第24話『明るいところで、離れて読んでね』
お店のドアについたベルが、からんからんと音を立てた。
「それじゃあプリマステラさま、お気をつけて!」
「はーい! さようなら!」
私は、軒先から手を振ってくれるおばさんに手を振り返す。そして彼女のお店に背を向けて、パンのたくさん入った紙袋を抱え直し、宿舎までの帰路を辿った。
あまりに体力のない私に危機感を覚えた、火の国のギャング――ヴァンデロさんに筋トレを命じられた日から3日後。諸々の手続きを終えて、ヴァンデロさんが一旦火の国に帰った今日も、私は彼と約束した1日2時間のお散歩をこなしていた。
まだ始めて間もないけれど、今のところ楽しくやれている。街の人とお喋りできるし、街の人から差し入れがもらえるし。意外に疲れているみたいで、散歩の後のお風呂とか、ルカ直伝のストレッチの後のベッドも天国みたいに気持ちがいいし。
何より、私にも頑張ってるって言えることができた。うん、これが1番大きいかもしれない。私が体力作りを楽しめてる理由。
無論、私がやっているのはただのお散歩だ。宿舎の生命線に関わってるサイカやオスカーさん、兼業してるルカやアサジローさんほど凄いことではないんだけど。
それでも、トレーニングを始めたことで彼らに感じていた引け目が、ちょっとだけなくなったのが嬉しくて。
いつかもっとトレーニングに打ち込めるようになって、この引け目が完全に取り払えるといいな――なんて考えながら夕空の下を歩いていると、いつのまにか色褪せた3階建てのお屋敷、宿舎の前まで帰ってきていた。
そして気づく。
「……あれ?」
ポストの上に、何かが立っている。生き物だ。ふっくらした……フクロウみたいな鳥。その鳥はこちらに気づいた様子を見せると、咥えていたものを見せるように顎をしゃくった。突き出されたのは、美しい、瑠璃色の封筒。
「えっ、えっ……?」
く、くれるの? いや、ポストに入ってた手紙を取った、泥棒フクロウの可能性もあるな!?
どちらにせよ固まったままではいられない。私は手紙を咥えた鳥という、特異な存在にビビりつつ、驚かせないようそっと鳥に近づいた。
「も、もらっていいんですかね」
通じるはずもないのに、恐る恐る尋ねながら手紙の端を摘む。すると鳥はパッとくちばしを離して、用が済んだと言わんばかりに颯爽と飛び去ってしまった。
……最近は鳥も働く時代なんだな。深刻な人手不足なのかもしれない。小さくなる影を見送って、私はもらった手紙を眺めた。海を想わせる瑠璃色の封筒には、魚が描かれた金色の封蝋がつけられている。とってもおしゃれだけど、誰の、誰宛の手紙なんだろう?
私は、知らない文字で書かれたサインを解読しようとしながら、ドアノックの獅子に生体認証してもらって、お屋敷の中に入った。
「――戻りました」
「ん! おかえりー」
食堂のドアを開けると、何かを飲んでいたシエルシータが気づいてくれた。トン! とカフェオレの波が立つマグカップを置くと、彼は私の抱える紙袋に目をやって、『オスカー! 議論は中止だ』と声を張り上げた。
「あっ、オスカーさん」
いたんですね、という言葉を呑み込んで、私は隣のキッチンを見る。それを受けて、調理場にぬっと立っていた、相変わらず気配のしない青年はぺこ、と会釈をしてくれた。
「議論って?」
私が尋ねると、シエルシータは指を鳴らした。直後、抱えていた紙袋がテーブルの上に移動した。
「今日のおやつを何にするかって議論さ。オスカーはバナナがないからいちごクレープを作るって言ってたんだけど、ボクはバナナがないならクレープじゃないって反対してて。お互いに譲らなくて、埒が開かなかったんだよね」
「うーん……?」
「でも、君がパンを持ってきてくれたから、今日のおやつはパンに決定! よーし、みんなに声をかけてくるねっ」
シエルシータはウインクをし、その場から姿を消した。彼お得意の空間魔法で、この場にいない眷属たち――ニナもいるから魔法使いか――の部屋に向かったのだろう。さっそく遠くの方から『うわぁぁぁぁぁああ!!』というルカの悲鳴が聞こえてきた。
「……」
シエルシータの消えた食堂で、沈黙するオスカーさん。その姿にハッとして、私は慌てて謝罪した。
「す、すみません、予定を変えてしまって」
「……いえ。まだ調理には移ってなかったので、問題ありません。クレープは今度作ればいいですから、お気になさらず。……それより、コーヒーを淹れたばかりなんですが、プリマステラも飲みますか? ……よければ、淹れますが」
「あっ、お願いします! ……ミルクと、お砂糖多めで……」
「わかりました」
自分の意見が通らなかったにもかかわらず、不満1つ感じさせない表情で、戸棚からマグカップを取り出すオスカーさん。……やっぱり、彼は大人だな。私は申し訳なくなりながら、手紙を置いて手を洗った。
両手がぴかぴかになった頃、食堂のドアが開いた。横目に見ると現れたのは、虚弱な身体を着物で隠した男性――アサジローさん。
彼はパンとコーヒーの存在に気づくと、『いい香りですね』と言ってテーブルに近づいた。そして眼鏡の奥の赤い瞳で、髪と同じ瑠璃色の手紙を捉えると、
「これは……?」
「あっ、それ、さっき宿舎の前でフクロウ……? からもらったんです。多分、宿舎の誰か宛の手紙だと思うんですけど……サインが読めなくて」
「……」
話を聞いて、思慮の表情で手紙を取るアサジローさん。彼はその枯れ枝のような指でサインにそっと触れると、
「これは……ゴホッ、私宛の手紙ですね。……ただ、今の言葉ではない」
「え?」
「この文字は、800年ほど前から使われなくなった、海の国の古い文字です。深海語と言って……ゴホッ、人間はもちろん、長寿の魔法使いですら中々使わない。そんな文字で書かれた手紙、ということはおそらく……」
アサジローさんは手紙の封を切った。中から出てきたのは真っ白な紙だ。何一つ書いていない、純白の便箋。けれどアサジローさんは顔をしかめることなく、キッチンでカフェオレを作っていたオスカーさんに声をかけた。
「オスカーさん、水道を貸していただけますか?」
「はい」
あっさり立ち退くオスカーさん。代わりにアサジローさんがやってきて、手紙を水で濡らした。その突飛な行動に驚いたけれど、手紙は私の予想に反して破れない。そして手紙は、濡れた箇所からじわじわと青い文字を浮かび上がらせた。
「……!」
不思議な光景に呆然とする私。対して、アサジローさんは険しい表情で手紙に目を通す。そこに何が書いてあるのか、私にはさっぱりわからなかったけれど、楽しい手紙ではなさそうなことは予想がついていた。
オスカーさんがマグカップを食卓に並べた頃、アサジローさんは息をついた。
「……私の師匠が亡くなったようです」
「え?」
「この手紙の送り主は、師匠の親族の方でした。2日後に師匠の送魂式を挙げるから、都合が合えば私にも参加してほしい、と」
「……」
思わぬ内容に絶句する私。こんな綺麗な手紙の中身が、アサジローさんの大事な人の訃報だったなんて。これにはオスカーさんも驚いたみたいで、最後のマグカップを置く手が止まっていた。
誰も、動かない。だから、食堂は息苦しいくらいひたすらに静かで――その空気を、誰よりもショックを受けているであろうアサジローさんが打ち壊した。
「……ステラさん。すみませんが、3日ほど休暇をいただけますか。必ず、3日目に帰ってまいります。師匠の送魂式に参加させてください」
「……それは、」
師匠に会える最後の機会なんだから、引き止める理由なんてない。私は、空気の重みで潰れそうな喉を震わせて『もちろん』と答えた。すると、
「ありがとうございます。……少し、席を外します」
アサジローさんは歪な微笑みを浮かべた後、うつむき気味に部屋を出て行った。
取り残される私とオスカーさん。ちょっと気まずい空気の中、淹れたてのカフェオレが冷めてはまずい、とぼんやり思って席に座る。そこへ、魔法使いたちが入ってきた。シエルシータ・サイカ・ルカ・ニナの4人だ。
道中アサジローさんとすれ違ったのか、この面々の割にはやけに静まっている彼らは、私たちが同じく気まずそうにしていることに気がつくと、
「ヒョロガリ眼鏡、どうしたんだ」
「アサジロー先生だ! 口を慎めキミ!」
「元気なかったなー」
「元気はいつもないけどね~」
と、口々に喋りだした。――前言撤回、ニナが全然気まずそうじゃない。私はじとりと目を細めて、彼らに事情を説明した。話を聞いて、最初に反応したのはルカだった。
「アサジロー先生の師匠って、『霧の魔法使い』の……?」
「なんだ、聞いたことないぞ」
「まぁ、彼は表立った活動は好まなかったしね~。知らないのも無理はない。けど、知る人ぞ知る強力な魔法使いだ」
「強力?」
「うん。彼は、自身が眷属として務めていた中では最後の代の、彼が心底惚れていたプリマステラが殉職するまで、約200年も眷属として戦っていたんだ」
「ふうん。心も強かったらよかったのにな」
「キミーーーーッ!!」
嘲笑するニナに、怒りを噴火させて胸ぐらを掴むルカ。するとニナはムッとして、ルカの胸ぐらを掴み返した。そうして激しい言い合いを始める2人をよそに、
「シエルシータもその人と交流があったんですか?」
「もちろん。ボクは初代眷属だからね。一時期は一緒に仕事してたし、それなりに話もしたよ。アイツはボクが嫌いだったみたいだけどね。……きっと、送魂式にも来てほしくないだろう。……そうだ、ステラ。君が代わりに行ってみるかい?」
「え!? わ、私が行ってもいいんですか!?」
「うん。現代のプリマステラが、先輩プリマステラの仲間を見送る……何もおかしなことはないだろう。それに、今のアサジローを1人にするのはいささか不安だしね。ステラがそばにいて無茶はしないだろうし……よかったら、ついていってあげてよ」
優しい声色で、こそっと囁くシエルシータ。いい人みたいに聞こえるけど、聞き逃さなかったよ私は。なんだ最後の、気に悩む時間がないくらい私の世話は手間がかかるって言いたいのかしら。まぁ、否定は……できないな……。
「……とりあえず、アサジローさんについていっていいか聞いてみますね。」
じゃないと、始まる話も始まらないし。今は1人の時間を邪魔したくないから、夕食の後アサジローさんのところに行ってみよう。私は意を決して、ごくりとカフェオレを飲み込んだ。
*
夕食後、支度を始めると言って部屋に戻っていったアサジローさんを追いかけて、私は部屋のドアをノックした。
「――はい」
「アサジローさん、すみません。ステラです。少しお話いいですか?」
「……少々お待ちください」
バタバタ、ゴトゴト、ガサガサ。慌てて物を片付けたような騒音の後、アサジローさんが姿を現した。
「お待たせしてすみません、ゴホッ、どうぞ中へ」
「えっ、アッ、失礼します」
……まさか中に入れるとは思ってなくて、私は鳴き声を上げながら、アサジローさんの室内に足を踏み入れる。
初めて訪れた彼の部屋は、アクアリウムのように薄暗い場所だった。
照明の類はない。壁の1つにぴったり嵌め込まれた、巨大なガラスに映る海中の、覚めるような青だけが部屋に光をもたらしている。
到底読みものには向いていない部屋だけど、いくつも見当たる本棚には所狭しと本が並べられていて、アサジローさんが眼鏡をかけている理由がなんとなく伺えた気がした。
それにしても美しい部屋だ。本当に私の部屋と同じ建物の中にあるんだろうか。ぼーっと見惚れていると、ガラスの向こうの海を、カラフルな小魚の群れが泳いでいった。
アサジローさんが、作業机の椅子を引いてくれる。
「どうぞこちらへ」
「ありがとうございます。……凄いですね、このガラス。どうなってるんですか?」
「これですか? ゴホッゴホッ……これは、大昔に花の国のガラス職人から購入したものでして。魔法で掘削した壁に嵌め込んで、思い出を投影する魔法をかけているんです」
「へぇ、じゃあこの海はアサジローさんの思い出の海なんですか?」
「はい。私の故郷、海の国の情景です。この海をガラスに映しておくと――この通り明るくて綺麗な海ですから、普段は照明の代わりになりますし、寂しいときは故郷をそばに感じられるので、便利なんですよね」
そう言って、アサジローさんは微かに笑った。そして、『話を逸らしてしまいましたね』と目を細めて、
「それで、ゴホッ、ご用件はなんでしょう」
「あっ、あの。実は、私も送魂式に連れていってほしくて」
遠慮がちに告白すると、アサジローさんは驚いたようだった。ぱちぱち、と赤い目を瞬かせて、
「送魂式に? ……構いませんが、海の国はあまり楽しい場所ではないですよ」
「そっ……れは初めて聞いたんですけど、観光目的じゃないので大丈夫です。……その、お師匠さんのお話聞きました。先代のプリマステラがお世話になったんですよね。なら、今のプリマステラとして見送りたいなって思って」
まぁ、それだけが理由じゃないけど。ショックを受けていて、平静じゃないだろうアサジローさんを1人にしないためでもあるけど。なんて心の中で呟いていると、アサジローさんは考え込んだ後、むせて、『なるほど』と呟いた。
「……わかりました。では、一緒に海の国へ行きましょう」
「いいんですか!?」
「はい。師匠も貴方に来て頂けたら嬉しいでしょうし、それに、お連れしたい場所があるのを思い出しましたので。ただ、ゴホッゴホッ……海の国に行くにあたって、1つ忠告があります」
「はっ? はい」
忠告。そう言われて、私は思わず姿勢を正してアサジローさんの言葉を待つ。火の国に行くときは、改まって忠告なんかされなかったけど……何を言われるんだろう。そわそわしていると、彼は困ったように眉を下げてこう言った。
「ステラさんはご存知ないでしょうが……海の国は、知恵と人魚の国です。知恵ある者を尊び、尾を持つ者を認める……そういう国民性がある。記憶を失い、尾ひれも持たない貴方には、過酷な場所になるでしょう。……絶対に、私から離れないでください」




