126話 オーウェンの手腕
(マキの視点)
この婚約は最初から変でした。
まず突然決まりました。
しかも相手の希望は「バリオス家の誰か良いお嬢様」ではなく、最初から私を指名してきました。
私はバリオス家の新参者です。
花婿に多少難があっても、相手が私ならバリオス家も文句を言うまい。
そもそもバリオス家も私のために花婿のことを詳しく調べまい。
そんな思惑が透けて見えます。
私は貴族の社交やら婚姻やらの常識なんて何一つ知りません。
勉強不足なのは承知しております。
ただ、例のキャンペーンとその事後処理で忙しすぎたのです。
激務に耐えきれず、同僚は次々に倒れていくし・・・
私は何人分の仕事をしたのだろう?
だから全てオーウェン様にお任せしました。
言われた通りの服を着て、憶えるべき受け答えを全て丸暗記して、婚約の儀に臨みました。
両家顔合わせ。
相手の家からは変な感じを受けました。
当主はオーウェン様に慇懃でした。
これは当然です。
オーウェン様の方が爵位が上だから。
ですがその奥方や息子達からはイヤな視線を感じました。
あえて言うなら財前に似た感じ。
ホブゴブリンに似た感じ。
「○○家」
あえて実名は言いません。
二代前の当主が挙げた武勲が自慢。
現在は武家としての実力は三流から四流どころ。
ちなみに五流と判断されると武家失格なので、武家としては底辺に近い。
二代前の自慢話をされてもねぇ。
武家の実力を計る基準は、一つは用兵の巧みさ。もう一つが個人の武力。
最近は戦がないので用兵の巧みさはなかなか計れません。
ですのでここ最近は個人の武勇が武家の基準となりつつあります。
私の結婚相手はどんな感じでしょう。
・・・
・・・
私より弱いと思う。
まともに武の修行をしていない様に見えます。
ホブゴブリンはおろか、ゴブリンも討伐出来そうもない感じ。
私はウォルフさんやソフィーさんを間近で見ているし、ソフィーさんから直接手ほどきを受けていますので、強者の纏う雰囲気というものを知っているつもりです。
実力を巧みに隠して、他人に気取らせない、さりげない感じ。
目の前の貴族達からは真逆の印象を受けます。
僅かな実力で精一杯威張り散らしている感じ。
式次第の進行は全てオーウェン様にお任せしていたのですが、相手が予定に無いことを言い始めました。
貴族独特の用語、言い回しが奇っ怪過ぎて、最初は何を言っているのかわかりませんでした。
そのうち、私の立ち振る舞い、言辞に難癖を付け、持参金を積み増しさせようとしていることがわかりました。
オーウェン様が優雅に困惑されています。
『 オーウェン様が優雅に困惑されている 』
この恐ろしさを知らぬとは・・・
もう馬鹿馬鹿しい。
オーウェン様がチラッと私を見たので、私は指でバッテンを出しました。
オーウェン様が「口を開いて良し」という合図をして下さったので、私は発言の許しを求め、話し始めました。
「この度はわざわざ当家までお運び頂き、感謝に堪えませぬ。しかしながら私は○○家に嫁ぐにはまだまだ未熟。時期尚早。そう御判断を戴きましたので、本日の婚約の儀は無期限に延期と言うことに致しとう存じます。
よろしくお願い申し上げます」
私がそう言うと相手は慌て始めました。
「な・・・ まてっ! そちっ! そちに傷が付くのだぞ!」 (○○家ご当主)
「一向に構いませぬ」 (私)
「これだから下賤の者は・・・」 (○○家ご当主夫人)
「その下賤の者を指名して来られたという事実は、どこへ忘れ去られたのか存じませぬが・・・」 (私)
「・・・(ギリッ!)」 (○○家ご当主夫人)
両家のお付きの者達は混乱し、オーウェン様は泰然と構えておられ、○○家はぼそぼそと相談をしている。
やがて相談が終わったらしく、
「持参金積み増しは無しとします。当初の予定通り婚礼を・・・」
「お断り致す」
私が断る前にオーウェン様が断っていました。
「マキの申すとおり、この度の婚礼は時期尚早ということで、お引き取り願おう」
オーウェン様の口調がガラリと変わっていました。
私はかなり後になるまで知らなかったのですが、この国の貴族の婚礼には色々な決まり事があるらしいのです。
その一つに、
『 一度花嫁の姿を見たら断れない 』
というのがあります。
事前に散々調査し、両家で条件を摺り合わせたにも拘わらず、花嫁の姿を見て態度を変える。もしくは条件変更を要求する。
これは調査能力の脆弱さ、判断力の欠如を表すそうで、貴族としては(特に武家貴族としては)致命的欠陥とされるそうです。
そして、己の欠陥を暴露してまでも他家に要望を押しつけるのは不道徳の極みとされ、無能云々のレッテル以前に、貴族仲間から忌み嫌われる行為だそうです。
一方私も「身を偽るのに長けた悪女」として悪名を馳せ、以降、貰い手が無くなるそうです。
妙な貴族に嫁いでいじめ抜かれることに比べれば、どうと言うことはありません。
さて、オーウェン様と私は泰然として、お相手の一族が退出されるのを待っていたのですが、なかなか出て行ってくれません。
それどころか一族の間で掴み合いの喧嘩が始まってしまいました。
よその貴族の館でみっともない。
そして妙なことを言い始めました。
私が嫁ぐはずだった男(確かドナルドといったような気がしますが、名前は忘れることにします)が掴み合いを制したらしく、○○家を代表して私に向かってこう言いました。
「女。今私に嫁げば許してやる。そうでなければ決闘だっ!」
「馬鹿馬鹿しい」
頭の中で思っただけのつもりでしたが、声に出てしまったらしいです。
目の前の元婚約者は激高してしまい、なにかわめきながら剣を取りに走りました。
しょうがないな。
そう思って私もいったん部屋を辞して自分の装備を取りに行きました。
右手にノームの短剣。
左手にショートソード・アクセル。
レザーメイル。
左腕にノームの小盾。
右腕に小盾。
両手に手甲。
頭に兜。
胸元にはノームの首飾りが輝く。
フル装備の私が部屋に戻ると、オーウェン様はじめ、バリオス家の皆様が慌てていました。
普通、貴族の女性が決闘を受けることなど無いそうです。
お相手の方は何やら喚いていますが、言葉になっていません。
一族でくみつほぐれずの大乱闘。
その間にオーウェン様とお話をしました。
「マキ。その装備は・・・」
「私の冒険者としての装備です」
「冒険者・・・」
「はい。もともと私は学生であり、冒険者でした。職業は斥候です。E級の資格を持っております」
「盗っ人ごときが俺の相手に・・・」
「やめろ! こいつの口を封じろ!」
大騒ぎをされています。
そのうちお相手の一族の方々が総出で元婚約者を殴り始め、血だるまにして黙らせました。
お相手の家のご当主様がオーウェン様の前に跪き、頭を垂れ続けております。
修羅場です。
私は促されて退出しましたので、その場をどのように納めたのか知りません。
ですがその後、バリオス家の者たちが、腫れ物を扱うように私に接するようになったのはいかがなものでしょうか。
◇ ◇ ◇ ◇
(私の視点に戻る)
オーウェンがヒックスに根拠地を置き、仕事に取りかかる体制が整うと、私とソフィーはすぐにヒックスに呼ばれた。
以前私が述べたことについて確認が行われた。
「そちの知る『宗教○○』とやらをもう一度教えてくれ」
私は歴史学者ではないのですが、適当なことを言っていいんですかね?
昔読んだ本『せかいし(小学生低学年用)』の内容を思い出そうとした。
昔々、ある地域でさる宗教が隆盛を極めていました。
教会は信徒に対し、善であれかし、と願いました。
教会は様々な戒律を定め、何をすれば善であり、何をすれば悪であるかを定めました。
教会は、罪を犯してしまった信徒に対し、どのような善行を積めば罪を許され、天国に行けるかを教えました。
その善行とは、たとえば異教徒の迫害や聖地巡礼でした。
事情があって善行を積めない者には、教会へ多額の寄付をすれば善行になると教えました。
教会は壮麗な建築物を作り、文字を読めなかった民に対して、目で見える形で神の威光を伝えたいと思いました。
その費用をどのように調達しようか、悩みました。
建築費用を用立てる行為は善行である。
そう定義しました。
ここまでは良しとしましょう。
良くない?
そう・・・
乱暴に言うとお金が善を量る基準になったわけです。
教会は「これを買えば過去に犯した罪は帳消しになり、天国に行ける」と謳った “贖宥符” という紙切れを高額で売り始めます。
我が国に当てはめるなら、アノールのミリトス教会総本山がブリサニア王国の民に、何の価値も無い紙切れを、物凄い値段で売りつけるわけです。
「そんなこと許せるかっ!」
「そうですよね。でもそれだけじゃ無いんです。もっとカネを集めようとして『今までに売った贖宥符は無効だ。これから売り出す贖宥符のみ有効だ』と言って、さらに紙切れを高額で売り始めたのです」
「誰もおかしいと思わなかったのか!?」
「下々の者は『教会の言うことだから』と、無条件で信じたかも知れませんね。為政者は薄々いかがわしいと思っていたでしょう」
「・・・」
「でも教会がサクラを仕込んでおいて買わせれば、スネに傷を持つ者は藁にもすがる気持ちで買ってしまったのでしょうね。それを誰かが妨害したら、それはそれで大変なことになったでしょう」
「声を上げる者は誰もいなかったのか!? 為政者は何をしていたのだ?」
「それからかなり時間が経って、これに疑問を呈する聖職者が出てきました」
「・・・なぜその聖職者が出るまで放置されたのだ?」
「為政者は、『教会は臭い』と声を上げても、民衆が付いてこなかったら教会に異端と認定され、クーデターを起こされて民衆に処刑されたでしょう」
「・・・」
「民衆は、『教会は臭い』と声を上げても、為政者が付いてこなかったらやはり教会から異端と認定され、火炙りにされたでしょう」
「・・・」
「教会は、暗黙の了解で、国家より上の組織と認識されていたのです。ですから為政者と民衆の双方が同時に理性に目覚めるまで、声を上げても抹殺されたのです」
「その聖職者が守られたということは、機が熟したのか?」
「そうです」
「それでその問題の教会は叩き潰されたのだな」
「そうではありません」
「なぜだ?」
「相手は民衆の中に何百年も根を下ろした宗教です。簡単に潰されるようなタマではありません。
ただし、国家が教会に反旗を翻した聖職者を守り、聖職者が新たな教義を打ち立て、従来の教会との間に抗争が勃発するのです。そしてその国では従来の教会の力は大いに削がれました」
「ふうむ。機が熟さないと上手くいかない。そして時間が掛かる、か」
「私は、機が熟したと判断致します」
「ほう」
「スタンピードにおいて信徒を見捨てて逃げ去った女神アスピレンナの行動は、どんな解釈を持ってしても言い訳のしようがありませぬ。
そして教会の総本山が壊滅し、最高幹部どもが揃って死滅した今こそチャンスであると理解致します」
「そこから先は言わぬでもわかる。実務の方は任せて貰おうか」
◇ ◇ ◇ ◇
オーウェンが動き始めた。
まずスタンピードに際し、全てを見捨てて逃げ去った女神アスピレンナの行動を大々的に広報した。
更に王都アノールにおいて、教会の総本山から一般信徒に至るまで、アスピレンナ以外は全滅した事実を付け加えた。
事実をそのまま国内外に流布した。
精緻に、淡々と、感情を交えず、事実のみ流布した。
ここで巧妙だったのは、決して咎める論調では無かったこと。
怒りに震えるのはこの情報に触れた人たちに担って貰った。
この世界は識字率が低い。
文字が読めない一般大衆向けに、ティアマト信仰の修行僧が、ミューロンのミリトス教会から募った有志が、それぞれ全国行脚し、辻説法で女神アスピレンナの行いを淡々と広めていった。
神聖ミリトス王国内の町や村では、ミリトス教会があれば真っ先に訪れ、迷っていれば徹底的に語り合わせ、丸ごとこちらに引き入れた。
頑なであれば丁寧に挨拶し、辞去した。
第二段階。
女神アスピレンナを信じれば治癒魔法を使えるようになる、というのは嘘だった。
という事実を、やはり淡々と、感情を交えず、流布した。
証拠として、(今は壊滅した)アノールにあったミリトス教会総本山の最高幹部でさえ、まともな治癒魔法は使えなかったという “事実” を語り歩いた。
これは既に “ミリトス教会の神聖魔法は効かない” という噂が一人歩きしていたので誰もが信じた。
再三段階。
ミリトス教は元々スキピオ山の山岳地帯に住む少数民族の土着宗教だった。
という事実を宣伝した。
その素朴な教義(自然崇拝)も全て公表した。
そして神聖ミリトス王国は発祥の地ではない、と言う事実を淡々と述べた。
第四段階。
サン=スキピオ王国のミリトス教は、聖女ロクサーヌという者に乗っ取られた挙げ句、今のミリトス教会になった、という事実を宣伝した。
聖女ロクサーヌは、時のサン=スキピオ王国をそそのかして無謀な戦争を始め、国を破滅させた、という歴史上の事実を宣伝した。
最終段階。
聖女ロクサーヌの肖像画と、女神アスピレンナの肖像画を、合わせて公開した。
複製を作るのに時間が掛かったので最後になったが、素人でも一目でわかる。
同一人物だ。
聖女ロクサーヌがしたこと、女神アスピレンナがしたことを列挙して、この者を信じて良いのか? この者をトップに戴く宗教は信用できるのか?
民衆に対し『皆で考えて欲しい』と締めくくった。
“皆” のなかにオーウェンの手の者が入っている、という寸法だった。
サン=スキピオ王国が滅んだのは200年前だ、と言う事実に気付く者もいた。
「そうですね。 と言うことは、どういうことなのでしょうね」
聖女ロクサーヌについて、聖女ロクサーヌと女神アスピレンナの関係について、調べる者が大量に湧いて出るように仕向けた。
◇ ◇ ◇ ◇
オーウェンの手腕はさすがだった。
瞬く間にミューロンからイプシロン、そしてアノールに至るまでの地域が神聖ミリトス王国から分離独立した。
それは全て民が自治体の長を担いで自発的に起こした運動だった。
この地域は神聖ミリトス王国の国土の1/3。人口の約半分が住まう地域だ。
この知らせに神聖ミリトス王国の残りの地域が動揺し、分裂が始まった。
これらの地下工作は、全て新生ミリトス教会を通じて行われた。
オーウェンは「自分は穏健派」と言うが、その政治手腕は剛腕、辣腕と言っても過言では無く、私やマキには及びもつかぬものだった。
せっかく慰撫された民が気を悪くするので詳細は語れないが、その施策・判断・処置には凄味があった。
◇ ◇ ◇ ◇
私とソフィーは定期的にイルアンとハーフォードとヒックスを行ったり来たりしていたが、ミリトス教会絡みでは私の出番などなかった。
私が口を利いたのは一度だけ。
それは別の機会に紹介する。
私とソフィーは定期的に古森と岩の森へ顔を出していた。
目的はアスタロッテの痕跡の情報を聞くことと、エマの顔見せ。
エマは期待通り治癒魔法と水魔法の素養を持っていた。
エマはラミア達を怖がらなかった。
子供のうちから慣れさせておけばそんなものか。
エマはつたない言葉でアイシャとアレクサンドラを「大母様」と呼び、アイシャもアレクサンドラも相好を崩してエマをかわいがった。
アスタロッテの痕跡だが、一時期、神聖ミリトス王国でちらほら見られたが、そのうち見られなくなった。
どうやらノースランビア大陸の西大陸へ移ったのではないかとのこと。
バフォメットの痕跡も見られない。
アルマの痕跡も、ウチに顔を出した時以降、見られない。
残る謎は、
どうしてアスタロッテは神に勇者召喚を願えたのか?
更に追加で異世界召喚をできるのか?
過去においてもしているのか?
これはアイシャといえどもわからない。