119話 聖女ロクサーヌ
ガルシアに教えられた家に行った。
周囲は廃墟だった。
元々は上流階級の住む一画だったらしい。
敷地も広く、崩れ落ちた屋敷も大きい。
昔、大火に見舞われたらしく、焼け焦げた痕がちらほら残っていた。
ドアをノックしたが、誰も出てこない。
もう一度ノックしたが、うんともすんとも言わない。
だが人の気配はある。
こちらの様子を伺っているらしい。
扉越しに向こう側を鑑定してみる。
種族:人間・男
年齢:71歳
魔法:無し
特殊能力:無し
おじいさんがいらっしゃる。
そこでガルシアから貰った紹介状を、扉に向かって開いて提示する。
しばらく時間が過ぎる。
読み終わったかな? という頃に扉が開いた。
白髪の年寄りが出て来た。
着ているものは良い物らしいがくたびれていた。
ガルシアの紹介状を差し出すと、引ったくるように取って丹念に読み始めた。
老人が手紙を読んでいるうちに鑑定を済ませる。
老人はミリトス教徒ではない。
女神アスピレンナにも通じていない。
奴隷でもない。
スキピオ教という宗教の教徒らしい。
なんとなくスキピオ教とミリトス教は関係がありそうだ。
老人は手紙を読み終えると鋭い目で私の素性を見抜こうとしていた。
「お前さんは何者かな?」
「冒険者です」
「ただの冒険者ではあるまい」
「ブリサニア王国からきました」
老人はしばらく私を見ていたが、やがて家の中に招き入れてくれた。
椅子を勧めてくれ、お茶を出してくれた。
お互い名乗りもせず、いきなり本題に入った。
「それで?」
「どんな些細な事でも構いません。ロクサーヌに関すること、コスピアジェとの確執などを教えて欲しい。私が既に知っていようが気にされる必要はありません。あなたがご存じのことを全て教えて欲しいのです」
「儂とて全てを語れるわけでは無い。儂はこんな老いぼれじゃが、その儂が生まれるよりも遙か昔の話じゃ」
「かまいません。他に代わりの利かぬ貴重な知識です」
「どこから知りたい?」
「最初から。全てを」
「・・・」
「無粋とは思いましたが、謝礼を用意致しました」
そう言って、ポーション詰め合わせ(中級×1、下級×2)と【レントの誉れ】を老人の側のテーブルに置いた。
「はてさて。本物のポーションなど見たのは何年ぶりかの。確かにお主はブリサニア王国出身のようじゃ」
そう言うと、老人はぽつりぽつり話し始めた。
◇ ◇ ◇ ◇
この辺りは、サン=スキピオ王国時代はミリトス教会の幹部が住んでおった地区じゃ。
そして例の事件の時に民の襲撃を受けてこの一画は焼け落ちとる。
儂は例の事件の時に転向したミリトス教会の司祭の孫でな。
無論儂はミリトス教とは縁もゆかりも無い。
だが幼い頃によく訪れていた祖父の家が好きでな。
ほとぼりが冷めてからこの家を片付けて移り住んだ。
そしてこの家にはな、少しではあるが昔の資料が焼け残っている。
祖父や父が語った昔話と突き合わせると、朧気ながら見えてくる物があるのじゃ。
お主も独自で調べているのであろう。
おそらくお主の聞いてきたことと矛盾するところもあろう。
だが、そんな説もあるということで聞きなさい。
「了解しました」
まず話の柱にミリトス教がある。
これを抜きに話をすることは出来ぬ。
ブリサニア王国の方には不愉快じゃろうが。
「問題御座いません」
元々ミリトス教は、この国のシンボル・スキピオ山の山腹に暮らす少数民族の土着宗教じゃった。
スキピオ山自体が御神体だった。
スキピオ山を敬う宗義じゃ。
スキピオ山は割と最近まで激しく噴火しておってな。
その後も小規模な噴火は何度もあった。
噴火があると山腹に暮らす少数民族だけでなく、山裾に暮らす大勢の民も被害を受ける。
山腹に暮らす少数民族は、噴火は山の神の怒りである、と考えておった。
アニミズムじゃな。
そして火の山の神を鎮め、人々に害を及ぼさぬように祈ったのがミリトス教の始まりじゃ。
山裾に暮らす民も同じじゃ。
火の山の神を鎮めるため、徐々にミリトス教を信じるようになり、組織化され、国中に広まっていったようじゃ。
それがどうした訳かロクサーヌ一派に乗っ取られた。
乗っ取られたミリトス教は、教義も全然違う物に変わった。
国民の幸せやら、国家の繁栄やら・・・ 様々な宗教をつまみ食いしたのか、はたまた詐欺師の戯言なのか、わけのわからない教義になり果てていたのじゃ。
「もう火の山の神はどうでも良いのか?」
山腹に暮らす少数民族だけがそう問いかけたらしい。
じゃが異端者として迫害を受けた記録が残っている。
その後、誰も異論を唱えなくなった。
ロクサーヌによる教会乗っ取りは急激に行われたようじゃ。
記録によると、当初はロクサーヌを聖女と認める/認めんで大論争があった。
じゃが大聖堂で行われたロクサーヌの異端審議でロクサーヌは圧倒的な奇跡を見せ、総大司教以下、全顕職および出席者がロクサーヌを聖女と認めたとある。
以降、ロクサーヌは教会を手中に収めたのじゃ。
◇ ◇ ◇ ◇
「ロクサーヌの見せた奇跡とはいかなるものだったのでしょう?」
「わからぬ」
「?」
「どのような奇跡が行われたのか。記録が全く残っていない」
「本当に?」
「取り巻きは『奇跡だ、奇跡だ』と騒いだが、どんな奇跡を行ったのか一つも記録が残っていない。口伝すら残っていない」
「あなたは本当に奇跡が行われたと思いますか?」
「わからぬ。なにがしかの行為はあったのじゃろう。
だが『なにがしかの行為』程度で『奇跡だ、奇跡だ』と騒ぐじゃろうか?
疑いの目で見ていた総大司教や顕職達は納得したのじゃろうか?」
「納得しないでしょう。とてつもない奇跡が行われなければ」
「そうじゃ。そしてとんでもない奇跡が行われたら、連中はこれでもかと大宣伝をするはずじゃ」
「それが無い・・・」
「そうじゃ。矛盾しているのじゃ」
「そして王宮もロクサーヌ一派に乗っ取られていたのじゃ。いや、正確に言うと王宮がこぞってロクサーヌ信者になったのじゃな」
「王族は奇跡とやらを見たのでしょうか?」
「わからぬ。ただし、王族が『奇跡だ、奇跡だ』と騒いだという記録は無い」
「わかりました。続きをお願いします」
◇ ◇ ◇ ◇
とにかくその聖女じゃ。ロクサーヌじゃ。
ロクサーヌが突然悪魔の化身を倒せと言い始めたのじゃ。
悪魔の化身とはなんだ?
ロクサーヌが一枚の絵を持ち込みおった。
そこに描かれていたのはアラクネの絵じゃった。
儂らは悪魔と言えば山羊の頭を持った巨人を指す。
アラクネではない。
じゃが絵を見せられた者は全員アラクネを悪魔と認識したらしい。
山羊の頭を持った巨人も悪魔じゃが、アラクネも悪魔じゃ、と。
そして何故かロクサーヌはアラクネの住処を知っておった。
アラクネ討伐の結果は知っての通りじゃ。
儂よりも詳しい者が一杯いるじゃろ。
アラクネに刃を向けて敗北した後、国はひっくり返った。
国民はミリトス教会を糾弾した。
驚いたことに国民は、たったの一晩でロクサーヌが出現する前の、火の山の神を鎮める教義に戻っていたのじゃ。
そしてロクサーヌを担いだミリトス教会に対し、転向を迫った。
儂の祖父もそれで転向したのじゃ。
転向しなかった者は殺された。
じゃが・・・ 肝心のロクサーヌが消えていたのじゃ・・・
◇ ◇ ◇ ◇
「ロクサーヌは行方不明?」
「そうじゃ」
「生きていると思いますか?」
「200年も昔の話じゃ」
「ロクサーヌは人間と思いますか?」
「なんじゃと?」
「ロクサーヌの出身地はわかりますか?」
「わからぬ」
「山岳信仰に戻った宗派は、名前を何というのですか?」
「表向きはスキピオ教と呼んでおる。自分らではミリトス教と呼んでおるがの」
「ミリトスとはどんな意味なのですか?」
「スキピオ山に住まう神の名じゃ」
「納得致しました」
◇ ◇ ◇ ◇
それから混乱期の話、復興に向けて動き始めた時代の話、現在も貧困に喘いでいる話を聞いた。
最後に私から質問をした。
「ところで。 これはあなたに聞く話ではないかも知れませんが、コスピアジェに対して意趣はおありですか?」
「思うところが無いわけではない。だが、かの者からしたら致し方なかったことは理解しておる。 民を手にかけなかったことは大いに感謝しておる」
「わかりました。最後にもう一つ。ひょっとしてロクサーヌの肖像画などお持ちではありませんか?」
「ある」
「見せて頂いてもよろしゅうございますか?」
「うむ」
老人は書庫を探っていたが、まもなく1幅の肖像画を携えてきた。
「これは当時の宮廷画家が描いたものじゃ」
一目見てわかった。
予想はしていたが、これほどの事実を突きつけられると少し震える。
「このロクサーヌの肖像画は他にもありますか?」
「うむ」
「お借りしてもよろしいでしょうか?」
「何故かな?」
「見せたい人がたくさんおります」
「何故見せたい?」
「わたし、この人に似た人を見たことがあるのです。他の方にも見て貰って確認して頂きたいのです」
「ほお・・・ 似た人とな。 だれかな?」
「女神アスピレンナ」
今日、初めて老人の顔が驚きの表情に変わった。