第19話『猫パンチvs悪党キック&乙女エルボー』
ステラが偽オスカーに殴られる数分前。火の玉を作り出した3人は、ニナ・ヴァンデロ・オスカーの順で縦一列になって、倉庫の探索を進めていた。
が、意気揚々と前を進んでいたニナが、だんだんと懐疑的な顔になる。
「本当に化け猫がいるのか。だとしたら、なんでここを寝床に選んだ」
「さァな。けど、この港には旅客も食い物も運ばれてくる。それに、ちょっとの傷害事件があっても市場への影響がデカすぎて閉鎖できねェし、広大かつ複雑な作りで身をひそめやすい。隠れるには悪かねェのは事実だ。可能性はあると思うぜ」
「ふーん」
聞いた割には興味がなさそうな返事をし、辺りを見回すニナ。この倉庫には主に食品が納められているようで、木箱には果物や調味料の名前を書いたメモ書きが貼られていた。林檎、レモン、ブルーベリー、胡椒、料理酒……。
「火の国は料理が有名なのか?」
「……本当によく喋るな。まぁ、そうなんじゃねェの?」
「……いや、有名なんてものじゃない。この国では、料理ができない人間は見下される。だから、学校の卒業試験にも調理テストが入っているそうだ。……それに、プロポーズでは男が女性に渾身の料理を贈らなければいけない」
「はぁ? なんだそれ」
振り返り、眉をひそめるニナ。その正面、ヴァンデロは怪訝そうに『あァ?』と声を上げ、
「料理も出来ねェ野郎がしょうもねェのは万国共通だろ」
「それが、他国ではそうでもないんだ。初めて風の国に行ったときは、俺もかなり驚いたが……どうやら、変わっているのは俺たちの方らしい」
「へェ……? じゃあ、テメェんとこはどうやってプロポーズするんだ?」
「まず、好きな女の父親が魔獣の名前を挙げる。それを男が1人で探し出して討伐し、魔獣の頭を好きな女に捧げたら婚約成立だ。魔獣は解体されて結婚式の料理に出されたり、皮やツノを加工して嫁入り道具にしたりする」
化け猫を探しながら、当然のように語るニナ。そのとんでもない内容に、ヴァンデロとオスカーは言葉を失う。
そも、魔獣は基本的に普通の人間には倒せない。彼らの間には圧倒的な力量差があり、それはいかなる武器をもってしても覆すことは不可能だ。だから魔獣討伐の組織として、プリマステラとその眷属の概念が生まれたのである。
それなのに、非魔法使いがほとんどだろう彼の一族の結婚条件が『魔獣討伐』なのはどういうわけなのか。その条件で今日まで一族が続いているのは何故なのか。かつて戦争を支配した一族は魔獣すら倒してしまうのか。
と、2人の頭が疑問でいっぱいになっていると、
「おい、ビーム女。女として、お前はどっちがいいと思う? 料理でプロポーズされるか、魔獣の頭でプロポーズされるか……ビーム女?」
求めていた人物からの返答がなく、背後を振り返るニナ。背後にはヴァンデロ・オスカー、暗闇でわかりにくいがステラがいた。彼女はニナの声が十分に聞こえる位置にいたが、どこか様子がおかしかった。うつむいて、ふらふらと歩いていた。
「プリマステラ?」
「うう、あぁう、うぁあう」
唸り声を上げて、おぼつかない足取りで迫るステラ。3人が何かに気づいたそのとき、彼女は近くにいたオスカーに飛びかかり、オスカーの首を噛んだ。
「ぐっ……!?」
「オスカー!」
歯噛みするオスカー、名前を叫ぶヴァンデロ。
ヴァンデロとニナはすぐさま戦闘態勢に入るが、ステラ――否、偽ステラとオスカーの距離があまりにも近く、広範囲攻撃を得意とする2人は手が出せなかった。そんな中、オスカーは火の玉を灯した手で偽ステラの腕を掴んだ。
「ッ!?」
偽ステラの腕が焦げる。偽ステラは驚いたような顔をして、飛び退きざまに四足歩行で逃げた。オスカーが噛まれた部位を押さえて膝を崩す。ニナは偽ステラを追い、ヴァンデロはオスカーの方に振り向いた。
「……チッ、呪いか」
「いや……平気だ」
オスカーは顔に汗を滲ませながら、ふらふらと立ち上がる。その首筋にある噛み跡は、周囲の肌を黒く変色させていた。
呪い。それは魔法の中でも特別な力に分類され、普通の治癒魔法では対処不可能な魔法だ。
解除するには呪いをかけた当人を殺すか、清らかな魔力を持った魔法使いの力が必要となる。が、オスカーの知る中で後者に該当するのは、現在風の国にいるルカのみ。つまり、少なくとも1日は解除ができないのである。
呪いの種類にもよるが、ものによっては発動から1日で死に至る。ルカがこの国にいない以上、オスカーが助かるためにはここで化け猫を殺さなければならない。オスカーはそれをわかっていた。だから、
「俺は偽物のプリマステラを追って、少年の援護をする。……お前は、本物のプリマステラを探してくれ」
「……チッ」
ヴァンデロは舌打ちをすると、葉巻に口をつけて、オスカーに煙を吹きかけた。
「ッ!? げほっ、げほ……」
「30分間、呪いによる苦痛を感じないようにした。だが、感覚を麻痺させてるだけだ。呪いはずっと継続してる。早めにケリつけろよ。キースの仇も取れねェ、自分もおっ死ぬなんて恥まみれの兄貴分、俺は持ちたくねェからな」
「……あぁ、わかった。助かる」
オスカーは頷き、軽快な動きで偽ステラとニナの後を追う。その後ろ姿を見やり、ふうと煙を吐くと、ヴァンデロは葉巻を叩いて火の粉を床に落とした。そこからもくもくと黒い煙が上がって、レンガの床を這うように蔓延する。少しして、
「……こっちだな」
ヴァンデロは迷いのない足取りで、木箱の迷路を歩き出した。
*
立ち竦んでいる間に、オスカーさんに似たそれは距離を詰めてきて、私の顔面を殴り払った。
弾けそうな勢いで私の首がぐりんと曲がって、身体が後ろに吹っ飛ぶ。体感5メートルくらい飛んだかな。最初の着地だけでは勢いを殺しきれず、ボールみたいにちょっと跳ねて、ぐるんぐるん転がってようやく止まった。
最初は何が起きたのかわからなかった。でも、呆然としている間に痛みがやってきた。顔が痛い。首が痛い。打ちつけた場所が痛い。痛い、怖い。
――逃げないと。
私はこけつまろびつ起き上がり、オスカーさんを振り向けないまま逃走した。
……さっきの、偽オスカーさんだよね。火の玉も持ってなかったし、歩き方も撮影機で見た偽オスカーさんと同じだった。わかってたのに、身体が動かなかった。穏やかじゃないオスカーさんに正面から来られるのって、あんなに怖いんだ。
次に本物と会ったとき、私は冷静でいられるかな。少し自信をなくしながら、私は後ろを振り返った。偽オスカーさんの顔があった。
「ひっ……!?」
飛んでくる拳を幻視して、私は反射的にしゃがみ込む。すると偽オスカーさんは私にぶつかって、足をとられてぐるんとひっくり返った。
……え、いま何が起きたの?
偽オスカーさんが転んだ方向を見る。彼も何が起きたのかわからなかったようで、受け身は綺麗にとっていたけれど、呆然とその場に座り込んでいた。
今がチャンスだ。私は確信して、来た道を戻りながらスカートに手を入れる。太ももに巻きつけたホルダーから星の杖を取り出して、お守りみたいに握りしめた。
このまま外に誘き出して、倉庫の外でビームを撃つ。幸いこの外には海がある。そっちに向かって撃てば、人や建物が巻き込まれる心配はない。私の目も暗闇に慣れてきたし、偽オスカーさんとつかずはなれず扉まで辿り着ければ勝算は、
「イタァイ!?!?!?」
戦う意思を固めたのも束の間、後ろから何かに飛びかかられて、私はズシャアッと倒れた。咄嗟に手を出せたから顔面強打は免れたけど、杖を握ってたほうは握り拳で着地してしまったから、なんだか手首がめちゃくちゃ痛い。
あれ、もしかして今ので利き手逝ったんじゃ……? っていうか、
「な、なに……!?」
背中に人1人くらいの重みを感じながら、私は上半身を捻ってその正体を見る。視界に入ってきたのは、喉奥から獣の唸り声みたいな音を出すニナだった。混乱していると、頭を手で押さえつけられる。そして首に犬歯を突き立てられそうになり、
「うるぁぁぁぁぁああ!?」
ニナ? の横っ面を肘でぶん殴って、私はすぐ立ち退いた。ニナ? はステンと転がった。
「えっ、えっ」
動揺しながら振り返ると、四つん這いのニナ? と目が合った。奥から来ていた偽オスカーさんとも目が合った。
あ、いや、オスカーさんは本物なのかな? 化け猫がオスカーさんの変身をやめて、今度はニナの姿になった――わけじゃなさそうだな。オスカーさん、四つん這いのニナを全く気に留めていないし。どうやら彼らは仲間みたいだ。けど、
「化け猫が、2匹いる……?」
「いいや」
不意に、ヴァンデロさんの声が聞こえた。振り向くと、そこには葉巻を蒸すヴァンデロさんの姿が。私は一瞬身構えたけど、慣れたように紫煙を燻らせている姿をまじまじと見て、本物の彼だと確信した。少しだけ、緊張が解れる。
「この港には、少なくとも4匹の化け猫がいる」
「4……って、もしかしてそっちにも2匹出たんですか?」
「こっちは1匹だ。もう1匹はテメェを探してる最中に会ったんだ。俺の姿になっていて、歩行に苦戦してたからすぐ殺した。そうしたら、変身が解けて小せえ猫が出てきたんだ。1歳になったかも怪しいような子猫がな」
「それって、つまり……」
「あぁ。キースを殺した畜生は、家族ぐるみで行動しているらしい」
あっさり言いのけるヴァンデロさん。いくら人に有害な化け猫とはいえ、子猫を殺したなんてわかったら私は多分落ち込むんだけど、彼にはそういう感性がないらしい。飄々とした彼の態度に、私は渋い表情で顎を摘む。
「――さて、キースを食い殺したのはどっちだ? もしくは、どっちもか?」
ボッボッ、と音がして、ヴァンデロさんの背後に火の玉が現れた。その数は6つ。ヴァンデロさんの従者のように控えるそれらはその場から動かず、しかしメラメラと燃えていて、まるで静かに怒っているようだった。
火は特別怖くはないのか、偽オスカーさんたちは警戒こそ見せたけれど、その場からは逃げなかった。それぞれ構えを取る彼らを見て、ヴァンデロさんは鼻で笑う。
「見たところ、青いガキのフリしてるほうは二足歩行が苦手らしいな。なら、やっぱりキースを殺したのはオスカーのほうか」
「……」
「キースは美味かったか? まぁ、美味いんだろうな。キースに提供される料理は特別だ。アイツの料理だけは、俺が考案したものを作らせてる。どれも絶品で酒と合い、消化しやすく肝臓強壮なんかの効果もあるものだ」
そう言って、ヴァンデロさんはゆっくりと煙を吐いた。
気づけば辺りは煙で満ちていて、私は今更口を押さえた。今、私の五感に異常はない。偽物たちにも変化はなさそうだ。もしかすると、今は前準備の段階にあるのかもしれない。けど……あれ、これって魔法が発動したら私も危ない?
慌て始める私の隣、ヴァンデロさんは葉巻を軽く揺らした。すると、彼の後ろに控えていた火の玉の1つが、吸い寄せられるように動いて葉巻の先端で静止した。
「最高の餌で育った牛の肉が一級を冠するのと同じだ。10年間ずっと俺の料理を食べてきたアイツが不味いはずがない」
『だが』と続けるヴァンデロさん。対して、攻撃が来ると理解したのか、偽ニナがひょいひょいと木箱の上を移動した。そして猫のように滑らかかつ俊敏な動きで高所を取ると、頭上からヴァンデロさんに飛びかかった。
が。ヴァンデロさんは半歩だけ下がって偽ニナの爪を避けると、胸ぐらを掴んで正面に放り投げた。
「――テメェら畜生に食わせるために、俺は頭悩ませたわけじゃねェんだよ」
ヴァンデロさんは葉巻を杖のように振った。直後、先端に宿っていた火の玉が偽ニナに追撃。体勢を直していた彼は1、2撃目を難なくかわすが、残りの4弾を同時に飛ばされ、頭と足に攻撃を食らった。
「キシャァァァァアアアア!!」
偽ニナは悲鳴を上げて転がり回る。――な、中身は魔獣だってわかってるんだけど、知り合いが燃やされてるのは心臓に悪いな……。
私が服を握りしめていると、偽オスカーさんが動いた。仲間の窮地を前にしたからだろうか、火事場の馬鹿力――とは違うけど、今までで最も速く、最も軽やかに二足で突進した彼は、ヴァンデロさんに拳を振りかざした。
繰り出される重たい一撃。けれどヴァンデロさんは軽くいなし、長い片足を黒鞭のように振り払った。そして偽オスカーさんの喉元へヒット。私なら吹き飛びそうなそれを受けて、偽オスカーさんは大きくよろめいた後、ふらふらと後ずさった。
「すご……」
ヴァンデロさんの身のこなしに、私は呆然と呟くことしかできなかった。そこへ、
「おい、ガキ」
「……え、あ、はいなんですか」
「これからコイツらの五感をいじる。方向感覚を失わせて、自ら海に逃げさせる寸法だ。だが、発狂すると何しだすかわからねェ。テメェは倉庫の外に出てろ」
「グロ……いや、わかりました」
多分、ここじゃ大規模な火の魔法は使えないんだろうし。幻覚の魔法だけで化け猫を仕留めようって思ったら、自死を狙うしかないんだろう。うん。かなり残酷で悪趣味なことしようとしてるけど仕方ないんだ。
私は自分に言い聞かせ、出入り口を抜けて倉庫の外に出た。そうして、偽物たちが出てくるのをしばらく待っていた。
けれど、偽物たちもオスカーさんもなかなか倉庫から出てこなかった。
「……何かあったのかな」
ちょっと迷ったけど、やっぱり心配になって私は倉庫に戻った。戻って、そこにあった光景に目を疑った。
倉庫に集められた、たくさんの貨物。それら全てが、業火に飲み込まれていた。




