110話 依頼主の正体
小屋の扉は開いている。
我々の位置からは小屋の中は見えない。
だがソフィーは目を見開いて扉の中を凝視している。
アルマが入室を勧めたが、動こうとしない。
私の手を握り締めて、私を先に進ませないようにしている。
「お入りになりませんか?」
柔らかな笑みを浮かべながらアルマが促すが、ソフィーは動かない。
「アルマ様。ご主人様の手前申し訳ありませんが、少しお時間をいただきたく、お願い申し上げます」
「もちろんですわ。主からは決して無理を押しつけてはならぬ、と釘を刺されております」
「ソフィー。少し小屋から離れて落ち着こう」
「・・・」
「ソフィー?」
「お前、小屋の主が誰かわかっているのか?」
「わかりません」
「何をのん気なことを言っているっ!」
「誰が小屋の主であっても問題ありません」
「・・・」
「病や怪我に苦しみ、私の拙い治癒を藁にも縋る思いで待たれている御方なら、誰であってもかまいません」
「・・・」
「たとえそれが市井のパン屋のおかみであっても、建国の英雄ブリスト・スチュワード陛下であっても、魔族の王たるバフォメット様であってもです」
小屋の中から叫び声があがった。
言葉はわからない。
しかし、何かに感動して興奮しているらしいことはわかる。
あわててアルマが小屋の中に入り、中にいる者を静めているようだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「主が是非お礼を申し上げたいと申しております。 どうぞ中へお入りください」
そうアルマに促され、ソフィーはあきらめた様にマロンと一緒に小屋の中に入った。
ソフィーも腹を決めたようだった。
そこには頭部に大怪我を追った大型の魔物がいた。
頭部には山羊の巻角を思わせる巨大な角を頂くが、一本折れているようだ。
目は2つあったのだろうが、片目が潰れている。
鼻の穴は2つ。
口は1つ。
耳は2つあったのだろう。
だが片方が跡形も無い。
もっとも耳たぶが無いだけで、聞こえているのかも知れない。
腕は2本あるようようだが、片腕が原型を留めないほどの怪我を負っている。
体は暗紫色の毛で覆われているが、人型。
服らしきものは着ていない。
体を覆う体毛は半分ほど血で汚れている。
血は赤い。
そして特筆すべきはその大きさ。
座っているのに頭は小屋の天井につかえている。
立ち上がったら3mを超えるだろう。
小屋の内部の1/4ほどが魔物の体で埋まっている。
小屋の中は独特のにおいがする。
小屋の外まで漏れてきたあのにおい。
主の体臭なのか、血のにおいか、呼気のにおいか。
小屋の主が金色に光る目で私を見ていた。
魔眼なのだろう。
私を鑑定しているようだ。
私は部屋の主の鑑定が終わるまで待った。
部屋の主がほっと息をついたのを見計らって、片ひざをつき、挨拶した。
「お初にお目に掛かります。人間族のビトー・スティールズと申します」
「こちらは我が妻 ソフィー・スティールズ」
「こちらは我が友 マロンでございます」
「□□△□□、□□△□□□▽□□□、□▽▽□□□□□」
「▽▽□□□×□□、□□△▽□□□▽▽□、□▽▽□□○○□」
おそらく自己紹介をしてくれたのだろうが、わからない言語だった。
アルマが通訳してくれた。
「『我が名はバフォメットと申す。遠いところをお越し頂き、感謝する。 先ほどのお言葉にいたく感銘を受けた。御礼申し上げる』 と申しております」
「私の言葉を理解しておられるのですね」
「もちろんでございます。普段であれば主は人の言葉を話すこともできます。この度は傷を負っており、人の言葉を発することができませぬ。私が通訳を致します」
「では形式に則った挨拶は後にして、すぐにバフォメット様の苦痛を取り除くことに致しましょう」
アルマの顔が喜色にほころんだ。
バフォメットもそうだったのだろうと思うが、バフォメットの表情は人間と違いすぎて良くわからない。
鑑定する。
種族:バフォメット(固有種)
年齢:395歳
魔法:火・水・風・土
状態:被呪
特殊能力:HP回復
脅威度:S
外傷らしいのだが、よく分からないところがある。
外傷以上に内側の体組織が破壊されているところがある。
特に腕が酷い。
骨まで潰れてしまっている。
私の勝手な想像だが、上級魔族ともなれば怪我を負ってもすぐに回復するような気がしていたが、そうでもないのだろうか。
内心首をひねっていると
「魔法による傷です」
「体内に入り込んで内側から破壊するのです」
「回復を阻害する術式が組み込まれておりました」
アルマが教えてくれた。
そんな攻撃魔法があるらしい。
頭部への攻撃を少しでも緩和するため、腕で攻撃魔法を受けたが、それでも片目、片耳がやられてしまったという。
すぐに治癒に掛かる。
まずは頭部から。
脳は無事。
視神経はやられていない。
眼球の再生はできるだろうか?
再生できたとして視力は戻るだろうか?
人間なら戻らないのだが。
やってみる。
回復を阻害する術式だったということで、まずは巨大な体全体に解呪を施した。
この手の魔法は呪いと同じと見て間違いない。
と簡単に言ったが、これがとんでもなく大変だった。
確かにディスペル(解呪)が効いている手ごたえがあるのだが、バフォメットのステータスがなかなか解呪にならない。
ソフィーとマロンに観察して貰いながら解呪し続ける。
いったい私の術式はどこに消えていったのだろう? といった感じ。
バフォメットの体に掛けられた呪いに際限なく魔力が飲み込まれていく。
アルマがバフォメットをじっと見ているので、間違いはないとは思うのだが。
私の魔力がほぼ尽きた頃にバフォメットのステータスの『被呪』が消えた。
一度お暇させてもらい、小屋の外に出て眠りについた。
◇ ◇ ◇ ◇
どのくらい寝ていたのか分からない。
目覚めたときはスッキリしていた。
ソフィーが心配そうに私を見ていた。
マロンは何の心配もしていないようだった。
アルマに声を掛け、小屋の中に入れてもらう。
バフォメットのステータスを確認すると解呪されたまま。
うまく行ったようだ。
既に自然治癒も始まっているようで、腕は見違えるように回復している。
視力と聴力は回復していないので、治癒を行う。
魔眼の構造など知る由も無い。
バフォメット自身の再生能力を信じ、健全なもう一方の目と同じ形に再生するイメージでキュアとヒールを掛けて行く。
最後に眼球と視神経を繋ぐところは渾身のキュアを掛けた。
魔耳の構造など知る由も無い。
やはりバフォメット自身の再生能力を信じ、健全なもう一方の耳と同様に再生するイメージでキュアとヒールを掛けて行く。
耳は目ほどダメージを受けていなかった。
驚いた。
すぐに見えるようになり、聞こえるようになったという。
50年ぶりに両目でものを見ることができ、両耳で音を聞くことができた喜びはかなり大きかったらしく、深く感謝された。
やはり自然治癒では視力も聴力も戻らなかったという。
再度体全体を鑑定し、呪いの残滓が残っていないことを確認した。
今ある傷はすぐに御自身の治癒能力で完治するでしょう。
そう伝えると喜んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
アルマがバフォメットの様子をチラチラ見ている。
バフォメットはメキメキと力を取り戻しているように感じる。
アルマに促されて我々は小屋の外に出た。
小屋からかなり離れたところで立ち止まり、深々と頭を下げられ、礼を言われた。
「このたびは本当にありがとうございました」
「(挨拶せずに出てきてしまって)よろしかったのでしょうか?」
「ええ。今、主は己に戻った力を確認しておりますので、近くに居られると皆様が巻き込まれてしまいます」
「この距離で大丈夫ですか?」
「ええ、あの小屋も結界になっておりますので」
小屋から振動が伝わってくるが、影響は小屋の中に収まっている。
この間にアルマから何があったのかを聞いた。
◇ ◇ ◇ ◇
高位魔族内で抗争があった。
バフォメットはアスタロッテの襲撃を受け、重傷を負った。
「すみません。最初から分からないのですが・・・」
「どうぞ、何でも聞いてください」
「まずバフォメット様、アスタロッテ様はこの世界でたった1人のお方ですか?」
「ああ・・ はい。主はあなた方の言葉では『山羊魔』と言われている高位魔族で、この世界でただお一人の『山羊魔』になります。あなた方の言い方では脅威度Sの魔物となります。
アスタロッテ様もあなた方の言葉では『魔女』と言われている高位魔族で、この世界でただお一人の『魔女』になります。あなた方の言い方では脅威度Aの魔物となります。」
「アルマ様。あなた様も・・・?」
「はい。私もこの世界でただ一人の『夢魔』でございます」
ちなみに上級魔と下級魔は複数いて、固有名も無いとのことだった。
魔族の抗争について聞いた。
当然のことだが魔族の常識と人間の常識は異なるらしく、話を理解するのに難儀したが、おおよそこういうことらしい。
大前提として、バフォメット、アスタロッテともに、この世界で山羊魔や魔女を繁栄させよう、増やそうという意思は無い。
そもそも世界に一人があたりまえ。
仮に山羊魔や魔女が複数いたら殺し合うらしい。
山羊魔と魔女では山羊魔の方が上位だが、もし魔女が山羊魔を殺せると思ったら、いつでも殺して良い。
そこには善や悪といった概念は無い。
これは逆も同様で「最近魔女が目障りだ」と思ったら、山羊魔はいつでも魔女を殺してよい。
そもそも人間は山羊魔と魔女をひと括りに「魔族」としているが、生物学的には縁もゆかりもない。
人間とゴーレムほども違う種族らしい。
アスタロッテの襲撃を受けたバフォメットは辛うじて生き残り、身を隠した。
バフォメットを襲った攻撃には回復が阻害される術式が組み込まれていた。
バフォメットを見失ったアスタロッテは、手下を使ってバフォメットを探させた。
しかし見つけられなかった。
バフォメットは自然治癒が殆ど効かなかったため、アルマに命じて結界を張り、眠りについた。
約50年の眠りからさめると傷の進行は止まっていたが、自然治癒する気配がない。
そこでアルマを使って外の世界の情報を集めさせたところ、「魔物の治癒士」といっても差し支えないほどの変人の情報が引っ掛かった。
そしてアルマがコスピアジェに接触し、アレクサンドラを紹介された。
アレクサンドラに変人治癒士の技量を確認し、腕は確かであり、かつアスタロッテと敵対する治癒士であることが確認できたため、アレクサンドラ -> アイシャに紹介を頼んだ。
アイシャの歯切れが悪かったことを思い出した。
たぶんこういうことなのだろうな、ということで聞いてみた。
「バフォメット様やアルマ様にとって、人間は食料ですか?」
アルマは答えに困っていたが、
「広義では、そうです」
と正直に答えてくれた。
◇ ◇ ◇ ◇
「主の確認が終わったようですわ」
小屋に戻るとバフォメットは全快していた。
腕も怪我の痕跡は無い。
異様に光る双眸で上から見下ろされながら礼を言われた。
「見事な解呪と治癒であった。完全に元の力を取り戻すことができた。
恥ずかしながら自分が治癒士の世話を受けるとは思っても見なかった。
感謝いたす」
「痛み入ります」
「これほど簡単に呪いを祓うとは、アスタロッテが血眼になって治癒士を殺して回るのも理解できる」
(いえ、決して簡単じゃなかったのですが・・・)
「そなたに礼をせねばならぬ。そなたが生きている間、アルマをそなたの眷属にできるがいかがだろう」
「有り難い申し出ではございますが、それには及びません」
「アルマほどの快楽を与えることのできる者は他にはいないと思うが?」
「左様でございましょう。疑う余地はございませぬ」
「ではなぜ?」
「私にはアルマ様を迎え入れる資質がありません」
「どういう意味か?」
「恐らくアルマ様は人間が自力で得ることの出来る快楽の100倍もの快楽を与えて下さるでしょう」
「ふむ」
「しかし、一度それを味わってしまえば私は元に戻れませぬ。四六時中アルマ様を求め続けることになりましょう。そして私は1年以内に死ぬでしょう」
「・・・」
「今までアルマ様を身近に置いた人間は例外なく早死しましたでしょう?」
「ご存知だったのか」
「過去の人間の運命を知っていたわけではありません。人間の脳の構造からそうなるだろうと予想したのです」
「・・・」
「一度アルマ様を味わうと、ドーパミン、エンドルフィンといった快楽物質が過剰に分泌され、以降、脳がアルマ様を求め続けるのです。中毒です。
たとえば1ヶ月に1度、1時間だけアルマ様と接する。そのような自制が可能ならば影響は少ないでしょう」
「・・・」
「しかし実際は自分の意志でアルマ様を遠ざけるのは不可能になります。24時間アルマ様を求め続けることになりましょう。そして私は1年で脳が焼き切れ、廃人となって死ぬでしょう」
しばらく沈黙の後。
「そなたは長年の謎を解いて下さった。機会あらばまたそなたをお呼びしたいが、承知して下さるか」
「承知致しました」
「してどのような礼を致せば良いか」
「人間はあなた様やアルマ様の食料に過ぎないと理解しております。ですので私の家族および、これから生まれてくる私の子供たちはお目こぼしをお願い致しとう存じます」
「それだけで良いのか」
「万一私どもが難儀したとき、そしてあなた様やアルマ様が手を差し伸べられる余裕がございましたら、お力添えをお願い致しとう存じます」
「ふむ。良かろう。これをそなたに遣わす。危急の時はそれに願うが良い。 治癒の件、大儀であった」
バフォメットとアルマに私の家族の範囲を教えた。
私、ソフィー、マロン、アンナ、ウォーカーのメンバー。
そして生まれてくる子供達。
「そなたがビトーの妻か」
「はい。ソフィーと申します」
「わかった」
不思議な意匠が施されたミスリルの指輪を拝領した。