第8話『お金ってやっぱり大事だわ』
翌日。約束の午前10時、私とルカとオスカーさんは、昨日私と竜が遭遇した、フルぺの街へと出発した。なお、空間魔法が得意だというシエルシータが今日は休養日のため誘えなかったので、街までは箒に乗っていくことになった。
曰く、箒の扱いは魔法使いなら出来て当然らしいんだけど、私はまだ習得していないので、オスカーさんの後ろに乗せてもらうことにした。
最初、オスカーさんはバイクに乗るんだと思ってて、ルカの後ろに乗せてもらうつもりでいたんだけど……拒否されてしまったのである。
街につくと、早速色んなものを買った。
私の衣服や靴、その他小物から宿舎用の食料、道具、インテリア雑貨まで。
普通に考えれば馬鹿にならない出費だったと思うんだけど、その辺はプリマステラの権力で半額にしてもらってやりくりした。
割引きはこちらが強制したわけじゃない。私はただ、自分がプリマステラだとアピールしていただけだ。それだけで大抵の人は勝手に半額にしてくれた。半額にしてくれなかった人もいたけど、向こうも商売だしなぁと普通に割り切っていた。
一方でオランジェット商店――竜災の時に店の前にしゃべるクマのぬいぐるみを放置していた店であり、今もぬいぐるみが頑張って客引きをしている雑貨屋では、店主のおばさんの要望に応え握手をすることで8割引きにしてもらっていた。
「きゃー! プリマステラ様の手ちっちゃぁい!」
と、乙女のようにはしゃぐおばさんが強く印象に残っている。
ちなみに私の手がちっちゃいんじゃない。おばさんの手がゴツすぎるのである。傍観していたルカが、自分の手と交互に見つめながら羨望の視線を送るくらいに。
と、こんな感じで買い物を繰り返した結果、紙袋と箱の量が凄いことになったんだけど、ルカとオスカーに全部取り上げられてしまったので、なんかイケメンをこき使ってる悪いお嬢様みたいになってしまった。おーっほっほっほ。
なんて高笑いできたら良かったんだけど、オスカーが件のワックスを買っているのを待つ間、街の人々にチラチラ見られる私の居た堪れなさと言ったらもう。
「あの……せめて、私の分だけでも持たせてくれませんか」
「ダメです。女性に荷物を持たせているようでは、我がアトリーシェ家の名が廃る。それに公衆の面前です。自分が非力だとみなに言っているようで恥ずかしい」
それはなかなか自意識が過剰だと思うんだけど。全部押しつけでもしない限り、ルカを非力だと思う人は居ないんじゃないだろうか。って言っても無理そうだな……どうしたらルカは折れてくれるだろうか。うーん。
「……あ。えっと、ほら。えーっと、えーっと……顔が隠れてると、何かあったときに反応しづらいじゃないですか。その時に『プリマステラ』を守れなかったら、それこそおうちの名が廃りますよ。ほら、寄越してください」
そう言うと、ルカは驚いたような顔をした。何か言いたげだったけど、反論が思いつかなかったみたい。
「はぁ。姫も大概性格が悪いな。確かに、僕の顔は荷物如きに隠されるほど安物じゃありませんしね。どうぞ、この中から取ってください」
と、ナルシズムな言い訳をして渋々荷物を渡してくれた。
私はとりあえず自分用の服が入った袋と、自分用の靴が入った箱をもらう。それでもまだまだ手に余裕があったので、適当な袋を1つ取ろうとした。すると、『それはダメです』とルカが身を捩って抵抗した。
「中に入ってるのはボロ切れですから。清潔なものですが、姫に持たせるようなものではありません」
「ボロ切れ? なんでそんなものを……」
「……服屋からもらったんです。衣装作りの際に余ってしまった生地を全部。うちの宿舎、かなり荒れてて汚いでしょう。だから、掃除をするときに使う布巾にしようと思ったんですよ。形は歪ですが、安く多く手に入りますからね」
なんてエコ思考。私は思わずルカの顔をまじまじと見てしまう。今日も今日とて品のある顔立ちだ。童話の王子様を演じたら様になるだろうな、って感じの顔。
こんな顔立ちだし、家名が廃ることも気にしていたみたいだし、結構な家の出身なんだと思うんだけど……ルカが元々そういう性格じゃないんだとしたら、もしかしてプリマステラとその眷属って結構お金に余裕がない?
宿舎もオブラートに包んで言えばお化け屋敷だったし……と、そこまで考えて、私はシエルシータの言っていたことを思い出す。
彼は初めて私が宿舎に来た時、自分達もここに来たばかりだから、汚いけれど我慢して欲しいと言っていた。つまり、以前は別のところに住んでいたのだ。
「……あの。どうしてルカ達は、あの宿舎に移り住んだんですか?」
尋ねると、ルカは黙り込んだ。あれ、聞いたらまずいことだったかな……?
焦っていると、ルカは気怠げに答えた。
「僕達が、この国に買い取られたからです」
……ん?
予想外の返事が来て、私の思考が停止する。買い取られた、とは。
困惑する私を前に、ルカは滔々と語る。
「前は違う国に住んでいて、その国から資金や食料の支援を受けていたんです。が、王位継承権を巡る内戦の勃発により国は財政難に陥り困窮。僕達を支援する余裕がなくなったところに、ここ風の国の王が介入してきたんです」
――曰く、風の国の王様がその国に要求したのは、風の国から資金や食料や人員の支援を受ける代わりに、プリマステラ及び眷属の拠点を風の国に移すこと。
なんでも、プリマステラと眷属は世界に通用する権力と、下手すると一国家並みの戦力を有するため、住まわせている国は国際政治において大きな顔が出来るらしく、昔から虎視眈々とその機を狙っていたようなのである。
「僕達も国からの支援が必要でしたから、拠点の移動を受け入れました。風の国は各国の中間にあって、貿易で栄えているので財力に富んでいて。当初、僕達にも絢爛な宮殿が宿舎として用意されていたんです。でも」
生き残った5人の眷属で話し合った結果、国家に私生活を逐一管理されるわけにはいかない、という意見で一致し、煌びやかな宮殿での生活を蹴って、あの古いお屋敷を買い取ったらしい。
「そうだったんですね……」
思いのほか生々しいプリマステラの事情に、そうとしか言えず口籠る。
救済の乙女とその眷属すら政治に利用されているとは。もちろん、私達は強い国家の支援を受けられるし、風の国は他の国に牽制できるし、前いた国は財政を立ち直せるしで良いことずくめなんだろうけど……。
上手く気持ちを言語化できないでいると、不意に黄色い声が聞こえた。
「キャーーッ! あれルカ君じゃない!?」
「ルカ様じゃん! やば、泣きそう、ちょ、誰か話しかけに行ってよ!」
若い女性、それも5人くらいの集団の声だった。
見ると、20代くらいの女の子達がこちらを見てキャーキャー騒いでいる。どうやら彼女たちのお目当てはルカらしい。はて、何の用だろうと考えていると、集団の中から1人、女の子が意を決してやってきた。
同時、ルカの纏う気配が変わる。
「すみません! るっるっルカ君ですよね!? あっあの、ファンです! この前の『ミシェーラより愛を込めて』も観劇しました! さっき、感想つきのファンレターを投函してきたところで……あっ、あの、凄く良かったです!」
「あぁ、ありがとう! せっかくだから、君の口からも聞かせてくれないかな」
「えっ!? えっ、えっと、今まではルカ君といえば王子様、みたいなイメージがあったので、キャスト発表で孤児のマルク役ってわかった時はちょっと斬新だなって思ってたんですけど、貧民街を生き抜く気高いマルクを見て正解だったなって思いました! 貧民街の仲間達と歌いながら川で洗濯をするシーンとか、亡くなったお母さんのことを思い出すシーンも好きだったんですけど、1番好きなのは2階に住むミシェーラをブドウ祭りに誘うシーンで、あそこ目が見えなくて自暴自棄になったミシェーラを歌で説得するじゃないですか、へへっ、あそこの心に染み入るような歌い方は流石ルカ君っていうか、感極まって私も泣いてしまって……泣いたといえばパン屋のおじさんと喧嘩するシーンなんですけど」
……わぁ、凄い。絶え間なく喋ってるこの人。
でも、そっか。この人は役者としてのルカのファンなんだ。それなら邪魔は出来ない。お馬に蹴られたくないし、こっそり退散して頃合いを見て戻って来よう。
私は気配を殺し、そそくさと煉瓦街の路地裏に入る。気配を殺してっていうか、多分杖を持ってるから気配バレバレなんだけど。
「……ふー」
喧騒から遠ざかって、私は息をつく。
そっかぁ。眷属の中にはああやって、女性ファンを抱えてる人も居るのかぁ。
初心だけど真面目というか一途そうというか、性格的には今いる5人の中では1番ルカが魅了しやすそうだと思ってたんだけど、なんか彼が1番難しいんじゃないかって気がしてきた。しっかりしてるから、将来のことも見据えてるだろうし。
っていうか、魅了ってなんだよもう。
どさっと壁に寄りかかり、項垂れる私。
その時、路地の奥から何かが倒れる音がした。
「……!」
見ると、倒れていたのは人だった。薄紫の髪色をした、12、3歳くらいの子供だ。だけど、フォーマルなベストや靴を身に纏っている。今まで買い物してきた感じ、フルぺの街は割と庶民的な場所みたいだけど……お金持ちの家の子だろうか?
っていうか、それより……なんでこの子、雪を被ってるんだろう。
理解が全く追いつかないけど、煉瓦の道にうつ伏せたその子が、苦しそうに何度も大きな息をしているのがわかって、私は荷物を放り出し駆け寄った。
「大丈夫!?」
呼びかけても返事はない。額に触れると、燃えるような熱を発していた。
あっつ! 私は反射的に手を離す。けど、男の子はこの熱から逃れられない。ただ熱を少しでも出そうと、小さな顔を赤く染めながら、息を大きく吐いている。
ど、どどどどどど、どうしたらいいんだろう!?
街の人を呼ぶ!? 薬屋さんを探す!? いや、その前に病院かな!? ルカを呼んできたら治癒魔法とか使ってもらえるかな!?
ルカを呼ぶ時間も惜しいし、私もワンチャンスにかけて治癒魔法を使ってみたいけど……向けた杖の先からビームとか出ちゃったら、ほんと洒落にならないし。
いや、私1人で考えるのはよくない。判断を仰ぐためにもルカを連れて来よう!
「ごめん、ちょっと待ってて! 私、頼もしい人連れてくるから!」
聞こえているかわからないけど、そう言って身を翻す私。ルカ達のいる通りに向かって一直線に走り出した。が、次の瞬間。
何かが片足に絡みついて、私は顔面から倒れた。
イッッッッデェ!!?? 鼻折れた!?!?
ズキズキとする鼻に不安を覚えながらふと見ると、足に絡まっていたのはいばらだった。棘が無数に刺さっていて、プツプツと出血し始めている。
なんでこんなものがここに、といばらの先を目で追っていくと、視線は倒れていた男の子の手元に辿り着いた。いばらは、男の子の手から出されていたのだ。
え、どういうこと?
困惑して声も出せずにいると、男の子はゆらゆらと立ち上がった。
「舐められたもんだよね。自ら僕に近づいてくるなんて。100年前までは絶対にあり得なかったよ。学のない馬鹿と力に飢えた馬鹿、頭のイカれた馬鹿は寄ってきたけど……君はどれにも属さないんだろう? こんな屈辱的なことってないよ」
「……っ」
ようやく異変に気づいた私は、男の子に向き直って警戒に身を固める。鼻血がつたってきたけど、今はあまり気にしていられない。
私はワンピースのポケットにそっと手を忍ばせた。ビームしか撃てないし街中だから使えるかわからないけど、杖があるのを確認できると気持ちが少し楽になる。
「はは」
なけなしの安堵を得る私に、男の子が笑った。ゆったりと首を傾げて、高いところから嘲笑うように。愛らしい見た目に相応しくない、嫌な感じの笑みだ。
「そのポケットの中か。この、気分が悪くなりそうな膨大な魔力が発生してる場所は。……ちょうどいいね。今の僕は魔力が不足していてさ。手っ取り早く回復したいんだ。――その杖、寄越して。寄越さないなら殺す」
「……」
愛らしい声で紡がれる殺意は、少し悪い言葉を覚えた子供が、その気もないのに無邪気に振りかざすそれにしか聞こえない。けれど、脳が警鐘を鳴らしていた。この子は普通の子供じゃない。この子は――。
「《エノエルヌ・ネモシェリボン・イリス》!」
瞬間、全てをねじ伏せるような、力強い声が路地裏に響いた。
直後、鋭い風の刃が走り抜け、男の子の頭を飛ばした。多分、飛ばしたと思う。首から血が噴き出るのを見た瞬間、固く目を閉じてしまったからわからない。でも、何かが落ちる音が聞こえたから、きっと首を刎ねられたんだと思う。
「姫! 無事か!?」
焦るあまりか口調が砕けた声の主が、後ろから駆け寄ってくるのがわかった。その声に、その足音に安心する同時――ものすごく、怖くなる。
目の前で、呆気なく、人が死んだ。
恐る恐る目を開ける。全てが目に映ってしまわないように、自分の足元を見た。赤い液体が広がっている。私の靴が、濡れている。
怖いもの見たさって、多分、こういうことを言うんだろうな。
私はもう少し目を開けた。
胴体と切り離された頭が、私の足の側に転がっていた。
――その顔は、とても機嫌が悪そうだった。
「最悪」
そう呟いた頭が、何者かに拾い上げられる。私は、死体が喋ったことに対する衝撃で何も言えないまま、頭を拾い上げた者を目で追った。
そこにあったのは、男の子の胴体だった。胴体が、頭を抱いていたのだ。
背後で、ルカが息を呑んだような気がした。
「絶対に殺してやる。またね、お馬鹿さん」
首だけの男の子はそう言った。次の瞬間、強い風が路地裏を吹き抜ける。私とルカが反射的に目を閉じると次の瞬間、男の子の姿はなくなっていた。