058話 雨期
私は公爵の館の一室に拠点を与えられた。
公爵夫人とマチルダ嬢を解呪していたときに詰めていた部屋だ。
公爵から頂戴した革財布を検めた。
公爵家の紋章入り。
見せる相手を選ぶ財布だ。
下手すると盗んできたと思われる。
中身は白金貨10枚、大金貨10枚。
日本円換算で1億と1千万円。
1億は超級ポーションの御代。1千万は私への報酬だと思う。
使いどころを間違えるなよ。
そう自分に言い聞かせた。
◇ ◇ ◇ ◇
公爵と公爵夫人の依頼はこうだった。
公爵家も過去の記録を調べていた。
レッドアイの目撃情報およびストライプドディアーなど領内の草食魔物の目撃情報を勘案すると、水龍の呪いが発生する確率は半々だそうだ。
ジュードには古老を訪ねるよう指示したが、その結果に関係なく、打てる手は全て打つ。
スティーブンソンに指示したこともその一つ。年貢の前倒しだ。
水龍の呪い後に発生するだろう、食い詰め魔物のスタンピード対策は優先して行う。
だが、ハミルトン村の橋対策は妙案がない。
おそらくだが、掛け替えても流されるだろう。
そのぐらい水龍の呪いは激しい。
公爵夫人が後を引き継いで話した。
「兄の報告を聞いたとき、怒りました。『今頃になって、あなたに出来ることはあるのですか?』と面罵致しました」
「御方様・・・」
「良いのです。兄はそのくらいの過ちを犯したのです」
いえ・・・ それは私の耳に入れて欲しくなかったのですが・・・
「ですが兄が言うのです。水龍の呪いの期間中、あなたにハミルトン村にいて欲しいと。それがハミルトン村にとって最善のことだ、と」
「それは・・・」
「兄は、あなたなら何かに気付いてくれる、解決の糸口を見つけてくれる、と信じています」
さて。
え~~~~。
働かせて欲しいと言ったな。私。
せ○だな。
「御下命。承りました」
私は異世界で期間工に就職しました。
今後の公爵家の大まかな予定を確認した。
公爵と子爵はキャンペーン対応で領内を飛び回る。
回りながら水龍の呪いの気配を探り、領都に情報を集める。
公爵夫人は領都を動かず、頭脳になる。
2人の御令嬢は領都で公爵夫人の手足となる。
公爵夫人から予備費について打診されたが、現時点では不要と答えた。
「キャンペーン対応でかなり取り崩されるはずでございます。残る予備費は水龍の呪いの影響を鑑みて適宜投下されるよう、御方様が握り締めておいて下さいませ」
◇ ◇ ◇ ◇
商業ギルドに立ち寄って白金貨を1枚細かく両替した後、ハミルトン村に向けて出立した。
私とマロンの二人旅。
マロンには全ての情報を伝えてある。
どこまで理解しているかは不明だが、アウトラインは理解していると思う。
特に水龍の呪いと魔物の動向の関係性については、私より理解していそうだ。
今回も急ぐ旅なので走る。
途中1泊。野宿。
野宿の準備をしながら空を見上げると秋の空だった。
季節は夏が終わり、秋に入りかけ。
もしくは乾期が終わり、雨期に入ろうとしている、といった感じ。
こっちの世界にとばされて1年経ったのだな、としみじみした。
◇ ◇ ◇ ◇
ハミルトン村に着いた。
村全体が騒がしくなっている。
洪水対策に余念が無いようだ。
男爵の館へ行き、着任を報告した。
早速男爵と助役に捕まり、
「なんでも結構でございます。気になる点をご教授下され」
と拝まれたので、すぐに3人で川沿いへ行った。
「例年の雨期なら水は堤防を越えませんね?」
「越えません」
「その時水はどこまで来ますか?」
「堤防いっぱいに。今、河原になっているところは全て水に浸かります」
「水龍の呪いのときは、水は堤防を越えますか? それとも堤防が壊れる?」
「両方ありますが・・・ 助役、どうだろう?」
「はい。堤防が壊れて水があふれ出すケースが多いです」
「堤防が壊れる箇所は、だいたい決まっていますか?」
「えっ・・・」
男爵と助役の相談が長引きそうだったので、聞いてみた。
「あの流れが曲がっている場所。あのあたりが壊れることはありませんか?」
「どうしてそれを・・・」
「決壊するところって大体決まってきます。あそこは川の流れと堤防が近いです。水の流れが直接堤防に当たると堤防を削り始めるでしょう」
また男爵と助役が相談した後、恐る恐る聞いてきた。
「堤防を補強するのですか?」
「いや・・・ 今からでは無理でしょう」
そういうとホッとされていた。
「水の流れをやわらげたいと思います」
「やわらげる?」
「はい。流木は集まっているでしょうか?」
「ええ。かなり集まりました」
「人足はいますか?」
「はい。村人は動員可能ですが・・・」
「では・・・」
治水と言えば信玄先生だ。
「聖牛」について、絵を描いて説明した。
流木を使って河原に巨大な三角錐を作り、杭、石、土で補強して河原に固定する。
高さ2mは欲しい。
壊れても構わないが、簡単に流されてはいけない。
基礎は頑丈に作って欲しい。
「大きなものですね」
「はい」
「河原に設置するので?」
「はい」
「設置場所はココとココとココ?」
「はい」
「3つも?」
「はい。最低3基は欲しいです」
「何のために・・・?」
「河原に上ってきた水をこれにぶつけます。まあ、勝手にぶつかるんですが。
水の勢いが緩やかになるんですよ。
ああ、流木もこれにぶつけます。これにぶつけることで堤防を守ります」
「はあ・・・ 壊れそうですね」
「いいんですよ。これが壊れて堤防が壊れなければ成功です」
「そういうものですか」
「そういうものです」
「そうですか・・・ 大変申し上げにくいのですが」
「日当ですか?」
「・・・はい」
「1日雇って一人銀貨1枚でしょうか」
「はい。しかしお恥ずかしいのですが・・・」
「日当は私にお任せ下さい」
「まさか予備予算を!」
「ええ、まあそんなもんです」
「直ちに!」
以前から気になっていたことを聞いた。
川沿いに点々とある耕作放棄地だ。
「あれはなんですか?」
「耕作放棄地なんです」
「なぜ放棄を?」
「お恥ずかしい話です。前々回の水龍の呪いで水を被りました。その水が引かずに湿地になってしまい、耕作不適地にしてしまいました」
「水が引かないということは土地が低い?」
「さようでございます」
「大水の時、あそこに水を入れても良いですか?」
「水を入れるとは?」
「堤防が決壊する前に、あそこに水を引いて川の水位を下げるんです」
「どうやって引くのです?」
「堤防に隙間を作るんです」
ちょっとすったもんだがあった。
そりゃ初めて聞いたらびっくりするよね。
意図的に堤防に隙間を作るなんて。
これは江戸時代に考案された『中条堤』だ。
もちろん堤防を真横に切ったり、流れを受け入れる角度で切ってはいけない。
逆流しながら穏やかに水が入ってくるように切るのだ。
水が引くときも、溜まった水を払い出しやすい。
男爵も助役も混乱の極みだったが、絵を描いて、予想される水の流れを描いて見せ、理屈はわかったようだ。
だが実感できないらしい。
私も実際に機能しているところを見たことはない。
男爵から提案があった。
雨期の前に麦の収穫をしなければならない。
残念ながら、収穫をしながら堤防工事のような大がかりな工事ができるほどの人員も時間も割くことができない。
聖牛は実行し、中条堤はお蔵入りになった。
ただし、イザと言うときのために決死隊を募り、堤防の上部を削って耕作放棄地へ水を引くための準備はすると言った。
男爵は収穫に専念して頂き、聖牛は助役と私で対応することにした。
人員は集まったが道具が足りない?
村の鍛冶屋に在庫は?
少量ならある?
全部押さえてください。
心配ご無用。カネならたんとあります。
まだまだ道具が足りない?
近隣の村々の在庫を押さえちゃってください。
多少割高でもかまいません。
カネならたんとあります。
収穫の最盛期で人員が足りない?
よろしい。近隣で人足を募ってください。
多少割高でもかまいません。押さえちゃってください。
カネならたんとあります。
◇ ◇ ◇ ◇
空が曇りがちになり、時折雨が落ちてくるころに収穫が終わった。
これから乾燥させ、計量し、年貢として納める。
聖牛はルーン川に4基、グラント川に5基完成していた。
当初の予定以上作ったのは、村人の情報で堤防が壊れそうな箇所が新たに洗い出されたためだ。
カネはと言うと、こちらの世界の人件費が恐ろしく安いため、公爵から頂戴した褒美は思ったほど減らなかった。
むしろ追加で買った鍬や鋤が高かった。
これでは農民の鍬・鋤の保有率が低いのもうなずける。
追加購入の鍬・鋤は、貧しい農民にくれてやろうと思ったが、助役に止められた。
血の滲むような思いをして自力で購入した農民に対し、配慮が必要とのこと。
これは私の配慮が足りなかった。
村の共有財産とし、有償で農民に貸し出すようにした。
◇ ◇ ◇ ◇
雨が降り始めた。
最初はさーっと降ってすぐに上がり、太陽が顔を出す、の繰り返しだった。
そのうち雨の時間が長くなった。
毎日雨が降る。
強く降ったり弱まったりする。リズムがあるようだ。
こんなもんかと思っていたら、男爵と助役が深刻な顔をしていた。
何があったのか聞いたところ、村人が魔物を見たという。
魔物はディアー系(鹿の一種)で凶暴では無いが、この近辺で見たということが問題らしい。
村の古老に話を聞くと、その魔物は豪雨の前兆を感じて避難する。
避難の途中でこの村を通過したと考えるのが妥当。
水龍の呪いが起きる確率は半々とのこと。
村人が魔物を見てから2日目。
完成した聖牛の検分を終えた後、私は村唯一の病院(と言われている民家)を訪れた。
慣れない聖牛設置で怪我をした村人のお見舞いに行った。
四方山話をしながら無詠唱で治癒して回ったのは秘密。
その日の午後。
ハミルトン村から見て北西の方角。
黒森のある方の空が大変なことになっている。
水の壁が見える。
北方、つまりルーン川とグラント川の上流からは微妙にズレている。
男爵が今日から終日(昼も夜も)川の見張りを置くという。
犠牲が出なければ良いのだが。
「このまま、このまま、何事も無く」
と念じながら寝る。
夜半。
雷鳴で目が覚めた。
外は集中豪雨。
何かが起きても助けに行けないなぁと思っていたが、あることに気付いた。
これほどの雨なら松明は消えてしまう。
だが光魔法「ライト」は消えない。
雨の中でテストしてみたが消えない。
今までずっと「使えない魔法」と思っていたが、使いどころがわかった。
満足してもう一度寝た。
翌朝。
雨はまだ降っているが、ピークは過ぎたようだ。
早朝から男爵の元に情報が入り始める。
・ルーン橋とグラント橋は落ちた
・2つの川の堤防は無事
・聖牛は1基壊れた
・水は村の中に少し溢れたが、耕作地は守られた
・耕作放棄地は水浸しとなったが、これは織り込み済み
男爵から、水が引き始めるタイミングで可能な限りの流木を確保するよう、指示を出してもらった。
橋が落ちたのでハーフォード公爵領の他の地方の情報が入ってこない。
みんな無事だと良いが。
◇ ◇ ◇ ◇
(ハミルトン男爵視点)
結局昨夜は一睡も出来なかった。
仕方なく、夜が明ける前から役場へ詰めた。
助役は当番だった。憔悴の跡が見える。
夜が明けきる前に、川を監視していた者から、川の水が引き始めたと連絡が入った。
助役と一緒に検分に出向いた。
報告通り、橋は橋脚を残し、跡形も無かった。
だが堤防は無事だった。
ビトー殿の指導で作らせた聖牛は1基破壊されており、土台だけになっていた。
それ以外の聖牛には大量のゴミと流木が絡みついている。
川を監視していた者から報告を聞く。
上流で監視していた者は興奮しながら聖牛の効果を報告した。
「凄かったです。巨大な流木がガツン、ガツンと何本もぶつかってきましたが、受け止めていました。あれが堤防に直接ぶつかったら堤防を壊していたでしょう。
最期はこわれてしまいましたが、2基目の聖牛が堤防を守ってました。
ほら、あそこに大量に溜まっている流木がそれです」
たしかに結構な量の流木が溜まっている。
一方下流で監視していた者はそれほどでは無いと報告した。
「特に変わったことは無かったです。聖牛の周りを水が回ってましたね。それでゴミがあの通りです」
ビトー殿は流れが緩やかになると言っていたが、それだろうか。
なにはともあれ被害が軽微で良かった。
ここからは私と助役の出番だ。
まず橋の復旧の準備。
ここでもビトー殿の提案があった。
「新たに架ける橋には手すりは付けないようにしましょう」
「危険じゃないですか?」
「その分、思い切り橋を広くしましょう。橋脚には余裕があるようですし」
「ええ?」
「壊れた聖牛を修理する分の流木はありますね?」
「ええ、いっぱいありますけど・・・」
「では橋にも融通して、橋を広くしましょう」
「なにか良いことがあるのですか?」
「手すりがあると水の抵抗を受けたりゴミや流木がぶつかったりして、橋が流されやすくなるんですよ」
「はあ・・・」
「もう少し雨期は続きますね? あと一度や二度は水を被ることを想定してですね・・・」
それからビトー殿は色々説明してくれたが、よくわからなかった。
“チンカバシ” とか謎の言葉が出たが、何のことだろう。
◇ ◇ ◇ ◇
雨は更に1ヶ月降り続け、その後、徐々に晴れている時間が長くなった。
ルーン川とグラント川の水位は上下動を繰り返し、時には溢れそうになったが、やがて徐々に下がり、落ち着きを取り戻した。
ハーフォード川はルーン川やグラント川が合流して水量が増えているが、バックウォーター現象を起こすこと無く、粛々と水を海へ流していた。
上流や中流ではそうでもないが、下流にいくと前の世界の堤防と肩を並べるほどの堤防がある。
ハーフォード公爵領の土木事業の予算の殆どは、ハーフォード川の堤防につぎ込まれているようだ。
領都から騎士団の魔法部隊が派遣されてきた。
ルーン橋とグラント橋の仮設架橋工事を行うという。
興味があったので工事を見ていた。
今の橋の状況は、橋桁は流されて無くなり、橋脚だけ残っている。
あの橋脚、頑丈だな。と思って聞いたところ、土魔法でガチガチに固め、鉄で周囲を囲み、また土魔法で固め・・・という奴を何層もしているらしい。
“まず” 壊れないという。
風魔法士がずらりと並び、息を合わせて流木を持ち上げ、橋脚に乗せていく。
壮大な手品を見ているようだ。
あっという間に橋脚の間に流木が並び、仮設橋が出来上がった。
流木の表面を荒く削ってほぼ平坦にし、土を乗せ、土魔法で固めて完成。
色は茶色だが、質感はコンクリート。
仮設と呼ぶにはもったいない橋が出来上がった。
ハミルトン男爵から騎士団にお願いしてもらい、手すり、欄干は要らないので、橋の幅を今までの倍ほどに広げてもらった。
騎士団から「本当にこれで良いのか?」と聞かれ、男爵では説明しきれなかった為、私が説明した。
沈下橋の利点を説明すると、一応騎士団長に納得してもらえた。
「私としてはこれで良いかどうか判断しかねます。領都に戻って判断を仰ぎますが、とりあえず今日は仮設ということで、これで良しとしましょう」
かなり強度の高い沈下橋が出来上がった。
このまま本設でいいんじゃないか?
男爵主催の騎士団慰労会が開催された。
今回の雨による領内の被害について、騎士団に聞いてみた。
「ハーフォード川は無事でしたか?」
「ああ。南部は問題無い。これまで力を入れてきた成果だな」
「堤防の嵩上げが進んでいたと伺いました」
「そうだ。ノースランビア大陸屈指の堤防だ。あれで手に負えなかったら領内全域水浸しさ」
「今年の雨期、どこが厳しかったのですか?」
「当初厳しいと思われていたのはここハミルトンだ。だが橋が流された以外は全くと言って良いほど被害が出ていないな。驚いたぞ」
ハミルトン男爵が嬉しそうだ。
だが次の騎士団長の言葉から、にわかに暗雲が立ちこめ始めた。
「今年の雨は黒森周辺が厳しかった。あのあたりには集落は無いので実害は無かったが、これから黒森の魔物どもがどんな動きを見せるか読めぬ」
「森の外に湧き出てくる可能性があるということですか?」
「そうだ。かなり離れているとは言え、黒森に近い村はここハミルトンとイルアンだ。当面は警戒しないといかんぞ」
「黒森からはどのような魔物が湧いて出てくるのですか?」
「確実に出てくるのはスライムだ。スライムは毎回必ず湧いて出る。問題はスライムの他に出てくる魔物だ」
「何が出るのですか?」
「それが読めないのだ。毎回違う魔物が出てくる。黒森にいつもいる魔物はレッドアイだ。だが大雨になるとレッドアイはいなくなる。前回はホーンドラビットが出た」
むう。
毎回出てくる魔物が異なると、対策は面倒だ。
迎え撃ち方が違うだろうからね。
宴会は恙なく終わり、翌朝騎士団は別の村落へ向かった。




