第28話『黒歴史もバッチリ記録する本』
アクシオくんと階段を降りると、1階でコフレくんが待っていた。
メモに何かを書き込んでいた彼は、アクシオくんをスルーすると、その後ろにいた私にメモの内容を見せてくる。なんだなんだ。覗き込んでみると、
[夕食をお作りいたします。ステラ様は苦手な食べ物などございますか?]
「え!」
思わず大声を出してしまった。夕食ご馳走になっていいんですか! 寝る場所も貸してもらうっていうのに、なんて至れり尽せりなんだここは。
けど、苦手な食べ物か。自分でもその辺よくわかってないんだよな。まぁ、プリマステラになってからいろいろ食べてても、特にダメなものとかなかったし……。
「特にないです。多分、なんでも食べられます」
そう答えると、コフレくんはささっとペンを走らせた。
[わかりました。20時には完成いたしますので、それまでごゆっくりお寛ぎください]
「はい、ありがとうございます」
私たちはペコペコ頭を下げ合い、やがて各々の目的のために解散する。
しかし、20時に完成するってことは今は19時くらいなのかな。この図書館、ガラス張りの斬新なデザインはかっこいいんだけど、ぱっと見時計も見当たらないし空模様もわからないから、だんだん時間の感覚が狂ってくるんだよな。
なんて思いつつ、見失ったアクシオくんを探していると、どうやら彼はアサジローさんのもとを訪れていたようだった。閑静な読書スペースに、本の山の前で読書に耽るアサジローさんと、それに魅入っているアクシオくんの姿があった。
アサジローさんはともかく、アクシオくんは何をやってるんだ……?
私は2人に近づきながら、流れる神妙な空気に声をかけるべきか迷う。すると、いい加減視界が騒がしくなってきたのか、アサジローさんが私たちの存在に気がついた。ゆっくりと顔を上げ、赤い瞳でこちらを見た彼は、
「あ、あぁ。申し訳ありません。どうなさいました?」
と、おそるおそる尋ねてきた。『あ』とアクシオくんが我に返る。
「この子に魔法を教えてもいいか、聞きにきたんだった」
「……えっ?」
困惑するアサジローさん。眼鏡がずれる。
まぁ、そうなるよね。険悪な雰囲気で出て行ったアクシオくんが、帰ってきていきなり険悪の原因に魔法を教えるとか言うんだもん。びっくりするよね。
こっそり同情していると、アサジローさんは眼鏡の位置を直しながら『それは構いませんが……』と言い、
「何を教えるつもりなんです? ゴホッ、ゴホッ」
「それは……わからない」
「……わかりました。私はしばらくここにいますから、ゴホッ、何かあればいらしてください」
一体何がわかったのか、そう言い残して読書に戻るアサジローさん。再び集中し始めた彼を背に、アクシオくんと私は館内のカウンターに向かった。
カウンターにやってくると、アクシオくんはその裏側に回って、机上に広げられていたアサジローさんの本を片付け――というよりは私から遠ざけて、2つ並んでいた席の片方に座った。『座って』と促され、私も彼の隣に座る。
アクシオくんは言った。
「それで、習いたい魔法は決めたの」
「はい。そもそも、存在してるかわからないんですけど……ものを修復するような魔法、ってありますかね」
「あるけど……それでいいの」
「はい」
どうかしてる、と言いたげなアクシオくんを前に、私は真面目な顔で頷いた。
――最初は私も、もっと攻撃的で強い魔法を覚えようと思ったのだ。たとえばヴァンデロさんが降らせる火の雨や、ニナのなんでも斬れる鎖鎌みたいな魔法を。そうしたら私も役に立てるんじゃないかって思って……でも、考えたんだ。
私には既にビームっていう、十分攻撃的で強い魔法がある。そして、私はまだそれを完璧に扱うことが出来ていない。だから、そっちを先に習得しようって。
それなら、ビームの習得にもそれ以外にも役立ちそうな、ものを直す魔法がいいんじゃないかって思ったんだ。
それで、どうしてものを直す魔法なのかというと――。
よくよく振り返ってみると、私はビームを撃つ際に何かと怯えているのだ。
遺跡の森で撃ったとき、カフェの前で撃ったとき、レンガ倉庫で撃ったとき……あらぬ方向に撃ってしまわないか、杖を離してしまわないか、してしまったら弁償はどうしようか考えて、魔法を使うことを躊躇ってしまっている。
けど、もしもものを直せるようになったら……弁償に怯えずにビームを撃てるようになる。そうしたら実戦もより効率的になる……はずなんだ。だから、
「ものを修復する魔法、教えてください」
そう言うと、アクシオくんはつまらなさそうな顔をした後、『わかった』と指をくいくい動かした。直後、館内のあちこちから本が飛んでくる。
その数およそ30冊。ほとんどはカウンターの床に積み重なったけど、そのうちの1冊はアクシオくんの手中に収まった。彼はそれを差し出して、
「はい。今からこれを直して」
「えっ?」
驚いて、渡された本を見る。一見すると綺麗なそれは、表紙が剥げていたり、紙が抜け落ちそうになっていたりと、大小様々な綻びが生じていた。もしやと思い他の本にも目をやると、皆ところどころにダメージを負っているのが伺えた。
アクシオくんが解説をする。
「これらは何世紀も前に作られた本なんだ。技術や素材的に今の人間には直せないから、魔法使いが魔法を使って直すしか本を存続させる方法はない。そして、本来これを直すのは僕の仕事なんだけど……今回は君が直してみて」
「エ」
私は固まった。何世紀も前に作られた本って、めちゃくちゃ大事なものじゃん。絶対に練習で使うようなものじゃないと思うんだけど……ま、間違えてビーム撃っちゃったらどうしよう?
私が密かに震えていると、アクシオくんは本の山から更に1冊取り出した。
「僕がいるから、大抵の失敗はカバー出来る。それに、もしも本1冊まるまる燃やすようなことがあっても……まぁ、ない方がいいんだけど……ほとんどの本は希少性が低いから気にしなくていい。ただ、本の背表紙を見て」
「……?」
「下の方に青いテープが貼ってあるでしょ。それは、世界に1冊しかない本につけられるテープだから。それがついてる本を扱うときは気をつけてね。それじゃあ」
やってみて、と無理難題を突きつけてくるアクシオくん。え、この流れで練習始めるの無理じゃない?
私は持っていた本をすぐさまカウンターに置き、テープのついていない別の本を手に取った。そしてスカートの中を探り、ホルダーから星の杖を取り出す。うん、まずは失敗しても比較的取り返しがつくやつから練習しないと……。
それで、
「どうやってやるんですか?」
「……念じる」
「ネンジル」
返ってきた言葉があまりにもシンプルで、ついオウムみたいに復唱してしまった。……本当か? 本当に念じるだけで修復魔法が使えるのか?
私は訝しみながら、杖の先端を本に向けた。
「――フン!」
「……」
「フンッ!」
……言われた通り念じてみるけど、本にこれといった変化はない。ただ私が気張っているだけ。アクシオくんはそんな私を無言で見つめていて、辺りの空気はヒエッヒエだ。そろそろ穴に埋まりたくなってきたんだけど、本当にこれで合ってる?
アクシオくんの指導を疑いつつ、練習を続行しようとする私。星の杖を構え直し、いっそう強く念じようと手に力を込めた、そのときだった。
「君、呪文はないの」
不意に、アクシオくんからそんな質問をされた。
「え、呪文……?」
「うん。僕は使ったことないけど、普通の魔法使いは魔法を使うとき、呪文を唱えるんでしょ」
……確かに。なんか足りないと思ったら、呪文を唱えてなかったのか、私。でも、修復魔法を使うのにプリマステラ・ビームって叫ぶのも変だし……いや、そもそもプリマステラ・ビームは呪文じゃなくない? あれ、私が咄嗟に考えた言葉だよね?
「……もしかして、ないの。自分の呪文」
「はい」
隠すことでもないと思ったので、正直に答えると、アクシオくんは黙り込んだ。
あ、え、もしかして、呪文を唱えずに魔法を使うのって、魔法使い的にタブーだったりする? いやでも、厳密には私魔法使いじゃないし。プリマステラだし。
自分に言い聞かせつつ、ビクビクしながらアクシオくんの反応を待っていると、
「それなら、今から作ったら。呪文」
「え?」
「君、魔法得意じゃないでしょ。得意じゃないのに無詠唱とか、出来るわけないし……出来たとしても魔法が歪になるだけだから、やめといた方がいいと思うよ」
「……そうなんですか?」
「うん」
ええ、初耳だ。歪になるっていうのがよくわからないけど……アクシオくんがおすすめしてくれてるんだし、ここは彼の意見を聞いておこう。私は頷いた。
「わかりました。けど、呪文ってどうしたら持てるんですか?」
「……大抵の魔法使いは自分で考えるらしいよ。詳しい決まりはないから、好きな言葉を使ったらいいんじゃないかな。君も自分で考えてみたら。ちょうどここは図書館だし、言葉を用いた思考には適してると思うけど」
そう言いながら、アクシオくんはどこかから本を手繰り寄せた。辞書みたいに分厚いそれは、アクシオくんの小さな手にすっぽり収まると、彼によって開かれる。
その中身から『やっぱり辞書だ』と確信していると、アクシオくんはオレンジの眼差しを紙面に落としながら、『星文字は読めるよね』と尋ねてきた。
……なにそれ、初めて聞いたんだけど。
「なんですか、それ」
「魔法使いが呪文を作るときに使う古い言葉。知らないの。……はぁ。じゃあ、呪文に込めたい意味を適当に言って。引いてあげる」
「えっ、いいんですか」
「君1人に任せるより効率がよさそうだからね」
えっ、えっ、なんだろう。ちゃんと命名するってなると緊張するな。
うーん、呪文……これから何回も使うことになる言葉なら、聞いてて元気になるようなやつがいいよね。いや、でも星文字とかいう謎の言語に直されちゃうなら、あんまり深く考えてても意味はないか? うーん、うーん……。
「とりあえず、プリマステラは入れたいです。あと、自分を勇気づける感じの言葉……」
そう言うと、アクシオくんはしばらくの間ページをあちこちめくり続けた。そして、
「わかった。――にしよう」
ぱたん、と本を閉じた彼が口にした言葉に、私は目を見開いた。何そのかっこいい呪文!?
「ど、どういう意味なんですか!?」
興奮した私が思わず身を乗り出すと、アクシオくんはひょいと上半身を倒してそれを避けた。
「……教えない。呪文も異論ないみたいだし、早く練習に戻ろう。じゃないと、夕食の時間になってコフレに怒られる」
そう言って、呼び寄せた辞書をどこかに追いやり、席に座り直すアクシオくん。
えぇ、教えてくれてもいいのにな。わざわざ使いたい言葉を聞いてきたんだし、まさか変な意味は込められてないと思うけど……。
え、大丈夫だよね? どうしよう? 実はクソまみれ野郎みたいな意味だったら。考えすぎかもしれないけど、私この子に嫌われてるし、全然可能性あるよ!?
恐々としつつ、魔法の練習に戻る。
それから私は、新しくもらった呪文を使って何度も本の修復に挑戦した。それはもう、呪文を唱えすぎて声が枯れ始めるくらい何度も。
けど、本が直ることは1度もなくて……途中で夕食を作り終えたコフレくんに呼ばれてしまい、私たちは一旦、修復魔法の練習を中止することにした。
読書スペースに戻ると、アサジローさんとコフレくんがいそいそと食事の準備をしていた。テーブルの上にはとろけたチーズをたっぷりと乗せたグラタンが置かれていて、焦げたチーズの香ばしい匂いが疲弊した私の食欲を誘った。
え、めちゃくちゃ美味しそう。見た目もおしゃれで売り物と遜色ないんだけど、本当にこれコフレくんが作ったの?
……だとしたら、オスカーさんがここにいなくてよかった。もしも彼がいたら、対抗心を燃やしていたに違いない。
私は安堵して、『いただきます』とグラタンを食べ始めた。
それからしばらくの間、辺りは静寂に満ちていた。アクシオくんは小さな口で頑張ってグラタンを食べていて、コフレくんはメモ帳を手放していたから、会話がまったく行われなかったのである。
加えてみんな行儀がいいから、食器の音すらろくにしなくて。そんな中で食べ続けることに耐えられなくなった私は、様子を見てアサジローさんに話を振った。
「そういえば、さっきは何を読んでたんですか?」
すると、アサジローさんはぴくと跳ねた。まるで聞かれたくなかったことを聞かれたような反応に、私はあれ、と不安になる。が、そんなアサジローさんをフォローしようとしたのか、はたまた私たちに2人きりの会話をさせたくなかったのか、
「生存録でしょ」
と、アクシオくんが話に割って入ってきた。私は首を傾げる。
「生存録……?」
「人間の生きた記録のことだよ。その人がとった行動の全てが記録されてる……人1人につき1冊あって、どうしてそれがあるのか、誰がそれを更新してるのかはわからない。けど、このネロ・ヴィブリオに存在してる。キモい本だよ」
そう言われて思い出したのは、先程ヴァンデロさんについてアクシオくんと話をしたときに、アクシオくんが手にしていた本のことだった。
もしかして、あれがそうなのかな。人間の生きた記録……確かに気持ち悪いけど、なんでそんなものがこの図書館にあるんだろう。1人1冊あるってことは、私の生存録もどこかにあるのかな?
っていうか、
「それって、一般のお客さんにも貸し出してるんですか……!?」
だとしたらストーカーご用達すぎる、と慌てていると、アクシオくんは首を横に振った。
「ううん。行方不明者や事件の犯人を探すために、海の国の憲兵に貸し出すことはあるけど……一般のお客さんには通常、貸し出しはしてないよ」
「そ、そうですよね」
よかった、と安堵して椅子に座り直す。
って、あれ? だとしたらアサジローさんは誰の生存録を読んでたの? 1冊だけじゃなくて、10冊以上テーブルに積み重ねてたみたいだったけど……もしもあれが全部生存録だったのなら、アサジローさんは一体何を?
新たな疑問に至りつつ、さっきのアサジローさんの反応を思い出して、なんとなく聞けずにいたそのときだった。
突然、アサジローさんが席から立ち上がった。
「えっ?」
何事かと彼を見ると、アサジローさんは図書館のガラスの壁に駆け寄って、どこからともなく先端に毛束のついた棒と、長い紙を巻いたものを取り出した。
「アサジローさん……?」
様子が急変した彼に、私は動揺しながら声をかける。
するとそのとき。ガラスの向こうで、何か大きな影が動くのが見えた。その影を凝視して見ると、目玉のようなものがぎょろりと動いたのがわかって、
「ひっ……!?」
ぞっ、と鳥肌が立つ。
何か、いる。その事実に気がついたとき、アサジローさんは勢いよく腕を払って巻物を空中に広げ、初めて聞く大声でこう言った。
「――魔獣です! ステラさん、迎撃の準備を!」




