第31話『その本ほこり落とすべからず』
「昨日の練習を見て、複数に分かれた1つの物体を直すのは、君にはまだ早かったと判断した」
そう言って、アクシオくんは私の前に2枚の紙切れを置いた。彼が魔法を使って2秒でカットした、白くて綺麗な正方形の紙切れだ。
「まず、君には基礎を作るためにこの紙切れを繋げてもらう。それが出来たら枚数を増やしていって、最終的に16枚に分かれた紙切れを1枚の紙に戻してもらう。その後は紙切れを不規則な形に切って、再度16枚まで修復を繰り返す。いいね」
「わ、わかりました」
「それと、魔法を使うときは直したいものの一部を持って。その方が魔力が流れやすいみたいだから」
「はい……って、え?」
昨日練習してたとき、そんなこと言われてたっけ? 言われてないよね? だから私杖を握りしめて、ずっとふんふん叫んでたんだけど……。
新しく知らされた情報に、私は驚いてアクシオくんを見る。彼は見つめられても私と目を合わせようとはせず、淡々と弁明を述べた。
「昨日、ネロ・ヴィブリオが襲われたあと……初めて初級魔法の魔導書を読んだんだ。そうしたら、修復魔法の習得に手順があったことを知って」
「エッ……? え、どういうことですか? あ、アクシオくんの魔法ってもしかして、今まで練習なしで成功してたんですか……?」
「うん」
自慢げでもなんでもなく、ただ事実を肯定するためだけに首を振られる。私は絶句しながら、目の前に置かれた紙切れに向き合った。
――昨日のアクシオくんの指導は間違っていた。1も習ってない私に10が出来るはずがなく、昨日修復魔法を使えなかった私の評価はひとまず保留された。多分。
でも、アクシオくんはこうして認識を改めて、レベル1の練習を用意してくれたんだ。これが出来なきゃ、私は本当に弱小プリマステラになってしまう。
私はゴクリと息を呑み、紙切れの片方に手を添えた。
いざ! 私は呪文を唱えた。すると、手を添えていないほうの紙切れがプルプルと動き出した。さながら生まれたての子鹿のようなそれは、プルプル微振動しながらもう1つの紙切れににじり寄ると――突然、弾け飛んだ。
「ウワァーーーーーーーーーッ!?!?」
爆発した!?
私は回避のために椅子ごと下がろうとして、椅子の脚が詰まって、そのまま後ろに転倒した。あっ、やばい。遠ざかる天井と身体の浮遊感に、後頭部への衝撃を予測してぎゅっと目を瞑る。しかし、いつまで経ってもそれは来なかった。
おそるおそる目を開けると、私の身体は青い光に包まれて止まっていた。え、と声を上げると、身体がふわふわと勝手に動いて着席させられる。どうやら、アクシオくんが私と椅子の動きを止めて、転倒を防いでくれたようだった。
お礼を言おうとすると、それより先にアクシオくんが『うるさい』と顔をしかめる。
「たかが紙切れ1枚に魔力を流しすぎだよ。なんでそんなに出力が高いの」
「び、ビーム撃ってるときのくせが……」
「は。ビーム」
一変して気の抜けた顔になるアクシオくん。ちょっとかわいい。初級魔法らしい修復魔法もろくに使えない私が、ビームなんて危険なものを撃ってる恐ろしさに肝を抜かれたのだろう。気持ちはわかる、と同情しつつ私は紙の破片を拾い集めた。
ある程度破片がまとまると、アクシオくんはそれをもとの紙切れに戻しながら、
「……ねえ。どうしてビームは使えるの」
「え?」
「光線魔法なんて、数ある魔法の中でも特別上等な魔法だ。修復魔法すら使えないような人に使える魔法じゃないんだけど。どうして使えるの」
「え、えぇ〜……」
そんなこと聞かれても初心者すぎてわからないんだけど……。
でも、確かになんで使えるんだろう。
最初に撃ったときに使えたのは、シエルシータと一緒だったからだと思うんだけど……そのあと遺跡で撃ったときは、杖を持ってたのは私1人だったはず。まぁ、あのときも出力を間違えていろいろあったんだけど……一応ちゃんと撃ててたよな。
「うーん……」
「わからないの」
「……はい。ただ、心当たりはあって……もしかすると、その魔法をマスターしてる人と魔法を使うと、習得できるのかもしれません、私」
「……そんな記録、ないけど」
「じゃあ、プリマステラ限定の力なのかもしれません。試しに1回だけ、一緒に杖を持ってみてくれませんか?」
そう言うと、アクシオくんは迷うように間を置いたのち、ぞっとするほど白くて小さな手を私の手に重ねた。
って、冷た! 氷に触ったのかと思うくらい冷たい。こんなに冷たいんだから、向こうは私の手のこと熱いと思ってるんだろうな。
「じゃあ、せーのって言ったら一緒に呪文を唱えてください」
「……わかった」
「行きますよ」
『せーの』と掛け声を出して呪文を唱える。アクシオくんも、ぼそぼそとだけど唱えてくれた。
すると次の瞬間。紙切れが一斉に私の手元に集まってきた。アクシオくんが横に捌けていた14枚も含めて、全部だ。全部の紙切れが、私が手を添えているものを端っこに、どんどん辺を繋いで、なじませて、1枚の大きな紙に戻っていった。
「ウワーーーーッ出来ちゃった!?」
私が叫び声を上げると、アクシオくんの手が微かにびく、と跳ねて、すぐに引っ込められる。あっすいません。
というか、2枚繋ぐつもりが全部繋いじゃったんだけど! すごい、アクシオくんの力を借りてるだけなのに、熟練の魔法使いになったみたいで興奮しちゃう!
「ありがとうございます! これで今度、私1人でやって出来たら、説が立証できたってことでいいんですよね!」
私は振り向き、アクシオくんに確認をとる。しかし彼はそれには答えず、呆然と机上の紙を見つめていた。
「そうか、プリマステラは――」
「……? はい、プリマステラです」
浮かされたようなアクシオくんの呟きに答えると、アクシオくんは我に返ったように大きな瞬きを1つ。そして『なんでもない』と無表情に戻って、繋がった紙を16分割した。……いや、絶対になんでもなくはなかったと思うんだけどな。
まぁいいや。私は机に向き直り、16枚の紙切れを見下ろした。
*
その後、私1人での修復は8枚同時まで成功した。流石にさっきの再現は出来なかったけど、それでも目に見える成長に私は興奮が止まなかった。
一方で、アクシオくんは魂が抜けてしまったような様子だった。普段から素っ気ないんだけど、一緒に魔法を使った辺りから『うん』と『ううん』しか答えてくれなくなって、なんだかこれまで以上に彼との会話がやりづらかった。
なんでなんだろう。不思議には思いつつ、なんだか聞きにくさがあって、私は彼に質問できずにいた。
連続で魔法を使ったので、一旦休憩することになった。私は椅子に座りながらうんと伸びをして、アクシオくんは再びベッドに腰を下ろす。
狭い部屋に2人きり、黙ったままなのも気まずくて、私は話を振ることにした。
「アクシオくんって、修復魔法を使いこなせるようになるまでどれくらいかかったか覚えてますか?」
「……ううん。――でも、時間はかからなかった」
「ん?」
支離滅裂な返事に違和感を覚える。かかった時間を覚えてないけど、かからなかった?
「ど、どういうことですか?」
「……たくさんの魔法を使ったから、初めて魔法を使った日のことはいちいち覚えてないんだ。けど、僕に魔法の練習はいらないから……流石に、光線魔法とかは無理だけど。だから、たぶん修復魔法もそんなに時間はかからなかったと思う」
「い、いやいや……」
なに魔法の練習がいらないって。意味がわからない。難しい魔法じゃなかったら練習しなくても使えちゃうってこと? 確かに、アクシオくんはこの図書館を運営するために、割と難しそうな魔法をいくつも使ってるけど……。
「い、いったい私たちのどこに違いが……」
「使ってる魔道具の違いかな」
「魔道具……」
魔道具って星の杖とかのことか。確か、ニナのなんでも斬れる鎖鎌も魔道具なんだっけ? アクシオくんにも、私たちの武器みたいなアイテムがあるってこと? 今まで接してても、それらしいアイテムは見たことないんだけど……。
「アクシオくんの魔道具って、どんなのなんですか?」
「僕の魔道具は、『海の書』っていう本型のものだよ。この近くに隠してる。この世界で最も古い魔道具だよ」
「へぇー! ……あの、見せてもらうのって」
「無理だよ」
「ですよね」
隠してる時点で、あんまり人に見せたくないのかなとは思ってたけど……無理だったか。私が肩をすくめると、アクシオくんは『いや』と首を振った。
「そうじゃない。触れないんだ」
……うん? 触れない? 個人的には魔道具って、魔法使いをサポートしてくれるものって認識なんだけど……触れないってどういうことなの? 『使ってる魔道具』って言ってたし、使用自体は出来てるみたいだけど……。
「どうして触れないんですか?」
「……第1に、『海の書』はその古さからとてももろくなっている。少しでも触れれば崩れるように壊れるだろう。そして第2に、『海の書』はこの世の全ての情報を内蔵してるんだ。間違って開いたら、人間の脳如きすぐに焼け死ぬ」
「へっ……え、知ってるってことは、どなたかが開いて……?」
「僕」
「僕ぅ!?」
間髪をいれない回答に、私の声がひっくり返る。え、でもいま『海の書』を開いたら脳が焼け死ぬって言ってたよね。アクシオくん、いくら無表情で白くて冷たいとはいえ、流石に死んでるようには見えないんだけど。
「……昔、両親が隠し部屋に置いてた『海の書』を興味本位で開けたんだ」
「……でも、アクシオくん……生きてますよね」
「うん。たまたまなのか耐性があったのか、死ななかった。……うん、死ななかっただけ。僕も例外なく脳を焼かれて、脳の機能のほとんどがおかしくなって……2、3時間くらい悶え苦しんでたらしい」
「らしい、って」
すごい、他人事みたいな言い方だ。そんなに辛いこと、忘れられるわけがないだろうに。
「……記憶も狂ってたからね。直後のことは覚えてなきて、あとでコフレから聞いたんだ。……コフレは、僕があちこちに頭を打ちつける音を聞いて、隠し部屋を見つけて、僕を落ち着かせようとしてた。でも、僕はコフレの声が聞こえなくて」
と、そこでアクシオくんの声が止まった。なんとなく彼の方を振り向くと、アクシオくんは思考に耽るようにぼんやりとした顔をしていた。いつもはきゅっと結ばれている口も、ちょっとだけ開いていた。
「……聞こえなくて、今自分を苦しめてるのがコフレだと思い込んで……僕はコフレを殴ったんだ」
「――」
「コフレはよろめいて……『海の書』があった台座に首筋をぶつけた。……コフレの声帯が壊れたのはそのときで」
「え」
明かされた事実に目を見張る。
コフレくん、最初は病気か何かで喋れないんだと思っていて……彼がカラクリだと判明したとき、じゃあなんで喋れないんだろうってちょっと気になってたんだけど。『海の書』でおかしくなったアクシオくんに、声帯を壊されていたんだ。
「……そのあと、たまたまアサジローが来た。アサジローは僕の親がいなくなってから、不定期的に様子を見に来てくれてて……その日も、そういう日だったんだ。それで、僕の様子を見たアサジローは僕に睡眠魔法をかけた」
「……!」
「目覚めたときにはアサジローと、君も知るシエルシータがいた。シエルシータはコフレを直してくれていた」
……そうなんだ。そういえばコフレくんってアクシオくんの魔力で動く機械だし……もしかして、かつてシエルシータが学者たちのプライドを傷つけた『魔法機械』の1つなのかな。魔法機械学の始祖に直してもらうってなんだかすごいな。
「でも、その、コフレくんの声って……」
「うん。最初は直そうとしてくれてたらしいんだけどね。『海の書』を開けたことを僕が忘れていたから、もしかすると僕が回復したあと、また同じことを繰り返すんじゃないかって懸念されて……僕が『海の書』を開いたことの証として、喉の外側だけを直すことにしたんだ。もう2度と、繰り返さないために」
「――」
「そのあと、アサジローは僕の脳の機能を戻すために手を尽くしてくれた。絵本の読み聞かせで記憶や感情を鍛えるところから始まって、回復してきたら複雑なことにも取り組んで……ここまで来るのに8年くらいかかった」
「……8年」
決して短いとは言えない年月だ。その間アサジローさんは、ずっとアクシオくんを心配してくれていたんだ。だから、アクシオくんは……。
「――ねえ、プリマステラ」
「……はい」
「僕はアサジローのことが好きだ。どう好きかはよくわからないけど。幸せになってほしいし、死なないでほしい。……だから、君にはアサジローを守ってほしい」
*
16時。かなり海が暗くなってきた頃。私は人魚の変身薬を飲み、アサジローさんに暗視の魔法をかけてもらって、ネロ・ヴィブリオの外に立っていた。
隣には、巻物を1本手に持ったアサジローさんがいる。彼は口を開いた。
「今から、具現化魔法でシャチを召喚します。シャチには海の国の反対に行き、昨晩のサメの魔獣を探してもらいます。その間、私たちはシャチが入りづらい岩場などを索敵します。念のため、海の国周辺も見て周りましょう」
「はい」
私が頷くと、アサジローさんは呪文を唱えて筆を召喚し、広げた巻物によくわからない文字を書き始めた。筆が止まると巻物が青い光に変わり、小さな球体に姿を変える。その後、球体は大きさを増しながらどんどん変形していった。
「ステラさん、下がっていてください」
「は、はい!」
「《ネロフォケト・イラノトゥユ・タフィリガサ》」
アサジローさんが呪文を唱えると、変形していた青い光が分裂し、それぞれ巨大なシャチの姿をなした。その数およそ1、2……わからない。5匹以上はいそうだけど、目の前がシャチの身体で黒々としていてまったく判別がつかなかった。
やがて、シャチたちはそれぞれの方向に散開する。
「――それでは、私たちも参りましょうか……と、言いたいところなのですが」
「え? はい」
「すみません。索敵の効率化のため、1度人魚に戻らせてください。そしてそのとき体型の問題で服が着られないので、ステラさんに持っていてほしいのと……その、私が泳いでいる間、私の背中にしがみついていてほしいんです」
「……エッ」
す、すす素肌に密着しろってことデスカ!?
私がぎょっとすると、アサジローさんは何を勘違いしたのか『すみません……』と顔を覆う。ショックを受けた様子の彼に、私は慌てて手を振った。
「あっいや、アサジローさんにくっつくのが嫌とかじゃなくて! ちょっとびっくりしただけで! む、むしろアサジローさんのほうが嫌じゃないですか?」
「い、嫌ではないのですが……い、いえ、嫌じゃないと言ったらおかしいですね。私は問題ありません……」
水中だけど、湯気が見えそうなくらい恥ずかしがるアサジローさん。本当に申し訳なさそうで、なんだか心が痛くなってくる。そのあまりの痛みにおかしくなった私は、ここは私が堂々としなきゃ、と謎の覚悟を決めてしまい、
「アサジローさん、是非しがみつかせてください!」
と、変態まがいの発言。しかしアサジローさんもパニックになっていて、
「はっ……はい、あの、不束者ですが、よろしくお願いします……」
と、頭を下げられた。やがてアサジローさんは準備を始める。
「《ネロフォケト・イラノトゥユ・タフィリガサ》」
呪文を唱えると、アサジローさんの肌がだんだんと変色していく。前側は青白に、背中は真っ青に。首筋や手の甲には鱗が生え始め、全体的に骨格が細くなって、彼の着物がはらはらと崩れるように脱げていった。
つるりと現れたのは、光沢を放つ青い尾だった。2メートルくらいありそうなそれは、鱗の1つ1つが宝石みたいに美しくて、私は思わず魅入ってしまった。
耳がヒレに変わって、落ちそうな眼鏡を直したアサジローさんが恥ずかしそうに苦笑する。
「そんなに見つめられると、溶けてしまうのですが」
「え、あ、すみません……!」
我に返る私。あとから、『溶ける』という表現がそういう言い回しなのか、人魚特有の現象なのかわからなくなる私をよそに、アサジローさんは脱げた自分の服を簡単に折り畳んで、靴を閉じ込めたものを私に差し出した。
「すみませんが、よろしくお願いします」
「はっ、はい……!」




