第21話『ゆっくり乗れてないあれがある』
しゃっ、と誰かがカーテンを開ける音が聞こえて、私は目を覚ました。ぼんやりした気持ちと視界で、音の聞こえたほうを見る。カーテンを開けたと思しき、きちっとした服装の女性と目が合った気がした。
――女性!?
女性の知り合いに覚えがなく、私の心臓と上半身が跳ね上がる。動物の本能なのだろう、霧がかかっていたような脳が瞬間的に冴え、視界がクリアになった。
「って、あれ……?」
「おはようございます。驚かせてしまい、申し訳ありません」
そう言って頭を下げたのは、白いブラウスと黒いロングスカートの女性だった。昨日私たちに昼食を振る舞ってくれた、ギャング御用達の料理人ホーエンハイムさんである。私は訳がわからなくなって、自分の身に起きたことを振り返った。
確か昨日は……身体を張って化け猫の居場所を突き止め、色々あって一撃で化け猫を倒さなきゃいけなくなり、ヴァンデロさんの協力ありつつもビームを撃って、憎き化け猫を倒したんだ。それでそのあと……あれ? 何も思い出せない。
もしかして私――気絶した? だとしたら、誰かにここまで運んできてもらったってこと? っていうか、ここどこ?
私は室内を見回した。見つけたのは机と椅子、私が今座っているベッドとクローゼット。いかにもお客さん用という雰囲気の、生活感のないシンプルな部屋だった。
そういえば、泊まり込みで化け猫を探すって約束させられた後、ヴァンデロさんにこんな感じの部屋に案内してもらった気がする。なるべく早く化け猫を見つけようとバタバタしてたから、案内してもらったきりで全然使ってなかったなぁ。
なんて考えていると、
「寝間着をこちらで用意したのですが、丈の違和感や生地の不快感などはございませんか」
と、ホーエンハイムさんに問われた。ハッとして見ると、私の身体がシルキーなパジャマに包まれている! いつのまに!
「あ、めっちゃ、いや、凄い快適です! ……あの、もしかして着替えって、ホーエンハイムさんがしてくださった感じですかね……」
「はい、お手伝いさせていただきました。ご気分を害しましたらお詫びいたします。お召し物は同業の者がクリーニングをしております。1時間後にはお持ちしますので、ご不便をおかけしますが、しばらくお待ちくださいませ」
「あっ、そんな、全然。このままでも1日過ごせますから、お気になさらず」
ホーエンハイムさんのテキパキした物言いに緊張してしまい、テンパりながらぺこぺこ頭を下げる私。そんな私を一瞬不思議そうに見ると、ホーエンハイムさんは声色を変えず、冷淡に『ありがとうございます』と言った。
「ヴァンデロさまから『あのガキが起きたら俺の部屋に連れてきてくれ』と仰せつかっておりますので、これから身支度をお願いいたします。洗面所は廊下に出て右手にございます。こちらのタオルと洗面用具をお使いください」
「は、はい」
「ヴァンデロさまのお部屋へのご案内は別の者がいたします。30分後には身支度を終わらせていただくようお願いします。何かございましたら、こちらの電話機の12番を押してください。それでは、失礼いたします」
ぺこ、と頭を下げて部屋から出ていくホーエンハイムさん。ぱたんと音を立ててドアが閉まってから少しして、
「――30分後!?」
ホーエンハイムさんの言葉を反芻し、私は壁時計を見た。今の時刻は11時24分。昨日気絶したのが10時くらいだったとしたら……半日くらい寝てるな。それで、54分までには支度を終わらせなきゃいけないんだ。私は急いでベッドから降りた。
その後顔を洗ったり歯を磨いたり、髪をとかしたりしている間に、部屋のドアがノックされた。くしゃくしゃの掛け布団を四つ折りにしていた私は、慌てて布団を折り畳むと机上に置かれていたホルダーを寝間着越しに足に装着して、
「は……ぁい!?」
部屋の前にいた人物にぎょっとした。そこにいたのは、黒スーツに身を包んだ2人組――ギャングの人たちだったのだ。さらに驚いた理由はもう1つあって、2人組の片方の顔に見覚えがあったのである。私はここ最近の記憶を探り、
「――カフェの!」
「……」
私が思わず叫ぶと、カフェで少女を泣かせ、オスカーさんの肩に銃弾を撃ち込んだ大罪人は、罰が悪そうな顔をした。私に強く出ようとしない辺り、客人だから手を上げないように言われているか、誰かにコッテリ怒られたあとなのだろう。
思い出したら腹が立ってきた。殺意を拳に宿す。けど、こっちもプリマステラの名前がかかってるので、固めたそれを後ろに隠した。と、
「すま――いや、悪――いや、申し訳ありませんでした」
「イヤです」
「……」
「ヴァンデロさんの部屋に案内する。ついてこい」
黙ってしまったカフェのギャング――カフェギャンの代わりに、隣のギャング――トナギャンが説明して先導する。道中、かなり気まずい空気が流れていたけど、無事にヴァンデロさんの部屋についた。トナギャンがドアをノックする。
「入れ」
ドアの向こうからヴァンデロさんの声が聞こえてきて、トナギャンがドアを開けてくれた。私が部屋に入ると、食卓についていたヴァンデロさんは、
「ご苦労だった。戻っていいぞ」
「ありがとうございます。失礼します」
トナギャンは頭を下げて、ドアを閉めていった。
そういえば真っ赤だったことを忘れていて、私の目を眩ませるヴァンデロさんの部屋には、美味しそうな料理の匂いが立ち込めていた。見ると、食卓の上に何品もの料理が乗っている。サラダからスープ、肉料理までいっぱいだった。
食卓にはヴァンデロさん、ニナがついていて、オスカーさんの姿は見当たらなかった。隣の部屋から何かを煮るような音がするから、多分そっちにいるんだろう。
「随分と爆睡してたじゃねェか、プリマステラ」
「は、はい。いろいろ煩わせてしまって、すみませんでした」
揶揄うように笑うヴァンデロさんに縮こまる私。すると、食欲を我慢しているのかフォークを握りしめていたニナが振り返り、『本当だ』と追い討ちをかけた。
「力のあるオレがいなければ、昨晩は大変だっただろうな」
「え、もしかしてニナが私のこと運んでくれたんですか?」
「そうだ。重くはなかったが、重かった」
力自慢をしつつも頑張りを認めてほしいようで、正反対のことを言いながらドヤ顔をするニナ。欲張りな彼に私は苦笑いをしながら、『ありがとうございます』と言って、空席を1つ挟んでニナの隣の席に座った。
「それで、私が気絶した後のことって……」
「あぁ。あのあと、テメェのビームを見た奴から通報があって、憲兵が駆けつけたんだ。で、オスカーがそいつらに事情を説明して、化け猫3匹の遺体は保管してもらった。貨物と倉庫の損害については火の国が負担するだろうと」
「け、結構な損害だったと思うんですけど、大丈夫ですかね」
「まぁ、この辺のホテルやリストランテは打撃を食らっただろうな。しばらくは店を閉めたり、メニューを制限するところが出てくるかもしれねェ。供給元が被害に遭ったわけじゃねェから、少し経てば復活するだろうが……」
「それに、貨物を守りながら戦える相手ではありませんでした。……あぁしなければ、次は人的被害が出ていたかもしれない。気負わないでください」
ヴァンデロさんに続けるように私に声をかけたのは、2枚のお皿を手に、隣の部屋から出てきた褐色肌の男性だった。私は名前を呼ぶ。
「オスカーさん! ……すみません、いろいろ任せてしまったみたいで」
「……いえ。俺だけ1匹も倒せていなかったので、あれくらいの仕事は当然です」
オスカーさんはそう言って、テーブルにパエリアを置いた。赤い海老と黄色のレモン、緑のパセリが彩るカラフルなパエリアだ。ゴロゴロ乗ったムール貝と、スープを吸ったつやつやのお米が美味しそう。そして彼は次に串焼きを置いた。
――串焼き!?
「お、オスカーさん、これって」
「ハーブオイルでマリネした串焼きです。こっちは牛肉、こっちはラム肉。……ホテルでもらったレシピを参考に、俺なりのアレンジを加えて作りました」
やっぱり! ホテルで私が串焼きばっかり食べてたとき、オスカーさんが『自分の方が上手く作れる』ってプライドを燃やしてたから、いつか食べられるんじゃないかって密かに期待してたんだけど……まさかここで出してくれるなんて。
私が驚いていると、横からニナが耳打ちしてきた。
「ビーム女、知ってるか。この国では男が女に料理を作るのは、プロポーズの意味があるらしい」
「プ!?」
「そうだ。だからこの国の男は本命の女にしか料理を作らない。料理講師が女だった場合は別だがな。だが、コイツは誰にでも食わせやがる。イカれた野郎だ」
ヴァンデロさんは変なものを見るような目で、席に着こうとするオスカーさんを見やった。腰を下ろしたオスカーさんは反論する。
「美味いものは分け与えるべきだろう」
「そう言って、昔テメェが女絡みで痛い目見たの覚えてねェのかよ。いろんな女が勘違いしてテメェに惚れやがって、その女同士が揉め事起こして憲兵沙汰になっただろ」
「……そういうこともあったな」
ちょっと苦そうな顔をするオスカーさん。とんでもない思い出話が聞こえた気がしたんだけど、『女同士が揉め事起こして憲兵沙汰になった』……? しかも雰囲気的に女性の中に本命はいなかったの、オスカーさん罪な男過ぎない?
大人の話に私がドキドキしていると、いつのまにかヴァンデロさんとオスカーさんの会話はヒートアップしていた。
「大体、テメェは食材選びが下手くそなんだよ」
「……正しく調理すればなんでも美味くなる。お前こそ、食材に金をかけすぎだ。ブランドものの肉や卵に頼って、そんなに自分の腕に自信がないのか」
「あァ? 腕のあるやつだって、そこらの食材より一級品のほうが美味くできるだろうが」
「そうやって手抜きをしているのか。そこらの食材を一級品並みにするのが本物の料理人だろう」
「いや違う。一級品並みに『できる』だけで、『する』わけじゃねェ。それに手抜きなんざしてねェよ。牛肉1つ仕入れるのにだって、育成方法から調べてるんだ。牛の餌に使ってるもの、育ててる環境の気温、放牧の時間……」
「おい、料理が冷めるぞ。そろそろ食べていいか」
痺れを切らしたニナが割り込んで、議論していた2人が我に返る。ヴァンデロさんは熱く言い争った自分に呆れたように溜息をついて、オスカーさんは頷いた。
「どうぞ、召し上がってください」
「やった」
嬉しそうにローストポークを突き刺すニナ。彼が料理を口に運んだのを見て、ヴァンデロさんも渋々料理を食べ始めた。私もスープやサラダで寝起きの胃を慣らしたあと、待望の串焼きに手をつける。脂の光沢が誘惑的だった。
「いただきまーす……ハッ!!」
口に入れて、何度か咀嚼した私は雷に打たれた。
「お……オスカーさん! めちゃくちゃ美味しいです! 脂がジュワーってなってお肉! って感じなんですけど、ホテルのやつよりさっぱりしてて、あの、えっと」
言葉が上手く出てこない! 私がオロオロしていると、パエリアを食べていたオスカーさんはふわりと笑った。何かを慈しむように柔らかく。
「よかったです」
「……!」
どきりとした。オスカーさんただでさえイケメンなのに、滅多に笑わないから1発のパンチが重すぎる。彼に料理を振る舞われて、美味しいって言ったら微笑まれて……これは女の子たちが恋に落ちて、争いを始めちゃうわけだ。
私はドキドキしながら、次々に料理を平らげていった。
1時間後、私は椅子の背もたれによりかかって死にかけていた。
調子に乗って食べ過ぎたのだ。ニナがデザートの葡萄を食べていて、ヴァンデロさんが食後のワインを口にしていて、オスカーさんが食器を重ね始めて、そろそろお開きの雰囲気が漂っているのに、椅子から立ち上がれる気がしない。苦しい。
「うぷ……」
食べたものが戻ってこないように必死に口元を押さえていると、ヴァンデロさんが口を開いた。
「そうだ、プリマステラ。テメェに言っておくことがある」
「は、はい、なんでしょう」
「今回の事件だが、俺とニナは記録上関わっていないことになっている。俺はギャングで、こっちは身元が不明だからな。憲兵に協力してもらうためにそうした。だから、今後どこかで今回の化け猫の話をするときは、俺たちの名前は出すなよ」
「え、え……!?」
動揺する。それって、手柄を奪い取ったってことじゃ!?
そんな、ヴァンデロさんやニナがいなければ、化け猫は見つからなかっただろうし、倒せたかもわからないのに。2人の活躍の半分を、私のものにするなんて……。
なんと言えばいいか迷っていると、ヴァンデロさんは笑った。
「俺は名誉に興味はねェ。俺がしたかったのは、キースの仇を取ることだけだ。不満はねェよ」
「オレはある。記録に残ったら、国から褒められてたんだぞ」
葡萄の最後の一粒を食べ終わって、ムスッと顔をしかめるニナ。きっと私が気絶している間に、いろんな説得がされたのだろう少年の不満げな様子に、ヴァンデロさんは『そうかい。じゃあ、代わりに後で褒めてやろうか』と笑った。
そして、
「それで、キースの仇を取った今、テメェらをここに縛る理由はなくなった。おそらく、明日の朝には風の国行きの船が出るだろう。それに乗って帰るといい」
……ハッ! そういえばそんな契約あった気がする! 強硬手段をとったおかげで、化け猫は1日目に見つかったから、あんまり拘束されてる自覚がなかったけど……でも、よかっ――いや待て。喜ぶ前に何か忘れてないか?
「あっ……そうですよ、ヴァンデロさん。私まだ、ちゃんとお返事もらってないんですけど」
「あァ?」
「プリマステラの眷属になってほしいって、言ったじゃないですか。それのお返事です」
そう言うと、ヴァンデロさんは押し黙った。『断る』と即答されなかったことに、ちょっと安心する。
初めてヴァンデロさんと話したとき、採用基準が甘いとか、ギャングを仲間にするなんて馬鹿だとか、メリットがないとか、散々言われて話を逸らされてしまったけれど……今回の事件を経て、私の目は間違いじゃなかったと思うんだ。
事件当時の映像を見るときに、テレパシーでこっそり気遣ってくれたこと。緊張してる私の背中を叩いてくれたこと。一緒に化け猫を倒してくれたこと。
失敗されたら困るからやったんだ、って言われるだろうし、実際それは理由の半分以上に含まれているんだろうけど……それでも、凄く助かったんだ。本当に彼は優しいんだと思うんだ。仇だと子猫にも容赦なかったけど。
それにとても強い。幻覚と火を用いた路地裏の迷路は手強く、化け猫に放った火球は威力も精度も高くて、味方にいたら本当に心強いと思う。
それと、オスカーさんとニナを退避させるときの指示も的確で素早かった。彼のような人がそばにいたら、きっと眷属たちも更に強くなれるはずだ。
だから、
「私のもとに来ませんか、もしも来てくださったら……」
「待て」
言いかける私を、ヴァンデロさんが止めた。ヴァンデロさんはワインを飲み干すと、すっと席から立ち上がって、
「本気で男を口説くなら、2人きりになれる場所でやるべきだ。どこがいい、テメェのセンスに任せてやる」
「エッッッ、くど、くど……!?」
沸騰する私。口説くって言い回しだよね!? 本当に口説かれてると思ってるわけじゃないよね!? え、場所、場所、2人きりになれる場所……私火の国のこと知らないんだけど、どんな場所があったっけ? えっと、えっと……!
港は絶対違う。カフェも違う。路地裏は違うし、屋台街は行きたいけど絶対に人が多い。このアジトの屋上……は、今なら綺麗な青空が見えるだろうけど、ヴァンデロさんの好みとは違うだろう。あとどこ知ってるっけ、どこ知ってるっけ……!
そうだ!




