296話 メルヴィル5年目(春・蠢動2)
「今年のスケジュールはマンフレートの勘で行こう」
「とおっしゃいますと?」
「暦は無視する。収穫時期からの時間を逆算して麦を播く。マンフレートが『ここだ!』というときに播くぞ」
「・・・」
マンフレートが青ざめている。
「ところで麦は寒さには耐えられるが、晴れの日が必要だったな?」
「左様でございます」
「今年は晴れてもイマイチなのだ」
「とおっしゃいますと?」
「例年の晴れには及ばない。晴れていても曇りの日と同じと思ってくれ」
「はい」
「そこで策が欲しい」
「いったいどのような・・・?」
「畑の周りに白い布や白い石を並べてだな。日の光を麦の方へ反射させたいんだ。
わかるかな?」
「善処します・・・」
それからしばらくしたある日。
マンフレートの号令以下、麦の種まきが行われた。
それから雪が溶けたり、気温急降下があったり、降雪があったりしたが、マンフレートの見立てに概ね間違いなかった。
そしていつの間にか畑の周囲に白っぽい石板が並んで日光を麦に向けて反射させていた。
効くといいな。
「子爵様。私はまだ迷っております」
「おや。何をかな?」
「こんな時期に播いてしまって」
「ということは何が懸念かな?」
「暦では春の盛りでございます。麦の性質上、生育時期に暑さに当てられると穂が出ません」
「大丈夫だよ。我々の知っている夏は来ないさ。マンフレートはドンピシャリで当てたと思うぞ」
「そうならば良いのですが・・・」
マンフレートを不安にさせてはならないので私は威勢良く言ったが、確信があった訳じゃない。
この時期の私の心境は複雑怪奇で、いつも通りの暑い夏になって欲しいのか、バケツの水が凍るほどの冷夏になって欲しいのか、よくわからなかった。
ちなみに。
ハミルトン村ではかなり早い段階で種まきは終わって緑の若葉が生えている。
若葉の上に雪が積もったりしていた。
他の村々も同じ。
メルヴィルだけ少し遅れている。マンフレートが不安に思うのも当然か。
そして季節は移っていった。
◇ ◇ ◇ ◇
メルヴィルはライムストーン公爵領から細々と入植者を受け入れている。
イーサンとカトリーヌはしばらくメルヴィルにいるようにライムストーン公爵から指示されているので、移民の管理責任者になってもらっている。
公式には発表していないが、イーサンとカトリーヌが結婚したことが徐々に国内に伝わっていった。
するとオリオル辺境伯からライムストーン公爵へ接触があった。
カトリーヌに跡取りとして帰国するよう希望されていたという。
可能であればイーサンにも一緒に来て欲しい、と。
帰国したら辺境伯は爵位をカトリーヌに継がせ、自身は勇退するらしい。
カトリーヌにもイーサンにもその気は無く、特にカトリーヌは目を怒らせて何も言わなかった。
ダンジョンは平常運転だった。
南北共に賑わいを見せ、順調に冒険者が育っている。
北の調整池もいつも通りだった。
妓楼はランビア山噴火特需が過ぎて客足が落ち着いた。
流石の金持ち達もこの度の天候不順や北西部の内乱に際し、色々と手を打つ必要があったのだろう。遊びにくるが長期間逗留する客は減った。
メルヴィルを目指す魔物は相変わらず多かった。
狩った。
狩った。
狩りに狩った。
どんどん保存食が積み上がっていく。
館の倉庫がいっぱいになったので、新たに備蓄倉庫を作った。
「おい。どうするんだ、これ?」
ソフィーは呆れたようにいう。
「いいんです。これで」
「何を考えている」
「飢饉の際の救荒食」
「本当に来るのか?」
「来なければ来なくて良いのです」
「それでいいのか?」
「良いんです」
「・・・」
「ソフィーも飢饉なんて来ない方がいいでしょう?」
「それはそうだが」
解体主任のナオミから報告が上がった。
冬が厳しかったせいか、痩せている個体が多い。
そして徐々に草食魔物の割合が減り、肉食魔物の数が増えている。
肉食魔物は腹の中に何も入っていない個体がある。
ところで肉食魔物って食べられるの?
「食べられますよ。特にベアは癖になる旨さと言われています」
そうなのね。
そう言えばこの世界にはネコ科の猛獣はいないのね。
新しい備蓄倉庫も程なくいっぱいになり、もう一棟建て増しした。
「本当にいいのか?」
本格的に心配になったらしく、もう一度ソフィーが尋ねてきた。
「ソフィーはイザというときにどのくらい食糧を消費するかわかりますか?」
「飢饉の前提だろう? 食を絞るからこの干し肉の大きさなら一人一日一枚だ」
「館の倉庫。そして今新築している倉庫。これもいっぱいになるでしょう。それでどのくらいの人数が食いつなげると思いますか?」
「メルヴィルの者で食うならなら2年以上食いつなげると思う」
「それは冒険者も入れてですよね?」
「そうだ」
「ハーフォード全体では3ヶ月かな? 可能であれば6ヶ月分、つまり季節二つ分は欲しいですね」
「ハーフォード公爵領全体を賄うつもりなのか?」
「ハーフォード公爵領全体が飢えていた時、メルヴィルだけ肉を食っている。そんな状況が許されるとも思えません」
「う~む」
◇ ◇ ◇ ◇
ハミルトン村助役は不安に駆られていた。
今年は何かがおかしい。
昨年は寒かった。
今年はもっと寒そうだが麦は寒さに強い。
今年は霾ぐもり(晴れているのに曇っているような日)が続いている。
麦は順調に生育しているように見えるので大丈夫と思う。
問題は害獣対策だ。
今年は冒険者を長期雇用している。
当初はメルヴィルの冒険者達を雇おうとした。
魔物討伐の実績があるから。
メルヴィルの冒険ギルドを訪れ、前年のメルヴィル領の害獣駆除料金よりも弾んだ条件を提示した。
だが冒険者達は一様に微妙な顔をして断ってきた。
何故だ?
断られた冒険者パーティが3組目になった時、ギルドの受付嬢に聞いた。
「どうしてこの条件で断られるのでしょう?」
ギルドの受付嬢にしてはやけに美しいその女性は、困った顔をしながら教えてくれた。
それによると、ここのギルドには “保険” 付きのクエストがある。
もちろん保険無しのクエストもある。
だが冒険者は全員保険付きのクエストを望むらしい。
保険付きとは、万一怪我をした時、聖女様をはじめとする救急救命医療チームに診察・診療してもらえるというものだ。
もちろん魔物の一撃で死んでしまった時は助けられない。
失った腕や脚は戻ってこない。
毒の後遺症が残ることもある。
一度に大量の怪我人が出た時は順番待ちになる。
でも手が空いている時はすぐに診てもらえるし、状況次第ではダンジョンの中にまで出張診察してくれると言うのだ。
対象は冒険者だけでは無いという。
望めば農民も対象になるという。
私はあまりの非常識さに固まってしまい、言葉を失ってしまい、目が据わってしまい、受付嬢に介抱される始末だった。
気を取り直して聞いた。
「その保険付きの価格設定でハミルトンまで来て頂くことは可能でしょうか?」
「ええと・・・ このくらいになりますが、宜しいでしょうか?」
「思ったほど高くありませんね」
「ええ。この契約は魔物の肉・毛皮・素材は全て当ギルドが割安で引き取る契約になっております。その分価格を抑えているのですね」
「ハミルトンからメルヴィルまで・・・」
「ハミルトンからその都度狩った魔物を持ってくるのは大変ですわ。それもあって冒険者達は二の足を踏んでいるのでしょうね」
メルヴィルから冒険者を呼び寄せることはいったん諦めた。
ハーフォードの冒険者ギルドから呼び寄せることにした。
ハーフォードの冒険者ギルドに一歩足を踏み入れてすぐにわかった。
素人の私でもわかった。
冒険者のレベルが違う。
それでも契約した。
ハーフォード冒険者ギルドに支払う手数料が・・・
何とか今年は豊作になって欲しい。




