203話 イーサン
(イーサンの視点で書かれています)
私の名はイーサン・バリオス。
父はライムストーン公爵オーウェン・バリオス。
私は今のところ公爵家の一人息子だが、もうすぐ弟がうまれるだろう。
妹はいる。
バリオス家は元々王都に住んでいた。
代々王家から宗教査問官のお役目を頂戴していた。
だが突然王都から王国の西の端のヒックスという街に移封された。
宗教査問官という立派なお役目も返上することになった。
王都に住む貴族の間では『都落ち』を極端に嫌う風習がある。
今まで王都から地方へ領地替えがあった貴族を見ると例外なく不祥事絡みだった。
そして一度都落ちをすると2代や3代で都へ返り咲くことはない。
父上に「これは左遷人事ですか?」と訊いたら笑っておられた。
苦笑いではなかったので左遷ではなさそうだ。
ちょっとホッとした。
執事に同じ事を訊いたら物凄く怒られた。
「坊ちゃまと雖も、言って良いことと悪いことがございます」
それから父上の成された業績、国内におけるヒックスの位置付け、ヒックスを領地として下賜される栄誉について講義を受けた。
武闘派貴族との暗闘など難しい話を一杯聞いたが、簡単にまとめると父上は大きな成果を上げ、侯爵から公爵へ陞爵され、領地持ちの大貴族になったということだった。
そしてヒックスは元々王家の直轄地。
名誉あるブリサニア王国発祥の地であるという。
「他の貴族は信用するに不能わず。ただお一人お父上のみが王国発祥の地を下賜されたのでございます」
父上を尊敬すること極めて篤い執事の言うことなのでこの時は話半分で聞いていた。
だが少しずつこの地の内情を知るにつれ、重要性に気付くようになった。
まず父上に下賜された領地の広さは国内随一。
農業生産高は一番では無いが(一番はダントツでハーフォード公爵領)納税額では首位を争う。
この辺りのカラクリが良くわからない。
だが責任は重大だ。
私も若輩ながら父上のお力になれるように励まねばなるまい。
父上は言った。
「そなたにはいずれ大きな責任を負って貰う。そのためにはいきなり実務に就くのでは無く、まずは人を知らねばならぬ」
「特にここヒックスはバリオス家にとって初めての土地だ。まずはヒックスの街で見聞を広めよ。そして経済を学べ」
武を磨けと言われなかったのでホッとした。
貴族として恥ずかしいことながら、私は武術はからっきし駄目なのだ。
私は5歳になったとき騎士団長に武の才能を鑑定して貰った。
鑑定結果は『才能無し』だった。
5歳になったばかりの少年にとって「お前は駄目だ。この先一生ものにならない」という宣告を受けることは辛いことだ。
目の前が真っ暗になり、頭の中には追放~自死がよぎった。
だが父上は言った。
「さほど気に病むな。私も武の素質は無い。お前は確かに私の子ということだ。そして武以外にも貴族の腕の見せ所は一杯あるのだ」
人を知れ、経済を学べ、という父上に、具体的にどこから勉強を始めるか相談したところ、商業ギルドからはじめよと言われた。
◇ ◇ ◇ ◇
商業ギルドでの見聞は目から鱗ばかりだった。
王都で大評判になっていた “奇跡のポーション” とは、ヒックスで生産している超級ポーションや特級ポーションのことだった。
これを生み出す領地を任されたということは、父上は王国の実質ナンバーワンではないのか?
そしてポーションの原料をラミア達から仕入れているという・・・
おかしいだろう!?
いくら私が成人前とはいえ、いくら私に武の素養が無いとはいえ、いくらバリオス家が穏健派といえ、いくらバリオス家がヒックスに赴任したばかりとはいえ、ラミアがどのような魔物かは知っている。
この大陸に棲む人間は子守歌のように聞かされて育つ。
ラミアの脅威を。
そして下手にラミアと関わった国家の末路を。
最も有名な話は、神聖ミリトス王国の前身ブルトゥス大公国、さらにその前身トルロフ公国の時代。
時の公王は国土拡大を目論み、入らずの森のラミアに助力を求めた。
両者の間でどのような約定が取り交わされたのかはわからない。
結果的にトルロフ公国は消滅し、ラミアは黙して語らない。
わかっているのは当初は友好的だった関係が一夜にして崩れたこと。
そしてトルロフ公国の公王一族と政府中枢は一夜にして死に絶えたこと。
ラミア達は入らずの森から姿を消したこと。
ラミア達が姿を消した途端、入らずの森は魔境と化したこと。
ごく一部の人しか認識していないだろうが、ラミアは入らずの森の魔物達の跳梁跋扈を許さなかった。
そこにいるだけで兇悪な魔物共の抑えとなっていたのだった。
商業ギルドでは運命の出会いがあった。
商業ギルド長マーラー。
そのマーラーの経営する巨大商会。
その巨大商会の『監査部』という部署の長であるという若い女性。
彼女の名はユミ・オークレイ。
彼女はマーラー商会だけでなく、商業ギルドの動向も見ている。
私が商業ギルドに顔を出すと商会員はさりげなくその場を退出する。
領主の息子などに関わり合いになりたくない、面倒事はご免だ、という意思をさりげなく(いや露骨に)示す。
だがユミだけは私を避けず、商業に疎い私の質問に全て答えてくれた。
商売という不思議な世界を一つ一つ紐解いて私の質問に答えてくれた。
彼女は普段は物静かに佇んでおり、彼女から何かを積極的に働きかけることはしない。
時折商会員の方から相談にくる程度だ。
相談内容は婦人服系が多い。
だが一度彼女が話し始めると商会員の誰もが(会頭のマーラーでさえ)彼女の言葉に真摯に耳を傾ける。
マーラーが言うには「マキの言葉には商機が隠れている」そうだ。
ユミはそのエキゾチックな顔立ちから外国人らしいことはすぐにわかる。
そして私よりもかなり年上らしい。
だがそんな感じはしない。
顔立ちから年齢がわかりにくいのだ。
そして何よりも美しい。
私はユミと一緒にいる時間が楽しく、ずっとユミを独占していた。
ユミの声を聞いているだけでうっとりした。
ほどなく自分がユミに恋していることに気付いた。
こんな私でもバリオス家の嫡男である。
(良い意味でも悪い意味でも)気になる者が現れたらすぐに周囲に共有することが義務付けられている。
そこで父上に相談したところ、考え込んでしまわれた。
ユミの実力の一端に触れる機会があった。
彼女はラミアと懇意だった。
商取引でラミアとの調整が必要になると(マーラー商会だけじゃ無い。商売ギルドに加盟するどの商会もだ)必ずユミに話を持ち込み、ユミの判断を仰いだ。
ユミは調整が必要と判断すれば迷わずラミアの里へ赴いた。
重要なことなのでもう一度言う。
ユミはラミアの里へ赴くのだ。
あのラミアの根拠地へ。
肝の据わったお供がいない時は、さっさと一人で行くのだ。
戻ってきたときのユミの言葉はラミアの意向だ。
誰も逆らえない。
もちろんこちらの希望通りになるとは限らない(ならないことの方が多いと思う)。
だがユミはラミアと調整してくるのだ!
この件について父上と話した事がある。
「父上。父上はライムストーン公爵領の総責任者でございますね」
「そうだな」
「ラミアとの打ち合わせはユミでは無く、父上が行うべきではありませんか?」
「・・・」
父上は無言になり、目が据わってしまった。
どうやら私はラミアの尾を踏んだらしい。(地雷を踏むの意味)
しばらく静寂が続いた後、
「お前がもう少し研鑽を積んだらラミアの里へ挨拶に行こう」
それだけ言った。
この時たまたま騎士団長が居合わせたが、大量の汗を滴らせながら無言を貫いていた。
何となくだがライムストーン公爵領を守っているのはユミに違いないと思った。
私は12歳になり、王立高等学院へ入学することになった。
幸い王都には穏健派貴族の頭領たるハーフォード公爵の運営する学生寮があり、そこに寄宿させてもらえることになった。これは大変に有り難いことだ。
王立高等学院における武闘派貴族子弟から穏健派貴族子弟に対するいじめは枚挙にいとまが無く、穏健派貴族子弟が逃げ込める安全地帯は必要だった。
今までは我がバリオス家の邸宅がその役目を担ってきた。
だが今は無い。
ハーフォード公爵寮は2年前からしっかりと役目を担っているという。
安心して通うことが出来るようだ。
ユミを連れていきたいと思った。
ユミは私の正妻には難しいだろうが側室なら迎えるのは可能だ。
側室候補に据えるなら教育を受けさせる必要がある。
父上に相談すると考え込んでおられた。
◇ ◇ ◇ ◇
(オーウェンの視点)
イーサンから判断に悩む相談を持ちかけられた。
ユミを側室に迎えたいという。
ユミはビトー男爵と関係が深い。
ビトー男爵とは繋がりを持っておきたいのでユミを取り込むというのは悪い手では無い。その点マキは良い仕事をしてくれた。
だがユミの素性が良くわからない。
貴族では無い(どの貴族の系譜にもユミはいない)。
だが明らかに平民では無い。所作や言葉遣いが平民のものでは無い。
外国人であることは間違いないが、どの国出身かわからない。
マキ同様出自がよくわからない。
まさかとは思うが、ユミがアルマ様だったというオチはないだろうか?
もう少しユミのことを探る必要がある。
とにかくイーサンは早急に王都に向かわせて様子を見よう。
イーサンも以前王都に住んでいたが、いかんせん幼すぎた。
どうやら今は思春期真っ盛りらしい。
今王都に行けば女性の美しさに目を見張ることだろう。
それでユミのことを忘れることが出来れば、悩みの種の半分は解消だ。
◇ ◇ ◇ ◇
(再びイーサンの視点)
私は穏健派貴族の子弟ということで、穏健派最大の首領ハーフォード公爵が運営される学生寮に入寮が認められた。これで武闘派から虐められる可能性はかなり減った。
ライムストーン公爵の子弟と言うことで個室も提供された。
有り難いことだ。
そして私は寮のメンバーに紹介された時、雷に打たれたような衝撃を受けた。
その御方はご出身の北国にふさわしい美しい金髪をお持ちだった。
紺碧の北の空を写し取られたかのような碧い瞳をお持ちだった。
長身で均整のとれたシルエットをお持ちだった。
女性としてはやや低めの心地良い声をお持ちだった。
彼女の名はカトリーヌ・オリオル。
私は恋に落ちたらしい。




