第20話『大きな声でプリマステラ・ビーム!』
ヴァンデロと別れたオスカーたちは、ステラの姿をした化け猫と対峙していた。
偽ステラは本物とは程遠い俊敏さで木の箱を渡り歩き、ニナの投げる黒い短剣を避ける。標的を失った短剣はカカカカッ、と音を立てて箱に刺さった。そこへ、
「《ラディエボルパ》」
先程偽ステラに噛まれたことで生じた、首元の呪いの痣を押さえたオスカーが渋い顔をしながら呪文を唱える。すると偽ステラの頭上に小さな雨雲が出現し、彼女に雨が降り注いだ。偽ステラはびくっと震え、四足疾走での脱出を試みる。
が、彼女がオスカーたちの反対側へ行こうとすると、雨雲が彼女の行く手に先回りした。偽ステラは急ブレーキをかけ、オスカーたちのもとへ方向転換。
「そこだ」
ニナは短剣を飛ばし、偽ステラを穿とうとする。しかし彼女は巧みに攻撃をかわし、木の箱に飛び乗ってその向こう側に行こうとした。
だが、彼女は今の体重を理解していなかったのだろう。不安定な位置にあった木の箱に乗り、向こう側へ行こうと足元を蹴ったその瞬間、箱の山が崩れた。偽ステラは落ちてきた箱の陰に消え、オスカーらのもとには複数の箱が降ってきた。
「――っ!」
ニナは目を見開き、背中から大鎌を取り出そうとする。が、その前にオスカーが割って入り、
「《ラディエボルパ》!」
呪文を唱えた瞬間、突風が2度巻き起こった。1度目の突風は木の箱を砕き、2度目の突風は中から出てきた割れたワイン瓶を吹き飛ばした。そうして瓶の破片とワインの赤が、月明かりに煌めきながらオスカーたちの周囲に散乱する。
安堵も束の間、陰から出てきた偽ステラがオスカーに飛びかかった。呪いの進行により体力を失っていたオスカーは、彼女の突進に押し負けて転倒した。
「なっ……」
驚くオスカーの上、偽ステラは今しがた拾ったらしいワイン瓶の破片を、股下のオスカー目掛けて振り下ろす。
刹那、ニナが短剣を投擲。黒い一閃が偽ステラの肩を穿ち、彼女は獣のような悲鳴を上げてその場から飛び退いた。手放された破片が床で跳ねる。
「――オスカー」
「……」
「悪い」
ニナは一言何かを謝って、今度こそ鎖鎌を取り出し、手首を小刻みに振った。その間も偽ステラは一心不乱に逃げるが、振り払われた鎖鎌がその背中に追随。射程距離内の木の箱をもれなく切り刻みながら、彼女の肉体を捉えた。
――すぱん、と胴体が真一文字に斬られ、偽ステラは進行方向に倒れる。そして白い光を放ち、元の化け猫の姿を露わにした。
「……貨物が」
鎖鎌に斬られ、あるいは土台が斬られて崩れ落ち、破損した木の箱からぐちゃぐちゃになった食料が散らばる様子を見て、オスカーは痛みに耐えながら呟く。
その手前、ニナは扇を描いていた鎖をしならせ、鎌を中空に打ち上げたあと振り落とし、レンガの床に突き刺した。そうして停止したそれを、ニナは誇らしげな表情で回収する。と、そのとき。彼の正面を橙色の光の球が走っていった。
「ん?」
ニナは顔を上げる。すると、崩れた木の山の一部が燃えていることに気づいた。更に、倉庫の中央から次々と火の玉が飛んできていることに気がついた。
「は? アイツら何やってるんだ」
怪訝そうな顔をして、中央へ歩いていこうとするニナ。しかし力なく立ち上がったオスカーが、その背中に向かって『待ってください』と声をかける。
「これがヴァンデロの仕業なら、こちらにテレパシーが来るはずです。それが来ていないということは、不測の状況……魔獣の仕業である可能性が高い。1度、ヴァンデロから指示があるまで待ちましょう。……まずは倉庫の外へ」
「は? オレがいれば魔獣なんか……あ、おい」
文句を言うニナをひょいと担ぎ、手近な扉を目指して駆けていくオスカー。鎖鎌を持っているので暴れるわけにはいかず、不快だがされるがままになっていると、気づけばニナたちのいた場所は酒の引火により業火に包まれていた。
*
なかなか出てこないヴァンデロさんを探しに行こうとして、私が倉庫の扉を開けると、そこには火の海が広がっていた。いや、うずたかく積み上げられた木の箱が燃えているから、火の山って言ったほうが正しいかもしれない。
「えっ、え、なんで……」
これ、ヴァンデロさんの魔法だよね? ヴァンデロさん、火の魔法じゃ貨物が燃えるからって幻覚魔法で化け猫を退治しようとしてたんじゃないの? 貨物がこんなに燃え盛って……やむを得ず使ってしまったんだろうか? それとも……。
何にせよ、こんなに火が回ってるのにヴァンデロさんが現れないのは不自然だ。ヴァンデロさんだけじゃない、オスカーさんもニナも、中で大変なことになってるのかもしれない。
「……探さなきゃ」
迷ってる時間はないんだ。私は恐怖に蓋をして、火の中に飛び込んだ。
倉庫の中にはかなりの煙が立ち込めていた。あまり丁寧に探している余裕はなさそうだ。私は口元を手で覆いながら、駆け足でみんなの姿を探した。
いない、いない、ここにもいない……まさかヴァンデロさん、私と別れた場所からまったく移動してない!? それかまさか、既に化け猫の腹の中に……!
私は嫌な予感に肝を冷やしながら、どんどん倉庫の奥へと向かった。
と、同時に違和感を覚えた。倉庫の中央――私とヴァンデロさんが別れた場所に近づいていけばいくほど、火が小さく少なくなっていくのだ。いや、焦げている木の箱の数も減っているから、そもそも――倉庫の中央は燃やされていない?
いったい何故、と思っているうちに、私は目的の場所に辿り着いた。そして、
「ヴァンデロさん!」
そこにあった姿に、私は思わず大声で彼の名前を呼んだ。するとヴァンデロさんはちらりとこちらを見やって、すぐに正面に向き直った。彼の視線の先にはオスカーさんがいる。偽オスカーさんだろう。やっぱり、2人はまだ戦っていたんだ。
「ヴァンデロさん、これは……!?」
「ッ、近づくな。……コイツ、俺の魔法をコピーしやがった」
「……は、え、コピー……!?」
「あァ。火の魔法も幻覚魔法も使えるし、こっちからかけても対処してくる。それはこっちも同じことだが、だからこそ埒が開かねェ。アイツの魔力切れを待って、挑発してあえて魔法を使わせたりもしたが……切れる様子がまったくねェ」
そう説明するヴァンデロさんの手前、偽オスカーさんが火球を放った。が、ヴァンデロさんは逃げなかった。彼は葉巻をくいと動かして、火球の軌道を思いきり逸らした。落ちたのは倉庫の端っこのほう。あぁ、だからあんなに燃えて……。
「……コイツは目にした人間の姿だけじゃなく、そいつの持ってるスキルまで模倣できるんだろう。現にコイツの火力は俺とそう変わらねェ。このまま戦いを続けてテクニックまでも追いつけば、コイツは俺そのものみたいになるはずだ」
「……そ、それって……かなりまずくないですか? 無差別に魔法を使うヴァンデロさんが出来ちゃうってことですよね……!?」
「あァ。そうなったら、火の国は滅亡するだろうな。だが――幸運なことにお前が来た」
偽オスカーさんと対峙する彼が、不敵に笑ったような気がした。
「ガキ……いや、プリマステラ」
「は、はい!?」
「テメェ、コイツを一撃で殺せるか。殺せなかったらコイツはテメェを学習して、ビームを撃つようになるだろう。失敗は出来ねェ。それでも、やれるか」
「ゑ」
今、とんでもない話が聞こえた気がしたんだけど。一撃で化け猫を殺す!? 出来なかったらビームを学習される!? それでもし、火の国がビームで消されるようなことになったら――私は、大衆から浴びせられる罵詈雑言を想像して震える。
相手は俊敏さと高い知力を兼ね備えていて、火や幻覚も扱える魔獣だ。そんなのが私に一撃で倒せるのだろうか。華麗に避けられて、ビームを撃ち返されるのがオチではなかろうか。でも、このまま問答してても意味ないし……!
「……えっ、ニナを呼んでくるのはダメですか!? ニナは武器で戦ってますし」
「いや、期待度はテメェと大して変わらねェ。あくまで1日見てた感想だが……アイツは動きがとにかくうるさい。予備動作もでかい。自分を見てくれって言ってるみたいにな。学習される心配はないだろうが……遠くに追い立てちまうだろう」
「あ、あぁ……」
言葉を失う私。反論できなかった。ごめんねニナ。
「……わかりました。私が化け猫を殺します。ここで撃ちますか?」
「あァ。ただ、テメェが来た方向は街が広がってる。撃つならこっち側だ。幸い、この港は海に突き出てる。多少方角がズレても平気だろう。それと、撃つ前にオスカーたちを移動させよう。《オロウスラ・エロティダルト・リオレクルブ》」
呪文を唱えるヴァンデロさん。直後、頭の中に彼の声が響いた。
《聞こえてるか、オスカー、ガキ》
《ガキじゃない、ニナだ》
《オスカー、ニナ。テメェら無事か? 今どこにいる》
《戦闘が終わって、火が回ってきたから外に避難している。お前の仕業か?》
《半分そうだな。……これから、プリマステラに光線の魔法を使わせる。倉庫から海に向かって撃つつもりだ。テメェらはその間、射程内に入らないように海の反対に移動しろ。時間は3分、避難が終わったら花火を打ち上げろ。質問は?》
《ない。わかった》
オスカーさんの言葉を最後に、彼らの声が聞こえなくなる。オスカーさんたち、生きてたんだ。ほっとすると同時に、私の心はきりきり締め上げられた。絶対に失敗できない。私は祈るように杖を握りしめながら、ヴァンデロさんに近づいた。
「すー……はー……」
心臓がどくどく脈を打っている。まるで耳元で鳴っているみたいに、自分の鼓動がわかる。
「ッ!」
偽オスカーさんは警戒したように1歩後ずさり、火の玉を私に向かって3つ飛ばしてきた。私は身をすくめたけれど、ヴァンデロさんが葉巻を振って軌道を逸らしてくれたので、火の玉は明後日の方向に飛んでいって着弾した。
少しして、外から巨大な火の花が弾けたような音がした。オスカーさんたちの移動が終わったらしい。となれば、回ってくるのは私の番だ。
「すー……はー……すー……」
足が震える。杖を取り落としそうだ。息も上手く吸えているかわからない。自分でも落ち着けていないのがよくわかった。でも、落ちつかなきゃ。外すわけにはいかないんだ。息をして、吐いて、偽オスカーさんの挙動をよく見て……。
「緊張しすぎだ」
「グエッ!?!?」
突然、ヴァンデロさんの大きな手で背中をぶっ叩かれた。背中に激痛が走る。
「な、何するんですか!?」
「そら、緊張をほぐしてやったのさ。杖落として自分の顔面撃っちまったら悲惨だぜ?」
「それは……そうですね」
もっともだ。私は顔面を青白いビームに貫かれる想像をして、ブルーになりながら認めた。けど、ヴァンデロさんが緊張を弾き出してくれたから、さっきよりいくらか落ち着けそうだ。ドキドキしているけど、きちんと立てる。杖も握れる。
「……いけます」
私は杖の先端を偽オスカーさんに向けた。瞬間、彼は危険を察知したようで、燃え盛る木箱をひょいひょいと駆け上がった。早い、しかも逃げるのが上手い! 焦げたところを綺麗に避けて、火傷しないように登っている。
「今ので自信がなくなりました」
「いけますって言ったのは何だったんだよ」
呆れたように目を細めるヴァンデロさん。彼は私の後ろに回ると、私の手の上から星の杖を握った。すぐ後ろから、ヴァンデロさんの小さな呼吸が聞こえてくる。
「……ひょ!?」
「照準は俺が合わせる。テメェはここだと思ったタイミングでぶっ放せ」
そう言って、私の視線に合わせて屈むヴァンデロさん。視界の端に金髪がちらついて、私は別の理由で緊張してくる。もちろん彼が協力してくれている以上、離れてくださいなんて言えないから、されるがままになるんだけど。
「……ッ」
緊張と恐怖を飲み下す。そんな私を高所から見やり、偽オスカーさんはひょいひょい木箱を移動した。逃げる様子はない。どんな攻撃がやってこようと、容易く避けて自分のものに出来る。そんな覚悟が伝わってくるようだった。
「……ぶっ倒してやります」
――星の杖の先端、紫の結晶が輝きを帯び始める。結晶は辺りから光の粒子を吸収すると、先端に青白い光球を生み出した。縦横無尽に回転する光球は、風を巻き起こしながらみるみるうちに大きくなり、キィンと甲高い音を立てた。
スカートが乱雑にはためく。木の箱がガタガタ震え出して、その上をひょいひょいと偽オスカーさんが動いた。ヴァンデロさんが照準を合わせてくれる。
怖いけれど……今の私は、ビームの威力が気持ちに左右されてしまうことが、カフェの一件でわかっている。そして細いビームではおそらくアイツに避けられる。だから、逃げ場も飲み込むくらいの巨大なビームを撃たなくてはならない。
そのためには――私は覚悟を決める。
「《プリマステラ・ビー》……」
と、そこまで囁くように唱えて、
「――《ム》!!」
引き金を引くような気持ちで、最後の1文字を高らかに叫んだ。
予備動作を与えず、かつ気合を入れる私の作戦――瞬間、ビームが発射された。
駆け抜けた青白い光線は、近くの木箱を粉々に砕いて吹き飛ばし、ド真ん中にオスカーさんを捉え、倉庫の天井をぶち抜いた。あまりの勢いに私も身体が吹き飛びそうだけど、ヴァンデロさんに支えられながらどうにか踏ん張って立ち続ける。
「くっ……う、らぁぁぁぁーーーーッ!!」
灰すら残さない。そんな気持ちで数秒間ビームを撃ち続けると、突然くらりと眩暈がした。私は慌てて光線を切る。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
祈るような気持ちで、私は偽オスカーさんのいた場所を見た。そこにあった人や貨物の姿は跡形もない。跡形もないから、やったのか逃げられたのかもわからなかった。ただ、嵐の後のような静けさが広がっていた。
「……どう、ですかね」
「……《オロウスラ・エロティダルト・リオレクルブ》」
私の問いには答えず、ヴァンデロさんは呪文を唱える。するとビームを撃ったときの風圧で、火が消し飛んでしまった彼の葉巻からぬるり、と煙が落ちてきた。
煙は蛇のように床を這い、どこかに消えていく。――少しして、
「この倉庫に、俺とテメェ以外の生物の反応はねェ。ぶっ殺したみたいだぜ」
「……よかった」
私は安堵の笑みを浮かべた。火の国が全焼する心配も、罵詈雑言を浴びせられる心配もしなくていいんだ。そう思うとふっと力が抜けた。瞼も途端に重くなって、
「おい、プリマステラ?」
ぷつりと意識が切れた。




