第27話『職場は人間関係に依存しがち』
その後、アサジローさんに気づいてもらってどうにか館内に入った私は、正面にアサジローさんとアクシオくんを見ながら読書スペースでお茶をしていた。アサジローさんの買ったクッキーと、給湯室で淹れたミルクティーを並べて。
「何泊していくの」
尋ねたのは、なるべく私に聞こえないよう声をひそめたアクシオくんだった。
「今回は1泊だけのつもりです」
「本当に。缶詰はいいの」
「ええ。幸い、次の原稿は書き上がりましたので。来月の頭に出版されますから、楽しみにしていてください」
「わかった」
こくん、と頷くアクシオくん。私には態度が悪い彼だけど、アサジローさんと接しているところを見ると、子供らしいところもあってかわいいな、と思う。
けど、どうしてこんなに幼い少年が、この巨大な図書館を管理してるんだろう? もしかすると、年齢詐称タイプなのかもしれないけど……。
本人に聞いても教えてくれなさそうだし、後でアサジローさんに聞いてみよう。そう思ったそのとき、図書館の正面扉が開いた。
なんとなく扉の方を見ると、入ってきたのは1人の少年だった。
遠目だからわかることは少ない。年齢は15歳くらい、鮮やかなオレンジ色の髪が特徴的で、白いシャツと黒いズボンをまとった身体を、ぶかぶかの緑のコートで隠している。片腕には半透明のバッグ、買い物帰りだろうか。
中性的な雰囲気の人物で、とことこと音が出ていそうな歩き方が、彼が穏和な人物であることを教えてくれていた。
お客さん……いや、図書館の関係者かな? 気になったけれど、あんまりジロジロ見るのも失礼だと思って、私はアサジローさんに向き直った。すると、コートの少年はどこかにバッグを置きに行って、少ししてこちらに戻ってきた。
とことこ、と私たちのほうへやってくる少年。しかし何も言ってこない。じっと見ていたのがバレて、怒らせてしまったんだろうか。不安になりながら少年を一瞥すると、丸くて大きなエメラルドの瞳に捉えられた。
少年は微笑んだ。そしてコートのポケットからメモ帳とペンを取り出すと、凄い勢いで何かを書き込んで、その紙面を私たちに見せてきた。メモには急いで書いたとは思えない、活版印刷みたいに綺麗な字が並んでいて、こう綴られていた。
[アサジロー様、こんにちは。こちらの女性はお連れ様ですか?]
……どうやら彼とアサジローさんは知り合いらしい。突然の筆談に私が面食らっていると、アサジローさんは答えた。
「ええ、そうです」
「……あ、ステラです。プリマステラをしています」
最低限の挨拶をして、ぺこ、と会釈をする。少年は再びペンを走らせた。
[初めまして、ステラ様。僕はこの『ネロ・ヴィブリオ』で働くコフレといいます。話すことが出来ないため、筆談での会話をお許しください]
「あっ、わかりました」
いきなりメモを突きつけられてびっくりしたけど、そういう事情なら仕方ない。納得していると、今まで黙っていたアクシオくんが少し強めにティーカップを置いた。
「――プリマステラ」
「エッ、あっ、ハイ」
「君、プリマステラなの。アサジローの」
「は、はい」
な……なんか物凄く怒られそう! 嫌な予感に肩を縮こめていると、アクシオくんは『来て』と冷や水みたいな声を私に浴びせて、席から立ち上がった。
そうしてどこかへ行こうとする彼の背中に、私が呆然としていると、アクシオくんが人差し指を振った。瞬間、私の身体が勝手に立ち上がって、アクシオくんの後をきりきりと元気よく歩き始めた。
「エッ、えっ」
こ、これ、どこに連れて行かれるの!? もしかして私、密室に閉じ込めて殺される!?
い、嫌だーッ! 助けてアサジローさん!
私は振り向いて助けを求めようとしたけど、私の首は錆びたブリキの人形のように、断固として動かなかった。私はただ、兵隊のように行進を続けていた。
*
壁に沿うようにぐるりと巡る螺旋階段を登り、ようやく足を止めさせてもらえたのは図書館の3階についたときだった。壁際の本棚にはずらりと本が並べられ、吹き抜けからアサジローさんたちを見下ろせるそこで、アクシオくんはこう言った。
「アサジローに迷惑をかけてない」
「え?」
断定するような物言いに困惑したのち、私は彼の発言から疑問符が抜けていることに気がついた。つまり、今のは『迷惑をかけていないよね?』という質問だったのだろう。私は悩んだ。アサジローさんに迷惑をかけていないか……。
今のところ、大きなヘマはやらかしていないつもりである。けど、気づかないところでフォローしてもらってる可能性は拭えない。かけてない、とは言い切れない。
「……かけてる、かもしれません」
「じゃあ、プリマステラやめて」
「エッ……い、いや、やめません」
「なんで」
「なんでって……」
口を閉じ、まず思い出したのはヴァンデロさんのことだった。彼は今、ヴァンデロさんがいない間も一家が回るように、火の国で組織を整えているところだろう。それが終わったら、また風の国に帰ってくることになっている。
私から彼を誘っておいて、1人だけ逃げるなんて出来ないし。
「……一緒に戦ってほしいって、誘った人がいますから。その人を裏切れません」
私が強気に答えると、今度はアクシオくんが黙り込んだ。
「……その人は、僕より強いの」
「えっ……? え、どうでしょう」
広範囲の炎熱操作に、幻覚を見せる魔法。魔法使いとして、ヴァンデロさんは強いほうだと思っているけど、比べるとなると難しい。
魔法使い同士の相性や、固有条件の発動のしやすさ――そういえばヴァンデロさんの条件を知らないな――も関わってくるだろうし、そもそも、
「貴方の強さがわからないので、どっちが強いかはわかりません。……ですが、私は彼の強さを信用しています」
だって、身をもって知ってるもの。なんて思っていると、アクシオくんは考え込むような表情をしたあと、
「なんて名前」
「え?」
「その人の名前」
「えっ、えっと、ヴァンデロさんって言うんですけど……」
そう言うと、アクシオくんはくいくいと何かを引き寄せるように人差し指を動かした。直後、どこかから1冊の分厚い本が飛んでくる。アクシオくんはそれを開くと、ぱらぱらとページをめくった。
「――ヴァンデロ・サン・ジョベルゼ。火の国の28歳。ギャングのボスで『傷の魔法使い』。信用した人間に裏切られたと感じたとき、魔法の効果上昇。使用魔法は……大した量ではないけど。幻覚魔法に秀でてるんだ」
変わってるね、と感想を述べるアクシオくんに、私は動揺する。
えっ、今めちゃくちゃヴァンデロさんの個人情報出てなかった? しかもかなり重要そうな情報。
『傷』――信用した人間に裏切られたと感じること。それがヴァンデロさんの固有条件なの? 何それ、その発動が難しい上に精神的にしんどい条件。
っていうか、もしかして……ヴァンデロさん、その条件私たちの前で発動したことあるんじゃない?
火の国での出来事を思い起こす私。それをよそに、アクシオくんはぱたんと本を閉じた。
「そういえば、先代のプリマステラは大敗したんだっけ」
「え?」
「この人、6人目の眷属って書いてあった。ってことは、先代のプリマステラの眷属は5人死んだってことでしょ。……君も不憫だね。既に半壊した組織を任せられるなんて。……それなのに、どうしてそんな間抜けな顔をしてるの」
「!?」
前半は真面目に聞いてたけど、唐突に飛んできた暴言に耳を疑う。
え? 間抜けな顔? 危機感がないとか責任感がないってこと? いや、否定は出来ないけど……子供から言われたとは思いたくない。前向きとか楽しそうとか、ポジティブな意味で受け取ってもいいかしら。
ただ、ポジティブな意味だったとしても……。
「なんで……でしょうね」
半壊した眷属たちと出会って、プリマステラになって、今呑気に笑えてる理由。
正直、命をかけてる実感がないのはあると思う。怖い思いも何度かしたけれど、なんだかんだ五体満足で生き延びているし。魔獣の本当の怖さを、理解できていないからヘラヘラしていられる……それはあるかもしれない。
それに、記憶がなくなって家族や友人への執着が弱いのもあるだろう。思い出せないは思い出せないで、自分が何者かわからない恐怖はあるけど……おかげで、っていうべきなのか、ホームシックに苛まれることはない。
あとはまぁ、性格と……。
「今の眷属のおかげ、っていうのが1番大きいでしょうか」
「――」
「彼らが賑やかで、優しい人たちだから、こんな顔も出来ているんだと思います。彼らがもし冷酷で、ぴくりとも笑わない人たちだったら、多分……今の私ではいられなかったと思います」
本当に楽しそうに魔法を扱うシエルシータ。私を友達って言ってくれたサイカ。私をプリマステラではなくて、個人として認識するために名前をくれたアサジローさん。リアクションが見てて面白いルカ。何度も助けてくれたオスカーさん。
改めて考えると、彼らの存在は本当に大きい。
「……」
私の答えに、アクシオくんはちょっとうつむいて、本の表紙をそっと撫でた。
「……そうだね。アサジローは偉大だ」
「――」
一応、眷属はアサジローさんだけじゃないんだけど。共感を得られたみたいなので黙っておく。アクシオくんは追憶するような遠い目をしたあと、『僕も、アサジローに……』と浮かされるように呟いた。その続きが聞けることはなかった。
やっぱり、とアクシオくんは話題を変える。
「アサジローには死なないでほしい。ずっと、1000年後も先まで。だから、こうしよう。――これから君に、魔法の使い方を教えてあげる」
「えっ?」
「なんの魔法がいい。あとで聞くから、決めておいて」
困惑する私を背に、アクシオくんは階段を降り始めた。きりきり歩く魔法はかかってない。だから、3階に私1人取り残される形になるんだけど……え?
理解が追いつかない。アクシオくんが、私に魔法を教えてくれるの? なんでも? なんでもって、簡単な魔法から難しい魔法までなんでもいいの?
えっえっ、何にしよう!
だんだん状況を飲み込み始めて、興奮する私。その視界を、さっきアクシオくんが手繰り寄せていた本がふわふわと飛んでいった。このとき、私はあんまりそれに気を留めなかったんだけど――後から考えると、何だったんだあの本!?
*
その頃、アサジローは茶会の席でコフレと話をしていた。コフレはペンを走らせ、アサジローにメモを見せた。
[ステラ様の『生存録』ですか]
「はい。彼女に本当の名前と、ご家族の情報を差し上げたいんです。そのために、彼女の生きた記録が見たくて。……本名も生まれた国もわからないのですが、探していただくことは出来ますか」
[少々お待ちください。検索いたします]
そう書いて、コフレは目を瞑った。しばらくして、エメラルドの双眸を覗かせる。
[『15〜25歳』、『女性』、『身長160〜170センチメートル』、その他容姿の情報を入力しました。該当数は13件です。『生存録』をお持ちしますか?]
「……ええ、お願いします。それと、オミュクリウス先生の『生存録』も」
[かしこまりました]
コフレはメモをポケットにしまって、この広い館内から14冊もの本を探す、という作業に億劫する様子も見せず、螺旋階段を登っていく。その人間らしからぬ均質な歩みを後ろから見やって、アサジローは眼鏡の内の目を細めた。




