078話 イルアンへ
今年の雨期。
ルーン川とグラント川の上流に大雨が降ったが堤防は持ちこたえ、水龍の呪いに拡大することは免れた。
黒森周辺にも水龍の呪い級の大雨が降った。
だが黒森周辺には雨水を排水する川が無いため、水がその場にとどまり、黒森が浸水林と化した。
黒森に住む大量の魔物が死に、生き残った物も飢餓状態に陥った。
そして喰らい合い、死んだ。
死骸が溜まり、死骸から抜け出た魔力が溜まり、原始ダンジョンが産声を上げた。
結果的に黒森で『蠱毒』をやった挙げ句に生まれたダンジョンなので、かなり強い魔物を生み出すダンジョンとなった。
領内各地の収穫を領都へ運び、そして国内各地や外国へ出荷している頃、黒森の原始ダンジョンは徐々に進化を始めた。
付近に人が住んでいないため、誰も気付かず、調査もされなかった。
観察していたのはアイシャの手の者だけだった。
そしてアイシャから情報をもらったビトー一行がダンジョンに侵入し、原始ダンジョンを刺激して変化を促した。
原始ダンジョンは急速に通常のダンジョンへ進化するべく変化を始めると共に、地中深く深化を始めた。
ようやく原始ダンジョンは安定化に向けて足を踏み出した。
だが、本格的に安定化に向かう前に一騒動あった。
◇ ◇ ◇ ◇
ウォルフガングはジークフリードを連れて、連日ハーフォードの冒険者ギルドに通っている。
原始ダンジョンの管理と監視について、領内の冒険者だけでどこまで出来るか、騎士団の応援はどこまで可能か、どのような設備が必要か、どのような装備が必要か、そして今現在どこまで準備できるかを確認している。
そして確認の最中。
イルアン近郊で魔物の目撃例が増え始めた。
魔物の種類はスケルトン、ゴブリン。
スケルトンはともかく、いままでゴブリンを見たという情報は無かった。
ダンジョンが変化を始めている可能性が高い。
ハーフォードの冒険者ギルドは、比較的若く、そして体力に自信のあるE級冒険者で構成されたD級の3パーティ「大角」「金剛」「鮮烈」をイルアンへ派遣し、最新情報を得ることにした。
もしかすると原始ダンジョンに変化があるかも知れないが、潜る必要は無い。
というか、絶対に潜ってはいけない。
いや、近づく必要も無い。
イルアン周辺の偵察だけだ。
魔物を見つけても無理に戦う必要も無い。
そう言い含めて送り出した。
1週間後。
帰ってきたパーティは「大角」だけだった。
顔色の無くなった「大角」のリーダーが、ジュード、騎士団長、ウォルフガング、ジークフリードの前で震えながら報告した。
「ギルド長・・・ すまねえ」
「色気を出したんだ」
「俺たちも『金剛』も『鮮烈』も、ホーンラビットやスライムやイナゴは倒した経験はある」
「スケルトンは脅威度Eだ。ホーンラビットもEだ。ゴブリンなんかFだ」
「大丈夫だと思った」
「・・・思ったんだ」
「最初はゴブリンがウロウロしているのを見た」
「どうと言うことはねえ。簡単に討伐した」
「何匹も討伐した」
「次に見たのはスケルトンだった」
「スケルトンはイルアンのすぐ近くで見つけた。 3体だった」
「こんなに村のすぐ近くにいるのか、と思った」
「こりゃ退治しておかねえと村もやばいんじゃ無いかって・・・」
「すまねえ。 それが色気だったんだ」
「素直に村の城壁頼みで倒せば良かったんだ」
「俺たちは3パーティ。15名だ」
「15名で3体のスケルトンを囲めばなんとでもなる」
「そう思ったんだ」
しばらく次の言葉が出てこなかった。
「もう一体隠れていたんだ」
「スケルトンナイトだった。脅威度Dだった」
「スケルトンナイトは背後から現れて『鮮烈』のリーダーを一刀で倒した・・・ 声を掛けるまでもなかった・・・ 一目でもう駄目だとわかった」
次の言葉が出てくるまでずいぶん掛かった。
「そこで落ち着いて対処すれば、まだ14対4だった」
「だがメンバー全員がパニックになっちまって・・・」
「俺もだ・・・ メンバーと一緒にパニックになった・・・」
「そこを付け込まれた」
「スケルトンどもは隊列を組んできやがった」
「いままで魔物と集団戦を戦った経験なんて誰も持ってねえ」
「魔物がパーティを組むなんて聞いたこともねえ」
「あっという間に『金剛』の5人がやられちまった」
「やつら『金剛』の中の一番弱いメンバーを集中的に狙うんだ」
「そいつを庇おうとしたメンバーが次々にやられちまった・・・」
「『鮮烈』はもうバラバラに戦っているだけだった。それでもスケルトンを2体倒したんだ。たいしたもんだ」
「だが息が上がったところをスケルトンナイトに倒されていった」
「最後は俺たちのメンバー2人がスケルトン1体を押さえ、残った3人でスケルトンナイトを倒して、その後スケルトンを倒した」
「あんな恐怖は初めてだ」
「ウチの一番弱いメンバーもなんとか連れ帰ったが、魔物に集中的に狙われる恐怖に怯えちまってる」
「もう使い物にならないかもしんねえ」
家に帰ってきたウォルフガングとジークフリードから報告を聞いて、暗澹たる気持ちになる。
これはメッサーダンジョンの初層の未踏破だったエリアと同じだ。
ホブゴブリンに率いられたゴブリンどもと集団戦を展開するエリア。
メッサーの初級冒険者達はウォルフガングとソフィーから「初級者だけでは絶対行くな」と釘を刺されていたエリア。
私も、メッサーの初級冒険者達も、手厚く守られていたんだなとしみじみ思う。
そしてダンジョンの魔物の狡猾さを知らず、若者を死地に赴かせてしまった冒険者ギルド長は辛い。
我々が前面に出るしか無いだろうな、と覚悟を決めた。
◇ ◇ ◇ ◇
公爵から招集が掛かった。
集まったのはいつぞやと同じ。
公爵、公爵夫人、ジェームス子爵、バーナード騎士団長、ジュード、ウォルフガング、ソフィー、そして私だった。
会議が始まる前。
いきなり珍事が起こった。
何の前触れも無く、突然ジェームス子爵が狂った。
「そこの女、私の妾になれ」
ソフィーに対し、本当にそう言った。
あれっ?
こいつ、ソフィーは私の妻だと聞いていなかったのか?
「子爵様。申し遅れましたが彼女は私の妻でございます」
「そ・れ・が・ど・う・し・た」
私の方に身を乗り出し、一語一語区切るように、これ以上無いほどの敵意を剥き出しにして言った。
この既視感、何だろう?
ああ、メッサーの冒険者ギルドで余所者の冒険者に装備を強奪されかけた時か。
はたまたメッサーダンジョン内のホブゴブリン君と対峙した時か。
では子爵だろうが情け無用。
私はゆっくりと立ち上がり、半眼で子爵を鑑定しつつ、子爵の胃・小腸・大腸・結腸・肛門を明確にイメージしつつ、無詠唱で、最大出力で、デ・ヒールをぶちかました。
ウォルフガングとソフィーは私が何をしたのかすぐにわかったようだ。
だが何も言わなかった。
デ・ヒールの良さは、周囲は私が何をしているのかわからないこと。
ウォルフガングとソフィー以外の人は、私が黙って子爵を睨んでいると思っていることだろう。
私は奴が謝罪しなかったら、このメンバーの目の前で下痢をぶちまけ、ゲロをぶちまけるまでデ・ヒールを掛け続けるつもりでいた。
トイレに駆け込むなど許す気は無かった。
だが、公爵と公爵夫人が動いた。
公爵は
「ジェームス、お前は呼んでいない。出て行きなさい」
そう言った。
公爵夫人は無言で子爵の顔面を平手打ちした。
タイミングが悪い。
いや、逆か。
グッドタイミングか。
公爵夫人に平手打ちされた子爵は床に倒れ、そのまま床を転げ回りながらゲロを噴出し始めた。
その臭いから、酒を大量に飲んでいたことが知れた。
嘔吐の発作はしばらく続いた。
出る物が出切って嘔吐の発作が治まり、子爵が丸まって震え始めた頃。
別の異音とともに異臭が漂い始めた。
まあ、そうなるよね。
子爵のスラックスは股間から足首まで変色していた。
しばらくの間、子爵は盛大に炸裂音を発しながら、粘度の低いものを排泄し続けていた。
もう一度言うが、ウォルフガングとソフィーは何が起きたのかわかっている。
でも黙って無表情に見ている。
やがてここにいる全員が、子爵に何が起きたのかわかり始めた頃、子爵はむせび泣きし始めた。
まあ、若禿の “こどおじ” が、昼間っから酒かっ喰らって、ゲロ吐いて大を漏らしていたら、周囲の大人は引く。
公爵が呼び鈴の紐を鋭く2回引いた。
決められた合図なのだろう。
護衛騎士、召使いが大勢馳せ参じた。
公爵は子爵ごと部屋を片付けるよう命じた。
窓を開け放っても悪臭が消えないので部屋を変えた。
(あの臭いは取れないんだ・・・)
公爵と公爵夫人は私とソフィーの許しを得たいと言われた。
「前回の会合のとき、御方様は皆の前でわざわざお立ちになり、私めに歓迎の意を表して下さりました。お言葉まで掛けて下さりました」
「閣下と御方様に落ち度はございませぬ。子爵様がお気付きにならなかっただけでございましょう」
ソフィーは公爵夫人の行動一つ一つに言及して感謝し、謝罪には及ばぬと言った。
しかしお二方はどうしてもとおっしゃられた。
結局押しきられ、
「恐悦至極で御座いますが・・・」
「口の端に上らせることも畏れ多いことながら・・・」
と幾重にも断ってからお許しした。
私はウォルフガングとソフィーに言った。
閣下と御方様の願いを断るわけにはいかない。
出来ないことをしろとは言わないが、可能な限り公爵家の意向に沿う。
公爵より頼まれたこと。
大意では「領地の治安維持に寄与して欲しい」。
狭義では「ダンジョンの面倒を頼む」。
そこで我々の計画を説明した。
(ウォルフガングは準備していた)
最終目標として「冒険者ギルド・イルアン支部」の立ち上げと安定運用を視野に入れつつ、ダンジョンを常時監視し、必要なインフラ構築を前倒しで行う。
まずは我々の活動拠点をハーフォードからイルアンに移し、常時イルアン郊外の魔物の間引きを行える体制とする。
それに伴い、ハーフォードで拝領した屋敷は返上する。
次にハーフォードの冒険者たちで魔物の間引きを出来るようになる必要がある。
しかし、領内はすぐに果実の収穫時期を迎える。
年貢を運ぶ護衛任務のため、冒険者は出払うことになる。
そこでしばらくは我々で魔物の間引きと原始ダンジョンの監視を行う。
手に余りそうな時やスタンピードの兆候が見られた時は、騎士団の力をお借りする。
この間に、冒険者ギルド・イルアン支部を立ち上げる準備をしていく。
我々の計画は了承された。
私は準男爵としての立場はそのままに、イルアンの治安維持を命ぜられた。
そしてイルアンにおける衣食住は用意されることになった。
さすがに公爵夫人もソフィーに対し、領都にとどまるようにとは言わなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
スティールズ家はイルアンへ移った。
季節は初冬。
ハーフォード公爵領は「わりと南国」だが、朝晩だけで無く、そろそろ昼間も寒くなる季節になった。
公爵夫人より、ハウスキーパー、シェフ、メイド2名はそのまま連れて行ってよいと言われたが、ハーフォードとイルアンではあまりにも条件が違いすぎるので(都会と田舎、安全と危険)彼女らに申し訳ない。
そこで一端契約を解除してもらった。
私の年俸は3倍(大白金貨3枚(年俸3億円相当))に加増された。
イルアンに新たな拠点を拝領し、引っ越しした。
非常食やら服やら武器やら防具やらなんやらの荷物は、全て私の背負い袋に放り込んで運んだ。
今のイルアンには貴族は一人も住んでいないが、かつては王の代官がいた。
その屋敷を拝領した。
敷地1000坪、建屋200坪(と思う)。
平屋建て風呂3つ付き15LDK。一部2階あり。
ハーフォードで拝領していた屋敷より更に大きい。
部屋が広すぎて暖まらない。寒い。
この途方もない屋敷を誰が管理する?
誰が掃除する?
マーラー商会のアンナに頼んで、商会の息の掛かった者を派遣してもらった。
女性で、なるべく胆力のある人。
腕に覚えのある人大歓迎。
そう頼んだら、妙齢の女性が4人きた。
ハウスキーパー:マリアン(30代前半)
シェフ :マルティナ(20代前半)
メイド :ミカエラ、メリンダ(10代後半)
彼女らの人件費もマーラー商会で持つと言われたが、それは賄賂に当たらないか?
私とアンナの間でちょっと揉めた。
アンナは、
・この派遣は商会内の研修(武者修行)の扱い
・彼女らをスティールズ家に譲渡する気は無く、必ず商会に戻す
・修行があるレベルまで達したら、別の若手と入れ替える
・その際、スティールズ家で見聞したノウハウと共に戻す
だから人件費は勉強代と相殺にして欲しい。
ただし、光熱費、飲食費は出して欲しい。
私が折れた。
彼女らの着任の挨拶を受けた時。
「見目麗しき女性にこのような辺境の危険な村に来て頂いて申し訳ない。皆さんの安全は絶対に守るが、イザというときは遠慮無く逃げるように」
という趣旨の挨拶をしたら、猛抗議された。
我々は精鋭だ。
ここが戦場とわかって来ている。
ここには商機があるから志願して来たのだ。
イルアンには何もないので、衣類だけで無く、武器や装備も全てマーラー商会で面倒を見させてもらう。
その代わり新たなアイデアやノウハウを独占させろ、誰にも知られていない最新の情報を独占させろ、と。
商魂逞しき方々だった。
マーラー商会は民間軍事会社でも始める気かな?




