111話 事情
アスタロッテがバフォメットを捜索する動きについてアルマに聞いてみた。
これはバフォメットも聞きたがった。
バフォメットに瀕死の重傷を負わせたアスタロッテは、この機会にバフォメットの息の根を止めておかねば将来に禍根を残すとばかり、バフォメットの痕跡をノースランビア大陸中に探し回った。
探しに探した。
しかし、ついに見つけられなかった。
バフォメットがアルマを優しい目で見ていることに気づいた。
私がアルマの顔を見つめると、教えてくれた。
「私は人間の認識を操作するのが得意なのですわ」
「バフォメット様を見てもバフォメット様と認識させない?」
「ええ。 使い方としましては『すり替え』ですわ」
「それは・・・」
説明してくれた。
実際にバフォメットを見た人間は、別の何か(例えば熊)を見たと思い込む。
バフォメットを見ていない人間が、突然「俺はあそこで巨大な魔族らしきものを見た」と思い込む。
そしてその情報がアスタロッテの元に届くよう仕向ける。
アスタロッテを嘘の情報の洪水で埋め尽くすのだ。
言葉を飲んでしまった。
それは世界を裏から操れる力ではないですか。
アルマの話が続いた。
アスタロッテは自分でバフォメットを探すことを諦め、罠を張ることにした。
もしバフォメットが人間の国に潜伏しているなら、エネルギー補給(食事)の関係上、どうしても噂が立つ。
曰く、
最近魔物がいなくなった。
やたらと家畜が消える。
行方不明者が増える。
頻繁に神隠しが起きる。
これらの情報が無い以上、バフォメットは人間の国家の管理が及ばない、辺鄙な土地に潜伏しているに違いない。
そう読んだアスタロッテは、ノースランビア大陸の政治的空白地帯を国家の管理下に置き、そこに人間を住まわせ、バフォメットに繋がる噂を漏らさず拾い上げるようにした。
これが神聖ミリトス王国が一気に国土を拡張した理由だという。
「ということは、女神アスピレンナとは・・・」
「アスタロッテ様のことですわ」
アルマはこともなげにそう言い切った。
アスタロッテは『女神アスピレンナ』という地位をでっち上げ、ミリトス教会を乗っ取り、ブルトゥス大公国を牛耳り、ノースランビア大陸の政治的空白地帯を占領して回った。
ノースランビア大陸に政治的空白地は無くなった。
しかしバフォメットに繋がる情報は得られなかった。
次の策として、アスタロッテはノースランビア大陸中の治癒魔法使いをミリトス教会公認のものとし、自分の傘下に収めようとした。
そして召集に応じない治癒魔法使いを暗殺していった。
これはバフォメットに治癒魔法使いを使わせないためである。
更に次の策として人間の国に対し「魔王を倒せ」とプロパガンダを掲げた。
もしバフォメットが見られたとき、すぐに情報を入手できるように、という意図だった。
ソフィーに確認した。
一般に人間の国では魔王とはバフォメットのことを指すらしい。
「そうであったか」
話を聞いたバフォメットが何を感じ、何を考えているのか読めない。
怒るわけでもなく、冷静に復讐を考えている風でもなさそうだ。
やはり魔族とは人間の理解の及ぶ存在ではないらしい。
「私には良く分からないのですが、なぜ魔女アスタロッテが女神アスピレンナになれたのでしょう?
といいますか、そもそもアスピレンナって何でしょう? もともとミリトス教の中にそのような女神の伝説があったのでしょうか?」
アルマが面白そうに答えた。
「あら、それは実際に信じた人間に聞かないと本当のところはわかりませんわ。人間が女神アスピレンナの実在を信じているのですから」
「わたしはこの世界の人間ではありませんので、何があったのか、どんな経緯で人々がアスピレンナという女神がたしかに存在すると信じたのか、全く分からないのです。
大雑把に聞いた話では、50年前に突然女神アスピレンナが現れ、数多の奇跡をなしたとされています。
ではどんな奇跡があったのか? と聞くと、誰も答えられませんでした」
「そうでしょうね。アスタロッテ様には奇跡を起こす力はありません」
「ではなぜ人は女神アスタロッテを信じたのでしょう?」
「私は当事者ではありませんので推測になりますが、おそらく洗脳されたのでしょう。
アスタロッテ様は魔眼の持ち主です。自分より魔力の低い者に対し『何かが起きた、自分はたしかに何かを見た』と信じ込ませることができます。奇跡など何一つ起していなくとも、そう思い込ませることが可能なのです」
「アルマ様と同じ力でしょうか?」
「いいえ。私はAを見た者に対し、『Bを見た』と信じ込ませることが出来ます。
アスタロッテ様は何も見ていない者に対し、『Bを見た』と信じ込ませることが出来ます。つまり、無から有を作り出せるのです」
「アスピレンナの祝福を受けると治癒魔法が使えるようになる、という話も・・・」
「嘘ですわ。 ビトー様は信じておられましたか?」
「いえ、私が生きた反証ですので」
「そうですわね」
「メッサーのダンジョンがスタンピードを起こしたとき、アスタロッテは教会を放り捨てて逃げてしまったのですが、なぜでしょう?」
「それは彼女は何もできないからですわ」
「?」
「アスタロッテ様は一対一の戦いでしたら滅多に遅れを取ることはありません。ですが一度に大量の魔物を相手にする広域攻撃魔法は持っていません」
ミリトス教とアスタロッテの関わりについても聞いた。
元々ミリトス教は、聖ソフィア公国の前身のサン=スキピオ王国の一地方で細々と信仰されていた、土地神信仰の民間宗教だったらしい。
アスタロッテがその土着宗教を利用してサン=スキピオ王国を牛耳り、サン=スキピオ王国では一時期ミリトス教が一大勢力になった。
今でも聖ソフィア公国にその名残が残っているという。
サン=スキピオ王国といえばコスピアジェとの確執で有名だ。
実はアスタロッテがコスピアジェに仇なそうとしたのが200年前の騒動だという。
「サン=スキピオ王国のくだりはコスピアジェ様のことになりますので、私が軽々しくお話しすることは憚られます。ご自身で聖ソフィア公国へ出向かれてお調べになることをお勧めします」
◇ ◇ ◇ ◇
バフォメットの雰囲気が変わった。
妙な視線を感じた。
バフォメットがソフィーを見る目が先ほどと異なる。
というか、私を見る目も変わってきている気がする。
先ほどまでは、恐ろしいほどの力を内包しつつも穏やかな雰囲気を醸し出していたが、今は変な感じがする。
内から湧き出る衝動を自制できないのではない。
自制しなくてもいいんじゃないか?
恩人だろうが、恩人の家族だろうが、欲望のままに殺して喰っちまってもいいんじゃないか?
そう思い始めているような気がする。
ジギル博士からハイド氏へ、突然人格が入れ替わった様な気がした。
「主に疲れが見えてまいりました」
そうアルマに促され、小屋の外に出た。
◇ ◇ ◇ ◇
小屋の前でバフォメットに別れを告げ、アルマに導かれて下界への帰途についた。
やはり道中は目隠しをされ、アルマに手を引かれ、何度も同じところを行ったりきたりし、目隠しを取ると最初にアルマに出会った森のはずれにいた。
もう一度アルマから丁寧な礼を言われ、こちらも返礼し、お暇しようとすると、アルマが私の手を握ったままでいることに気づいた。
アルマは光る目で私を見ていたが、やがて
「実際に私とお会いした上で、私の奉仕をお断りになった殿方は、ビトー様が初めてでございます」
「は・・・」
「ビトー様から受けた辱めは一生忘れませぬ」
「そ・・・」
「冗談ですわ」
アルマは私の手を離し、ニコッと微笑むと、どこからともなく皮袋を取り出した。
「今回の謝礼ですわ」
そう言って私に革袋を握らせると、背後の森の中にサッと消えていった。
「怖い・・・ 怖い・・・」
私はソフィーとマロンを抱きしめて震えた。
革袋の中を検めると大白金貨が10枚入っていた。
約10億円。
どこぞの地方自治体の年間予算をくすねてきたのかな?