185話 ノースウッド
ノースウッドの街に着いた。
やはり広大な城壁があり、かなりの畑が守られている。
もちろん城壁の外にも畑がある。
カトリーヌの顔パスで城内に入ると温かく迎えられる。
夜は市長主催の晩餐会に出席する。
エマも連れていく。
本来子供は参加させるべきではないが、他人に面倒を見させるわけにもいかない。
幸いエマは晩餐会で泣き出したり、走り回ったり、脱いだり、奇声を上げたり、漏らしたり、絡んだり、他人のヅラを毟り取ったりするような子供では無く、そこは安心して参加させた。
晩餐会はカトリーヌを中心に領内の話題に花が咲いている。
領主一族が中心になって場を盛り上げるのは良いことだ。
私は途中からエマを前に座らせながらエマの口に料理を運び、人の鑑定についてエマに教えていた。
出された肉料理のソースの掛かっていない部分を切り分け、ふきんに包んでポケットに忍ばせ、手洗いに立つフリをしてアルに食事を運ぶことも教えた。
◇ ◇ ◇ ◇
会場が急に騒がしくなった。
市長に報告している者がいる。
聞くともなく聞く。
定期パトロールに出ていたノースウッド守備隊が戻ってきたが、怪我人が出ている。
重傷者1名。
守備隊隊長。
前日ラビット系魔物がまとまって現れたとの報告があり、目撃場所へ派遣されていた。
そこで強力な魔物の襲撃を受けた。
「レッドだ。レッドが出た!」
そんな声が聞こえた。
途端に会場がざわつき始めた。
カトリーヌが市長の下へ駆け寄っていく。
勢い込んで何かを話している。
乙女隊は主賓なので下手に動けない。
落ち着くのを待つことにした。
しばらくするとカトリーヌが戻ってきた。
「ごめんなさい。晩餐会は中止よ」
「何かありましたか?」
「守備隊の隊長が大怪我を負ったのよ」
「そうでしたか。それではお開きにしましょう。乙女隊で何かしなければならないことはありますか?」
「いえ・・・ 乙女隊では・・・」
「お父上にご連絡は?」
「伝書鳥を飛ばしました。騎士団が動くはずです」
「わかりました。では我々はいったん・・・」
「ええ。宿に戻って頂戴」
乙女隊に割り当てられた宿舎に引っ込み、旅の汗を流した。
ソフィーとマキとエマと私は同じ部屋。
順番に素早く風呂を終えると、ソフィーはふらりと部屋の外に出て行った。
戻ってきたソフィーの指示で、カトリーヌを除く乙女隊はフル装備でオルタンスお嬢様の部屋に集合し、イザと言うときのカトリーヌの手駒として備える事になった。
交替で不寝番をした。
◇ ◇ ◇ ◇
翌朝。
朝食前にカトリーヌの使者が乙女隊を呼びに来た。
既にフル装備の乙女隊を見て使者は驚いていた。
昨夜の晩餐会の会場へ入るとそこは野戦司令部に様変わりしていた。
壁に巨大な地図が掲げられ、数カ所にピンが刺さっていた。
地図の前にはカトリーヌ、市長、官僚、守備隊員がいる。
寝ていない者もいるようだ。
我々が入ってきたのに気付いたカトリーヌが、朝の挨拶も抜きにいきなり状況説明を始めた。
全く貴族らしくない。こんなところが辺境伯の娘だな。
私は好きだぞ。
「状況は悪いわ」
「どのくらいですか?」
「最悪の次くらい」
「どうぞ、ご説明を」
「昨日ノースウッドの守備隊が、南へ5km行ったところにある小さな村へホーンドラビットの群れの退治に派遣されたの。でもホーンドラビットはいなかったの」
「はい」
「その代わりにレッドベアがいたのよ。レッドベアは守備隊では歯が立たない。守備隊は撤退したわ。その際、隊長が重傷を負った。そしてお父様に騎士団派遣の要請をしたの」
「はい」
「その回答がさっき来たの。回答は『騎士団は出払っている』だったの。他の地区にもレッドベアが出ているらしいのよ」
「騎士団が回されるまで待つしか無い?」
「その通りよ」
「その場合、何が問題になりますか?」
「村に城壁はあるけどつい最近壁に傷が見つかったの。レッドベアにそこを攻撃されると破られる恐れがある。早く退治したいのだけど・・・」
「何か妙案でも?」
「無いわ」
「朝から乙女隊に招集を掛けましたが?」
「私の切り札は乙女隊だけなの。 どう? 何か策はないかしら?」
こういうときはソフィーに聞く。
「レッドベアは脅威度Bの魔獣だ」
「私が知っている魔物で同程度の脅威度というとどのあたり?」
「レッドサーペント、バジリスク、トロール、オーガウィッチといったところだな」
「絶対に勝てません」
「そうだな。今言った魔物共とレッドベアが決定的に違うのは、好奇心が強くて賢いところだ。追うと逃げる。そして忘れたころに不意打ちをしてくる。賢くて執念深い」
「う~ん。 ・・・オルタンスお嬢様?」
「カトリーヌの力になりましょう。座して領民の命を危険に晒すよりは希望が持てます」
オルタンスお嬢様が朝から気合いが入っている。
「承りました」
オルタンスお嬢様の決断で乙女隊が前に出ることになった。
だがその前に。
ソフィーがカトリーヌの袖を引き、集団から離れてボソボソと話をしている。
やがてソフィーが戻ってきて私に一言。
「頼めるか」
「無論」
重傷を負った隊長は実力・人望ともにあり、彼の容態はその後のノースウッドの街全体の士気を左右する。
ということで隊長に応急措置を施す。
重傷者の横たわる部屋に行く。
頭、顔、上半身に布を巻き付けられた女性が横たわっている。
布は盛大に血が滲んでいる。
傷の痛みと傷から来る熱にうなされている。
ん?
おんな?
隊長殿は30代半ばの女性でした。
守備隊隊長と聞いて無意識に毛むくじゃらのおっさんを思い浮かべた私。
全然ジェンダーの意識が無い。
ソフィーを妻に持ちながら。
駄目だ私。
ソフィーがカトリーヌに合図し、カトリーヌ、ソフィー、エマ、私の4人以外を人払いしてもらう。
布を剥がす。
剣を持つ右腕は骨折している。
盾を持つ左腕は粉砕骨折か?
左肩から上腕にかけて凄い裂傷が走る。
顔面左側にも深い裂傷。
血は止まっていない。
鑑定すると頭蓋骨も骨折している。
よく命があったな。
これが熊のパワーか。
カトリーヌは気分が悪そうになってふらついている。ソフィーが支える。
エマは大丈夫か?
パパとママがいるから大丈夫?
よし! さすがはエマだ。
一緒に治すぞ。
傷が深すぎるので洗浄は無し。
いきなり傷を塞ぐ。
「エマ。ヒール、憶えているね」
「うん」
「では行くぞ」
エマを抱き抱えるようにしながらヒールを掛ける。
傷口が光を纏い、見る見るうちに内部の肉が盛り上がり、傷が塞がり始める。
「一旦停止」
「うん」
「次は骨折を治す」
「・・・」
「用意はいいか?」
「うん」
(キュア)
ヒールとはやや性質の異なる魔力が流れていく。
骨や腱があるべき位置に戻っていくように念じる。
骨を接ぐように。
腱を接ぐように。
エマは目を見開いて魔力の流れとキュアのイメージを追っている。
よしよし。
よ~く憶えておきなさい。
骨や腱があるべき位置に戻ったらもう一度ヒール。
傷を塞いでいく。
顔の傷は完璧に治す。
傷跡を残さない。
肩から乳房に掛かる傷も完璧に治す。
傷跡を残さない。
それ以外の傷はうっすらと傷跡がわかる・・・かな? くらいにしておく。
新しい綺麗な布を傷に巻いた。
患者は熱にうなされている。
傷からばい菌が入っていると厄介だ。
というか、熊の爪にやられたのだから入っているだろう。
エマ。
ここからが重要だ。
よ~く憶えておくんだ。
白血球頑張れ。
キラーT細胞頑張れ。
マクロファージ頑張れ。
漠然と念じながら全身に広く薄くヒールを掛けていく。
いつしか患者は痛みや熱から解放され、気絶するように眠っていた。
ふと気付くとカトリーヌが金魚みたいに口をパクパクさせていた。
「ソフィー様・・・ これは・・・」
「これは公にしないで下さい。ビトーは光魔道士なのです」
「はい。もちろんです・・・ って光魔術・・・? ヒール・・・?」
「隊長殿はカトリーヌの師であり、人格者であり、この街の守備隊に欠かせぬ人材と聞きましたので、ビトーに治癒を頼みました」
「ビトー様に・・・」
「隊長殿は今夜にも目が覚めるでしょう。その時に、見かけは派手だったが思ったほど深くない傷だった、と言って下さい。皆にもそう言って下さい」
「本当はどうだったのですか?」
「よく命があった、というほどの怪我でした」
「・・・」
「日頃の鍛錬と、この街を守るという強い信念の賜物でしょう」
「うう・・・」
カトリーヌが落ち着くのを待って部屋の外に出た。
集まってくるノースウッドの要人達にカトリーヌが説明していく。
見かけは凄い傷だったが、急所は外れていた。
止血も応急措置も完璧に出来ていた。
もう山は越えた。
ワッと湧いた。
カトリーヌは隊長の家族を部屋に通し、付き添うように命じた。