第5話『まるで初対面みたいな』
私が気絶してから、どれだけの時間が経ったんだろう。
目が覚めると、パチパチと焚き火の弾ける音と、ポトフの匂いが伝わって、私はバネのおもちゃのように飛び起きた。
慌てて辺りを見回す。空はまだ夜で、側にはテントがあった。例の少年も居る。小瓶をひっくり返して、ポトフの鍋に謎の粉を入れていた。何の粉だろう。
とにかく、あまり時間は経っていないみたいだった。ちょっと安心。
「あ、起きた」
少年がこちらに気づいた。
「調子はどうだ」
「どうって……私……あれ?」
何をしていたんだっけ。気絶する前のことを思い出そうと目を瞑る。確か、この子に服を剥かれそうになって、逃げようとしたら鎖に巻かれて――。
そうだ。引っ張られたからすっ転んで、思いっきり頭を打ったんだ!
そこまで完璧に思い出してみるものの、当の頭が全く痛くないことに気がつく。恐る恐る触ってみても、割れたりへこんだりはしていないようだった。
不思議に思って眉を寄せる私。それを見て、ポトフをよそう少年がちょっとだけ罰の悪そうな顔をした。本当にちょっとだけ。ほぼ無表情と変わらなかった。
「……治癒魔法をかけた。でも、オレは治癒が得意じゃないから、明日の朝にでも診療所で診てもらった方がいい。吸血蝶の方は安心しろ。きちんと殺して血吸い針を抜いた。塗り薬も塗ってある。……スープに貧血用の生薬を入れたから、食え」
そう言われて、返す言葉に迷った私は自分の右足を見た。
吸血蝶。私はその姿を目で見ていないけど、足にはぽつんと赤い跡があった。跡の辺りが焚き火にテカテカ光っている。塗り薬を塗ったというのも本当のようだ。
「ありがとう、ございます」
結局、この人が良い人なのか悪い人なのかわからなくて、私は歯切れの悪い口で感謝を伝える。すると、少年がポトフをよそった椀とスプーンをくれた。
正直、宿舎でドーナツをお腹いっぱい食べてきたばっかりなんだけど――。
「頂きます」
私は、彼のポトフを食べ始めた。
少年の使った生薬、というのが具体的に何なのかわかっていなかったけど、薬が入っていると聞いて、てっきり私は苦い味がするのだと思っていた。
けれど、全くそんなことはなかった。元々入れていたらしいスパイスがちょっと多くて大変だったけど、彼のポトフには疲労した心に染み渡る優しさがあった。
「……美味しかったです。ごちそうさまでした」
素直に感謝の念を伝えると、少年は得意げな表情で頷く。
「そうだろう。あぁ、その椀はこっちに寄越してくれれば良い。……それで、お前はなんでこんなところに居るんだ」
「え、えーっとですね」
幽霊が怖くて逃げ出してきたら迷った、なんて本当のこと言えない。この子とはまだ数分しか喋ってないけれど、多分幽霊とか全く信じないタイプだし、ビビりのことも馬鹿にしてくる気がする。本当に偏見だけれど。
でも、ポトフをご馳走してもらった以上、嘘はつけない。
私は少し躊躇ってから、自分の身に起きたことをぽつぽつ話し始めた。その間じっと聞いていた少年は、何か思い当たることがあったのか、『あぁ』と溢した。
「あ、あぁ……とは……?」
「この森で起きた事件の話を思い出した。お前が見た幽霊に関係する話だ。……興味があるなら、詳しく話をしてやってもいいが」
「くっ……」
言い草が上から目線でちょっと腹立つけど、気になるものは気になる。好奇心に負け、『聞きたいです』と私が身を乗り出すと、少年は『わかった』と頷いた。
「この森は昔、魔獣によって燃やし尽くされた場所らしい。魔獣って言ってもその辺に居るような雑魚の魔獣で、大きな事件としては扱われなかったそうだが……避難できなかった奴らも居たそうだ。――いや、避難しなかったの方が正しいな」
なんともないような顔で語る少年は、焚き火で顔を照らしながら鍋のポトフをかき混ぜる。
「そいつらは森の青年団だったんだ。中には14とか15のガキも居て、自己犠牲の精神の塊みたいな連中だったらしい。建物の倒壊や重度の火傷なんかで、避難しそびれた知り合いが居ないか探し回った結果、火が回りきっておっ死んだんだと」
「えっ……」
「普通ならここでお仕舞い。でも、そいつらの馬鹿は死んでも治らなかった。執着みたいな正義感で何年もこの森に地縛し続けて、今も怯えた奴を見ると『連れて』行こうとするんだって。信用できる人から聞いた。多分、逃げたのは正解だった」
「そ、そうなんですね……!」
ばくばくばく、と高鳴る胸を押さえながら、私は安堵する。あのままいたら、プリマステラになる前に命を奪われていたかもしれないんだ。
結果的に迷子になっちゃったけど、やっぱり直感は大事。そう、あの時の自分の判断を称賛していると、不意に背後で茂みが揺れる音がした。
「――ッ!」
途端、少年が立ち上がって、腰のあたりに紫色の光を生み出す。
「ッ……!?」
茂みが揺れたことにも驚きつつ、私は目を見張った。さっき普通に『治癒魔法』って言ってたの聞き流しちゃったけど、そうか、この子魔法使いだったんだ。
2つのことに驚く私の手前、少年は光の中に手を差し込むと何かを取り出した。滑り止めに包帯が巻かれたグリップと、月光を跳ね返す鉛色の、鋭利な大鎌が長い鎖で繋がっている武器――鎖鎌だ。
なんだか見覚えのある鎖である。ギュって締まる感覚がするな、と無意識にお腹をさする私の視線を受け、鎌の紫色の刃が妖しく光り輝いた。
「誰だ」
この数分間いろいろとやりとりをしたが、私のことはまだ完全に信用してくれたわけではないようで、私を警戒しながら音の方に威嚇する少年。
私もそれを真似し、茂みに向かってファイティングポーズをとった。武術は何もわからないけど、手の骨を犠牲に1発くらいは拳を叩き込めるはずだ。……無理な相手だったらその時は、悪いけど少年にお任せしよう。
そう思いながら構えていると、茂みの奥から現れたのは、
「シエルシータ! サイカ! ……村長さん!」
ぱっ、と顔を輝かせる私。
そう、現れたのは、先程まで私と行動していた3人だった。
まずは勝手に逃げ出したことを謝ろう。そして何があったのか説明しよう。
そう考えていたのだが、3人の中で1番先頭に――つまり、私と少年に1番近い位置に立っていたサイカの反応は、私が予想していたどれとも違っていた。
彼は怒ることも、悲しむことも、再会を喜ぶこともせず、
「んぁ? なんで俺の名前知ってんだぁ?」
「……サイカ?」
まるで、初対面の人間に会ったような素振りに、私は目を瞬かせた。
もしかして私が悪いことをしたから、ドッキリで私を怖がらせて、それで全部チャラにしようとしてくれているのだろうか。現状サイカって陽気なイメージだし、本気で怒る様子が思い浮かばないから、なくはないと思うけど――。
「まぁいいや。キャンプ中ごめんなー! 俺たち怪しいもんじゃねーんだ。逸れちまった友達を探しててさー。ピンク色の髪で、赤色の目をした……そうそう、ちょうどそこの女の子みてーな見た目をした子なんだけど、見かけてねえ?」
「……え?」
「はぁ?」
私が震えた声を溢すと同時、少年も名状し難い違和感を覚えたようで、訳がわからないというようにサイカを睨みつける。
「ピンクの髪、赤色の目って……コイツじゃないのか。これだけ似てる上、こんな時間にこんな場所だ。別人ってことはないと思うが」
「いや、なんかこう……違うんだよなー。俺達が探してんのはもっとドカーン! っていうか、ギラギラしてるっていうか……目を惹かれるっていうか」
「サイカさん、それは失礼にあたるのでは……?」
遠回しにオーラがない、ということを主張してくるサイカに、隣に立っていた村長さんが指摘する。でも、その村長さんの反応すら、私には鋭く刺さっていた。
2人とも、私がプリマステラだと気づいていない。こんなに暗い夜とは言え、私の目の色がわかるくらいには、私の姿が見えているはずなのに。
一体どういうことなんだろう。
混乱していると、ふと、2人の間からシエルシータが現れた。
てくてくてく、という呑気な擬音が似合いそうな歩みでやってきた彼は、私の目の前に来ると、私の手を掴んで何かを握らせた。
「ほら、落とし物だよステラ」
そう言われて手を見ると、私が握っていたのは落としたはずの星の杖だった。それを見た瞬間、杖の先端の宝石が煌めいて、私の身体を熱が走り抜ける。
途端、サイカが『あー!』と私の顔を指差し、村長さんがはっとした。私の横に立っていた少年が、まるで強大な何かを前にしたように息を呑んだ。
「なぁんだ、お前だったのかステラー!」
打って変わって顔を輝かせ、大型犬のような速度と迫力で私に迫るサイカ。受け止める体勢を取る前に抱きつかれ、私はぐるぐると振り回される。
「あうあうあうあうあぁぁぁぁ……!?!?!」
「急に居なくなるからびっくりしたぜ。ごめんな、怖かったよなー! 今度は俺と手ぇ繋いで進もうぜ、それでも怖かったら歌ってやる!」
「あぁぁぁ、すみませんプリマステラ様! 一目で貴方様だと気づけず……!」
サイカに続いて、申し訳なさそうな顔をして茂みから飛び出してくる村長さん。ようやくみんな、私が私だとわかってくれたみたいだ。
でも、なんだろう。何かが胸に引っかかる。
凄く、気持ち悪い感覚だった。早くこの違和感を除きたかった。けれどサイカに振り回され、酔ってしまって、その正体を考えるどころではなくなってしまった。
*
シエルシータ達と合流し、ポトフの少年と別れた私は、少年から教えてもらったこの森の事件の話を3人にした。
「なるほど、そんな事件があったんだね。ごめんね、事前に調査していなくて」
「……今までは起こらなかったんですか? こういうこと」
「うん。そもそもここで儀式をやること自体が初めてだからね。儀式の場所や時刻って、プリマステラによって変わるんだよ」
「変わる……? どうして?」
「それはわかんない。星の思し召しだから」
まるで1時間前のアサジローさんみたいに、比喩表現なのか、本当にそうなのかいまいちわかりにくい返答をするシエルシータ。
掴みどころのない彼だけど、幽霊の話には思うことがあったのか、守るように私の腕を握ってくれていた。結婚式みたいだな、とちょっと思った。
「つきましたよ」
村長さんの声で我に返った。
私達がやってきたのは、森に囲まれた遺跡――とも呼べないような遺跡だった。ボロボロの白い柱や白い壁が月明かりを浴びながら佇んでいる。屋根はなく、建物というより半壊した迷路を見ているような気分だった。
村長さんを除いた私達は遺跡の奥に行き、石の円盤が地面に半分埋められた部屋――やはり屋根がなく壁も崩壊して大変風通しがいい――までやってくると、
「えっと……儀式の順番ってどうでしたっけ」
「まず、眷属が円盤に魔法陣を描く。次に魔法陣の中心で首から金をぶら下げる。最後に、眷属の魔法をかけたワインを3回で飲み切るんだ」
「ワイン!? わ、私、年齢まだわかってないんですけど」
「大丈夫、アルコールは抜いてある。大昔までは未成年にもお酒に弱い子にも、アルコール入りのワインを飲むように強制してたけど。今は違うから安心して」
「え……それ、危なくないですか……?」
「うん、危なかった。ある代のプリマステラなんか死ぬ直前まで行ったしね」
「えぇぇぇぇっ!?」
「だって、予言の書にはアルコール抜いてもいいって書いてなかったんだもーん。でも、ちゃんと反省してるんだよ。こうしてその子以降の代では、予言の内容も自由解釈するようにしてるし。アルコールがなきゃダメとも書いてない! ってね」
そう言いながら、チョークのようなもので線を引いてくシエルシータ。魔法陣を描いているそうだけど、正直線はガッタガタである。円盤が広いから、綺麗に描くのが難しいのはわかるけど……あ、チョーク折った。
「《スオーブセヴァス・ロージョットセレイセル》。よし、何事もなく魔法陣が描けたね! 次に金か……サイカ、あれ出して」
「ん、プリマステラ、首貸してくれ」
そう言われて、首を貸すという言葉の解釈に迷いながら頭を前に傾けると、サイカがポケットから金のネックレスを取り出してかけてくれた。
細いチェーンを爪で摘んでみると、星型のチャームがゆらゆらと揺れる。
「綺麗……これ、サイカの私物なんですか?」
「いや、ルカ……ダチのコレクションからパクってきちゃった」
「嘘でしょう!?」
ワインはノンアルコール――は健康の問題上ともかく、魔法陣はガタガタだし金のアクセサリーは盗品だし、2人して予言の自由解釈がすぎる。私1回も予言の内容見たことないけど、もう少し厳かなことが書いてあったんじゃないだろうか。
こうなるなら、無理を言ってでもアサジローさんについてきてもらえば良かったかもしれない。この2人だけじゃ心配すぎる……!
「さぁ、いよいよ大詰めだよプリマステラ。このグラスを取るんだ」
私の焦りを知ってか知らずか、シエルシータがワイングラスを私に持たせる。どこから取り出したんだろう。不思議に思っていると、またまたどこから取り出したのか、彼はワインボトルの栓を抜いて、グラスにとくとくと注ぎ始めた。
……多くな……お、多い、多いって!
「ごめんごめん。はいどうぞ、召し上がれ」
「っ……!」
たっぷり入ったワイングラスに、私は恐る恐る口元を近づける。微かにしていた葡萄っぽい匂いが強くなった。これを飲んだら、私は正式にプリマステラだ。
よし、腹は括った。1杯が多いから、1口目からなるべく口に溜め込んで……。
「――ふぅ。ど、どうですか」
しっかり3口で飲みきり、空になったワイングラスを2人に見せる私。儀式を終えても身体に特に異変はなかったけど、高揚しているのか良い気分だった。
と、その時だ。
どこかから、犬の遠吠えのような声が聞こえた。
その遠吠えは連鎖し、森のあちらこちらから響き渡った。
「え、なに……!?」
突然始まった遠吠えの輪唱に、私が怯えて肩を縮こめていると、遺跡の外で待っててくれていたはずの村長さんが、こけつまろびつやってくる。
そして、叫んだ。
「プリマステラ様! ファングウルフの群れです! ――この国に生息してるはずのない、人喰い狼が……100匹以上押し寄せてきています!!」




