第42話『泣きっ面に蜂フルコース』
「アンタを守ったら、眷属にしてもらえるって聞いた」
「――え?」
ニナの口から飛び出した、まったく知らない条件に、私はぽかんと口を開けた。
なにそれ、私を守ったら眷属になれるって。金髪のお兄さんって言われて思いつくのはルカとヴァンデロさんだけど、フェリックさんの言い方的に多分ヴァンデロさんのことだよね。なんで彼がニナとそんな約束を、っていうかいつのまに――。
「あ」
思い出した。私とフェリックさんがルカの楽屋を出る直前、確かヴァンデロさんが呪文を唱えていた。あのときは魔法らしいことが起こらなくて、何をしたのかわかってなかったんだけど……彼が何かを仕掛けたとしたら、絶対にあのときだ。
きっとテレパシーか何か、意思を伝える魔法でニナに命じたんだろう。眷属にする代わりに私を尾行して守れって。
思い返せば楽屋を出るとき、鎖の音を聞いたような気も――って、だとしたら、
「いっ……いつから花の国にいたんですか……!?」
「最初からだ。アンタらがカエルの魔獣を討伐してるところも、王様と会ってるところも、王子サマの楽屋にいたところも全部見てた」
「……ん? 王子様……ルカのことですか?」
「ああ。アイツ、王子サマみたいな格好してただろ。それになんだか知らないが、アンタのことを姫って呼ぶし」
「なるほ……いや、ちょっと待ってください。魔獣の討伐から見てたんですか? まさか、入国したときから……? それもヴァンデロさんの指示なんですか?」
「…………そうだ」
いっ、いや、嘘つけ!? 明らかに間の取り方がおかしかったよ今!? ってことは多分、ニナの独断で花の国についてきたんだ。なんでまたそんなことを……。
「……まさか、アンタを守っても眷属にはなれないのか」
うろたえまくる私に、ニナが顔を曇らせた。そのとき、私はようやく自分の置かれている状況を理解する。
ニナを眷属にすることは出来ない。それは変わらない。だが、私を守ってもメリットがないとわかれば、ニナは簡単に私を見捨てるだろう。
そしておそらく、私1人ではフェリックさんに対抗できない。対抗できなければ『星の杖』はフェリックさんに奪われ、杖をなくした私はまた、眷属のみんなにプリマステラだと認識してもらえなくなるのだろう。
それは絶対に嫌だけど、でも……だからって、嘘をついて助けてもらうのも、なんだかおかしい気がするし……。
「――っ」
ヴァンデロさんはいったい、何を考えているんだろう。ニナの価値観を気に入っていたようだったから、やっぱり彼が眷属になってくれたら嬉しいんだろうか。
考えても考えてもわからない。ヴァンデロさんの真意も、私のとるべき行動も。噛み締めた歯がぎりぎりと悲鳴を上げて、タイムリミットが刻々と近づいてくる。
すると、しばらく事態を静観していたフェリックさんが笑みをこぼした。
「なんだかトラブルのようだけど……そもそも僕には、ステラちゃんを危険にさらす気はないよ。僕が狙っているのも、彼女の持っている『星の杖』だし」
「そうなのか? そっちのほうが困る」
「え?」
「最終的にオレのものになる予定だ。アンタに『星の杖』はやれない」
「いや、どっちにもあげませんけど……」
弱々しくつっこむ私をよそに、繊細な金属音を立てながら鎖鎌を構えるニナ。
まさか、屋内であの鎖鎌を――何でも切れる魔道具を使う気でいるんだろうか。そんなことしたら装飾品が粉々に……っていうか、最悪建物が倒壊するんじゃ。
嫌な想像に青ざめつつも、一触即発の空気に声を上げられず、肝を冷やしながら2人を見守ることしか出来ない。すると、ニナの全身を眺めたフェリックさんが、
「……ふー」
軽く吐息をして、ネックレスから手を離した。胸元に落ちた宝石が、小さく揺れながらきらりと瞬く。
「やめておこう。とてもじゃないけど、君に勝てる気がしない。残念だけど、今回は諦めることにするよ」
「わかればいい」
肩をすくめるフェリックさんと、構えた鎖鎌を下ろすニナ。あまりにも呆気ない和解に、私は肩の力を抜いていいのかわからず、ガチガチに固まったまま2人を交互に見やる。
が、彼らは本当に和解したようだった。どんでん返しはなく、フェリックさんが割れた大窓を魔法で元に戻して、
「さぁ、帰ろうステラちゃん。今から行けば、ルカの舞台に余裕をもってつけるはずだから。……あ、それとも彼と一緒に帰りたいかな? まぁ、どちらにせよ舞台の関係者として、僕もいずれミュージアムには行かなきゃいけないんだけど」
「えっ、あ、えと……」
「なんだ。なんで嫌がる。眷属がプリマステラと帰ることの何がおかしい」
言葉を濁す私に、ニナは怒った様子で詰め寄ってきた。もちろん、彼を眷属にしたつもりはまったくないんだけど、ニナの手の鎖鎌を前にしては、反論する気もはばかられてしまって。結局私は、ニナとミュージアムまで戻ることになった。
*
その後、フェリックさんとは工房の前で別れることになった。曰く、『自分がそばにいたら気が抜けないだろう』とのことで、ミュージアムに行く時間をずらしてくれることになったのだ。
そんな配慮をされてしまうと、やっぱりフェリックさんっていい人なんじゃ……と思ってしまうんだけど。多分、それも彼のテクニックなんだろう。『パトロン』の女の子を捕まえてきた、宝石一筋の優男の。
私は心を引き締めて、彼の提案を受け入れることにした。
「それじゃあ。またミュージアムで会おうね」
そう言って、ミュージアムとは反対の方向へ歩いていくフェリックさん。遠ざかっていくその背中に、私は慌てて声をかけた。
「あ、あの……フェリックさん!」
「ん? なぁに? やっぱり寂しくなっちゃった?」
「いや、違います……その、さっき言ってたことなんですけど。私の出生に関する秘密を教えてくれるって、どういうことだったんですか……?」
現状、私がプリマステラになる前のこと――失った記憶のことについては、一切の情報が得られていない。私がどこで生まれて、どんな人と過ごしていて、なんで竜災のあの日気を失っていたのかも。
だから、『どうしてフェリックさんが知っているのか』はさておき……もし、本当に彼が私のことを知っているのなら、看過することは出来ない。
私はごくり、と固唾を呑んで返事を待つ。対するフェリックさんは、きょとんと無垢な表情で驚いた後、悪戯っぽく微笑んで片目を閉じた。
「それは『星の杖』と交換するための情報だよ。ただで教えることは出来ないな」
「……出まかせとかじゃないんですか?」
「もちろん」
「……わかりました。石、いろいろ見せてくれて、ありがとうございました」
追及したい気持ちをぐっと抑えつつ、フェリックさんに背を向ける。
出まかせじゃない。それを聞けただけでも価値はある。そう言い聞かせて、退屈そうにしていたニナと肩を並べた。
「……はぁ〜」
ミュージアムまでの道を歩きながら、ニナに聞かれないように溜息をついた。
気圧されて連れてきちゃったけど、これからニナをどうすればいいんだろう。ヴァンデロさんは何を考えてるんだろう。話し合いたいけど、意見が対立して険悪になっちゃったらどうしよう。
そんなことを考えていると、ふと。ニナが無言で足を止めた。街中の、比較的人が少ない川沿い。石橋に差し掛かった辺りでのことだった。
私はしばらく気がつかなくて、彼より10歩くらい進んだところでようやく隣人の不在を認識した。
「ニナ?」
振り返ると、ニナは立ち尽くしていた。沈みかけの夕陽を背負っていて、どんな顔をしているのかはわからなかった。噤んでいた口が開かれる。
「ビーム女」
「――」
「オレは、何をしたらアンタの眷属になれる。葉巻の野郎はなんで眷属になれた。オレとアイツの何が違う。年か、背か、出身か、能力か」
ニナはうつむいて、自分の装束を握りしめた。苛立ちに身体を震わせて、小さく縮こまるその姿は、外見の年齢よりもずっと幼いように見えた。
「やっぱり、どうしてもなりたいんだ。上等な肩書きを手に入れて、アイツらを、気の済むまでなぶりたい。『ざまあみろ』って言って、オレを馬鹿にしたことを後悔させなきゃならない。1日でもいい、オレに眷属の肩書きを――」
「ニナ」
いまにも感情を爆発させそうなニナに、私は勇気を振り絞って名前を呼んだ。期待に突き動かされたように、ニナがパッと顔を上げる。その姿にどうしてか、心がちくりと痛むのを感じながら、私は選んだ言葉を組み立てた。
「私はプリマステラのことも、眷属のことも、まだ勉強してる最中で……それぞれがどういうものなのかは、まだはっきりとはわかってません。でも、どんな理由があっても……誰かに復讐するためになるものじゃないと思ってます」
「――」
「だから、眷属には出来ません。すみません」
そう告げると、しばらくのあいだ静寂が私たちを包みこんだ。秋の風が吹いて、ニナは標をなくした迷子のように視線をさまよわせる。何度か口を動かして、だけど言葉が出てこないのか諦めたように閉口した。
「……くそ」
辛うじてそう吐き捨てて、石橋の縁に手をかけるニナ。あっと思ったときには、彼は身を投げ出していた。こんなときでさえ、彼の身のこなしは美しかった。
川からは、水音もしなければ飛沫も立たなかった。慌てて川を覗きこんでも、ニナの姿は見つからない。水面にも、波紋1つ浮かんでいなかった。
おそらく飛び降りたように見せかけて、魔法で姿をくらましたんだろう。私はほっと息をついた。いや、何も解決していないんだけど。
やっぱりニナを怒らせてしまった。プリマステラとしては多分、正しいことが言えたと思うんだけど……まさかあの毒舌なニナが、何も言い返してこないとは思わなかった。
きっとそれだけ彼にとって、過去の復讐は大事なことで……それが果たせないのは辛いことなんだろう。言葉を失ってしまうくらいに。
《――上等な肩書きを手に入れて、アイツらを、気の済むまでなぶりたい。『ざまあみろ』って言って、オレを馬鹿にしたことを後悔させなきゃならない》
いったい誰が、どうしてニナをあんな、憎悪の塊にさせたんだろうか。
「……」
一瞬だけ、ニナを探してみようか迷って諦めた。
彼には撒かれ続けるだろうし、見つけて謝ったところで眷属には出来ない。その事実を再確認するだけの作業なんて、彼も望まないだろう。
それに、もうすぐルカの舞台が始まってしまう。
「はぁ……」
私は今日1番の溜息をついて、鉄のように重たい足を引きずった。ミュージアムまでの帰り道は、来たときよりもずっと長く感じた。
*
ようやく到着したとき、ミュージアム前は盛況だった。9割以上の女性と、まばらに見える男性でごった返している。みな一様に劇場を目指しているらしかった。
私は目立たないように、関係者用の通路から中に入った。楽屋に向かうと、ノックをしてドアを開けてもらった。
扉が開いたとき、まず目に飛び込んだのは太陽――じゃない、煌びやかな王子様の衣装に身を包んだルカだった。
「ウワッそうだった!」
この楽屋には太陽がいるんだった。本日2度目、私が目を眩ませると、ルカが困惑したように眉をひそめた。
「姫? その格好は……それに、フェリックはどうしたんですか?」
「え? 格好? ……あ!」
ぱっと目線を下げると、フェリックさんに魔法で着せられた、赤と黒のドレスが目に入った。ふ、普通に着てきちゃったけど、そういえばこれフェリックさんのものじゃん! っていうか、前に着てた私の服はどこに行ったんだ!?
「え、えっと、これはフェリックさんに着せてもらったもので……フェリックさんはいろいろあって、後からくるみたいで……」
あっ、そうだ。フェリックさんに『星の杖』を要求されたこととか、私の秘密を知ってるって言われたこととかも相談しておいたほうがいいだろうか。いや、舞台前だし余計な情報は伝えないほうがいいかな……?
悩んでいると、ルカの後ろからひょこっと顔を覗かせたサイカが、私を見て目を輝かせた。
「え! カワイイ! すげー似合ってんじゃん! もっと見たい!」
「えっ、あ、ありがとうございます……」
屈託のない笑顔と称賛に、恥ずかしくなりながら楽屋に入る私。まじまじ見られながら室内を見回すと、オスカーさんの姿だけが消えていた。奥ではヴァンデロさんが足を組んで、1人がけのソファで雑誌を読んでいるのみだった。
「あれ? オスカーさんは……?」
「オスカーは……ヴァンデロと揉めて出ていきました。開演までには戻ってくると言っていましたから、そう遠くには行っていないと思いますが……」
「えぇ……」
私がいない間にまた揉めてたのか、オスカーさんとヴァンデロさん。眷属の中でも大人っぽい2人なのに、どうしてお互いのことになると揉めるんだろう。
私は軽く呆れつつ、ヴァンデロさんに近づいた。彼は花の国の旅行雑誌、それもレストランやバーを紹介したページを熱心に読んでいるようだった。
声をかけるのをためらっていると、ヴァンデロさんはふとこちらを向いた。サングラスの奥の赤い視線が、さっと私の全身を滑り落ちる。でも、服については褒められるどころか、言及すらされなかった。
彼は、私の言わんとすることを理解しているような顔で、ググッと背もたれに体重を預けた。
「どうした」
「……ニナに、私を守ったら眷属にするって言ったのは本当ですか?」
「あぁ?」
ヴァンデロさんは怪訝そうに顔をしかめて、雑誌をぱたんと閉じた。ぽい、と机上に放り出される。
「テメェ……いや、アイツか? 何か勘違いしてやがんな」
「え?」
「俺がアイツに言ったのは、『宝石職人が怪しいことし始めたら殺さないように邪魔をしろ、プリマステラが無事に帰ってこれたら眷属に推薦してやる』って話だ。まさかアイツ、勘違いしたうえ全部テメェにくっちゃべったのか」
「……みたいですね。喧嘩別れもしました」
「何やってんだテメェら……」
天井を見上げ、額を押さえるヴァンデロさん。どんどん拗れる展開に頭を痛めていると、こんこん、と軽快なノック音が響いた。姿を露わにしたのは、豪奢な衣装の美男子だった。
「ルカー、いこーっ。あ、お客さんもご一緒に! スタッフが劇場を案内いたしますので」
「ああ、わかった」
「あっ、はい!」
そうして私とサイカ、ヴァンデロさんは、誰の話もまとまらないままルカに別れを告げ、劇場の関係者席へと移動した。
足元がぼんやり見える程度の薄暗い劇場には、外で待っていた一般のお客さんも入り始めたようで、ほのかで、けれど確かな興奮が渦を巻いていた。
「へー、劇場ってこんななんだ」
「喉かわいてきた」
「眼鏡変えたの。ルカ様を汗の一滴まで見たくて」
「王様も観に来るんだよね? やばくない?」
「主役の子、女の子? だよね? ……えっ、何その顔」
耳を澄ませれば、あちこちから声が聞こえてくる。
関心、感激、動揺――それらを聞いていると、疲労でしおれていた私の心も、期待にみるみる潤いを取り戻してくる。上演中だけは全ての憂いを忘れられる。そんな気がして、気づけば幕が上がるのを今か今かと心待ちにしていた。
だけど。
「……?」
開演の時間が目前になると、言い知れぬ不安を覚えた。サイカもヴァンデロさんも、同じことを思っているようだった。隣の席から不安と警戒が伝わってくる。
そして、予感は的中した。幕が上がり、舞台の照明が観客席にこぼれ出す中。私は2つ隣にある、ぽっかりと空いた席を見つめた。
その夜、オスカーさんは劇場に現れなかった。




