299話 メルヴィル5年目(夏)
その晩は私とソフィーが一緒に寝る日だった。
寝室にマロンが来た。
マロンはベッドの上に上がり込んで私とソフィーの間に割り込むと私の顔を舐め、一つのメッセージを伝えてきた。
(今日でさよなら)
えっ? 何? 何で?
「ちょっと、マロン? 君はいったい何を・・・」
続いてマロンから(怪我を治してもらって嬉しかった。幸せだった)という感情が流れ込んできた。
マロンは呆然とする私の鼻を舐め、温もりに満ちた感情を伝えてきた。
それは言葉にするなら「喜び、感謝、安心、愛情、哀愁」が絡まり合ったものだった。
そしてマロンは枕の上にあごをのせ、静かに目を閉じた。
穏やかな寝顔だった。
マロンを抱きしめるとマロンの体から体温が引いていくのがわかった。
目の前が見えなくなった。
次の日。
私は仕事にならなかった。
公務は全て休んだ。
この世界に来て最初に出来た友人。
亡命する時も、対処の難しい相手と対峙する時も、いつも隣にいてくれたかけがえのない友人。
初めて逢った時は既に成犬だったから、20歳くらいだったと思う。
諡号 『天遣賢狼院磨論大姉』
メルヴィルを一望できる北の高台に石碑を建て、マロンの生涯を刻んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
王都における情報収集を続けていたマキから警報が発せられた。
近々王領で出兵がある。
ハーフォードにも派兵の要請が来る可能性がある。
ハーフォードが巻き込まれた場合、メルヴィルが加わらないという選択肢は無い。
心づもりをしておけ。
特にマロンが旅立ってからの初めての出兵になる。
入念な準備をしておけ。
◇ ◇ ◇ ◇
王都からアルマが遊びにきた。
六佳仙とはやや方向性の異なる絶世の美女が、いつものように「女一人旅」の格好で来た。
ウチの使用人やウォーカーのメンバーは流石に慣れたが、初対面のバルドは無言で槍を取りに走った。
そして、
「子爵様! お逃げ下さいっ!!」
と叫びながら私とアルマの間に割り込んだ。
バルドは、まるで “おこり” のように全身が震え、頭のてっぺんから汗を滴らせていたが、それでも私を護ろうとした。
アルマの実力を正確に読み取れている。
さすがだ。
アルマはニッコリと微笑んだ。
「あら。新顔?」
「アルマ様。殺気を抑えて下さいね。バルド。こちらの麗しい方はアルマ様です。決して剣や槍を向けて良い御方ではありません」
「子爵様。この者は・・」
「バルド。控えなさい」
「はっ!」
すぐにバルドが下がった。
どんな状況であっても主人の命令に反射的に従うのは騎士の鑑だな。
アルマを応接間に通した。
「ようこそメルヴィルへお越し下さいました。本日はどのようなご要望で?」
「あの白いのは何ですの?」
畑の周りで日光を反射する白い石版のことを聞いてきた。
説明した。
火山の噴煙のこと。
日の光を遮ること。
少しでも多く日の光を当てたいこと。
「すると今年は全土で凶作になるのですか?」
「その可能性があると考えております」
「ハーフォード公爵や王宮は知っていますか?」
「いいえ」
「ここだけの秘密?」
「秘密では無く、今のところ私の戯言の可能性が高いと思っています」
「あら。ご自身で気付かれたのに?」
「私は農業の専門家では御座いません。本当に素人の思いつきなのです。もしこの施策が上手くいったらハーフォード公爵へ共有するべき内容と思っております」
「そうなのね。でもここまで他の領地の畑を見てきましたが、どこの麦も生育は不十分に見えましたよ」
「私の法螺が本当になるかも知れないのですね」
ところで。
アルマの訪問の本題。
「二つあります」
「何なりと」
「本当?」
「はい」
「わたくしめを子爵様の女に・・・」
「却下致します」
「あら。今、何なりとと言われたではありませんか?」
「・・・」
「あらっ! 冗談ですわ。怒らないで下さいませ」
「・・・」
「あの・・・お話ししても宜しいですか?」
「どうぞ」
「まだ怒ってる・・・」
それから少しグダグダしたあと、本題に入った。
一つ目。
王都騎士団の出兵のこと。
「まず出兵の目的ですが、国内の北部から北西部を平定することです」
「既に王領となっております」
「実質王領とは呼べません。無政府状態と呼ぶのが正確なところです。これを名実ともに王領にしようとしています」
「・・・」
「おわかりになられましたか?」
「言葉の意味はわかります。わかりますが、何をすれば実質王領になるのかがピンときておりません」
「子爵様はそうお考えになる御方でしたね。王族はそこまで考えません。官僚や騎士団に丸投げしますわ」
「なるほど」
「官僚は農民を移住させ、監督者として王都で油を売っている貴族達を移住させる。
そう考えております。ですがまずは現地における彼らの安全を確保しなければなりません。そのための出兵です」
「はい」
「この度の出兵。王宮は甘く見ておりません。短期間では終わらない。
北部はタイレルを橋頭堡とし、サンタ・クルスまでは敵と相談しながらの進軍になる。
北西部はピレを橋頭堡とし、サーディンヴィルまでは用心しながらの進軍になる。
そう見ております」
「はい」
「戦う相手は流賊、旧貴族の騎士団崩れ、そしてゾンビ、グールになります。
騎士団といえども完勝は出来ません。必ず傷を負うでしょう。そして毒を受けます。
ポーションでは戦力を維持できない。そこで子爵様に目を付けました。
子爵様が参戦されないとこの計画は成り立ちません」
「ゾンビ、グールはダンジョン産ではありませんね?」
「違います。もともとそこに住んでいた住民が変化したものです」
「ならば放っておけば良いのではありませんか? 魔力が切れれば死体に戻りましょう」
「魔力切れを待つのは2つ問題があります」
「何でしょう?」
「まず死体が畑を汚染します。二つ目が、まだ現地に人間が残っていることです。少しでも人間を救いたい」
「王宮がそんな殊勝なことを考えるとは思えません」
「手厳しいのですね」
「現実的であろうとしております」
「わかりました。内情を打ち明けますと、これは官僚の要望なのです。只でさえ農民が減りすぎているのです。これ以上減ると領地を拡大した意味が失われます。
そして例えばこの地域に他国の軍隊に入り込まれると厄介なことになります」
「なるほど。本音ですね」
「二つ目ですが、私の休暇中のメルヴィルへの滞在を許可して頂きたいのです」
「ええと・・・ なぜでしょう?」
「人間の多幸感から得る正のエネルギーが足りないのです」
「?」
「王都では『憎み、恨み、嫉み、僻み、妬み』といった負のエネルギーについては超一級品のものをふんだんに摂取できるのですけど、正のエネルギーが全くと言って良いほど足りないのです。もう、圧倒的に足りないのです」
「・・・」
「このままでは私の中の夢魔の部分が消えてしまいます。消えてしまったら子爵様の前に出ることは出来なくなりましょう。何卒お助け頂きたいのです」
「メルヴィルで吸収できるのですか?」
「はい。メルヴィルの正のエネルギーは超一級品です」
「妓楼があるから?」
「お察しの通りです」
「それで客の多幸感が失われることは無いのですか?」
「ありません。人間が多幸感を味わった時に出るエネルギーを頂くのです。まず多幸感を味わって頂かないと私もお裾分けを頂けないのです」
「ならばアルマ様に守って頂かねばならぬことがございます」
「何でございましょう?」
「人を食べないこと。これは比喩で申しました。
正のエネルギー欲しさに人に死ぬまで快楽を強要しないこと。
変死体が出ると必ず噂になります。あなたはここにいられなくなります」
「置いて頂けるなら絶対に守ります」
それから実地で確かめてみた。
妓楼からどの位離れて正のエネルギーを吸収できるのか、試してみた。
かなり遠くから吸収できることがわかった。
◇ ◇ ◇ ◇
安心して屋敷に戻ろうとすると、アルマに呼び止められた。
「話は変わりますが北にあるあの社は何ですの?」
「何か変ですか?」
「妙な魔力を感じます」
「どんな魔力ですか?」
「魔力は魔力です。まだ方向性は感じません。ですが周囲の魔力を集めているようですね。あと10年もしたら無視できない魔力の塊が出来るでしょう」
「ダンジョン?」
「放置すればそうなりましょう」
それは困る。
言い淀んでいる私を見て、アルマは優しく話し掛けてきた。
「私はこれでも魔力の扱いの専門家ですのよ。先ほどの私の失礼に目をつぶって頂けるよう、私に働かせて頂けませんか?」
私も私の周囲も良い知恵は持っていない。
アルマに助力を請うことにした。
「あの社にはこの世に未練を残して死んだ者を祀りました。そのまま埋葬するとアンデッドか怨霊になると思われます。荼毘に付して骨をバラバラにして埋葬することも考えましたが、私に縁ある者でしたので憚られました。
そこで残留思念に『善』の方向性を持たせるためにグラント川の女神になるよう行じて埋葬したのです」
「それでわかりました。グラント川との縁の結びつきが不十分のようです。どちらへ向かえば良いかわからないらしく、魔力が滞留しています」
「やり方が稚拙だったでしょうか?」
「やり方は合っています。ですが元の念がなんといいますか・・・ かなり頑なな者だったようですね。これを何かに紐付けるには素直なやり方だけでは足りないでしょう。子爵様は縁を結ぶ方法を複数ご存じないでしょう?」
「私の力不足ですか・・・」
「今の時代の人間は誰も知らないでしょう。ここは私が儀式を行いましょう」
「祀られた者は水の属性を持っておりました・・・」
「そうですわね。本来グラント川との親和性はあるはずです。不思議なことに土地にはしっかりと根付いております。副葬品があるようですわね」
「はい。祀られた者の装備品です。装備品も水属性です」
「なら好都合ですわ。副葬品を媒介にしましょう」
翌日、アルマはレイを祀った社の前で儀式を行った。
私とマキとユミが参列した。
アルマは指先をグラント川の水で濡らし、社に数滴落とし、我々が聞いても意味がわからない呪を唱えながら空間に魔法陣らしきものを描き、その中心に魔力を込めた。
魔法陣が輝いて回転を始めると、アルマは指先でゆっくりと魔法陣を押し、社に触れさせた。
魔法陣は社に吸収され、定着した。
その後アルマはしばらく社を見ていたが、目を見張ってつぶやいた。
「驚いた。随分強いカルマなのね」
そしてアルマは先ほどとは異なる呪を唱え、空間に異なる魔法陣を描き、社に定着させた。
「グラント川の大神と縁を結びました。この社ある限り、メルヴィルはグラント川の氾濫の害を受けません」
屋敷に戻って篤く礼を述べた。
「水際立った技を拝見致しました。お見事でございました。深謝いたします」
「私の得意分野ですから」
◇ ◇ ◇ ◇
屋敷に戻り一献傾けているときに、アルマに気になっていた懸案を聞いてみた。
「アルマ様の御手腕を間近で見て、ひょっとしたら良い知恵を授けて頂けるかなという難問を思い出しました」
「なんですの?」
それからイルアンの沈静化についてメルヴィルで検討した内容を聞いて貰った。
特にどこまで力業が通用するか、検討結果を話した。
「確かにそこまではいけそうだけど・・・」
「方向性が違うんじゃないの?」
「それはたぶん誤解」
私の考えるアルマの魔法の使い方について話した。
「ああ・・ それね、向きを変えれば行ける」
「だから私に相談したのね」
アルマは時折首をかしげ、それは駄目だと私を窘め、でもやり方を変えれば面白いことが出来ると教えたくれた。
「子爵様は面白いことを考えますのね」
と半ば呆れ、半ば感心された。
翌朝。
十分に睡眠を取って頭を整理してから再度検討した。
アルマは自信ありげに頷いた。
「その時がきたら連絡くださいね。必ずお力になりますわ」
そう言ってアルマは王都に戻っていった。
お土産に『ハーフォードの月』を持たせた。




