第22話『足りない英雄に守られた世界』
昼過ぎの穏やかな時間。私とヴァンデロさんは、ゴンドラ乗り場を訪れていた。
私がゴンドリエーリ――漕ぎ手のお兄さんに話しかけようとすると、小麦色の肌の陽気そうな彼は、カンカン帽のつばをくいっと持ち上げる。
「やぁ、素敵なお嬢さん。そちらのお兄さんは彼氏さんかい?」
「い、いえ! 彼はその……友人です」
「おや! それは失礼。行き先はお決まりかな?」
そう言われて、考えていなかった私は頭が真っ白になった。『え、えっと……』と慌てて考えていると、ヴァンデロさんが背後からずいっと顔を出す。
「パッシオーネ広場前乗り場を経由して、ここに戻ってきてほしい。ガイドはいらない」
「オッケー。それじゃあ乗って!」
ゴンドリエーリさんはウインクをして、私たちをゴンドラに促した。ヴァンデロさんは慣れたようにゴンドラに乗り込み、ゴンドラ2回目の私はおそるおそる足を踏み入れる。そして、おっかなびっくりヴァンデロさんの隣に座った。
ゴンドリエーリさんは私が腰を落ち着けたのを見ると、『準備はいいかな? 行くよー、しゅっぱーつ!』と高らかに声を上げて、ゴンドラを漕ぎ始めた。
それからしばらくの間、私は純粋にゴンドラを楽しんでいた。
前に乗ったときは、ヴァンデロさんの部下たちから逃げていて、しかも夜の真っ暗な時間帯で。怖くて不安で、オスカーさんが心配だったから、楽しむ余裕がなかったんだけど――やっぱり、ゴンドラに乗るのは気分が高揚する。
カラフルな街に流れる壮観な水路に2人きり(ゴンドリエーリさんはいる)。私だったらこんな状況で口説かれたら、落ちちゃう自信があるんだけど……。
「……もしかして、ゴンドラ……乗り慣れてますか?」
「あァ。この国じゃ中距離の移動には必須だからな」
や、やっぱり! ゴンドリエーリさんとのやりとりも、ためらう様子のない乗船も、何もかも手慣れてたし。え、逆にカフェとか行ったほうが喜ばれたのかな……いや、諦めるのはまだ早い、根性を見せろプリマステラ!
私は声を震わせながら、ヴァンデロさんに提案をした。
「ヴァ、ヴァンデロさん。その……てっ、手を繋ぎませんか」
「は?」
「いいいいや、ヴァンデロさんが口説くとか言うから、ななななんかアプローチしてやろうと思っただけで……! 嫌だったらいいです!」
不可解そうなヴァンデロさんに、私は直前の発言が恥ずかしくなって、水路に飛び込みたくなりながら火照った顔を逸らした。い、言わなきゃよかった……。
私はこの微妙な空気感から、どうやって巻き返そうか考えあぐねる。と、
「ほらよ」
不意に、置いていた手にぽいっと手を重ねられて、私の肩が跳ね上がった。
えっ、え? えっ、ヴァンデロさんの手デッッカ、指なっっが! 関節何個あるの!? 1、2……嘘だ、私と同じ数なんだけど! しかもめちゃくちゃ骨張ってて、指のラインが超セクシーだ。あと皮膚が硬い! 爪がものすごく綺麗!
「えっ……もしかしてヴァンデロさん、巨人の血とか引いてたりしますか……?」
「何言ってんだテメェ」
「だって、私の手と違いすぎて……いや、ありがとうございます」
せっかくヴァンデロさんが歩み寄ってくれたんだ。変なことを言って、雰囲気を壊すのはよくない。私はありがたく彼の手を握った。
……な、なんか私のほうが恥ずかしくなってきちゃったんだけど。私は羞恥で意識が飛びそうになるのをグッと堪えて、隣に座るヴァンデロさんに向き直った。
赤い瞳が、私を見下ろす。私は深呼吸をした。そして、
「……改めて言います。――ヴァンデロさん、私の眷属になってくれませんか」
「……」
「目が優しそうだから、って理由は撤回します。強くて冷静な貴方がいると、凄く心強いんです。それと、初めて喋ったとき『ギャングを眷属に勧誘するなんておかしい』って言われましたけど……眷属にも、いろんな人がいていいと思うんです」
そう言って、私は風の国で待ってくれているのだろう眷属たちを思い出す。シエルシータ、サイカ、アサジローさん、ルカ……。
「今の眷属にも、身体が華奢な人や能天気な人、病弱な人や女性に強くない人がいます。魔獣と戦わなきゃいけないのに、人を守らなきゃいけないのに、それらしくない人たちがいます。でも、賞賛されてる。感謝されてる」
たとえば、竜災の竜を追い払ったと報告しに行ったときの町長さんだったり。幽霊の森を案内してほしいとお願いしたときの村長さんだったり。
彼らは眷属たちが現れると、安心したり、喜んだりするのだ。それはきっと、眷属たちが彼らの信用を勝ち取るくらい頑張ったからで。
「結局人が判断するのは、眷属の仕事が出来るかどうかなんだと思うんです。だから、ニナの言葉を借りちゃうんですけど……もしも何かを言われても、ヴァンデロさんは強いから、私もヴァンデロさんも気にしなくていいと思うんです」
「……」
私の言葉を聞いて、ヴァンデロさんは吟味するように黙り込んだ。いざ話し始めたら言いたいことがどんどん浮かんできて、話を続けたい気持ちでいっぱいなんだけど、彼の思考を邪魔したくなくて、頑張って喉の奥に言葉を閉じ込めた。
少ししてヴァンデロさんは、喉に通したワインの余韻を吐き出すように『……へェ』と呟いた。
「強い奴が正義。それがテメェの答えか」
「……はい」
「じゃあ、もしも俺がヘマをしたらどうする?」
「ヘマ……ヴァンデロさんが?」
「あァ。仮に俺が魔獣を殺せず、人が食われたとしよう。そうすると当然、不評を受けるわけだ。おそらく職業上、他の奴より散々言われるだろう。ギャングを仲間にしたせいだ、ってテメェまで叩かれるかもしれない。そうなってもいいのか?」
サングラスの奥の、ヴァンデロさんの目が細められる。
――もしもヴァンデロさんが魔獣を殺せなくて、人が食べられたとしたら。
確かにギャングは世間にとって『悪』だ。なんだかんだ助けてくれるヴァンデロさんも、あんなに大きなアジトを持った組織のボスをやっているのだから、今までにいろんな組織を壊して、いろんな人を殺してきたんだと思う。
命1つに対する価値観も――記憶がないから断言できないけど――人1人殺したことのない私とはだいぶ違うのだろう。
世間も同じように思って、『命を軽く見ている奴に戦わせるな』『ギャングを眷属にするなんて頭がおかしい』って怒ってくるのは、正直想像に難くない。
――でも。
「私だってこの先、すごいヘマをすると思います。逆にヴァンデロさんを巻き込むこともあるかもしれません。ですから、本気の貴方の失敗で私が怒られることになっても、私はヴァンデロさんを勧誘したことを後悔しません」
「本気の失敗?」
「はい。たとえば、貴方がその魔獣退治で手を抜いたなら私も怒りますよ。けど、全力で戦って、それでも倒せなかったのなら、私は怒ったり、後悔したりはしません。むしろ、全力で戦ってくれる貴方を選んでよかったって思います」
そう言うと、ヴァンデロさんは再び黙り込んだ。少しして、
「じゃあ、質問を追加する。――俺が眷属になったら、テメェは俺に何をくれる?」
「……ヴァンデロさんが寂しいとき、悲しいとき、めっちゃ喋ります。もちろん、話を聞いてほしかったら聞きますよ。それと、一緒に食べるケーキと紅茶も買ってきます」
「ハッ、ガキみてェなことすんな」
「い、いいじゃないですか。……美味しいものを食べるのは、誰だって安心します」
頬を緩めた私が追憶するのは、プリマステラになってすぐ連れていかれた宿舎でのこと。あの日あそこで食べたオスカーさんのドーナツは、不安だった私の心を満たしてくれた。お菓子って、単純だけどとても効果のある心の回復薬だと思うんだ。
「それに、外聞気にして悲しいままでいるくらいなら、美味しいもの食べて、ぱっと切り替えられたほうが大人っぽくないですか?」
「まァ、反対はしねェが……そうするとつまり、テメェが俺にくれるのは、俺の悩みに付き合うためのテメェの時間ってことでいいのか。安く見られたもんだな」
「えっ、え!? あ、いや、安く見たわけじゃ……! ただ、ヴァンデロさんプライドが高そうだから、もしかすると溜め込んじゃうんじゃないかと思って。もしそうなら、私みたいな相談役が必要なんじゃないかと思って、それで……」
「へェ、どうしてそう思う?」
「じ……自分で言うのもなんですけど、私ってあんまり出来がよくないじゃないですか。もうほんと、弱みだらけで。だからヴァンデロさんにとって、ちょっとくらい弱みを見せても平気な相手になれるんじゃないかと……思ったんですけど……」
あんまり出来がよくないとか、弱みだらけとか、自分で言ってて悲しくなってきた。私が凹んでいると、ヴァンデロさんはクッと零して、珍しく大声で笑った。
「っ……はははは! なるほどな。……ふふ。そうか、いいだろう。決めた。プリマステラ、テメェの眷属になってやる」
「よかっ……は!? え!? 今ので!?」
なに!? もしかして笑わせたから点数入った!? 動揺していると、ヴァンデロさんはうるさそうに顔を歪めて、『勧誘に成功したんだ。もっと喜べよ』とツッコミを入れてきた。確かにそうなんだけど、何が評価されたのかわからなすぎて。
「えっ、本当にいいんですか!? 命懸けますよ!?」
「別にそれくらい慣れてる。大した問題じゃねェ。……ただ、俺には一家の奴らもいる。だから風の国に定住することは出来ねェし、テメェの言うことも全部は聞けねェ。そこは譲れない。それが嫌なら、プリマステラらしく魅了してみせろ」
「いや、うちには空間魔法が使える魔法使いがいるので、それはもう全然……え? なんて?」
「男を魅了してこき使うんだろ? プリマステラって。どこかで聞いた覚えがある。記憶がはっきりしねェが、おそらく前のプリマステラがオスカーを勧誘したときに聞いたんだろう。世間じゃ救世主扱いなのに、とんでもねェ職業だよなァ」
わざとらしく肩をすくめるヴァンデロさん。合ってるんだけど彼の言い方が悪すぎる。それじゃあまるでプリマステラが悪女みたいじゃん。
……いや、悪女なのか? 魅了するって広義だと思うけど、多分恋をさせることも含まれてるんだよね。恋心を利用して戦わせる……え、超悪いじゃん!?
え、えっと、さておき。
ヴァンデロさんはもしかすると、『死の魔法使い』の討伐には意欲的じゃないかもしれないな。だってあれは、8代ものプリマステラを殺してきた超強力な魔法使いだ。あれと戦うのは、一家をまとめるヴァンデロさんには大きなリスクがある。
そうなると、彼に力を貸してもらうにはやっぱり――。
なんて考えていると、ゴンドラがゆっくり停止した。見ると、ゴンドラはいつのまにか水路を一周してきたらしく、私たちが訪れた乗り場に到着していた。
「お疲れさま! 料金は合計500ステリアだよ」
ゴンドリエーリさんがそう言ったので、私がお小遣いを取り出そうとすると、それより先にヴァンデロさんがコインを1枚手渡した。ゴンドリエーリさんはコインを親指で弾き、『ありがとう! また来てね〜』とヴァンデロさんを見送る。
「あ、え? あっ、ありがとうございました!」
――い、いつのまにコインを出してたんだあの人!
私は混乱しながらお兄さんにお礼を言って、体感20分の乗船により平衡感覚が狂った足で、頑張ってヴァンデロさんを追いかけた。後ろから、お兄さんの楽しげな口笛が聞こえた気がした。
*
その後ヴァンデロさんの部屋に帰って、ヴァンデロさんを眷属として迎え入れる旨をオスカーさんたちに伝えると、オスカーさんは『わかりました』と頷いてくれ、ニナからは『ずるい』を始めとするいろんな文句を言われた。
そして、ギャングたちへの報告をヴァンデロさんがしてくれたんだけど、眷属になること、他の眷属たちへの顔見せのために数日間火の国を離れることを話すと、強いショックを受けたらしい彼らは1日中騒いでいた。
終いには『ヴァンデロさん行かないでくださいデモ』が行われようとしており、ヴァンデロさんは彼らに諦めてもらうのにだいぶ苦労したみたいだった。
最終的に彼らの同意を得られ、4人分の船のチケットを買ってきてもらった私たちは、翌日港に向かっていた。
その道中、例のカフェが目に入った。カフェギャンと戦ったときのお店だ。
目を細めておそるおそる見てみたけど、やっぱりあのときの出来事は夢ではなく、オシャレなお店の石畳が不自然にめくれていた。
あぁ、私があのお店の調和を壊してしまったんだ。あんなことしなければよかった。私が1人で悶えていると、隣を歩いていたニナがはっきり言及した。
「ビーム女が壊したやつだな」
「ウワーーーーーッ言わな……あ、あれ? なんでニナが知ってるんですか?」
「すぐそばにいたからな」
いつもの顔をするニナ。得意げに言われても、あのとき近くにニナらしき人がいた覚えはない。いたのはカフェギャンと小さな女の子と、大荷物の旅行者さんと、女の子を避難させてくれた変なお兄さんくらい――ん?
「ん!? あれ!? もしかしてですけど、私が女の子を預けたのって」
「ようやく気づいたか。変身魔法をかけたオレだ」
やっぱり! 道理であのお兄さん、私が戦うことに抵抗がなかったわけだよ!
「……えっ、なんで助けてくれなかったんですか?」
「それは、ビーム女がビームを使ってるところを見たかったからだ」
「人の命がかかってたんですよ!?」
私は声を荒げるが、ニナは何がダメなのかわかっていない様子だった。や、やっぱりこの人とは価値観が合わない。ヴァンデロさんを眷属にするって言ったときはごねられたけど、このままずっと眷属にしないのが正解なんじゃないだろうか。
というか、
「そうだ、ヴァンデロさん!」
「叫ばなくても聞こえらァ。なんだ」
「カフェの弁償のことで、お話があるんですけど……」
思い出したのは、一応風の国が負担するって店長さんと決めた、テラス席の弁償金のこと。
元々カフェギャン――ヴァンデロ一家の人間が原因の揉め事だから、あとでヴァンデロさんから弁償分のお金を回収しようってオスカーさんと決めてたんだ。それなのに、私ったらすっかり忘れて――。
「あァ、それならとっくに済ませた」
「え?」
「うちの部下からテメェらにのめされたって話を聞いたあと、あの店にはきっちり修理代を払った。疑うんなら店員に聞いてもいいぜ。俺は中には入らないが」
「えっ、えっ……ね、念のため、念のため聞いてきます……!」
こんなとこで嘘つく人じゃなさそうだけど、お金が関わっているので念のため。私はベルの鳴る扉を開けて、カフェの中に入った。そして店長さんの姿を探した。
先日私と話し合った店長さんは、ちょうどお客さんの席にメニューを置いていたところで、帰りがてら私の姿に気づくと『あっ!』と声を上げた。
「プリマステラさん! お会いできてよかった。その、この前お話ししたことについてなんですけど……」
そう言って店長さんは、カフェギャンの上司を名乗る男性が謝罪に来て、その人から修理代をもらったので風の国に弁償させなくていい、という話をしてくれた。
疑ってたわけじゃないんだけど、本当に支払ってたんだヴァンデロさん。私はお店の前の青年に目をやりながら、『それはよかったです』と知らないふりをして、
「あ、そうだ。注文してもいいですか?」
「もちろん! 今行きますね」
店長さんは配膳用のトレーを置いて、商品が並べられたガラスケースの裏側に回った。
「えっと、焦がしプリンタルト5個と、ブルーベリーチーズケーキ5個と……」
更にいくつかスイーツを頼んで、お小遣いギリギリで購入する。
危ない、眷属たちへのお土産を忘れるところだった。安堵した私は、外にいる魔法使いたちに荷物を持つのを手伝ってもらうため、彼らを呼びに行こうとした。すると、同じ方向を向いた店長さんが『あっ!』と私の横を通り過ぎた。
「ギャングの上司さん! ギャングの上司さんですよね!?」
「あァ?」
突然お店から飛び出してきた店長さんに、オスカー・ニナと何かを話していたヴァンデロさんははっきり顔をしかめた。
「この前いただいた修理代、かなり余ってしまったのでお返ししたいんですけど……」
「……ああ。いや、いらねェ。そいつはうちの部下の非礼を詫びる分の金だ。修理代の余りじゃない。アンタが好きに使えばいい」
「で、でも……」
おろおろする店長さん。実物あるものの対価、という形以外でギャングからお金をもらうのが怖いんだろう。ヴァンデロさんはしないだろうけど、普通のギャング相手なら、後から難癖つけられて倍額巻き上げられてもおかしくないし。
私が店長さんの心境を思っていると、ヴァンデロさんもなんとなく察しがついたようだった。ハァ、と吐息をして、
「いくら余った」
「じゅ、10万ステリアくらいです……」
「じゃあ、8万は受け取る。残りの2万で買えるだけの商品をくれ。うちの奴らに差し入れる」
ヴァンデロさんはそう言って、お店の中に入っていった。店長さんは『へっ、えっ!?』と驚いていたけれど、ヴァンデロさんの開けた扉が閉まって、からんからんとベルが鳴る音を聞いて、慌ててお店に入っていった。
私と一緒に取り残されたニナが、わけがわからなそうに言う。
「いらないって言われてるのに、どうして押しつける。あんな変なヤツのどこがいいんだ」
「うーん、ああいうところ……ですかねえ」




