第4話『地縛霊の住む森』
それから私達はシエルシータの魔法で空間を移動し、契約の儀式をするための遺跡があるという森を訪れた。
時刻は午後8時を回ったくらいで、本当に真っ暗で静かな森だったけど、近隣の村のおじいちゃん村長さんに事情を説明し、案内をお願いすると、
「なんと! 光栄でございます。ぜひ、私に遺跡までの案内をさせてください」
と快諾してくれたので、遺跡に向かっていくのもそれほど怖くなかった。
「歴代のプリマステラには立ち会えたことがなく、このまま一生を終えるものと思っておりましたが……いやはや、長生きしてみるものですな。今代のプリマステラ様を遺跡にお連れしたことは、我が一族の誇りになるでしょう」
「あ、あはは……」
まるで神様でも相手にしているかのような態度の村長さんに、いまいち自分がそう扱われる立場だと自覚していない私は苦笑いを浮かべるばかり。
もしかして、プリマステラって私が思ってるより凄いんだろうか。今更ながら、なると言ってしまったことに後悔の念を抱きそうになりつつ、周囲を見回した。
今。例えば、魔獣や不審者に遭遇した――みたいな有事にすぐ対処できるよう、列の1番前と1番後ろで眷属2人が護衛してくれていて、それ以外――つまり私と村長さんの2人でランタンを1個ずつ持っているんだけど。
この森の木々はどうやら光を吸収する性質? があるらしくて、ランタンの効果がそれほどなく、自分の足元もわからない状況にあった。
前を行く人の姿もうっすらと見えるだけで、正直、気を抜いたら見失いそうだ。しかしきっと、この森で10数メートルでも列から逸れてしまったら、合流は困難を極めるのだろう。少なくとも、朝までは見つけてもらえない。
こんな薄暗い森で1人……絶対に嫌だ。逸れないようにしないと。
私が拳を固めて決意していると、私が内心ビビっているのが漏れ出ていたのか、先を行くシエルシータがこちらを振り返った。
「大丈夫? ステラ。手を繋いであげようか?」
「いっ、いえ、大丈夫です!」
そこまでビビりじゃない、と主張するように私が首をぶんぶん振るうと、シエルシータは綺麗な声で笑って『そっかぁ』と進行方向に向き直った。
――ステラ。
私はその名前を噛み締め、小一時間ほど前のことを思い出す。
実は宿舎を発つ寸前、アサジローさんに引き止められ、記憶を失って名前のわからなくなった『私』に名前をつけさせてくれ、と言われたのである。
呼ばれる名前と与えられた役目の名がどちらも『プリマステラ』では、この先過ごしていく上でやりにくいだろうと。
それで、つけられたのが『ステラ』だった。
言うまでもない。『プリマステラ』から取っただけの簡単な名前だ。私は気にならなかったけど、サイカからは『そのまますぎね?』とブーイング。曰く、これまでのプリマステラはもう少し捻った名前をつけてもらっていたらしい。
すると、アサジローさんはこう答えた。
「――凝った名前にしてしまうと、彼女は新しく自己を形成してしまう。記憶に興味がないならともかく、記憶を取り戻したい彼女にとってそれは不都合でしょう。だから、つけるなら捻りのない名前が好ましいんです」
……よくわからなかったけど、彼に言わせると名前は人間が『自己』を自覚するのに大事な要素の1つで、記憶喪失後の自己に愛着が湧いてしまえば、脳の奥底に秘められた記憶は一生取り出せなくなりなんちゃらかんちゃら――らしい。
私は考えるのをやめた。サイカは考えた結果、頭がパンクしたみたいだった。
なんだか複雑な事情の上でつけられた名前だったけど、私は私に名前がついたことが嬉しかった。『プリマステラ』だけじゃなくて、個人としても見てもらえているような気がして。……実際、どちらでも扱いに変わりはないんだろうけど。
「……へへ」
頬が緩む。つい、気持ちの悪い笑みを浮かべてしまう。でも、辺りは真っ暗だしそっぽも向いたから、誰にも見えなかったと思う。思いたかった。けど、流石に見えない4人目と5人目への対策は頭になかった。
どういうことかというと――不意に、声が聞こえたのである。
《お兄ちゃん、お兄ちゃん》
《どうしたの、フラーテル》
《女の子だよ》
《女の子だね》
それは、あまりクリアな声ではなかった。くぐもっていて、小さくて、空耳と言われれば納得するものだった。しかし、その声はだんだんと近づいてきた。
《お兄ちゃん、この子怯えているよ》
《かわいそうに。連れていかなきゃ》
《早く、お母さんのところに》
《早く、お父さんのところに》
声が、誰かの声が聞こえる。空耳じゃない……!
ぞっと鳥肌が立って、体温が下がった心地がした。
幽霊だ。幽霊がいる。でも、声が聞こえているのは私だけみたい。シエルシータもサイカも村長さんも、誰1人声に気づいている様子がない。どうしよう。
言うだけ言ってみようか、と思って、口を開いたその時だった。
冷たい何かが口を覆った。まるで、『それ』の手に塞がれているみたいだった。
《さぁ、こっちに……》
そんな言葉が聞こえた瞬間、私は幽霊の手を振り払うように腕を振り回して、その場から逃げ出した。来た道を全力疾走していった。
「プリマステラ!?」
驚くサイカの声が後ろから聞こえてくるけど、今は構っていられない。逃げなきゃ、逃げなきゃ幽霊に殺されちゃう。私はただひたすらに走り続けた。
途中、ポケットから星の杖を落としたことには気がつかなかった。
無我夢中で走り続けて、気づけば私は開けた場所に居た。
森の木々に囲まれ、月明かりが十分に届く、草のない平らな土地だった。
簡易なテントが1つ張ってある。大きさ的に1人用のものだろう。テントの側では火が焚かれていて、その上には小さな鍋が吊り下げられていた。鍋にはポトフと思しきスープが入っていて、その匂いが私の鼻腔をくすぐる。
よく煮えているようだ。食べ頃だと思うのだが、テントの主は見当たらない。
「っていうか、しまった……」
私は頭を抱えた。幽霊から逃げることに夢中で、逃げた後シエルシータ達とどう合流するか考えていなかった。あまりにも向こう見ずすぎる。いや、でも……あの時逃げ出さなければ、今頃どうなっていたかわからないのも事実だ。
私は後ろを振り向く。幽霊は追ってきていないようだ。寒気も、声もしない。明るいところに幽霊は出ない印象だが、やはり火や光が苦手なのだろうか。
とにかく、シエルシータ達と合流する方法を考える余裕はありそうだった。
いま、私に出来そうなことを考えよう。
その1。このままここに居てシエルシータ達の助けを待つ。
その2。テントの主に遺跡までの道を聞くか、遺跡まで案内してもらう。
その3。突然私が浮遊魔法に目覚めて、上空からシエルシータ達を探す。
「この中で1番現実的なのは……って、あれ?」
魔法のことを考えたからだろうか。
無意識にポケットの杖を触ろうとした手が空振って、私は声を上げた。
「……え、杖がない?」
そんなまさか、と思って奥深くまで手を入れてみるが、星の杖は見つからない。
「嘘っ、落とした……!?」
すっ、と血の気が引いたのがわかった。歴代プリマステラが使用した凄い杖を、落としたなんて間抜けな理由でなくすなんて、流石にまずすぎる。
「い、今からでも探す……? でも、ここから離れたらもっと合流が」
「何してるんだ、お前」
「ウワーーーーーーッ!?」
不意に背後で聞こえた声に、私は飛び上がった。反動で、しゃがみ込んだ。
どっと汗が出る。嘘、まだ追ってきてたの? 幽霊って火も光も大丈夫なの? それってもう無敵じゃない? 私って実はどこにも逃げ場がないんじゃない?
現実を受け入れたくないがあまり、絶え間なく考え事をしながら焚き火がパチパチ弾ける様子を凝視する私。滝のような汗を流していると、声が近づいてきた。
「おい、こっちを向け。聞こえないのか」
「き……っ、聞こえてます! すみません! ごめんなさい! だから連れていかないでください、あの、私いま迷子でウワーーーーッ地に足がついてる!!」
弁解をしながら振り向いた私は、声の主が幽霊でなく、足の生えた人間であったことに驚き飛び退いた。声の主が、思いっきり眉をひそめる。
「はぁ?」
――その人物は、10代後半くらいに見える1人の少年だった。
夜空みたいな漆黒の髪と、ピンクダイヤモンドみたいな色の瞳が印象的だ。キリッとした目と眉と顔のラインは、彼の印象をクールに仕立てている。あ、訂正。よく見たらちょっとむすくれてる。見かけによらず怒り方が幼い。
使う言語は私や眷属達と同じみたいだけど、彼の纏う、腹から垂れる布が特徴的な青の衣装は、彼がどこかの民族であることを暗示していた。
凄い、イケメンだ。この国多すぎない? 今日で4人目なんだけどイケメン。みんなこんなに顔が綺麗なの? もしかして私の外見ってこの国じゃ普通?
新たな気づきに震えていると、少年はランタンを下げた手をこちらにやって、私の顔を照らした。眩しい。
「……お前、女か?」
――はい?
「オレの留守を狙ったのか? 悪いが、ここに金になるようなものはないぞ。オレは一文なしだからな。盗みをはたらくなら他所でやった方がいい。……あ、でも、食料を盗られてると困る。干し肉を盗ってたら殺す」
そう言って、太腿に巻きつけていたホルダーからナイフを抜く少年。慣れたような逆手持ちで追ってくる彼に、私の喉がひゅっと鳴った。え、なになになに。
「じっとしてろ。服を破く」
――え?
一瞬、何を言われたかわからなくて、私は口を開ける。
な、なに、確かに留守のところに勝手に立ち入ったのは悪いけど、こんな、こんな場所で女の服を剥こうとする!? しかもそんな原始的な方法で!? というかさっき私のこと女か疑ったよね!? このプリティーな外見で!?
こ、この人……やばい、多分関わっちゃいけないタイプの人だ!
本能で判断した私は、恐怖に詰まる喉を無理やり使い、言葉を捻り出した。
「……っだから! 私ただの迷子なんです! この通り、私の服には何も入ってませんから! ……勝手に入ったのは、すみませんでした!」
言いながら、胸やスカートの辺り、ポケットを叩いて見せる私。生地が擦れる乾いた音しか出ないから、脱がなくても何も入っていないのがわかるだろう。
幽霊避けにも、光源にもなってる焚き火から離れるのは不安だけど……流石に、初対面の人の服をナイフで剥こうとする人とは一緒に居られない。
私は名残惜しさを振り払うため、走ってその場を離れようとした。すると、
「っ、待て! 足に吸血蝶が……! ッ、《イグロブ・アボドロエン》!」
切羽詰まった声音の少年が、何かを叫ぶ。呪文のように聞こえたから、後ろを振り返るのが怖くて、私は聞こえないふりをして走り続けていた。
と、不意に金属音が後ろから聞こえた。鎖が絡み合うような音だった。
え、鎖?
流石に奇妙に思った瞬間、風を切る音が聞こえた。直後、横から弧を描く銀色の鎖が飛んでくる。鎖はぐるぐると腹に巻きついて、私の身体を締め上げた。
ぐぇっ!?
焦っていると、ぐいっと後ろに引っ張られ、私はひっくり返る。
ごっ。後頭部を強打した私の視界は、自覚する間もなく暗転した。