第9話『危ないヤツほど魅力的?』
男の子が姿を消したそこは、雪も血溜まりも残っていなくて、まるで全部夢だったんじゃないかと錯覚させるほど日常を体現していた。
しかし私の片足に刺さったいばらの棘と、私の鼻から流れ出る血が、今までのことは現実だったのだと証明してくれる。
私よりもずっと先に落ち着きを取り戻したルカは、多分私が突然いなくなったことに対して何か言いたげだったけど、私が過呼吸気味になっていることに気づき、喉まで出かけていた言葉を飲み込んだようだった。
地面に尻をつく私に合わせてしゃがみ込み、ルカは私の足に手をかざす。
「……そのままじっとしていてください、姫。僕もあまり得意ではありませんが、治癒魔法をかけます。跡が残ってしまったらすみません。その場合は、対生物魔法に特化したサイカか器用貧乏のアサジローを頼ってください」
――エノエルヌ・ネモシェリボン・イリス。
先ほど男の子の頭を吹っ飛ばした時とは打って変わって、赤子をあやす母親のような優しい声で呪文を唱えるルカ。すると、私の足に刺さっていたいばらは真っ黒に枯れて散り、流れていた血がぴたりと止まった。
鼻にも同じように魔法をかけ、残った血痕を魔法で出したぬるま湯で流せば、いよいよ惨事の痕跡がなくなり、白昼夢を見ていた心地になる。
その頃にはもう落ち着いていた私は、傷跡1つない足を撫でながら『ありがとうございます』と呟いた。
「……あの。さっきの子はもしかして、『死の魔法使い』ですか?」
「えぇ、恐らく。雪にまみれていたことや髪、目の色、蘇生したことから考えて高い確率で彼かと。まさか、あんな子供になっていたとは思いませんでしたが……」
「え、本当は大人の見た目なんですか?」
1000年生きてるというシエルシータが14歳くらいの見た目だから、この世界では長生きの魔法使いってみんなそういうものなんだと思ってたんだけど。
「えぇ。本来は30代くらいの、威厳を感じる風貌だと聞きます。あぁ、探せばこの路地にも似顔絵つきの指名手配書があるんじゃないでしょうか」
言いながら、片手で軽く拳を作るルカ。呪文を唱えると、指の隙間から紫色の光が漏れ出した。そっと、花が咲くようにルカが拳を開くと――手の中にはなんと、小さな人が座っていた。紫色に輝く、シルエットだけの小人だった。
膝を抱えて丸まっていたそれは、自分が生み出されたことに気づくと、うんと羽を伸ばしてルカの手から飛び立つ。キラキラと、鱗粉のような光を撒いて。
「い……今のなんですか!? どこかに行っちゃいましたけど……」
「妖精です。主人を守護する役割を持っていて、ある程度高位の妖精だと難しい命令も理解できるんです。……幼い頃、妖精使いだった母から譲り受けまして」
そんな話をしていると、妖精は何かを重たそうに抱えながら戻ってきた。
ルカは妖精に向かって手を差し伸べ、妖精の止まり木になってやると、
「ありがとう。突然呼び出してすまなかったね。またゆっくりおやすみ」
と言って、またゆっくりと拳を作る。まるで花びらが閉じるような手の動き。それに合わせ、妖精も光を散らしながらふっと消えてしまった。命が消えていくような儚い光景だけど、またってことは多分、一時的にいなくなっただけなんだろう。
「これですね」
ルカは、妖精が持ってきてくれたもの――経年劣化か、ボロボロで黄ばんだ紙を広げて、私に見せてくれた。
そこには大人の、長髪の男性が描かれていた。話の流れ的に『死の魔法使い』の手配書なんだろうけど……確かに、さっきの男の子の面影はあまりない。線だけで色が塗られていないから、余計に別人のように見えた。
「なんで、幼くなっちゃったんでしょうね?」
「わかりません。でも、昨日シエルが言っていたでしょう。100年間も氷の谷で過ごしていた魔法使いが、すぐに海を渡れるはずがないって。同時に、『死の魔法使い』の行動は自分にも予測不可能だ……って」
「そうですね」
つまりあの男の子は、普通の魔法使いには考えつかないような方法を使って、海を越えてきたってことなんだろうけど……。
「――予想はこうです。彼は、自分の年齢に関係する何かを代償に。転移魔法を使えるだけの魔力を得た。……死の魔法使いは、現代では禁術と認定されている古代の技術――『呪い』にも精通していると聞きますから、ありえなくはないかと」
ふむ。確かに、遺跡で見た様子のおかしいファングウルフ達は、死の魔法使いの呪いによるものだ、みたいなことを昨晩シエルシータから聞いた気がする。
呪いっていうのが具体的になんなのか、魔法とどう違うのかわからないけど……今でも彼は使っているっぽいし、ルカの言う通りない話ではなさそうだ。
しかし、自分の年齢に関係する何か……かぁ。別れ際は冷静を取り繕っていたみたいだけど、一応かなりの高熱があったようだし……『生命力』とかだろうか。
魔力を得るために免疫力とか体力とかを全部売り払っていたのなら、子供というかコンパクトな背丈になっていたのにも納得がいくし。
私が考察する傍ら、ルカが『はぁ』と溜息をついた。
「とにかく、『死の魔法使い』に顔を覚えられたからには今後、命を狙われる可能性があります。なので、街に行くにしろ散歩をするにしろ、行動する時は必ず眷属を1人以上連れてください。絶対1人で行動したら……って、そうですよ!」
何かを思い出したのか、ハッとするルカ。嫌な予感がして私が縮こまると、ルカは綺麗なアメジストの目の尻を吊り上げ、
「僕に何も言わずに居なくならないでください! ふと隣を見て姫が居なかった時の僕の気持ちがわかりますか!? 誘拐されたんじゃないかってひやひやして、もしも酷い目に遭わされていたらって考えて……」
「す……すいませんでした……! 2度としな……いように気をつけます……!」
「なんでちょっと自信なくしたんですか今!」
だって、あんなに熱烈な女の子のファンが来たら、居た堪れなくなっちゃうのは仕方がないじゃん! ――と、言いたいのを頑張って飲み込み、反省に徹する。
不意に煉瓦の道を叩く靴の音がして、私達は振り返った。
「ここにいたのか」
「あ」
そこにいたのは、靴屋に行っていたオスカーさんだった。片手に袋を1つ、もう片方の手に大量の袋と箱を抱えている。何というアンバランスさ。それを見たルカが弾かれたようにショックを受けて、彼から袋と箱をいくつか取り上げた。
「す、すまない。通りに放り出したのを忘れていた。拾ってくれてありがとう」
「あぁ。あ、プリマステラ様」
「え? は、はい」
「これ、どうぞ」
すっ、と1つだけ持っていた紙袋をくれるオスカーさん。恐る恐る受け取ると、袋の中には革で出来た何かが入っていた。細長くて、ベルトがついていて、ペンが1、2本だけ入りそうな入れ物だけど……なんだろう。
「し……失礼ですが、なんでしょうか、これ」
「……杖を入れるものです。昨日、サイカが言っていました。プリマステラが杖を落としたって。だから、靴屋の知り合いに作ってもらったんです」
「なっ……」
硬直。あの人、昨日のアサジローさんといいオスカーさんといい、私の恥ずかしい話誰にでもバラすじゃん。もう、将来誰かに相談したい秘密が出来ても、絶対にサイカにだけは言わないようにしよう!
きっと、茹で蛸みたいになっているのだろう頬を押さえて、決意を固める私。その心の内を知らないオスカーさんは、『だから』と言葉を続け、
「戻るのが少し、遅くなってしまいました。すみません」
「いっ……いえいえ! ありがとうございます! これで、もう2度となくさなくて済みそうです」
謝るオスカーさんにぶんぶんと首を振り、私は早速ポケットから取り出した星の杖をホルダーに入れる。オスカーさんには杖のサイズを伝えた覚えはないのに、まるでずっと前からそこにあったかのように収まって気持ちがよかった。
私は直前までの恥も忘れてうきうきしながら、ベルトを腰に巻きつけた。
「ありがとうございます、ちょうど良いです」
改めて感謝を伝えると、オスカーさんはなんでもなさそうに『いえ』と呟いた。直後、眼鏡の奥のシトリンみたいなオレンジの瞳が、ルカの手元に向けられる。
「……その紙は?」
「あぁ……ちょっとね。なかなか信じ難い話だとは思うが……先程、ちょうどこの路地で『死の魔法使い』に遭遇したんだ。その流れで少し必要でね。手配書の掲示板は向こうだったかな? 早いところ手配書を戻して、宿舎に帰ろう」
そう言って、さっさと歩いていってしまうルカ。日常会話みたいな流れでとんでもない爆弾を押しつけられたオスカーさんは、『ここで……?』と動揺していた。まぁ、流石のオスカーさんもああ言われたらびっくりするよね……。
私は同情しながら、自分が落とした荷物を拾い上げ、ルカを追いかけた。
ルカは、沢山の手配書が貼られた掲示板の前に居た。
「どこだ……?」
妖精に取ってきてもらったから、元々手配書が掲示板のどこの貼ってあったのかわからず、困った様子のルカ。その後ろから、私は掲示板を眺めた。
悪そうな人相の人がいっぱい。けど、中には本当に悪人なのかと疑ってしまう気の弱そうな男性や、目を見張るような絶世の美女もいてびっくりする。人って見た目だけで判断しちゃいけないんだなぁ……。
そんな風に思っていると、ふと、ある手配書の人物に目を惹かれた。
名前……なんて書いてあるんだろう。わからないけど、怖いお兄ちゃんって感じの雰囲気なのに、眼差しだけとても優しい不思議な人物だった。
私がその人の手配書をずっと眺めていると、いつのまにか背後にやってきていたオスカーさんがぼそっと喋った。
「その人が、気になりますか?」
「ワァァァァァァッ!!! ……は、はい。なんか、目が離せないっていうか……いけませんよね、悪い人に目を奪われるなんて」
正直もう少し見ていたかったけど、頑張って手配書から目を逸らす。犯罪者に見惚れるなんて、オスカーさんにどう思われるかわかんないもん。
でも、ルカのある一言で私はすぐに目を戻すことになった。
「プリマステラが目を奪われるなんて、眷属の素質があるんじゃないですか? 探し出して、話をしに行きましょうよ。どの人です?」
「えっ!?」
なんだって。わ、悪い人をプリマステラの眷属にしてもいいの……!?
愕然としていると、ルカはオスカーさんを手で示し、私に追撃を負わせた。
「この人も元はギャングですし。指名手配犯に眷属候補がいる可能性は、なくはないと思いますよ」
「……嘘でしょう?」
こんな物静かな人が!? と思ったけど、オスカーさんは否定しなかった。確かに見た目だけならギャングっていうのも納得できるけど……意外だ。
ドキドキしていると、オスカーさんが私の後ろから手を伸ばして、私が見ていた手配書に触れた。ちょ、距離が近くないですかオスカーさん。
「うん? それを見ていたのか。火の国のギャング――ヴァンデロ一家の若頭、ヴァンデロか。同じ火の国のギャングとしてオスカー、何か知らないか?」
「……知ってます。しばらく会っていませんが……アジトが変わっていなければ、居場所はわかります。明日にでも、話をしに行きましょうか」
「明日……いや、明日は火の国への便は出ない。火の国には公演で何度か行っているから知っている。早くても明後日の昼だと思うが……いいのか?」
「はい。プリマステラも、行きますか?」
え。ちょっと私が見惚れただけで、こんなにとんとん拍子で話進むんだ。これでただのイカついお兄ちゃんだったらどうしよう。もしそうだったら、オスカーさんだけに遠出させるのは申し訳なさすぎる。
ギャングのアジトに行くのは怖いけど……手配書の人が眷属だとしても眷属じゃなかったとしても、プリマステラとしての責任は果たさないと。
私は自分を奮い立たせ、『行きます』と頷いた。
「ルカはどうしますか?」
「僕は生憎、ちょうど明後日から次の公演に向けて、劇団員たちと泊まり込みで打ち合わせすることになっていまして……すみません。だからオスカー、恐らく姫を守れるのは君1人だ。何かあったとしても、死ぬ気で姫を守るように」
「わかった」
当然のように頷くオスカーさん。命を懸け慣れすぎじゃないですかね。でも、本当に命を懸けさせるわけにはいかない。私も自分と、出来ればオスカーさんを守れるようにならなきゃ……そうだ、明後日までに魔法を1個教えてもらおう。
「で……出来れば、命なんて懸けずに済めばいいんだけど」
そう独りごちる私を、路地の角に隠れる青い衣装の少年が見ていたことには、誰も気づいていなかった。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
これにて第1章は完結です。近日中に1章SS『サイカを知ろう!』と『プリマステラの秘密ファイル①(キャラクター・専門用語まとめです)』を投稿したら、2章制作のため1ヶ月ほどお休みします。続きをゆっくりお待ち下さい。
これからも何卒『プリマステラの魔女』をよろしくお願いします。
by霜月アズサ