030話 災害級
フェリックスは躊躇うこと無くボス部屋の扉を開け、薄暗い部屋に入っていく。
部屋はかなり広い。
ちょっとした体育館並みの広さと天井の高さがある。
一番奥に祭壇のようなものがあり、御神体らしきものが鎮座している。
御神体に向かってフェリックスが歩いて行く。
不意に御神体が動いた!
半裸の女神像に見える。
女神だとしたら怖い。
でも動きが変。
神輿に乗っている?
どっちが正面だ?
え・・・
私、マロン、レイ、マキ、ユミの5人は固まったまま動けない。
自分の目が見ている光景を、頭が理解することを拒んでいる。
そんな感じ。
目の前の魔物をどれだけの人が知っているだろう。
生きている人の中で、自分の目で見たことのある人はどれだけいるだろう。
祭壇から異様になめらかに降りてくる魔物は、上半身は美しい裸の女。
しかしその下半身は巨大な蜘蛛!!
冒険者ギルドの資料を読んで知識だけはあった。
アラクネ。
脅威度A。
対処を誤れば国が滅ぶと言われる “災害級” の魔物。
そしてそんな知識など無くてもイヤでもわかる、恐ろしいほどの強者のオーラ。
神が造作を間違えたかのような外見。
なんという禍々しい生き物だろう。
魔物は祭壇から降りてくると、驚いたことににこやかな表情でフェリックスと抱擁して挨拶を交わした。
二人は知り合いらしい。
それから二人でボソボソと小声で話をしている。
かなり長い話をしている。
話の内容はわからない。そもそも人の言葉ではない。
人間組と犬一匹は微動だにせず、置物のように固まっている。
人間は大量の汗をかいている。
ユミが気を失いそうになったのでそっと支え、ゆっくりと座らせる。
レイとマキも座っても良いかと目で訴える。
座ったら逃げるときに不利だが、そもそも逃げ切れるような相手ではなかろう。
ええ、座りなさい。座っちまえ。
やがてフェリックスがこちらに戻ってくると、私の背負い袋から大きな干し肉の塊(牛肉2kg)を取り出し、魔物に渡した。
魔物はうれしそうだった。
魔物がこっちを見た。
白目部分の全くない真っ赤な目が私を見ている。
最高級のシャンプー&コンディショナーで洗いたてのように見える美しく長い髪が肩に流れている。
髪も真っ赤だ。
魔物はフェリックスとボソボソと何かを話している。
やがて魔物が微笑み、手招きした。
お・そ・ろ・し・い。
お近づきになりたくない。
過呼吸になりそうだ。
だが逃げるのはもっと怖い。
絶対に逃げ切れない確信がある。
そして一人逃げたらみんな死ぬ。
逃げて捕まって目と目が合ったら、発狂して死ぬ自信がある。
目を合わせないように、魔物の乳房のあたりを見ながらゆっくりと近づく。
ようやく挨拶できる距離まで近づくと、
「そんなに怖がらなくて良いのよ。なにも取って食おうという訳じゃないわ」
驚くほど柔らかな女性の声で話しかけられた。
全身の毛が逆立った。
魔物は「ふふっ」と薄笑いしながら手を伸ばして私の頬をなで、後頭部に手を回してそっと抱き寄せた。
極度の恐怖と緊張で、魔物の体温や匂いは全然わからなかった。
そして “彼女” の胸に抱き寄せられながら理解した。
この魔物は私を傷つけないように、女性らしい細やかな心遣いで、そっと私を抱き寄せた。
しかしそのしなやかな腕には恐るべき膂力が秘められている。
魔物がその気になら、私の後頭部を優しく撫でている指で私の頸椎を押し潰すことができる。
簡単にできる。
やがて解放されたが、その場でそっと跪き、左足のかかとを肛門に当て、必死に便意を堪えた。
下品な話で申し訳ない。それほど怖かったのだ。
フェリックスがいなかったら大小垂れ流し、発狂していたかも知れない。
「お初にお目に掛かります。私はビトー・スティールズと申します。人間族です。どうぞお見知りおきを」
「あら、礼儀正しいのね。私はコスピアジェというの。アラクネよ。よろしくね」
顎に指を這わされ、上を向かされた。
目と目が合った。
真っ赤な瞳に吸い込まれそうになった。
恐怖がスーッと消えていった。
(便意も消えた)
何とか全員がコスピアジェと挨拶を交わした。
マロンも挨拶を交わした。
挨拶を交わしたあとは何故か全員コスピアジェに馴染み、友好的になった。
なにか魅了系の魔法を掛けられたのだと思う。
「フェリックスはここにコスピアジェ様がいる、と知ってここに来たの?」
「うん。未踏破エリアのどこかにいると知ってた」
「フェリックスの用事は何だったの?」
「魔物の行進の理由」
「ああ、そうだった。それでわかったの?」
「うん。おおよそわかった」
「聞かない方がいいかな?」
「うん・・・ まだ」
「わかった」
それからしばらく雑談した。
女性陣はコスピアジェに美容の質問をしている。
たしかにダンジョンの中に居続けるのにあの髪の美しさは凄い。
というか、恐怖で気付かなかったが肌の美しさも凄いと思う。
何も着ていないむき出しの肌なのに。
なにか秘密があるのだろう。
玉砕覚悟でお願いをしてみた。
「コスピアジェ様。あなた様を鑑定させて頂いてよろしいでしょうか?」
「あら、あなた鑑定持ちなの?」
「はい。まだ駆け出しではありますが、鑑定ができます」
「いいわよ」
「ありがとうございます。 では・・」
名前 :コスピアジェ
種族 :アラクネ
年齢 :323
状態 :健康(*)
職業 :-
HP :425
MP :130
STR:198
INT:115
AGI:280
LUK:中
魔法 :土魔法9
特技 :魔眼、糸術、機織り
比較する対象が無い。
全てが桁外れということがわかる。
だが一つ気になる点がある。
健康(*)。
ただし書き付きの健康。
どうやら古傷があるようなのだ。
ストレートに聞いてよいものかどうか迷ったが、鑑定させてくれたのに黙っているわけにはいかない。
「コスピアジェ様は足に古傷をお持ちですね」
「わかるの?」
「ええ、なんとなく。左の後ろの足2本、動きが硬いのではありませんか」
「わかるんだ」
「失礼を承知で申し上げます。私に診させて頂いてよろしゅうございますか」
「治してくれるの?」
「・・・微力を尽くします」
コスピアジェはにっこりと微笑んでうなずいた。
2mほどもある巨大な蜘蛛の胴体を見ながらコスピアジェの後ろに回る。
まじまじと胴体を見るのは初めて。
今までは怖いので、美しい上半身のみ見るようにしていた。
胴は樽のように大きく、細かな毛で覆われている。
毛が光を反射して色が変わるが、基本的には暗い灰色。
そこに鮮やかな黄色の差し色が入る。
体の下部にほんの少し紅色の斑点が散っている。
一言で言って美しい。
禍々しいけど。
胴の下部から足が出ている。
足は完全に蜘蛛の足。
色は胴より濃い灰色。
堅そうな漆黒の剛毛が密生している。
「触ります」
一言声を掛けて鑑定しながら触診する。
蜘蛛は外骨格だよな・・・
外骨格を痛めて自然治癒したときに、歪んだまま固まった様に見える。
そして内側の筋肉が引き攣れ、痛んだ。
筋肉が自然治癒しようとするが、外骨格が歪んでいるので正常に戻れず、一時かなり重い炎症を起こしたようだ。今は、炎症は収まっている。
私がすることは外骨格の歪みを直し、中の筋肉を正しい形に修復すること。
外骨格の正しい形は・・・?
反対側の足を見る。
こうカーブして、ここで膨らんで、関節の形はこうで・・・
中の筋肉は・・・ 関節内の筋肉は・・・
よし記憶した。
外骨格の修復に掛かる。
どうやらヒールでは間に合わない。歪んだまま治そうとしてしまう。
ここはキュアだな。
歪んだまま固まってしまった箇所を両手で包み込み、目を閉じ、反対側の足の正しい形を思い浮かべながらキュアを掛けていく。魔力を流していく。
外骨格を一度柔らかくし、歪みを矯正し、再び硬度を高めるイメージ。
外骨格を修復すると、歪んだ形に適応してしまった筋肉が引き攣れる。ある程度外骨格を修復したら、同時に筋肉も外骨格に合わせた正しい位置に戻していく。
無詠唱でゆっくりと。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
・・・
今日はかなり高い効率で治癒魔法が発動していることが分かる。
手のひらから出ていく魔力の流れが見えるようだ。
異常な緊張が集中力を高めているのだろう。
両手で持っていた足がビクッと動いた。
「あなた・・・ 光魔法使いだったのね」
「はい」
「・・・ありがとうね」
「恐れ入ります」
もう一本の足にもキュアを掛けていく。
手順は同じ。
外骨格を一度柔らかくし、歪みを矯正し、再び硬度を高める。
同時に筋肉も癒やしていく。
無詠唱でゆっくりと。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
それから “痛めていない” 全ての足を診た。
怪我した足を庇って歩くので、違う足に負担が掛かっていると予想した。
こちらも一本一本丁寧に鑑定していくと、予想通り残りの6本の足の筋肉が強張っている。関節も痛んでいるようだ。
こちらはヒールで良い。
足と胴体のつなぎ目。
人間で言えば股関節。
ここも凝っていると見て、ヒールを掛けた。
足の付け根に穴がある。
気門・・・じゃない。書肺だったかな。
コスピアジェの呼吸孔だ。
汚れが溜まりやすい上、300年も生きていれば組織がくたびれるはずだ。
自然治癒も殆どしないようだ。
これは直接内臓に繋がるので、慌てず、急がず、優しく、丁寧に。
馬鹿丁寧にヒールを掛けていく。
◇ ◇ ◇ ◇
ダンジョン内は昼も夜も無いので時間の経過がわかりにくい。
全ての施術が終わるまで2時間以上掛かったと確信を持って言えるが、半日以上掛かっていないとは言い切れない。
レイ、マキ、ユミは待ちくたびれて寝ている。
マロンは丸くなっている。
私はいわゆる “ゾーン” に入っていたようだ。
無の状態になってひたすらキュアとヒールを掛けていた。
その後、周囲を認識できるようになったが、緊張が継続しているためか空腹も便意も感じない。
無心で治癒し続けた。
コスピアジェは私をじっと見ていた。
じっと見られてちょっと不安な感じ。
でも誇らしい感じで私は施術を続けた。
「終わりました」
そう言った途端、コスピアジェにぎゅっと抱きしめられた。
耳元で、私の理解できない言語で何かを囁いた。
そして両頬にキスをされた。
そっと解放されたとき、私は胸に手を当てて跪き、無心で頭を垂れていた。




