第16話『“英雄”に求められるもの』
つい先刻。ヴァンデロさんの部屋があるというフロアに来た私とニナは、『手下のギャングに捕まりそうになったらすぐニナに助けを求める』という約束のもと、手分けをしてヴァンデロさんの部屋を探していた。
そして私は煙の匂いが漏れ出している部屋を見つけ、中からオスカーさんっぽい声が聞こえたので、ドアに耳を当てて様子を伺っていたんだけど――。
「プリマステラ……?」
オスカーさんの困惑したような声に、私は居た堪れなくなって顔を覆った。そこへ、
「ビーム女!」
両開きの扉を開け放って、後からニナがやってくる。どこから見てたんだろう。
知らない少年の登場にオスカーさんは驚き、ヴァンデロさんは額を押さえた。私の無事を確認したニナは、『臭い』とこの部屋のストレートな感想を述べた。
ヴァンデロさんが溜息をつく。
「オスカー、説明しろ。コイツらはなんなんだ」
「……女性の方は、プリマステラだ。少年の方は、俺にもよくわからない」
「ハァ? プリマステラ?」
「プリマステラ?」
怪訝そうな顔をするヴァンデロさんと、こてんと首を傾げるニナ。ニナはやっぱりプリマステラのこと知らなかったんだ。私が呆れていると、ヴァンデロさんは私を品定めするような目で見て、はっきりと鼻で笑った。
「オスカー、お前今こんなガキに仕えてんのか。こんな女に命運がかかってるたぁ世も末だな」
「待て。プリマステラってなんだ」
「テメェで調べろガキ。こっちは取り込み中なんだよ。あー、どこまで話したか忘れちまったじゃねェか……」
ヴァンデロさんは頭を掻くと、投げ出すように食卓に座った。長い指が灰皿の葉巻を絡め取る。彼が葉巻をくいと動かすと、部屋のカーテンが勝手にまとまり、現れた窓が勝手に開いた。爽やかな風が吹き込んで、煙の匂いが薄れていった。
「――あぁ、テメェを疑う理由だったな。そら、キースが死んだのとテメェがこの国に来たのが同じ日だったからだ。単純だが十分な理由だろ。弁明があるなら聞いてやるよ。キースを殺したのがお前じゃないなら、お前らはなんでこの国に来た」
「ウッ……」
言葉に詰まる私。実際の理由は『ヴァンデロさんを眷属に勧誘するため』なんだけど、さっき思いっきり『こんなガキに仕えてんのか』って笑われてしまったので言い出しにくい。……というか、もしかしてここに来た意味なくなった?
え? え、え? ここまで頑張ってきたのに、こんなあっさり断たれるの……?
「――」
いや。それでも、私から言わなきゃいけない。この理由の発端は、あの日の私にあるんだから。責任をもって言って、オスカーさんの疑いを晴らすんだ。
私はゆっくりと立ち上がった。ヴァンデロさんが私を見た。
「……貴方を、勧誘するためです。プリマステラの眷属に」
「――は」
ヴァンデロさんは唖然とした。笑われないうちに畳みかける。
「風の国で貴方の張り紙を見ました。張り紙には貴方の顔が描いてあって、私は貴方の……や、優しそうな目に惹かれました。これは運命……じゃなくて、ええと、縁があるかもしれない……そう思って、貴方を知ってるオスカーさんに連れてきてもらったんです」
「……」
私の話を聞いて、黙り込むヴァンデロさん。彼は葉巻をつついて灰を灰皿に落とすと、『馬鹿じゃねェの』と一蹴した。
「優しそうな目をしてるから? テメェ、プリマステラの眷属ってのは目が優しかったら誰でもなれんのか? 救世主の採用基準は随分と甘いんだな」
「ぐっ……」
ド正論。プリマステラの眷属は魔獣と戦うことが仕事なのに、私はヴァンデロさんの実力を知らなかったし、調べようともしなかった。ヴァンデロさんの知り合いのオスカーさんが乗り気だから、それなりに強いんだろうなみたいな認識だった。
正論すぎて悔しい。スカートの裾を握りしめる私の前、ヴァンデロさんは次々と言葉を投げかけた。
「それに……オスカーを選んだやつもそうだが、プリマステラってのはなんでギャングを仲間にしたがる? そんななりでも救世主さまなんだろ? わざわざ評判を落とすような真似しねェで、一般人は一般人と仲良くしてりゃあいいだろ」
「……それは」
「救世の乙女・プリマステラ。そんなのがギャングと手ェ組んでるって知れたら、世間さまがどう思うか。期待を集める救世主として、ちったぁ考えた方がいいんじゃねェの。ま、既にオスカーをやってる俺が言えた義理じゃねェが……」
「――関係あるのか?」
「あ?」
言い被せたのはニナだった。ずっと静観していた彼が喋り出して、この部屋にいた全員が驚く。3人の注目を集めながら、彼は堂々とした態度を崩さなかった。
「運命はオレも信じない。コイツの基準はおかしいと思う」
「ウッ……!?」
あれ、味方してくれるのかと思ったら刺されたんだけど。でも、言い返せない。あのとき心を惹かれたのは勘違いじゃないと信じてるけど、もしも私が私じゃなかったら馬鹿にしてたと思うから。まぁ、それにしてもみんな心がない。
「でも、英雄がいい奴じゃなきゃダメだとは思わない。差し伸べられた手がいい奴の手か悪い奴の手かなんて、魔獣に襲われた奴は気にしないだろ。大事なのは強いかどうかだ。善人を選んだって、助けられなかったら悪人になるんだからな」
「――」
「それに後から悪い奴だとわかっても、大抵の人間は口を閉じる。怒りを買ってせっかく拾った命を捨てたくないからな。まぁ、最初はとやかく言われるかもしれないが……そいつらがひれ伏すくらいの強さを、お前が見せつければいい話だろ」
そう言い放ったニナに、ヴァンデロさんは面食らったようだった。少しの沈黙の後、ヴァンデロさんは葉巻を口につけて吸い、ゆっくりと息を吐いた。
「――そいつァ正しい。人間含め、動物なんてのは強い奴にひれ伏すもんだ。力があればどうとでも出来る。だが、肝心なものが足りてねェな」
「肝心なもの?」
「俺がそいつに従う理由だよ」
「――!」
ニナの問いに返された答えに、私は顔を強張らせた。その変化をヴァンデロさんは読み取ったらしい。くくっと笑い声を上げると、葉巻の先端を灰皿に押しつけ、
「こいつに隠し事が出来るとは思えねェ。勧誘しに来たってのは本当なんだろう。信じてやるよ。オスカーの拘束も解いてやる。だが、完全に疑いが晴れたわけじゃねェ。テメェらを風の国に返すのは、テメェらが真犯人を見つけてからだ」
「……!」
うっすらと焦りを見せるオスカーさん。彼を椅子に縛りつけていた縄が、ヴァンデロさんの指鳴らしと共に焼き切れた。瞬きの後には燃え滓だけが残っていて、圧倒的な火力で焼き払ったのだ、と理解できる。けれど椅子には焦げ跡がなく、オスカーさんに火傷の心配はなさそうだった。
ヴァンデロさんは席を立つと、壁にかかっていた受話器に手をかけた。
「テメェら、空腹で頭も回ってねェだろ。馬鹿が捜査してもまともな成果は得られねえ。うちの料理を提供してやるよ。ただ、あとで事件当時の映像と現場も見せるつもりだ。気の弱いやつは軽くしとけよ。ま、そこは大丈夫だろうが」
図太い態度を評価されたのか、ヴァンデロさんの目配せを受けるニナ。遠回しに私は弱虫だと言われたわけだけど、否定する気は起きなかった。
だって、映像も現場も殺人事件の証拠なのだ。突然死んですぐに回復した死の魔法使いのことすら夢に見るのに、死の魔法使いみたいに超然的じゃなくて、生き返ることもない、普通の人の死を目撃してしまったら……耐えられる気はしない。
私だけ見ないという選択はとれないだろうか。いや、それではまたオスカーさん頼みになってしまう。推理に少しでも貢献するためにも、ヴァンデロさんに認めてもらうためにも、ここは覚悟を決めるべきか……。
無意識に歯噛みする。そのそば、ヴァンデロさんはどこかに電話をかけると、受話器を元の場所に立てかけた。
「空き部屋を貸してやる。真犯人を見つけるまで、そうだな……4日間そこに寝泊まりすればいい。食事と風呂くらいは提供してやるが、見つからなかったら風の国から損失分を巻き上げさせてもらう。テメェらの身柄は……まぁ、一応プリマステラとその眷属だ。下手に動くわけにはいかねェ。少し考えさせてもらうぜ」
「……そうか。わかった」
早くも覚悟が決まっていたようで、言葉少なに席を立つオスカーさん。一瞬、その身体が停止した。よく見ると彼の仏頂面が苦痛に歪んでおり、私は思わず彼の名前を呼ぼうとする。が、それは本人の手によって制止された。
オスカーさんはすぐいつも通りの顔になると、私とニナのもとにやってきた。
「昨晩は申し訳ありませんでした。怪我はありませんか。……擦り傷や打撲くらいしか治せませんが、治癒魔法が使えます。痛むところがあれば、遠慮なく言ってください」
「い、いえ! 凄く元気なので大丈夫です。ありがとうございます」
「そうですか。……ところで、そちらの少年は」
「ニナだ。ビーム女をここまで連れてきた。アンタの魔法を教えてほしい」
かなり端折った自己紹介をするニナ。得られた情報は名前だけ、その上魔法の伝授を乞われ、オスカーさんが少し眉を下げてこちらを見つめてくる。いや、私もほとんどニナのことわからないんだけどな……。
「え、えーっと、この人は……以前、私が遺跡の森で幽霊に襲われたときに助けてくれた魔法使いです。強くなりたいみたいで、なんかついてきてたんですけど……私たちが捕まったところを見てたらしくて、助けに来てくれたんですよ」
「……」
無言のオスカーさん。彼のトパーズの視線がニナの頭から爪先へ滑り落ちる。ニナの頬がぴくりと動いた気がしたが、彼はその視線から逃げようとはしなかった。相変わらず度胸のある人だ。オスカーさんがなるほど、と呟いた。
「俺の代わりにプリマステラを助けてくださって、ありがとうございます」
「フン。これくらい朝飯前だ」
口の端を吊り上げるニナ。この表情を見るのも何回目になるだろう。私がぼんやり追憶していると、部屋の扉がノックされた。朝にもかかわらず、本格的にワインを嗜んでいたヴァンデロさんが『入れ』と促すと、扉が片方開けられる。
現れたのは、白いワイシャツと黒いロングスカート姿の、きっちりとしたお団子ヘアの女性だった。
「――失礼いたします。本日の調理担当のホーエンハイムです。ヴァンデロさま、キッチンをお借りしてもよろしいでしょうか」
「あぁ」
「ありがとうございます」
恭しく頭を下げ、部屋に入ってくるホーエンハイムさん。彼女は私たちとすれ違うと会釈をして、慣れたような足取りで隣の部屋に入っていった。話の内容からして、隣にはキッチンがあるみたいだ。ヴァンデロさん料理とかするのかな。
しかし、ギャングのボスに私室への入室を許可されている女性なんて――はっ、まさかヴァンデロさんの愛人……!?
「か、かっ、彼女はいったい誰なんですか?」
ただならぬ気配を感じて尋ねると、オスカーさんがぽつりと答えた。
「主にギャングを相手に料理を振る舞っている、闇の料理人です」
「……へ」
拍子抜け。え、ギャング専門の料理人とかいるんだこの国。ギャングって屈強な男性ばっかりだろうに、女性単身でアジトに乗り込んで怖くないんだろうか。
いや、もうギャング全員の胃を鷲掴みにしてて、ホーエンハイムさんの方が権力が強いとか? もしそうならかっこいいな、スマートな雰囲気も相まって憧れる。
そうだ、私も今度料理の練習しようかな。男性陣を魅了しなければならないプリマステラとして、胃を掴む作戦は是非とも試したいところだ。
あ、でも、うちにはオスカーさんというトンデモ向上心をもった料理人がいる。彼を越えなきゃいけないとなると……うん、この作戦はやめておこう。
うんうん、と私が頷いていると、オスカーさんが突然私の手首に触れた。
「……えっ?」
緊急事態を除いたら恐らく初めてのスキンシップ、それもオスカーさんからのアクションに動揺していると、至極平然とした顔のオスカーさんが、
「席を外す。5分ほどで戻るつもりだ」
「あァ?」
「安心しろ、逃げるつもりはない。……担保だ」
オスカーさんは眼鏡を外し、食卓に置いた。眼鏡1つで見逃してもらえるのか疑問だったけど、ヴァンデロさんは了承したのか口を閉じる。
眼鏡を置いていったら逃げないと確信できるって……オスカーさん、どれだけ目が悪いんだろう。いや、高級品とか誰かの遺品だったりして……?
考えていると、オスカーさんがくいと私の手を引いた。はっとして見ると、彼はニナの横顔を一瞥してこう囁いた。
「――行きましょう、プリマステラ」




