第41話『ただより高いものはない』
【前回までのあらすじ】
建国40周年の記念パーティーに招待され、同時期に発生していた魔獣の討伐も兼ねて、眷属のサイカ・オスカー・ヴァンデロと共に花の国を訪れていたステラ。
彼女は、『国王の前で披露する』という特別な舞台を目前にした眷属・ルカの楽屋を訪れ、舞台の装飾品を担当する宝石職人・フェリックと出会う。
フェリックと石の話で意気投合し、更には先日眷属に勧誘したヴァンデロと同じ印象を彼に抱いて、フェリックの工房を訪れることになったステラ。
ルカ曰く、女性関係がふしだらだというフェリックの魔性に圧倒され、屈しかけるステラのもとに、昼の魔獣討伐で出会った騎士・リッカが現れて――。
まるで私の恋人のように振る舞うフェリックさんに押され、ミュージアムにいる眷属たちに届かないSOSを出していた私。
そこに救世主のごとく現れたのは、怒り狂ったドーナツ屋さんのご主人と、ご主人にコソドロ呼ばわりされているリッカだった。
「ほほほ、本当に違くて! 盗むつもりはなくて!」
「盗むつもりはなかっただぁ!? じゃあ、どういうつもりでうちの商品持ってこうとしたんだ、あぁ!? 説明してみろ!」
激しく言い合いながら、建国記念パレードの観衆に紛れていく2人。その後ろ姿を呆然と見ていた私は、再びフェリックさんに手を引かれそうになって、
「あっ……す、すみません! ちょっと様子見てきてもいいですか!?」
「え?」
フェリックさんに有無を言わさず、2人の消えた方向に走り始めた。
本当はあんな修羅場に入りたくないし、入って解決できる気もしないんだけど。このままフェリックさんの笑顔を浴び続けていたら、私は私じゃなくなってしまう気がする。だからリッカを助けて、リッカに助けを求めたいんだ。
正直、フェリックさんには迷惑をかけてしまうけど……なんて後ろめたくなっていると、私に引っ張られるフェリックさんは、花開くように優しく頬を緩めた。
「いいよ。ステラちゃんがそうしたいなら」
「グッ……」
そうしてリッカたちのもとに辿り着くと、リッカは頬を押さえて地面にうつ伏せていた。傍には拳を握りしめ、肩で息をするご主人がいる。最悪の雰囲気だ。
私が気圧されていると、ご主人がずかずか大股で詰め寄って、リッカの臙脂色の制服の胸ぐらを掴み上げた。もう1回殴る気なのだとわかって、私の身体が指先まで強張る。どうにかやめてもらおう、と開いた口がどうしようもなく震えた。
「テメェみてえなネズミ野郎に、この国の騎士が務まるわけ――」
「す……すみません!」
「《レリルべ・リアフェト・クスウェベジ》」
ご主人が拳を振り上げたのと、私が情けない声を上げたのと、フェリックさんが呪文を唱えたのはほぼ同時だった。直後、ご主人の身体が崩れるように転倒した。
「……え?」
驚いてフェリックさんを見ると、彼はなんでもないように片目を瞑ってみせた。
「魔法で眠らせてみたんだ。でも、僕の睡眠魔法はあまり強くないから、5分くらいしたら起きちゃうかも。友達を助けるなら今のうちだよ」
「――! ありがとうございます!」
友達ってわけじゃないけど、と心の中で付け足しつつ、私はフェリックさんに感謝を述べてリッカに駆け寄った。
「リッカ……さん!」
私はちょっと迷って、リッカの肩に手をかけた。
ゆっくりと身体を起こすリッカ。普段は片側に寄せているらしい長い前髪が、その目元に銀色の幕を下ろす。全力で走っていたからだろう、彼が息を震わせると、その幕にかすかな切れ目が入って、若草色の瞳が覗いた。濡れている。
「君は、昼間に会った……」
「……ステラです」
「ステラちゃん……そっちのお兄さんも、ダメっすよ……こんなコソドロ助けたら……」
「――え?」
リッカの自嘲的な発言に、私は混乱した。
どういうこと? さっきあんなに必死に弁明してたのに。わざとじゃなかった、盗むつもりはなかったって……あれ? 盗んだこと自体は、1回も否定してない?
私が言葉を失っていると、フェリックさんが隣にやってきて、リッカと目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「君とドーナツ屋さんの間で、何があったのかな」
「……話せません」
リッカの声が泣きそうに震えた。彼の心のもろいところに触れたような、そしてそこがぱらぱらと崩壊の前兆を見せたような気がして、私は息を呑み込んだ。
彼にかける言葉は、慎重に選ばなければならなそうだ。口を固く引き結ぶ。
「けど、オレはもう何も持ってないので……あ、怪しかったら調べてもらっても構いません。もし、調べる必要がなければ……悪いんすけど、後のこと……店長さんのことよろしくお願いします。すいません、こんなめでたい日に……」
目元を見せないまま、よろよろと立ち上がるリッカ。深々と頭を下げてどこかへ走り出そうとする彼に、私は思わず逃げていくマントのすそを掴まえた。赤ワインをこぼしたような、美しい臙脂がピンと張って、リッカをその場に留まらせる。
「っ……!?」
つんのめったリッカが、すんでのところで片足を出して転倒を防いだ。あっ、と慌てて手を離す。
「すす、すみません!! そ、その」
このまま野放しにしていたら、川にでも飛び降りてしまいそうな悲壮感に、思わず引き留めてしまったけど――なんて言葉をかけるか、全く考えていなかった。
最初の予定通り、フェリックさんの工房についてきてもらう? いや、いまリッカの前でフェリックさんに許可をとるのは危険そうだ。連れていかなきゃいけない雰囲気があるし、万が一断られたらリッカも引き留められ損である。
「……」
少し考えた末、私はピッと指を鳴らした。いい感じの音が出なかった。
「あの……今日の夜って空いてますか? よかったら一緒に、国立ミュージアムを観に行きませんか?」
「……!?」
リッカもフェリックさんも、なんなら私もびっくりしていた。こんな状況で飛び出すのがデートのお誘いなんて、きっと誰も考えていなかった。
当然、リッカが『わけがわからない』と言いたげな顔をする。
「な、なんで国立ミュージアム……? しかもオレなんかいたら、その……2人の邪魔しちゃうんじゃ……」
「えっ? ……あ、違いますよ! 私とフェリックさんはそういう感じじゃ……それに、夜になったらフェリックさんとはお別れしちゃいますし」
「え、そうなんすか?」
「ふふ。そう言われるとちょっと寂しいなぁ。僕は『そういう感じ』でも構わないんだけど……」
横から茶々を入れてくるフェリックさん。彼の甘やかな微笑みを必死に両手で隠しながら、リッカへのナンパを続行する。
「こ、国立ミュージアムなのは、その、そこ以外花の国の名所がわからなくて……他がよかったら、リッカさんについていきます! だから……あ! もしかして、騎士の人って今日は1日警備の仕事があったり……?」
「い、いや……仕事はありますけど、ずっとじゃないっすよ。9時間で交代してて、そろそろオレも自由時間なんすけど……でも……」
リッカは目をそらし、居心地悪そうに頬をかいた。
「……やっぱり、やめたほうがいいっすよ。君はプリマステラなんでしょ? こんなやつといたら、君の評判まで悪くなっちゃいますから」
「――」
「ミュージアム、誘ってくれてありがとうございました。じゃあ、オレはこれで。プリマステラの活動頑張ってください。陰ながら応援してるっす」
泣き笑いを浮かべて、身を翻すリッカ。遠ざかっていく彼の背中を、今度は引き止められないまま見送っていると、ドーナツ屋さんのご主人の、眠りから覚めるような唸り声が聞こえてきた。
それから私たちは、ご主人の頭の手当てをしたり、事情聴取をしたりした。別れたあとはフェリックさんと、他愛のない話をしながら工房に向かった。
だけどその間――私の頭にはずっと、リッカの泣き笑いがこびりついていた。
*
『閉店中』というプレートのかかった扉を開けると、頭上で小さなベルが揺れて清涼な音を奏でた。懐かしさすら覚えるような、温かみのある木造りの部屋に迎えられた私は、順繰りと内装を見回した。
建物の中はどうやら、手前のお店と奥の工房に区切られているようだった。
お店側に2階はなく、吹き抜けの高い天井が開放感を生み出している。天井近くに造られた大窓は、昼過ぎの陽射しを呼び込んで、ショーケースの商品を一層きらめかせていた。
「わぁ……」
私はケースの中を覗き込み、感嘆の声を上げる。ガラスで覆われた空間には、指輪やブローチ、ネックレスにピアスとさまざまな装飾品が並べられ、色とりどりの輝きを放っていた。
「これ、全部フェリックさんが作ってるんですか……!?」
「ふふ、そうだよ。欲しい? 欲しかったら、1つか2つ持ってってもいいよ。ステラちゃんだけ特別」
「ええっ!?」
勢いよく振り向くと、フェリックさんは微笑んだまま私の反応に首を傾げた。不思議そうだ。不思議なのはそっちなんだけど……雰囲気的に、冗談を言ったわけではないらしい。
「ど、どういうことですか……?」
「ん? あぁ、値段を気にしてるの? いいよ、別に。利益が欲しくて作ってるものじゃないしね」
そう言ってショーケースの裏に回り、引き戸に触れるフェリックさん。ロック的なものを解除したらしく、一瞬ケース全体が淡い紫色の光を放つ。その後彼は、ケースの上に次々と装飾品を並べ始めた。
「僕は昔から、石を見たり触ったりするのが好きでさ。出来れば1日中そうしてたいと思ってたんだ。実際、一時期はそうしてたよ。お世話好きの女の子の家で、起きてから寝るまでずーっと石を砕いて、削って、分析して……」
「……ん? 女の子?」
それってもしかして、ミュージアムの楽屋でルカが言ってた『パトロン』のことだろうか。でもパトロンって確か、誰かの研究とか作品に興味を持って、活動のためのお金を貸してくれる人のこと……だよね。
フェリックさんの口ぶりだと、その子はパトロンってより――いや、邪推はやめておこう。
「でも、あるときからそうもいかなくなって」
フェリックさんは、指輪の入った小さな箱をことんとケースの上に置いた。
「だから仕方なく、宝石職人になったんだ」
「……? 本当はやりたくなかったんですか?」
「まぁ、半分くらいそうだね。仕事にする以上、好きな石を好きなときに触ることは出来ないし……お客さんの中には、石を権力を示すための道具だって考える人もいるからさ。天職みたいで、実はそうでもなかったんだ」
繊細な手つきで指輪を摘み上げ、台座の赤い宝石に目を落とすフェリックさん。その眼差しは、眠る恋人を見つめるように優しくて。まるで自分が、恋人同士の甘い時間を邪魔する異物のように思えてきて、私は落ち着きなく視線をさまよわせた。
「でも、ほんと半分だよ。不満に思ってるのは。全てが思い通りじゃなくても、1日中石を触っていられて、それが周りに許されているのは嬉しいし」
「……」
「結論を言うとさ。この子たちは、生きていく上での最低限……それ以上の利益のためには存在してないんだ。だから、お金はいらない。ステラちゃん相手なら尚更ね」
フェリックさんは指輪を箱の中に戻し、ショーケースの上の装飾品たちを手で示した。つられるように視線を向けると、彼が愛を込めて削り出したのだろう、いくつもの宝石たちが虹色の煌めきを見せる。小さくもまばゆい、極彩色の輝きを。
「そういうわけだから、好きなものをとっていってよ。まぁ、あまり沢山あげると同居人に心配されちゃうから、2個くらいしかあげられないんだけど」
「え、同居人? 宝石職人の方ですか?」
「ううん、違うよ。昔は志望してたみたいだけどね。ガラス工芸師とその奥さんなんだ。いろいろあってお世話になってて……すごくいい人たちだよ。2人が今日パレードに行ってなかったら、ステラちゃんにも紹介したかったな」
「そうなんですね。じゃあ、遠慮しておきます。その人たちのこと、心配させたくないですし――」
そう言うと、フェリックさんの口が真一文字に結ばれた。もしかして、何か失礼なことを言っただろうか。私が肝を冷やしていると、
「んー、困ったなぁ。強引とか手荒とか、あんまり好きじゃないんだけどなぁ」
「……え?」
聞こえた言葉に、私は耳を疑った。
言葉の意味はわからなかった。けれど、不穏なものを感じた身体が強ばって、無意識にドレスのすそに手を伸ばす。何があってもすぐ『星の杖』をとれるように。
固く身構える私に、フェリックさんは『ごめんね』と謝った。
「僕は少し嘘をついた。君にこの店の商品をあげようとしたのは、僕が利益に興味がないから……君が鉱石好きの女の子だから……それだけじゃない。君の持ってる『星の杖』、それを貸してほしかったからなんだ」
「――!」
伸びた手が固まった。さぁっと血の気が引いていく。
過去に『星の杖』をなくして、散々な目に遭ってきた私にとって、フェリックさんの提案は受け入れ難いものだった。
一瞬、杖を構えるべきか迷った。でも、すぐにスカートに手をかけた。フェリックさんに杖のありかは教えていないけど、杖本体に充満している魔力を感知して、だいたいの場所は把握しているはず。隠す意味はないのだろうと思ったから。
「……なんで、星の杖を……?」
これまで『星の杖』を奪おうとしてきた人たち――死の魔法使いやニナは、自分が強くなるために杖を欲しがっていた。けどフェリックさんは、そういった欲求とは無縁のように思える。それならいったい、杖の何がフェリックさんを……。
「ほら、『星の杖』にもついてるでしょ? 夜明けの空みたいな、綺麗な色の石」
「――あ」
「昔、当時のプリマステラが持ってるのを目にしただけなんだけどね。一目でわかったよ。あれはこの世に存在する石じゃない、異界から持ちこまれた石だって。長いこと生きてる僕も、流石に異界の石を触ったことはなくてさ」
フェリックさんが1歩、私に向かって詰め寄った。思わず引き下がりそうになると、杖を探っていた手を掴まれて動きを封じられる。
加減されていたのだろう。決して強い握力ではなかった。けれど、フェリックさんの手は握力以上の拘束力を持っていた。威圧感、とでもいうべきか。
「……」
フェリックさんが『星の杖』を借りたがる理由はわかった。彼の考え方や生き方を説明された後だから、それはすんなり受け入れることが出来る。だけど、
「杖の石を、研究してみたい……ってことですよね? そ、それって、具体的に、何をするんですか……?」
「………………砕いたり、削ったり」
明らかな沈黙の後、フェリックさんは今日1番の満面の笑みを作った。むちゃくちゃなことを言っている自覚はあるらしい。私はブンブンと首を横に振った。
「だっ……ダメです! それでもし杖が使えなくなったりしたら……!」
「うーん……それなら、こうしよう」
フェリックさんは私の手を引っ張った。意図せず1歩踏み出すと、目の前にフェリックさんの顔があってぎょっとする。
何度も見てきた至近距離のこの顔。今まではその麗しさに、乙女のようにドキドキしていたけど……今は違う。速まる鼓動は、さながら警鐘のようだった。
震えそうになる呼吸を、唾を呑んで必死に耐える。すると、フェリックさんは私の耳元に口を近づけた。
「僕の知ってる、君の秘密……今度はそれを交渉材料として提示しよう」
「ひ……秘密……?」
「そう。君の、出生に関わる――」
と、そのときだった。突然、天井近くの大窓が弾け散った。
「……!」
フェリックさんは私を抱きしめ、咄嗟に呪文を唱えた。刹那、辺りに半透明の結界が張られる。何が起きたのかわからず、私が呆然としていると、降ってきたガラスの破片が結界に弾かれて散らばった。
同時、スコンと小気味いい音を立てて、何かがぶつかる音がした。
そちらを振り向くと、そこには木の壁に刺さった1本のナイフ。墨で染めたみたいに真っ黒な――ニナが、ヴァンデロさんのアジトで使っていたナイフがあった。
「え、なんで……」
私がつぶやくと、フェリックさんが抱擁を解く。そしてつけていたネックレスを外し、大胆に割れた大窓を見上げて問いかけた。
「途中から気配がしなくなったから、不思議に思ったんだけど……どうやら君は、動きを止めているときだけ完璧に気配を殺せるみたいだね。――おいでよ。金髪のお兄さんに言われてきたんでしょ?」
「――」
工房に広がるしばしの静寂。その後、猫のようにかろやかな身のこなしで、青い装束の少年が大窓から飛び込んできた。
「……ニナ」
名前を口にする私の目の前、空中で身体をひと捻りして降り立つニナ。彼は、ネックレスを握るフェリックさんに対抗するように、鎖鎌を背中の亜空間から取り出すと、
「アンタを守ったら、眷属にしてもらえるって聞いた」
と、まったく知らない条件を出してきた。




