいきなりお前さんじゃ無理よ。逃げちまわぁ」
はい、と小さくセシルは肯う。
若い人々が仲間ばかりと付き合い、閉鎖的なのは、いつ誰から搾取されるか分からないと警戒しているからだ。
しかし一方で、確かな食い扶持と、旨そうな撒き餌との区別がつかない。それが幼さで、驚くほどつまらない嘘に心を開いたりする。例えば、傭兵稼業のあかつきには金貨が支払われ、農地が与えられる、とか。
それで司祭の出番になる。悪巧みに怯えていながら、悪巧みに近いところにいる若者に、目を光らせなければならない。
そうした所に、キュリルは分け入って行けるのだ。
「軍に入る気があるかまでは聞けなかった。けどあいつら、俺の顔知ってやがるのよ。あ、あの歌ウマ司祭って」
「……先日の独唱会?」
「飛び入りがいて独唱じゃなかったがな、そういうこった」
「募兵に興味がある訳ですね」
そもそもキュリルが第一の飛び入りだったことには、セシルは触れない。
「なあセシル、あの募兵団は本物なのか?」
「皇帝軍の印璽が偽物で、司教が黙っていることはあり得ません。入市している以上は本物です」
「すげえ上手な贋作とか?」
「司教を騙せる偽物を作る人物なら、本物に長く触れているはずです。わざわざ虚偽の募兵をする必要はないでしょう」
「そっか……んじゃ、あの胡散臭ぇ奴ら、あれでもマジでオルドナンツの部隊張ってやがるんだ……」
「大層な軍でも、一兵卒は立って走るだけですよ……」
「ん? そうなん?」
セシルは思わずという体で口もとを押さえた。
農村出身で十になる前に出家したキュリルは、軍隊の構成について深くを知らない。憧れという気分ではないのだろうが、まるで少年たちが思うのと同じようにして、ぼんやりした想像のまま思いを馳せている。
それで、軍隊について基本の教育を受けたセシルは、思わず自嘲のような呟きを溢してしまったのだ。
「いえ、……いや、そうです。訓練の行き届いた隊というのは稀で、要衝にしか置きませんし、そういうのは募兵なんてしません。軍人に精鋭をつけさせるんです」
「行ってみたら夜盗団ってことはなさそうだが、やることはあんま変わんないってことね」
キュリルは立ったまま、頭の後ろで手を組んだ。
「そんじゃあ、食い扶持のために出兵するっていう奴を引き留める訳にいかんわなぁ」
「いえ、十分に成熟していない若者を振り回すのは賛成しません」
「お、司祭っぽい」
真似していい? とキュリルが聞くので、セシルはどうぞと、顔だけは真面目に答える。
「あの少年たちにも伝えておいて下さい」
「言う機会がありゃいいけどなぁ」
キュリルは控え室に戻るらしく、踵を返しながら言う。
「あいつら、お前さんが心配そうに、チラチラ自分たちを見てたのは気がついてるから」
「……そうでしたか」
「テキトーに無視されても声だけは掛けるんだぞ。教会のことを忘れさせるな。いざって時にゃここを思い出すように」
セシルは口を噤む。
昔、教会は聖所であり、これを侵犯してはならなかった。教会に逃げ込み、匿われた者は救済されるべきであり、それを追う者は非難された。キリスト教徒が異教徒を嫌ってきたのは、この掟が共有されなかったせいもある。
その原則を、互いにキリスト教を名乗り合うこの戦いが変えてしまった。
プロテスタントがカトリックを、カトリックがプロテスタントを異教だと呼ぶのは体裁にすぎないと本当は誰でも知っている。互いに改宗もするし、前世紀から法にもなっている。それを無視するのは、無視をすると利益のある者だ。
だが、その者たちが町を、教会を焼くのである。焼いたら奪って殺すのである。
教会を頼るよう勧めるには、自分自身に守る気がなければできない。それは、銃前に盾となる覚悟がなければならないということだ。
キュリルは頭を掻く。
「踏み込みすぎてもいかんのだけどな。俺なんか、しょっちゅうやりすぎて、嫌われる」




