第40話『人はみな何かしらのオタク』
現れた男性――フェリックさんは、穏やかな雰囲気の持ち主だった。
ふんわりとした茶色の髪と、眠たげな青紫色の双眸が特徴的で、ルカに負けず劣らずの甘いマスクをしている。
服装はモノトーンのシンプルなものの上に、フリルをあしらった青のベストを重ねていて、『休日の王子様』然とした控えめだけど上品なスタイルだった。
そんなフェリックさんだけど、1つだけ異様だったのが、首や腰から下げられた大粒の赤い宝石だった。きらきら控えめに輝いて、フェリックさんの魅力を後押ししている。けど、本物なら控えめとは程遠いお値段のはずだ。
この装いといい、ヴァンデロさんと同じ気持ちにさせてくることといい、この人はいったいなんなんだろうか。
私がひそかに警戒していると、ルカが『友達じゃない』と言い放った。
「彼らは、プリマステラとその眷属だ」
冷酷に、というよりはただ事実を述べるようにそう言って、フェリックさんに歩み寄るルカ。『えっ』とショックを受けるサイカをスルーし、クッションの上の王冠を手にした彼は、いろんな角度から慎重に王冠をチェックした。
最中、私とフェリックさんの目が合った。
「そうなんだ。じゃあ、彼女が……」
興味深そうに、私の全身を眺めるフェリックさん。品定めされているような気持ちになり、思わず背筋を伸ばしていると、彼はふっと花開くように笑った。
「初めまして、僕はフェリック。この町で宝石職人をしてて、今はオロ・レオーネにアクセサリーを提供してるんだ。よろしくね」
「えっ、あっ、こちらこそ……」
距離感がうまく掴めず、おどおどしながら頭を下げる私。その隣でオスカーさんもぺこりと会釈をする。一方、ヴァンデロさんは顔をしかめただけで言葉はなく、サイカは動揺でそれどころじゃないみたいだった。
「……うん」
舐めるようなチェックの後、頷いたルカが顔を上げた。
「完璧な接合だ。これで心置きなく本番に臨める。ありがとう、フェリック」
「本当? よかったぁ。あ、プリマステラちゃんたちも見る?」
「プッ……」
――プリマステラちゃん? と聞き返しそうになるのを飲み込んで、私は王冠に目を向けた。
「いいんですか?」
「いいよぉ」
フェリックさんがゆるりと口角を引いた。私は、1回誰かに落とされたのか『落とさないでくださいね』と執拗に念押ししてくるルカと入れ替わり、王冠の前に立ってじーっと鑑賞した。後ろからひょこ、とサイカも覗き込んでくる。
「……すごいな」
私の背後で、遠目に王冠を見ていたらしいオスカーさんがつぶやいた。
彼の言う通り、王冠は圧巻の出来だった。黄金に輝く本体のまばゆさもさることながら、惜しみなく散りばめられた宝石たちの美しさが視線を吸い込むようで……まさに、建国記念の舞台の主役にふさわしい装飾品だった。
「あっ、あの……!」
私は興奮しながら、ある一点を指さした。それは、この王冠の正面なのだろう位置につけられた、唯一青く、特別に大きな宝石だった。
「これってなんの宝石なんですか……?」
「これ? これはソワレタンザナイトっていう石だよ」
「えっ!?」
私は声をひっくり返した。食い入るように石を見つめて、いろんな角度から中を覗き込もうとする。
「それって、角度によって色が変わるっていう石ですよね!? 紫になったり、赤になったり……本当に色が変わるんですか!?」
「……姫?」
突然鼻息を荒くする私に、ルカが困惑の表情を浮かべた。フェリックさんも目をぱちくりとさせていたけれど、直後には『うん』と柔らかに頷いて、
「変わるよ。こうしたらわかりやすいんじゃないかな」
と、王冠を乗せたクッションを傾けてくれた。すると、青色だった宝石が紫を挟んで、燃えるような赤色に変わる。角度を戻すと、再び紫を挟んで青色に戻った。日暮れと、夜明けの空のような色の変化に、私は興奮が抑えられなかった。
「も、もう1回……もう1回お願いします!」
「もー、プリマステラちゃんは欲張りだねぇ」
そう言いつつ、フェリックさんは楽しそうにクッションを傾けてくれる。それを3回ほど繰り返し、ルカのヒヤヒヤが最高潮に達したころ。私はようやく満足し、ふうと息をついた。今までの自分を思い出して、だいぶ恥ずかしくなりながら。
「あ……ありがとうございました」
「ふふ、どういたしまして。……もしかして、プリマステラちゃんは宝石が好きなの?」
「えっ?」
「いやぁ、この石ってすごく珍しい石だからさ。400年前、初めて石の国で産出されたんだけど……直後の宝石ブームで採りつくされて、あっというまに市場から消えちゃったんだ。だから、知ってる人は同業者以外じゃあんまりいなくて……好きなのかなって」
「そ、そうなんですか?」
普通に知ってたんだけどな、ソワレタンザナイト。私は眉をひそめて、『知ってましたか?』と質問する気持ちで眷属たちを見た。全員首を横に振る。愕然。普通は知らないものなんだ……じゃあ、私はなんで知ってるんだろう?
首を捻っていると、ルカが思慮深い表情で顎を摘んだ。
「もしかすると、記憶をなくす前の姫は、石オタクだったのかもしれませんね」
「い、石オタク……?」
「何かを熱心に好いている者を、世間ではオタクというそうです。この前、僕のオタクから教えてもらいました」
「へー! じゃあ、俺は野菜オタクだな! 2人は……料理オタクか?」
サイカが無邪気に振り返ると、ギャングの2人は顔を見合わせた後、ふいと逆の方向を向いた。
「こっちは違う。こいつはエセ料理オタクだ」
「それはお前のことだろう。俺はお前と違って、葉巻や酒に傾倒したりしない」
「あ? テメェだってこの前、よくわからねェ乗り物熱心にいじってたじゃねェか。魔法機械学の産物だかなんだか知らねェが、アイツとよろしくやってんだろ」
「どうして今の流れで喧嘩できるんだ……」
じとりと目を細めるルカ。対してフェリックさんは、ふふ、と微笑ましそうに私たちを見ると、王冠の乗ったクッションを机の上に置いた。
自然、皆の視線が彼に集まる。そんな中、フェリックさんは突然私の手を取った。瞬間――周囲の空気が、警戒をはらんだものに変わったような気がした。
「えっ、なっ……」
「もし、本当に石が好きなら……今から僕の工房に来ない? 工房にはたくさんの石があるから、もっと君を楽しませてあげられると思うんだ」
「え、ええっ」
端正な顔立ちに甘い微笑みを浮かべて、鼻先が触れそうなほど迫ってくるフェリックさん。突然の申し出と急接近に、私は目を白黒させた。サイカが『はわ』と乙女みたいな声を出し、ヴァンデロさんが眉間のシワを深めた気がした。
「い……今からですか? きょ、興味はあるんですけど、ルカの舞台が……」
「大丈夫、開演前には帰ってこられるようにするよ。どうか、1度来てみてくれないかな。君と宝石について、じっくり話がしてみたいんだ」
「エッ……えっと、えっと……」
な、なんて答えたらいいんだ、私。工房には行ってみたいけど、1人でついていっていいのかな。ルカと仲がいいみたいだし、悪い人ではなさそうだけど……。
ダメだ、綺麗な顔が近すぎて考えごとが出来ない。私は助けを求めて眷属たちを見た。すると、救難信号をキャッチしてくれたルカが1歩前に踏み出した。
「フェリック。姫は他の女性とは違う。君のパトロンにはならないぞ」
「……パトロン?」
「あはは、やだなぁルカ。僕は純粋に宝石を見せてあげたいだけだよ。ねぇ、プリマステラちゃんも……長いからステラちゃんでいいかな。気になるよね?」
さらり、と私の頬に触れるフェリックさん。なめらかな絹手袋の感触に、自分の状況を理解できないでいると、見かねたオスカーさんが私の肩をぐっと引いた。フェリックさんから剥がされ我に返る。ヴァンデロさんがルカを見た。
「おい、こいつはテメェから見て、信用に足るやつなのか?」
「――」
気まずそうな顔をするルカ。彼はものすごく歯切れを悪くしながら、
「職人としての彼は、これ以上ないくらい信用している。だが、異性関係……に、関して……彼は、少々ふしだらなところが……正直、姫を1人で行かせるのは……だから、もし工房に行くなら……誰か1人付き添わせてください」
「えっ」
ルカの告白に固まる私。異性関係でふしだらって……こんなに穏やかな物腰のフェリックさんが、実はめちゃくちゃ女の人と遊んでるってこと?
私が思わず1歩引き下がると、フェリックさんは肩をすくめた。
「ひどい言い方をするなぁ、ルカ。まるで僕が遊び人みたいじゃないか。ちょっと人より付き合った回数と、別れた回数が多いだけなのに。……でも、いいよ。それでステラちゃんが安心できるなら。誰でも好きな人を連れてきてよ」
にこりと微笑むフェリックさん。その笑みはやっぱり人好きのするもので、とても遊び人のそれとは思えない。さっきの告白はルカの誇張だったのかな、とさえ思ってしまうけど……。
「うーん……」
どうしよう。誰に付き添いをお願いするのがいいんだろう。つまらない思いはさせたくないし、なるべく石に興味がありそうな人がいいよね。
でも、舞台を控えてるルカ以外の3人から選ぶとなると――
「いらねェだろ、付き添いなんか」
私の思考をぶった切り、吐き捨てたのはヴァンデロさんだった。壁にもたれかかり、サングラス越しに私を見ていた彼はすぐ、何かをブツブツつぶやいた。
どうやら呪文を唱えたらしい。けれど、魔法らしいことは何も起きなくて……代わりにルカとオスカーさん、サイカの3人が何かに驚いた。
「えっ?」
なんだなんだ。困惑する私のそば、フェリックさんが目を細めた。彼には、ヴァンデロさんが何をしたのか見当がついているみたいだった。でも、特に何かを言うことはなく、
「……付き添いはなし、でいいかな。それじゃあ、開演前に必ず帰ってくるから。さぁ、ステラちゃん。僕の手をとって」
「えっ? わっ、わぁ!?」
1人だけ置いてけぼりのまま、流れるように手を引かれ、楽屋の外に連れ出される私。どんどん遠ざかっていくルカの楽屋を心細い気持ちで振り返っていると、どこかから鎖が擦れ合うような音が聞こえた気がした。
*
ミュージアムを抜け街に出ると、時計台は15時を示していた。
フェリックさんは私の手を引き、雑踏の中を軽やかに抜ける。と思うと、あっと思いついたように『こっちに来て』と細い路地へ私を連れ込んで、
「《レリルべ・リアフェト・クスウェベジ》」
と、呪文であろう言葉を唱えた。
私は何が起こるかわからず、咄嗟に目を瞑って縮こまる。直後、青紫の淡い光が私を包んで弾けた。おっかなびっくり目を開けると、なんといつもの服が豪奢なドレスに変わっていて、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ヒョ!?」
それは、呑まれるような漆黒を基調とした膝丈のドレスだった。二の腕を大胆に露出する、ノースリーブデザインとなっている。ベルトの宝石や裾のフリルには血のような緋色が用いられ、物語の悪女みたいな気分になる服だった。
「あ、あの、これは……?」
「ふふ、かわいいでしょ。みんなが着飾ってるのを見て、君にもそうしてあげたいと思ったんだ。《君を輝かせたい》――宝石職人らしい、いい呪文でしょ」
気に入った? と覗き込んでくるフェリックさん。またまた距離が近くなって、私は慌てて距離をとった。
「き、気に入りました、凄く……!」
それから私たちは、工房に行くまでにたくさんの寄り道をした。
パンを食べて、アイスを食べて、お土産を買って。パレードのダンスを見て、子供たちの合唱を聞いて、クイズ大会にまで参加させられた。
……あれ、何してるんだ、私。
我に返ったのは、本日限定だという建国記念オムライスを平らげたときだった。風が心地いいテラス席のパラソルの下、私はダバダバと滝のような汗を流す。そんな様子をフェリックさんは、頬杖をつきながら楽しそうに眺めていて、
「美味しかったね。それじゃあ、そろそろ行こうか。僕の工房」
と立ち上がり、私が足元に置いていた紙袋を掠め取っていった。あっ、と反射的に伸ばした手が、フェリックさんの空いた手に捕まえられる。
「行こう、ステラちゃん」
「オッ……」
私の喉の奥から飛び出す、およそ人間とは思えない鳴き声。そしてそのまま、私はお店の外に連れ出された。
……なにこれ。なんだこれ。なんだかわからないけど、めちゃくちゃやばい!
「タス……タスケテ……」
私は喧騒に揉まれながら、遠く離れたミュージアムの眷属たちに助けを求めた。もちろん、届かないのはわかっているけど。これ以上2人で居続けたら、フェリックさんの距離感に事実を曖昧にされて、自分たちを恋人か何かと間違えてしまいそうだった。
そんなときだった。突然、パレードの騒がしさにも負けない大きな怒号と、悲鳴が私の耳を貫いた。
「まぁーた来たのか、ネズミ野郎! 頭もネズミみてぇな色しやがって、腹立つんだよ! 今度こそ牢にぶち込んでやる、大人しく捕まれこのコソドロが!」
「わぁぁぁーーーっすみませんすみません!! わざとじゃないんです!!」
「……え?」
私は、声のする方向を見て驚いた。そこにあったのは、ドーナツ屋さんのエプロンを着て、怒り狂っている中年の男性の姿。
それと、その男性……おそらくドーナツ屋さんのご主人から半泣きで逃げ続けている、鼠色の頭の衛兵。昼に出会った青年、リッカの姿だった。




